幽世の何でも屋さんは、今日も平和な毎日を送っているようです

黒種草

01 ご祝儀はシュークリームで

 とある初夏のことだった。昼下がり、夕飯の買い出しを終えて家路を歩いていると、瞬きの間に、自分が何かの行列の中にいることに気が付いた。

 咄嗟に上げかけた声を飲み込み、あちこちにチラチラと目を泳がせる。目の前を歩いているのは、紺色の着流しを纏った犬の頭をした男性だ。斜め前には私の腰ほどの高さしかない赤ら顔の小鬼が数名、酒を飲みながら談笑している。ひらひらと視界の端を泳いでいるのは、黒い背鰭も見事な出目金だったが、こちらは大きさが私の頭程もある。皆明るい雰囲気で、どこかから聞こえるお囃子も踊り出したくなるような陽気な調べだった。


 ──さて、これは何の行列なのかしら。


 一先ずは不穏さを感じないことに少しばかり安堵しながら、私は小さく首を傾げる。行列から抜けることは今はしない。こういう場で下手なことをすると、“決まりごと”を破ったとして急に襲われることもあるからだ。けれども、いつまでも行列に紛れていたとしても、目的地次第では危ない目に遭うだろう。どうしたものかな、と考えていると、ふと前方から華やかな声が上がった。鈴が鳴るような、花が幾つも開くような。

 私は思考を中断して、声のした方を見る。生憎と女性の平均身長よりも大分背が低いため、目の前の男が邪魔でなかなか前が見えない。体を傾け傾け、男の陰から盗み見るようにしてやっと視界が少し開けると、そこは既に行列の終点だった。

 広い野原の中央に、朱塗りの柱が美しい社が建っている。正面の扉は大きく外に向かって開かれ、奥の雛壇に座した黒袴の男性と白無垢の女性が小さく見える。行列は真っ直ぐに雛壇へ向かって伸び、彼等の両脇に佇む面で顔を隠した付き人に何やら手に持ったものを渡して、代わりに盃を受け取って野原へ出て行く。美しい緑の茂った野原では楽隊が鮮やかな音色を奏で、舞手がくるくると舞い、大道芸人が芸を披露している。屋台めいたものすらあるようで、雰囲気はさながら夏祭りだ。どうやら先程の歓声は、大技を決めた芸人に皆が喝采を上げたらしい。私はあぁ、と一人瞬く。


 ──そうか、これは結婚を祝う行列だったのね。


 であれば、社で皆が渡しているのは御祝儀だろう。人の世の金などここでは求められないだろうから、祝い品を渡して、その返礼に祝い酒を飲むための盃を受け取っているのだ。

 そこまでを見てとって、しかし私は眉を下げる。めでたい場にはふさわしい祝いの品がなくてはならないだろうが、しかし私は手に買い物袋しか提げていない。何せ、夕飯の材料の買い出しに出た帰りだったのだ。貴金属の類も身につけてはいなかったので、渡せるものが思い付かない。


 ──舞の一つでも捧げる? それとも、言葉だけで足りるかどうか試してみる?


 列を乱さないように足を進めながらうんうん考えていると、瞬く間に私の順番が近付いてくる。犬頭の男が子兎を捧げて下がると、高いところに座す新郎新婦が、穏やかな顔で私を見下ろした。白い面に筆で描いたような目鼻立ち。姿勢良く背筋を伸ばして座っているのは、育ちの良さもあるのだろうが、何よりも彼等がそういう“もの”であるからだろう。定型通りに一礼して祝いの言葉を述べた私は、祝いの品を受け取ろうと手を伸ばす付き人に、どうしたものかと口籠る。言葉だけでは、やはり駄目なようだ。数秒の間が空いて、付き人が一歩前に踏み出した瞬間、しかしコロコロと可愛らしい声で新婦が笑った。見れば、彼女は着物の袖で口元を隠して、楽しそうに目を細めている。


「別にそんなに大層なものはいらないわ。おヒイ様に寿いでいただけただけで、十分過ぎるお祝いなのだから」

「……私のことをご存知だったのですね」

「えぇ、勿論。本当は、ちゃんと招待状をお出ししたかったのだけれど」


 ねぇ、と新婦が新郎を見る。新郎は少しだけ口角を緩めると、私を見つめて小さく頷いた。知っていて招かれたらしいと知って肩の力を抜いた私に、ニコニコと笑顔の新婦が、肩から下げたままの買い物袋を指差す。


「言葉だけでも十分だけれど、もしも何かいただけるなら、その袋の中の菓子をいただきたいわ」

「菓子? ……あ」


 言われて、私はそれの存在を思い出す。スーパーの側にある洋菓子屋さんで買ったシュークリームが、潰れないように袋の一番上に入っている。私はそれを入れてある紙袋ごと取り出すと、付き人にそっと差し出した。付き人は恭しく袋を受け取って脇の台に置いて、代わりに朱色の盃を手渡してくれる。小さく頭を下げて受け取った私に、新婦が明るい声で言った。


「甘い洋菓子なんて初めてよ。ありがとう、おヒイ様。貴女に幸いがありますように」

「はい、お二人も末長く幸せでありますように」


 微笑んで返すと、並んだ二人もニコリと笑う。そうして瞬いた瞬間、私は元いた道に一人放り出されていた。迷い込んだ時は昼下がりであったはずなのに、太陽は既に西の端に沈みつつある。


 ──いけない、お夕飯の支度が遅れちゃう。


 慌てて駆け出した私の懐で、盃が小さくカランと鳴る。買い物袋はシュークリームの分だけ軽く、私はお土産がなくなったことを皆に謝らないとなぁと、小さく苦笑を浮かべるのだった。

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