あとがき

楠木凪咲の場合


『君には今日から一か月間、高校生……それも転校生で、患者たちと関わってもらいます』


 それが私――楠木凪咲の、インターンシップの内容だった。



 ♢ ♢ ♢



「書けました」


 私は高らかに告げた。


 いつもより早く訪れた病院は、いつになく静寂で満たされている。

辛うじて、この事務室内には人影があった。


「お疲れ様。ええと、どれどれ……」


 原稿用紙を先生に手渡した瞬間、手の内が開放感で満たされる。


それは紙の重みから物理的に解放された影響か、はたまた執筆という課題から解放されたという精神的なものなのか。恐らくどちらも間違っていない。


「……『ハイスクール・デイドリーム』?」


 先生は目を丸くして、それから私の顔を見上げた。


「楠木さん、これって?」


「はい。これが小説のタイトルです。約16000文字」


 私にしてはよく頑張ったと思う。

結局みんなの中では、提出順だと私がドベだった。


……現にこうして、最終日の朝に提出しに来ているのがその証拠。


「ちょっと待っててね」


 先生はそう言うと、原稿用紙を最初から読み込み始めた。


 読書家なのか、はたまた文字を読む仕事が多いからか。

彼は10分ほどで全て読み終えると、真っ直ぐ私の目を見据えて来た。


「これが君の書きたかった小説かい?」


「はい。とにかく、皆のことを書き留めたかったんです……」


「……なるほどね」


 渋い表情を浮かべつつ、続けざまに先生が口を開く。


「それにしても……随分頑張って完成させたみたいだね」


「……?」


「原稿用紙に、消しカスがこびり付いてるから」


 彼の指摘を受けて、用紙を見返してみる。


「うわ……」


 必死に書き過ぎていて気付かなかった。


 文章の至る所に、黒い点のようなものが幾つも引っ付いている。

読みづらいったらありゃしない。


「すいません、ちゃんと綺麗に……」


「いや、このままで良いと思うよ。何だか味があるし」


 先生はキッパリと告げた。


「にしても……すごい熱量だね」


 そして彼はまた、原稿用紙を捲り始める。

自分の書いた文章が人に見られるというのは、悪い気はしないけど、何となく気恥ずかしい。


「これで最後ですから。それに……みんなと約束したんです。書き終わったら見せ合おうって」


 友達との大切な約束。

それを果たすために、完成させたまでだ。


(…………)


 ふと、先生のデスクの上に置かれた3枚のカルテが、視界に飛び込んで来る。




小井華。25歳。8年前に発症。


吉沢胡桃。28歳。10年前に発症。


津雲楓。26歳。8年前に発症。




「…………」


それを眺めながら、私はここに初めて訪れた時の事を思い返していた。



 ♢ ♢ ♢



「正直に答えて欲しい。彼女達は、何歳に見えるかな?」


 先生は唐突に言うと、机の上に三枚の顔写真を置いた。

どれも女性の写真で、低く見積もっても……私より年上だろうか。


私は21だから――それよりも上の数字だ。


「……24、5くらいですか?」


「うん、ほぼ合ってる。彼女達は……それぞれ25、26、28歳」


「戸籍上では……?」


「そう……君が今感じた違和感こそが、この病気ハイスクール・シンドロームで最も難解なポイント」


 先生は間髪入れずに、結論を述べた。


「彼女達は



 ♢ ♢ ♢



「彼女達の脳は、自分を高校生だと誤認している。先生はそうおっしゃいましたよね?」


「うん」


「もう一度、ちゃんと説明して頂けませんか」


 折り入って私がお願いすると、先生は姿勢を直して話し出した。


「まず……彼女達の症状は、知っている通り発作によって引き起こされたと思われる」


「発作の原因は……」


「大人になることへの恐怖心やストレスだね。これが全員共通している」


 先生は休むことなく、口を動かす。


「そして何故、あのような症状が出ているのかについてだけど……。これは恐らく"大人になりたくない"という意思が強く反映されてしまったが故に、自分の年齢を捻じ曲げてしまったんだろうね」


「…………」


「でも正直……これが病気なのかと言われると微妙なんだ。検査を何回も繰り返しているけど、精神疾患の類ではなさそうだし、脳に異状がある訳でもない」


 これほどの症状が出ているのに、病気とは言い難い。

今でも腑に落ちていない言葉だが、分かりやすく先生は解説してくれた。


「単刀直入に言うとこれは"脳の錯覚"なんだ。彼女達が自分の脳に、"大人になりたくない""私は高校生だ"と刷り込みを行い続けた結果、今のようになった……というのが学会での通説だね」


「……その論説を展開したのが、先生?」


 先生は首を縦に振った。

少なくとも彼女達の症状については、目の前の彼が第一人者なのである。


「そもそもこの病気を取り扱っているのは麻堀ウチだけだし、前例がゼロだったからね……」


「彼女達以外の発症者って、まだ居ないんですか?」


「ああ。だから非常に稀な病気だし、研究もあまり進められていない。ここが大きな病院だからこそ、辛うじて彼女達のケアが出来ている状態なんだ」


 私もここにインターン生として訪れるまで、全くこの病気の存在を知らなかった。


「改めてだけど楠木さん……君には色々と、重荷を背負わせてしまったね。済まない」


 私の方へ向き直り、先生がぺこりと頭を下げる。


「いえ、そんな……。私、ちゃんと役割を果たせてましたか?」


 私に与えられた役割。

それは『一か月間、高校生として彼女達と関わり、接すること』。


外からの刺激を与えることで、もしかすると彼女達の症状が快方に向かうかもしれないし、インターン生にとっては勉強になるという取り組みだ。


「十分すぎるくらいに活躍してくれたよ。僕としても、君の積極性はすごく嬉しかった」


「…………」


 今となっては最早、仕事として皆と接していることを忘れていた。

不意に――彼女達の言葉が回想される。


『自分の身体にはウソをついても、心にはウソをつきたくないから』


『自分のことを一番理解しているのは、必ずしも自分とは限らないのかもね』


『夢を見るのが悪いことだなんて、そんな風には思いたくないんです』


 言葉の数々が、その時とは全く別の意味を持って、私には聞こえて来た。

もちろん皆、そんなつもりで言った訳ではないのだろうけど。



 ♢ ♢ ♢



「早速だけどみんな……楠木さんがすることになった」


 先生の言葉にみんなは唖然としていた。

もちろん転校というのは嘘で、実際はインターン期間の終了だ。


「……遊びに行く約束、守れなくてごめんね」


 視界がぼやけて、何も見えない。嗚咽が止まらない。

私の心は、みんなを助けられない悔しさと、別れる寂しさで綯い交ぜになっていて。


 それでも――最後に小説の見せ合いが出来たのは、救いだった。


 別れを告げて駅までやって来ると、つい先日まで雛だったはずのツバメが、駅舎を勢い良く飛び回っていた。


大人の一歩を踏み出した、ツバメ。


大人になるって、何だろう。

今一度考える。


楽しかった。

そう、ハッキリと言える。


夢のような日々だった。


でも、夢はいつか覚めなきゃいけない。

いつか覚めるものだから、夢は"夢"なのだろう。


私は駅舎にも別れを告げて、そのまま改札を潜り抜ける。


そして――5年の月日が流れた。



 ♢ ♢ ♢



 書店へと足を運ぶ。

忙しい日々の中で、最近は読書が趣味になりつつあった。


今日はどんな本が見つかるだろうか――


「……え?」


書店に入り、真っ先に視界に飛び込んで来た、本のタイトル。

『ハイスクール・デイドリーム』。


続いて作者の名前を見て、驚愕する。


――津雲楓つくもかえで


私は慌ててそれを購入し、自宅へと舞い戻った。


 小説の内容は――夢の世界に囚われた3人の少女が、現実に戻るべく奮闘するファンタジー。


「…………」


本編を読み終えて。

私は恐る恐る、次のページを捲る。


あとがきには――津雲楓の言葉が綴られていた。



 ♢ ♢ ♢



私の大切な友達、Kさんへ。お元気ですか。

まずはタイトルを丸々頂戴したこと、お詫びします。


でもあなたに読んでもらうためには、こうして目を惹くのが一番だと思ったのです。読んでもらえているのかは怪しいですが。


さて……風の噂で、医療に従事し多忙だと聞きました。もし万が一にでもお暇が出来ましたら、連絡を下さると私が喜びます。


最後にこれだけは伝えさせて下さい。

私たち、ちゃんと大人になれましたよ。


P.S. 約束忘れてません。私は絶対に山派です。



 ♢ ♢ ♢



あとがきを読み終えた後、ようやく、読後感が私を襲って来た。


ああ、そうか。

私にとっては、この小説はあとがきも含めて一つの作品なんだと気付かされる。


「……あはは」


 ――こんなあとがき、誰が面白いんだよ。

私を除いた大勢の人は、何のことかサッパリだぞ。


「はー笑える……」


 頬を暖かいものが伝っていく。

本を閉じ、しばらく多幸感に満たされた後。


 携帯電話で、作者に感想を伝えることにした。


「……もしもし?」






 今度こそおわり。

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ハイスクール・デイドリーム ShiotoSato @sv2u6k3gw7

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