世紀末と終末の百年

 夏が暑かった。友人は韓国に行った。死にたくなった。通話で連絡は取っていたが、私はただ部屋にこもっていた。

 そうして本を読んで音楽を聴いて寝そべるだけの生活をしていた頃、友人からユング心理学の話を聞き、とりあえず読んでみようと思った。

 私は、十六の頃に母親から臨床心理学の言説を載せたサイトで支配されかけて以来、河合隼雄やユング心理学といったもの、および精神分析全般に非常な嫌悪感を持っていたので、この決断は、恐らく私が相当参っていたということだと思う。


 この頃私には重要な参照先として、ニーチェとショーペンハウアーを群馬の田舎で読み哲学科に進学してきた学科の先輩がいて、その先輩から事あるごとに「界隈」の存在を告げ知らされていた。最初は、動画を送られて開くといきなり「おくすり飲んで寝よう」などという文字が表示され情けない音楽が流れ出したので、「とっとと寝ろ」という皮肉に満ちたメッセージかと思ったが、話を聞いていくとなかなかに面白い界隈があることを知らされた。ある真夜中に、「俺も科学の研究をして、ネットの片隅で少女終末旅行の文章を書いていたかった」と言われ、実際にそういうことをやっている研究者の情報が送られてきた時には参ったが、これがきっかけとなり私も夏頃に秋葉原で『少女終末旅行』の漫画をまとめ買いした。群馬の田舎で親と葛藤しながらニーチェの『ツァラトゥストラ』をブックオフで百円で買って読み、飽き足らずショーペンハウアーやつくみずに手を出す青年はそれだけで美しい。

 そういえば私が九州の田舎で読んでいたものといえば、引きこもりの若者が自堕落な生活のさなか陰謀論に傾倒したりする小説であったり、百年前の文豪のアフォリズムであったりなので、基本的に「認識」というところに関心を寄せるタイプではあると思う。先生にもそのことを見抜かれていて、メールで吉本隆明や三島由紀夫を勧められた。そこで、この夏の私の読書では、ドストエフスキー、芥川龍之介、ユング心理学、吉本隆明などを読んだ。私がこのような経験を受け入れるようになったのも、授業で誇張なく百回以上「存在」という語を発する、私が「存在母性論」と命名した講義を受けて、そのテスト中に涙を流したからだし、振り返っても私の局面転換には必ず涙が伴っている。-私はこの頃、御柱祭の動画で涙を回復していたのである。柱がくずおれる様子は、或いは幼時より見ていた、唐津天満宮の「おんじゃんおんじゃ」という祭りの元型かもしれないし、その感触は世界中の人が二〇〇一年にテレビ越しに体験したもののように思う。


 私は『カラマーゾフの兄弟』の冒頭を読み、この作者はきっと性格が悪いのだろうと思うようになった。なぜ、イワンとアリョーシャの生い立ちを書いたその筆でユダヤ人を差別できるのだろうか。

 こうしているうちに、私はある日、母胎的な夏の湿潤に押し入れの中からのまなざしを感じるようになった。


 学科の先輩が部屋に来た。『意志と表象としての世界』の解説でニーチェと母親が一緒に写っている写真を見てやけに驚いていた。『少女終末旅行』を読んだ。『河童』が燃やされていた。『意志と表象としての世界』も燃料になっていた。


 九月になった。九月一日、関東大震災から百年が経過した。私は外を歩きながら、先輩との会話と、『侏儒の言葉』での芥川の言葉を思い出していた。灰燼となった世紀末の風景にかの文豪は「ショオペンハウエルの厭世観」を見ていた。以前先輩と出会った当初の頃、私が「ショーペンハウアーは厭世主義で…」と言いかけた際、先輩は「全ッ然違う!」と声を上げた。-或いはショーペンハウアーならそう言うかもしれなかった。『少女終末旅行』は主人公の持っていた『河童』と『意志と表象としての世界』を捨てていく作品であった…。空はとても青かった。

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