在りて在る希望
てると
親と子と
息苦しさを気にしながら、私はキャンパスの四階にある先生の研究室を目指し階段を上っていた。キャンパスは白色を基調として空から光が差し込むつくりとなっていて、私にはそれがよそよそしさとして立ち現われていた。
研究室のドアを開ける。
「おう、中川。ハイデガーが『死ぬときは孤独だ』と言っていたらなんて返す」
いきなりの質問に戸惑うが、慣れている。
「それはその通りですね、とかですか?」
「答え方があるんだよ。『死ぬときは一緒です』と言えばいいじゃない」
-こうして私と先生の会話が始まる。研究室は本やプリントが散乱しており、煙草の匂いが強いと他の人たちは言うが、私はすっかり感じなくなっている。
「先生も先日の授業で『僕ももうまもなく』と仰っていましたが、まだですよね」
先生が書類を動かしながら背中越しに答える。
「まだまだ。まだまだ。まだやることいっぱいあるしねー。八十三を考えてる」
「ゲーテを超えるんですね」
「…両親が長生きだったから、その中間だよね」
私はこの言葉を聞いて、母が比較的不健康で、五十で死んだことを想起し、少し感情を動かされた。この後私の身の上話をして、私はそのまま大学の近くの部屋に帰った。
夏休みになり、先生から距離のできた私は手持ち無沙汰に本を読んでいた。-手持ち無沙汰に?或いはそれは、あの、「なんとなく手に取った」「人から勧められて」というものが存外私が読むべきだった、という現象かもしれない。
この頃私は暇を持て余していたが正体不明の焦りがあったので、とにかく落ち着いてみようとして、春先より友人たちと『老子』の読書会を行っていた。それも一段落したので、その流れで友人を誘って、インターネットで見つけた「寝そべってみませんか」という文言に誘われて、ある集まりに顔を出していた。
そうして過ごしていると、知り合いからロシア文学を勧められ、「カラマーゾフで身近な人への愛を知ってください」とのことだったので、『カラマーゾフの兄弟』を読むことになった。そういえばこの本は、私が十五の頃にいたまとめサイトの管理人たちのチャットで仲の良かった者が年長者に勧められていたし、再入学した高校の、よくしてくれた進路指導の先生も、『共同幻想論』とともに私に勧めてくれたものだし、読む気にもなったのである。-その本は私の部屋に既に存在した。後輩の勧めにより安値で購入してもらって…。
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