1話 【再開の秋】
夏の暑さが鳴りを潜め、昼夜の寒暖の差が開きだした仲秋。
少し前までは日が傾いた後でも、地面から湧き上がる熱気に汗をかいていた。
涼しくなってきたな、そんな思考に耽りながら彼女――綾は歩みを進める。
細い路地を抜けると、途端に人通りが多くなる。
そして所狭しと乱立している飲食店の数々が視界に飛び込んできた。
「今日も賑やかですね」
その光景をながめ、綾はぽつりと溢す。
どこか単調で、興味のなさげな声色だった。
いつもの通り、いつもの光景。
変わったのは、と考えたが少し過ごしやすい気候になったくらいかと思考を放棄する。
「歌、歌いたいな……じゃない、まずはお金を貯めないと」
生活をするにしても、趣味を楽しむにしろ。
かなえたい夢のために頑張るにしろ、お金というものは必ず付きまとう。
バイトから解放されたため、ついやりたいことがついて出てしまったが、今は遊んでいる場合ではないのだ。
楽しげに店先で歓談を楽しむ人、や手をつなぎ幸せそうに歩いていくペア。
最近は気づけばそんな人達を視線で追ってしまっている。
人をじろじろ見るなんていけないことだ。ましてやこの感情は醜いものだと気づいている綾は人通りの多いこの通りをなるべく早足で通り過ぎようと努めた。
そんなことをしていると、綾は駅前の交差点にたどり着く。
舞鶴駅。ここらで一番大きな駅で、ロータリーを挟むようにして2階への歩道へと続く階段が伸びている。
こちらの入り口は2階部分となっており、階段かエレベータで昇降しなければいけないところが些かつらいところだ。
交差点で信号待ちをしていると声が聞こえてくる。
「きれいな声……」
歌手だといわれても遜色ないくらいの透き通る声。
それでいて胸にすん、と違和感がなく入ってきたかと思えば、胸の中心に締めつけられるかのように響く。
「だけど、こっちのほうから聞こえる」
不思議なことに音楽はかろうじて聞こえる程度。しかし何故か歌は綾へと届く。
綾は待っていた信号待ちを止めて、声の聞こえるほうへと歩き出した。
舞鶴駅のはずれ。大通りに面した歩道で人が集まっていた。
車道を中心に二十の半円できている。
「今日は皆さん、私の路上ライブのために足を止めていただきありがとうございます」
落ち着いた声がマイクを通さず聞こえる。
「こんなに人が集まるなんて思ってもいなかったので、とても驚いています。さて最後の曲に行きますか」
綾はすみません、と空いている隙間を縫って先頭へ移動する。
円の中心には一人。
黒いコートに白いシャツ。下は黒のスキニーをはいており、アクセサリーは手首の時計ぐらいだろうか。
黒髪で前髪は中央を上げている。
そんな穏やかな表情の青年がギターを肩から下げて立っていた。
足元にはネームボードが置いてあるが、SNSのアカウント名や詳細な自己紹介などは書かれていない。
手書きですよ、と伝えたいのか、はたまた面倒だからと片手間に書いたのか。
お世辞にもきれいとは言えない字で『遠影ヒロ』とだけ書かれていた。
「最後の曲は『声の詩』」
「あっ」
綾はその曲を知っていた。
幼いころ何十回も何百回も聴いていた曲だったからだ。
『声の詩』それはかつて電脳の歌姫と謳われた、リーシャという歌手が引退前最後に発表した曲の名だ。
その曲は別れを彷彿とさせる単語が歌詞にちりばめられている。
しかし、リリースとともに声の主の発表を受けていた背景から漂う、悲観じみた雰囲気は一転。
歌詞自体は確かに別れの曲だった。
しかし、リズムやテンポ、加えて歌姫リーチェの歌唱技巧により、悲しい曲ではなく未来に希望を抱けるような。そんな楽曲へと進化する。
綾はその曲を歌うリーチェの、その歌を聴く幾億人の感情を揺さぶる、その歌唱に憧れた。
――その憧れが、綾を歌手という夢に誘った。
イントロが始まる。
けれど、彼は設置されたスタンドマイクの正面には立たず、ギターを弾きながら目をつむっていた。
彼が口を開く。
その歌声は圧巻だった。
近くで聞いたからこそわかる。
決して声量が大きいわけでもなく、小手先のテクニックがあるようには思えない。
ただ。
揺さぶるのだ。
その声で聴き手の感情を。
Aメロからサビへと突入する。
すると、曲調が一転。
「なにこれ……」
『声の詩』は別れの曲である。
されど、決して後ろは向かない。未来を見据えた、希望を詠った曲である。
けれど、これは。
リズムも曲調も歌詞以外、歌い方さえ変えて。
本当の別れの曲といわんばかりの悲しい曲へと変貌していた。
「『声の詩』だけど、何もかもが違う。けれど――すごい」
知っている曲の原型も残っていないように感じるが、聴いていて苦痛ではない。
歌い手の悲しみ、別れ。そういったものが流れ込んでくるような。
完成している、そう思ってしまった。
演奏が終わり、男が一礼する。
ただ、呆然と聞き入っていた綾はびくりと肩を揺らすと、震える両手で拍手を始めた。
それに続くかのように、周囲から喝采が鳴る。
綾の頬には一筋の跡が残っていた。
ライブが終了し、ぞろぞろと観客が散ってゆく。
すると男――ヒロの元へ数人の観客が近づく。
「あ、あの、めちゃくちゃよかったです。途中からしか聞けなかったんですけど明日から頑張れそうです」
「俺もそうです。昨日失敗してへこんでいたんですが、このライブを聞けたおかげで明日から仕事頑張れる気がします」
「次回ってどこでライブするとか決まっていますか。SNSなんかも教えてほしいんですが」
興奮が収まらない、といった感じにそれぞれ観客同士の発言にかぶらないよう、告げてゆく。
ヒロはあはは、と苦笑いを浮かべた。
「そう言って貰えてとてもうれしいです。それでライブなんですが、ほとんどやってないので未定です。SNSも一切やっていません」
「そうですか……いや、ありがとうございます。とても元気をもらえました」
そういうと頭を下げて、離れていく観客。
残っていた観客の都度離れていく。
「あのっ」
それを見送ると機材の撤収準備を始めたヒロ。
マイクに繋がるコードに手をかけた時、横から声をかけられた。
「君は……」
歌っているとき彼女のことは認知していた。
視界に入る観客の中で一人だけ、その目から涙を流しており、気が付いていないのか拭うことなく聴き入ってくれていた人物。
薄い赤毛を肩口まで伸ばしており、涙の跡はあるもののとても整った顔立ちだなと思う。
少し目じりは下がっており、可愛い系の女の子だ。
ただ、少し自信がなさそうに眉を下げており、どこか儚げな雰囲気を醸し出している。
そんなことを思っていると、彼女は少し俯き気に口を開いた。
「あなたの歌を聴いてとても感動しました。曲を聴いてこう、ぐって感じで、胸の中ではじけるような感じでっ」
擬音が多い。
そう感じたヒロは思わずクスッと小さく笑う。
「とても綺麗で、すでっ……」
あ、噛んだ。
そう思った瞬間、彼女と視線が合う。
「あっ」
小さな声が聞こえたと思いきや、顔がみるみる赤くなっていく。
仕草からヒロがクスリと笑っていたことに気が付いたのか、さらには周囲に視線を巡らす。
少し残っていた観客は今まさに暖かな目をして彼女を見つめている。
というか、少なくなっているとはいえ漏れなく全員微笑んでいる。
気持ちはわかる。
正直、彼女の伝え方は独特だったと言えるだろう。
そのひたむきさの後に嚙んでみろ。
小動物感が出て確かにそんな表情にもなる。
加えてヒロはそんな彼女を見て。
いや、言葉を聞いて、か。
懐かしさに頬を綻ばせる。
途端に、胸にあたたかくなるようなそんな感覚に襲われた。
「君、大丈夫――」
大丈夫かい、と続けようとしたとき。
彼女は「ごめんなひゃぃ」と、ろれつが回りきってない口で言い切ると。
途端にこちらに背を向けて去っていった。
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作詞家が歌手志望の弟子を取ってしまった 天広六花 @amahiro-rokka
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