作詞家が歌手志望の弟子を取ってしまった

天広六花

プロローグ 彼方の空より友愛を

 夕焼けに染まる河川敷。

 ところどころ塗装が剥げており、赤土色が見えている手すりに腕を乗せ、男は眼下を見下ろす。


 遊歩道にも、グラウンドにも人影はなく。

 普段なら背後の車道には絶えず車が通っているようなものだが、それすらない。


 まるで、世界に一人取り残されたような。

 

 そんな光景を眺め、男は背伸びをした。


「こんな日は歌を歌うに限る。えっと、何を歌うか」


 男はそう言うと両手を後ろに回して頭に当てる。

 眼を瞑り、考え込む。


「おかしい。何も浮かんでこない」


 男は眼を見開き首をかしげる。


 いつも歌っていた楽曲が、まるで抜け落ちたかのように出てこない。

 なぜ、どうして。


 皆目見当がつかないと悩む男。


「俺が歌う曲は、だいたいあいつが書き下ろしてる曲で……」


 ふと、頭に馴染みの顔が浮かぶ。


 言葉には力がある。

 どこかの偉人が言っていたように、それを体現するかのような人物。


 はじめはその才能に圧倒され、柄にもなくへこんで、妬んだことを覚えている。

 だが、気づけば一緒にいることが多く、気が付くのはそう時間はかからなかった。


 自分には手が届かないような才能。そんなもの彼は持っておらず。

 ただ、ひたすらに。ひたむきに。


 才能と割り切らねば直視できないその能力は、ひとえに努力で形作られていたということを知った。


「それで、そんな相棒の曲を忘れたのか、俺……」


 そうへこむ男は歌手であった。

 ずぼらで、ひょうきんで。

 相棒であり親友でもある人物とは対照的な男。


 ただ、言うなれば友の努力の才に、その在り方に憧れた。


 言葉を紡ぎ、世界を作る。

 それが相棒のやりたいことで、それ以上もそれ以下もないという。


 言葉の螺旋は男の心に違和感なく溶け込み、やがて震わせる。

 それに感化されたかつての男は、相棒の世界を自分だけでなくたくさんの人に伝えたいと相棒に願った。

 

 そのために、柄にもなくひたすら努力を重ねた。表現の手段としてひたすらに歌を歌い続けた。

 彼の世界を形にするために。

 叶うならば、かつての自分が感じたように誰かの心を震わせ、価値観さえもぶち壊してしまえるような。

 そんな世界を隣に並んで作りたいと願って。


 それを――忘れてしまった。


 その衝撃は決して小さくなく。


 男は膝に手を付き、両手を握る。

 その肘はわずかに震えていた。

 

 空笑いを浮かべた男は、頬を伝う涙に気がついた。


 


 

 初めてライブハウスでのイベントに出た時。

 相棒の家に泊まり込みで打ち合わせをしたとき。

 酔って他人に迷惑をかけてしまったとき。

 

 彼はいつも熱心で。


 俺とは違い最後まで気を張り続けていたっけ。最後のは温厚なその性格にからは考えられないくらい怒られたことを覚えている。


『次、こんなことがあってみろ。俺はもうお前を二度と相棒となんて呼ばない』


 鬼気迫るような表情で詰められたときはひたすらに怖かった。

 

 だが、あの時のあいつは相手にも、周囲の人たちにも謝り、フォローして回ってくれていたのだ。

 あそこまで怒ったのはすべてを聴取したうえで怒ったのだと容易に想像できた。

 我に返った時にはすぐに相棒をはじめ、関係者に謝罪しに行ったっけ、と。


 何を思い返しても、あいつは俺なんかには出来過ぎた相棒だと思う。


 ――そしてふと、気が付いた。


 誰もいない見慣れた街。じきに太陽は地平に沈み、夜が来る。

 

「ああそうか――」

 

 あいつに人生を変えてもらってから。

 曲も夢も、やりたいこともあいつと一緒に作ってきた。


 なにもかも受け取っていただけだった。

 あいつの善意に甘えていただけだ。


 何もかも貰ってばかりだった。

 

 男は天を見上げる。


 小さく輝く星。それらが一つ一つと消えていく。

 そして、見失っていた記憶が頭に流れ込むのをただ受け入れた。


「思い残すことは一つだけ……。身勝手に消える俺にあいつは何を思うのか」


 苦しむことはないだろうか。

 足を止めてしまうことはないだろうか。


 ――書き続けることをやめてしまうことはないだろうか。


「どうしようもねぇ俺を相棒だと、親友だと言ってくれたあいつに。俺は何も残してやれなかった」


 自らの行動による後悔ならば山ほどある。

 

 だが、彼の今後を思うと堰を切ったように感情が胸に流れ込む。


「優しいんだ、人としてこれ以上ないようなやつなんだ。俺の憧れでもあり誇りで、かっけぇんだ。だけど、くそまじめでっ。思いつめることが、あるんだよ……」


 きっと二度と相棒に、親友に会うことは叶わない。

 だから、こんな場所を、最期の時を用意したであろう、いるかどうかもわからない神へただひたすら願う。


「どうかあいつが道を見失うことがないように。俺の分まで幸せに生きていけるように」


 ――ああ、違うな。


 この気持ちは本当だ。この握りつぶされるように痛む心もきっと本物だ。

 男は頬を流れる涙を腕でごしごしとぬぐう。

 目には涙が浮かんでいるが、すでにあふれることはなく。

 その瞳ははるか上空。

 ひと際輝く星、一点だけを見つめていた。


「こんな俺、あいつに見せらんねぇ。俺は陽気で、適当で、たまに叱られてるぐらいが丁度いい。そういつも言われていたからな」


 最期の見せ場だ。あの時、最後まで伝えることが叶わなかったから。

 この気持ちは、そして言葉はあちら側には伝わらないだろうけれど。


「いもしない神には託さねぇ。俺たちは自分の手で創ってきた。だからこそ耳かっぽじいてよく聞きやがれ」


 陽が落ちる。

 最後に残った一等星が、ゆらゆらと点灯するように瞬き、男は息を吸う。

 胸元をちぎれんばかりに握りしめ、満面の笑みを浮かべた。

 

「――俺はお前の中で生きてるぜ、相棒」


 願わくば、彼の隣に信頼できる存在ができますように。


 時は夕暮れ。そして星が消えゆく時。

 夜の帳が下りるとともに、世界は常闇に包まれた。



――――――――――――

初投稿の作品となります。

モチベーションや作品のクオリティ向上のため、意見や感想、評価等をいただければ幸いです。


主人公たちは次回から登場します。

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