雨の出会いと退職代行妖怪

雨の出会いと退職代行妖怪

 ひどい雨だった。


 ここは街の隅の潰れた駄菓子屋の軒下だった。


 私はそこで息も絶え絶えといった感じだった。


 私の日常は狭く暗かった。具体的には仕事でボロ雑巾のように扱われていたのだ。


 私の仕事はクソだった。


 私はそこから逃げてきた。逃げて逃げて、この知らない街の街角にやってきたのだ。



「ああ、疲れた」



 私は独り言を漏らしていた。


 だって、本当に疲れたのだから。


 ここまでボロ雑巾なりに必死に頑張ってきた。走ってきた。


 しかし、どれだけ頑張っても、どれだけ走っても変わらなかった。


 世界は変わらなかった。


 辛く苦しい毎日。


 世界は私にとっていつまでも苦痛を与える場所だった。


 きっと、みんなは選ばれた人たちで、私は選ばれなかった人なのだ。



「だから、こうしてずぶ濡れになりながら空を見てる」



 私は自分の心の声に自分で答える。


 なにをしても同じで、どこに行っても同じで、ああ、だからもう疲れたのだ。


 ここでゆっくりと、景色に溶けるように、雨に溶けるように消えていきたかった。



「いや、まいったまいった。ここまでひどくなるとはな」



 そんな声がした。


 見れば、この雨の中を1人の人影が俺と同じ駄菓子屋の軒下に入ってきたところだった。



「おや、先客がいたか。これは失礼」



 それは女だった。長い黒髪をまとめたポニーテール。顔立ちは整っており、美人だった。


 しかし、妙なのはその姿だった。女は派手な柄の着物姿で、腰にふたち刀を刺していたのだ。


 この令和にどうしたことか。


 コスプレなのか夢なのか。


 妙なことになったと私は思った。



「君も雨宿りかな」


「まぁ」



 私はそっけなく答えた。どう見てもあんまり関わらない方が良い気がしたからだ。



「おっと、この姿が奇抜なのかな。これは失礼。私は妖怪でね。このあたりで暮らしている。私が見えるものも久しいな」


「へぇ」



 私はそっけなく答えた。


 とにかく関わらない方が良い。


 消えたくてたまらないやつとは誰だって関わらない方が良いだろう。どう考えても。



「ほほぉ、消えたくてたまらないと言った感じだ」



 しかし、女はそんな俺を見透かすかのように言った。


 なんなんだこいつは。とにかく私に関わらないでほしいと言うのに。



「ほっといてください」



 私は言った。



「ほほぉ、相当に元気がないね。打ちのめされた現代人と言った感じだ」



 その通りだが、そう思うならとっととどこかへ行かないか。頼むから。


 しかし、そんな私に女は近寄ってきた。


 いや、近寄ってきたどころではない。


 ものすごく密着してきた。


 良い匂いがして、女の子黒髪が私の肌に触れる。女の柔らかい体の感触が伝わる。



「ななな、なんだ?」



 私は勤めて冷静を装う。



「疲れているなら慰めてやろうか?」



 そう言って女は私の首に手を回し、太ももにもう片方を添わせた。


目の前には人形もように整った女の顔と、その下に着物の隙間から見える豊かな胸.....。



「おおおお...いや、いやいや...!」



 私は自分の目がグルグル回っているのを感じた。この数年で一番動揺しているのを感じた。



「というのは冗談だ」


「なななな....はぁ!?」


「ふむ、女の体に惑う元気くらいはあるのか。まだ諦めるには早いやもだぞ」


「なななな、なんだそれ! おっさんをからかうのも良い加減にしろよ!」



 私は思わず理不尽に叫んでいた。



「それはからかうとも。私は妖怪だからな」



 しかし、女はまるで取り合わずそんなことを言った。


 なるほど、妖怪ならば人間をからかうのは至極当たり前か。むしろそれは本分なのかも。


 などと思ってたまるか。


 今は科学の21世紀であり、ここは令和の都市なんだぞ。



「科学が発展しても妖怪は残るとも。光がどれだけ強くとも、どこかに影が残るように。さすがにもうなんの力もないがね」



 そして、女はまた私の心を見透かすように言った。



「だがしかし、私の姿が見えるのはそれはそれでこの世の端に近いところに来てしまっているのだろう。問題だな。休むか苦痛を取り除くか。具体的には休職か転職をおすすめしよう。良い転職サイトなら知っているぞ」



 急に庶民的なことを良い出す女だった。



「余計なお世話だ!」



 私は叫んでいた。


 急に人について知ったような口を聞いて、勝手に転職サイトを紹介しようとするな。なんなんだお前は。



「ただの下っ端の妖怪だとも」


「下っ端だかなんだか知らんが俺に関わるな! 俺みたいなやつには救いはないんだ。どこに行ってもゴミ扱いされて、そしてそれは死ぬまで続くだけだ。もう30超えたら自分の人生のサイズなんか見えてる! もう良いんだよ! 終わったんだ俺は!」


 

 私はわけもわからず叫んでいた。



「そんなことはないとも。君はまだなんだってできるんだ」


「なんだと?」


「君はまだ若いとも。君はまだ知らないことがたくさんあるとも。世界はとても広いとも」


「なんでわかる」


「妖怪だからね」



 女は言った。



「ふむ、もう少しおせっかいを焼きたくなったな。そうだね。私は妖怪だから少しひどいことでもするとしよう」



 女はまたずい、と俺に近づく。


 なんだ、またからかうのか。


 しかし、女がしたのは腰から脇差を抜くことだった。


 どう見ても真剣だった。



「な、なんのつもりだ」


「なに、少し因果を斬るだけだ。所詮気休めだが、妖怪の身勝手なおせっかいというものだよ」


「はぁ!?」



 女はそのまま刀を振り上げた。


 いや、これは。どう見たって女は俺を殺そうとしている。


 妖怪を名乗る頭のおかしい女に殺される。



「や、やめ....!!!!!」


 

 俺がやめろと言い切る前に女は刀を振り下ろした。その刃は袈裟に俺の胴体を切り抜いた。


 途端、俺も意識が遠のく。当たり前だ。刀で斬られたのだから。要するにこれから死ぬのだから。



「さて、これで喜んでくれるか恨んでくれるか。どのみち因果が深まるなら私には好都合だな」



 薄れゆく意識の中で女は言っていた。



「あと、さっきは冗談だったがその気の時なら相手をしてやってもいい。君なら楽しめそうだ」



 女は最後にそんなことを言っていた。


 こいつが妖怪なら、なんて破廉恥なのか。


 ハレンチなのはいけない。いけないんだよ。










────ピピピピ、ピピピピ。



「朝か」



 私は目を覚ました。スマホのアラームが鳴っている。


 また憂鬱な1日が始まる。


 ゴミみたいな1日が、1週間が、一生が始まる。


 が、



「あ、遅刻だ」



 なぜなのか。アラームはいつもより1時間後に設定されており、完全に遅刻の時間だった。


 最悪だった。最悪だったが、電話するしかなかった。遅刻してすみません、そうやって電話するしかない。


 最悪だった。


 私は職場に電話する。数回の音の後に電話が取られる。



『はい、井崎制作ですが』


「あ、田丸です。あの今日はちょっと遅れてしまいそうで。本当にすいません」


「はぁ!? 田丸!?」



 出たのは課長だった。しかし、その声はただ怒っているのとはなにかが違った。



「お前!! 1週間前にあんだけ文句叫びまくって辞めといてなんのつもりだ!!! こっちはあの後部長にむちゃくちゃに詰められて散々だったんだぞ!! 嫌がらせか!! 2度と電話してくるな!!!」



 そうして電話は切られてしまった。



「なんだ?」



 謎だった。課長の発言の内容が謎だった。


 そんな時。



「郵便でーす」



 表から声がした。


 俺はアパートの玄関まで行ってドアを開く。当然郵便だったが、それは身に覚えのないものだった。



『最強! 転職の進め!』



 そういった転職雑誌だった。


 受け取ってハンコを押して、部屋で開けると中には転職情報がびっしりだった。かなりの精度で書き込まれている。


 今まで何年以内に何人の人が辞めたか。労基は入っているか。パワハラの前歴は。実際の給料の上昇率。人間関係のレベル。本来わかるはずのない細かな情報がそれはもうたくさん書いてあった。


 明らかにこの世に出回るような求人雑誌ではない。



「なんだこれは」



 そして、そのあと調べると俺は本当に今までの会社を辞めていた。


 自分が受けた法律違反のパワハラをダシにしてきちんと退職金を受け取り、今は順風な無職になっているらしい。


 なにか全てが終わっていた。


 そして、何かが始まっていた。









 ある街のある潰れた駄菓子屋の軒下。


 俺はスポーツ飲料を飲みながら立ち尽くしていた。


 前とは違う晴れ渡った空。いや、晴れすぎだった。


 真夏の直射日光は容赦がなく、気温は40度に迫ろうという勢いらしい。



 そこで俺は立ち尽くしていた。


 待っていた。



「おやおや、どうしたのかな。こんなところで。ひょっとしてその気になったのかい?」



 そして、待ち人が、あの女が目の前に居た。


 前と同じで長い黒のポニーテールで、派手な着物姿で、そして刀を脇に刺していた。



「違う。そういうハレンチなやつじゃない。ただ、お礼が言いたかったんだ」



 そうして私はお礼を言った。


 この女に、退職代行みたいな妖怪に。


 私をすり鉢の底から引き摺り出してくれた人間じゃない恩人に。

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雨の出会いと退職代行妖怪 @kamome008

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