影の約束

宮塚恵一

Promise of Shadows

 麻薬密売組織の本拠地とは言え、所詮そこにいる構成員のほとんどは、戦闘の素人だ。元殺し屋の俺とは暴力の年季が違う。気付けば、カルテルの人間の半数以上の屍が積み上がっていた。


「ば、化け物」


 俺がナイフを振るい、部屋に一人残った若造が俺を見て涙を流した。


「そうだ。知らなかったか? 藪を突けば蛇が出る。肝に命じとけ」


 俺は若造の頭をナイフの柄で強打した。流石の俺も、無抵抗な人間を相手にする趣味はなかった。気絶した若造を蹴ってどかし、扉を開ける。扉の先では、機関銃を持った構成員が待ち構える。俺の姿を見るや否や、彼らは引き金を引くがもう遅い。俺は床を蹴り、一番近くの構成員の懐に潜り込む。それを盾にして銃弾を受け止め、近くにいる他の構成員の頭を蹴り上げる。大勢の人間で一つの標的を蜂の巣にする時に気をつけねばならないのは、その標的が仲間の射線軸から移動しないようにすることだ。彼らはそれを怠った。

 ──が、故に。けたたましい銃声はすぐさま鳴り止み、部屋を静寂が支配する。血みどろの部屋を通り過ぎ、更に奥へと進む。


「よお、先生」


 そして俺はようやく目当ての人間を見つける。拷問部屋で鎖に繋がれて、全身を痛め付けられた先生が、俺の声に反応してピクリと動いた。拷問を受ける先生の傍らには、先生の娘が目隠しと手錠、猿轡を噛まされて下着姿で横にされていた。けれど、娘の体は綺麗で、何の傷跡も暴行を受けた様子もない。

 娘を救出に来た目的は、一応達成したと言うことか。いや、こんなものは成功とも呼べない。

 俺は先生の足の指を切断していた男の首筋にナイフを走らせる。男は悲鳴をあげる暇すらなく、その場に倒れた。


「何をしに来たのですか」


 先生は俺に言葉を投げかける。

 爪を剥がれ、手の指を折られ、足の指を切断され、胸と腹と背に刃物を走らされ、目には釘を刺され、拷問という拷問を無数に受けていた。教会にいた頃には鬱陶しい程に長かった黒髪も剃り落とされ、頭上には火傷の後がある。それでも尚、先生には俺に話しかける余力があった。俺は先生の悲惨な姿よりもまず、そのことに驚く。ここまでされて正気を保っている人間を、俺は今まで見たことがなかった。


「あんたが身代わりになれば娘を助けるとでも言われたか」

「そんなところ、です」


 先生の目からは血が流れている。両目に釘を刺され今にも破裂しそうな瞳にはきっと、俺の姿は映っていない、


「もう一度聞きます。何をしに、来たのですか」

「あんたのこと、助けに来たに決まってんだろ」

「ここに来るまでに、人を傷付けましたか?」


 俺は先生の言葉に唖然とする。こいつは、この期に及んでそんなことを気にしていやがる。俺は苛つきを覚えた。そんなこと、あんた気にできる状態じゃないだろうが。


「そうじゃなきゃ、助けになんて来れない」

「私は、娘を助けるために誰も傷つけませんでしたよ」

「阿呆か! あんた自身が傷付いてるだろうが! それに、あんたが死ねば娘だって無事ではいられない! そういう奴らだ、こいつらは!」


 都会に蔓延り出し、若者達に違法薬物を売り付ける犯罪組織。もう俺達の住むこの街に、秩序というものが失れてから暫く経つが、この組織はその中でも指折りの悪党だった。飢えや争いから逃げ延び、生き残る若者達を標的に麻薬やその他の依存性のある薬物を売り、ただでさえ何も持たない若者から金銭を集め、それが出来ない客ならば奴隷同然に扱い、労働力として、果ては臓器売買の苗床とされた。その組織から薬物を買う若者達を一人一人、教会の牧師でしかないこの先生は草の根運動で救い出していた。それは組織には目障りでしかなく、彼の娘を人質に組織の本拠地に誘き寄せたのだ。殺し屋であることを止め、身寄りをなくした俺を拾ってくれた先生の為、そんな危なっかしいことをしていた先生のボディーガードをしていた俺も、護衛対象がノコノコとこんなところまで勝手に来てしまえば守り切れるものも守りきれない。先生はいつも、俺に暴力を禁じた。俺が殺し屋であった過去を先生に言ったことはなかったが、先生は何となく、俺がアンダーグラウンドから這い出てきた何者かであることくらいは、気付いていたようだった。


「なら、せめてこれ以上罪を重ねてはいけません」

「ふざけんな。そんな悠長なこと言ってられねえんだよ」


 俺は先生を括りつける鎖を解く。だが、手には手錠をかけられ、鎖を千切るようなこともできない。


「くそっ、鍵がねえ」


 誰かが鍵を持っているかもしれない。だが、指を切断された先生の足からはこうしている間にも出血が続く。先生は平気そうにしているが、平気なわけがない。今に意識が飛んでもおかしくない筈だ。


「私のことは、置いてください」

「何を」

「娘をお願いします。そして、もう人を二度と傷つけないよう──」

「寝惚けたこと言うな! 俺はあんたを──」


 銃声が響いた。先生の額に穴が開く。突然の出来事に、俺は言葉を失った。先生のふざけた言動に苛ついていたせいで、背後から誰かが近付いていたことに気付いていなかった。否、そうじゃない。この気配には、覚えがある。


「お前、殺し屋は辞めたんじゃなかったか?」


 背後から語り掛ける、優しげな声。その声を俺は何度も聞いた。俺はこいつのせいで、殺し屋をやめたんだ。


「よう、菩薩ぼさつ


 俺は後ろを振り向く。俺のかつての相棒がそこにいた。修羅と菩薩の通り名で、裏では恐れられていた俺達。だが、菩薩は俺達を裏切った。俺達の師を、菩薩は敵対する組織に雇われて殺した。標的は誰であろうが殺すのがボク達の仕事だと曰う菩薩を俺は許せなかった。だが、それと同時に気付いた。俺は菩薩のようにはなれない。殺し屋の器として、俺は元々失格なのだと。そう思うと、俺はナイフを握れなくなった。殺し屋としての生き方に、嫌気がさした。それで俺は中途半端にも、その世界から逃げ出した。


「殺し屋は辞めた」

「じゃあなんでこんなとこに」

「俺は先生を助けに来ただけだ──」


 言い終わるよりも前に俺は菩薩に向けて踏み込む。だが、菩薩はそれにすぐに対応する。銃口を俺に向け、俺が菩薩の懐に潜り込む前には引き金を引いていた。俺は銃弾を避ける。菩薩の銃口は、いついかなる時でも標的に向く。相手が油断している時、組織同士の抗争中、人混みに溢れた都会の喧騒、それがどんな場所、状況であれ、菩薩は必ず標的の頭をぶち抜くだけの実力があり、その技術は業界でもピカイチだ。

 だが、かつての相棒である俺はこいつの予備動作を知っている。コンマゼロ秒の間ではあるが、俺はそれを直感的に嗅ぎ取ることができた。伊達に同じ師に師事し、長い間一緒にいたわけではない。


「助けに?」

「そうだ」

「お前が誰かを助ける?」


 菩薩はさもおかしそうに笑う。その間も、銃口は俺の額を狙い続ける。言葉と共に銃弾が何度も飛び、俺はそれを避け、またはナイフで受け止める。


「誰かを殺すことしかできない癖に」

「そんなことはねえ」

「嘘だ。見たぞ、ここまで来るまでに屍の山をいくつ重ねた?」


 俺は答えられない。俺には、殺ししかできなかった。それは間違っていない。


「お前も結局、ボクと同じだ」

「一緒にするな!」


 師を殺し、先生を殺し。俺の大切なモノを奪っても、こいつは笑い続ける。そんな人間と一緒にされるのは、我慢ならなかった。

 菩薩の銃弾が俺の肩に被弾した。そう何度も避けきれるものではない。何発か喰らうことは覚悟の上だ。俺は肩に被弾した瞬間、次の銃弾を撃とうと予備動作をする菩薩に飛び掛かる。菩薩は尚も楽しそうに笑う。そしてその銃口を俺に──。


「──くそッ!」


 俺は咄嗟に菩薩に背を向けた。銃口は俺に向いていない。菩薩の銃口が向いていた先は、先生の娘だ。意識すらなく、自負に何が起こっているかも分かっていないだろう無抵抗な人質に向け、菩薩は銃弾を撃った。その銃弾を、俺は背中で受け止める。


「あれ」


 俺のその選択は、菩薩にとって予想外のモノだったらしい。一瞬だけ、決して標的から目を逸らさない菩薩に油断がうまれる。俺はその油断を見逃さなかった。


「菩薩──ッ!」


 俺はナイフで、菩薩の手首を切り落とした。菩薩の手首ごと銃が地面に落ちる。俺はそのまま菩薩の首を掻っ切ろうとして──。


 ──これ以上、罪を重ねてはいけません。


 先生の言葉が、脳裏を掠めた。畜生が。俺は俺自身に心の中で罵倒を吐いて、菩薩の目を切り裂いた。


「──ッ!」


 菩薩は声にならない悲鳴をあげる。命を含めた全てを奪われた先生を思えば、この程度の意趣返しで悲鳴をあげられても困る。俺は叫ぶ菩薩に再び背を向けて、先生の娘のもとに行く。娘はまだ意識を失っている。この惨劇を、少しでも味わわずに済んだのなら幸福だ。俺は彼女を抱え、拷問部屋から出る。


 ──タンッ。


 乾いた銃声が鳴る。俺は青ざめた。この期に及んで油断した。殺し合いの相手を殺さず活かしたことなんて初めてだったのだ。

 まさか──と俺は抱えた娘の額を見る。娘の額には、傷一つついていない。それで俺は全てを理解して、菩薩を振り向いた。


 ──菩薩の額に穴が開いていた。


 俺が切り落としたのとは反対側の手で銃を握り、菩薩は自身の額に銃口を向けたのだ。


「馬鹿野郎が」


 俺は舌打ちをする。先生の言葉とは別に、俺は菩薩を失った悲しみにも胸を抉られる。殺し合いの相手とは言え、師と先生を殺した仇とは言え、長年共にしてきた相棒には違いなかったのだから──。


 俺は娘の目隠しや猿轡を外して、麻薬密売組織の本拠地を後にした。道中、生き残りが俺に襲いかかってきたが、そのどれも殺すことはなく、気絶に留めて適当に床に放った。

 建物の外に出る頃には真夜中を過ぎ、月明かりも街灯すらない暗闇が、世界を支配していた。


「──お父さん?」


 俺の担いでいた先生の娘が、目を覚ました。俺は娘を一度地面におろす。まだティーンの若い彼女は、怯えた表情で俺を見た。


「お兄さん? どうして? お父さんは?」

「先生は──」


 俺は真実を口に出来なかった。お前を助ける為に、無駄に命を落としたのだと、そう言うことは容易い筈だった。けれど、今の俺にはそれだけのことが、出来ない。

 俺はそう言葉を紡ぐ代わりに、先生の娘を抱き締めた。急なことに、娘は驚いた様子ではあったが、俺を拒絶することはなかった。


「すまん。今は何も言えない。でも、俺は先生を──」


 ──娘をお願いします。


 また俺の脳裏に、先生の言葉が響く。先生を惨めにも救いきれなかった俺が唯一できることはそれしかない。先生も、全てを奪われたわけではなかった。ならば、その奪われなかったモノだけでも、俺は守り通さねばならないのだと、そう思った。


「大丈夫。大丈夫だから」


 俺は先生の娘にそう嘘をついた。そしてそのまま娘をまた抱える。先生の亡骸のあるあの場所から、一刻も早く遠ざからなければと思った。

 恨まれても良い。俺がこの子にしてやれることを、少しでも考えるんだ。俺はそう自分の心に言い聞かせる。そして俺は、暗闇の中をただ歩き続けた──。

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