だって、毎日おいしいものが食べたいから。

奈良ひさぎ

おいしいごはん

「ん~、おいし~」

「ホント何でもおいしそうに食べるよねぇ、みぃちゃんは」

「ん、そう?」


 社員食堂があるタイプの会社は最強だ。食事に限らずではあるが、福利厚生が充実している証拠だからだ。コンビニでお弁当を買ったり、外食するよりもずっと安く済むように、価格設定がされている。しっかり栄養バランスの考えられた食事、しかもちゃんとおいしいご飯がこんなに安くで食べられる。こんなに幸せなことはない。


「おいしくない? 実際」

「まぁ……別にまずいってわけじゃないけどさ」

「そんなに味わって食べるほどおいしいってわけでもないよね」

「そうそう、そういう感じ? もちろんおいしいって思えた方が、幸せだとは思うけどさ」

「でしょ?」


 社員食堂でお昼を食べる時はいつも、同期と三人で集まるのだが、昼食の時間を楽しみにしているのはどうやら私だけらしい。そして同期二人からすれば、価格相応の味は保証されているが、私ほど感動はしたことがないらしかった。

 思えば、私は昔から何でもおいしいおいしいと言っていた気がする。バカ舌なのではなく、世の中のいろんなものをおいしいと感じられる才能がある、と思っている。もちろん舌が肥えていた方がいろいろいいことがあるというのは承知の上で。政治家や芸能人、あるいは一般人でも会社役員みたいな地位の高い人でない限り、本当に値段が高くておいしすぎる食事にありつける機会はそうそうないわけだし、そういう場で量を求めるのはそれこそ場違い。本当に二度と食べられるか分からないレベルのものを少しだけ味わって、高価格なものの素晴らしさを全身で味わうのが定石。一般市民であるならば、正直に言って舌が肥えている必要は全くないと、私は思っている。


「別にバカにしたいってわけじゃないんだけど……でも、すごいよねって」

「私、おいしいって感じる閾値しきいちが低いのかも。他の人よりもっと下に『おいしいライン』があるから、割と何でもおいしいって言っちゃう……みたいな」

「なるほどねえ……ま、ヘンに舌が肥えてるよりいいと思うよ、全然」

「……なーんか腑に落ちない言い方?」


 私がこういう考え方になった原因があるとすれば、それは私のおばあちゃんだ。

 私は幼稚園の頃から高校生まで、おばあちゃんに面倒を見てもらっていた。看護師で休みが不定期、夜勤も多かったお母さんの代わりに、おばあちゃんは給食エプロンの洗濯、毎日のお弁当作り、部屋の掃除までやってくれていた。そんなおばあちゃんは戦中生まれで、一番ご飯を食べたかった子どもの頃に満足に食べられない、食べ物にありつけても全くおいしくないものを少しだけ、なんてことが日常茶飯事だった。だからお腹いっぱいでもう食べられない、なんて言えるくらいたくさん食べ物で溢れている今の時代を大事にしなさいと、私にいつも口酸っぱく言っていた。大学生の頃におばあちゃんは亡くなったけれど、おばあちゃんの言葉は今も私の中で生きている。


「(世の中には、おいしいものだらけだから)」


 人生100年時代、日本人女性の健康寿命で考えても75歳。今が25歳として、あと50年。1日3食食べるとすれば、全部で55000食くらいだ。数字だけ見ればものすごく多いけれど、予想していたよりは少ない。それだけしか食べられないのなら、せっかくなら毎食おいしいものを食べたい。妥協したり、最初から食べ飽きたなあと思ってしまうようなものを食べるのは、なるべく避けたい。そんなわがままが言える時代に、私は生きている。


「みぃちゃんさ、今週末お寿司行かない? ほら、先月駅前にできたやつ」

「え、行く!」

「ほら、とりあえずみぃちゃん誘えば絶対来てくれるからさ。ホント助かる、いつもありがとうね?」

「いえいえ」


 だからおいしいものが食べられそうなチャンスは、逃さない。私は早くもそのお寿司屋さんのホームページを調べて、何を狙うか見定め始めたのだった。

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だって、毎日おいしいものが食べたいから。 奈良ひさぎ @RyotoNara

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