彼女の理想の幻想~ファンタジー世界にブラック企業がないなんてファンタジーだった件~


 あるところに、とんでもないブラック商会に勤める女がいた。


 年の頃は二十代半ばと言ったところ。

 その女の名前は、カナエ。

 ただの平民である彼女に姓はない。


 彼女はこの国では大変珍しい黒髪黒眼の持ち主であった。


 星が音のない交響曲を奏でる時間。

 カナエにそれを楽しむことは許されなかった。

 働き始めてから職場である商会で、書類の山と格闘する毎日であった。


 この日も一人、窓のない職場で残業をしていた。

 同僚や社長は定時の鐘と共に帰っていた。この商会のいつもの光景。


 カナエは机にかじりついて黙々と作業を続けていた。


 やがて体のコリをほぐすために大きく伸びをして呟いた。

「ファンタジー世界にブラック企業がないなんてファンタジーだった件」


 伸びをして見上げた先には、見慣れた薄汚い天井が見えるだけであった。


 ため息を吐いたカナエに、一つよくない類の咳がこみ上げてくる。

 むせつつつも、目の間に積まれた書類の山をどす黒い隈のついた目で見上げる。


「せめてローファンタジーが良かった……。なによ。そこらへんに魔法はあるくせに、なんで仕事を片付ける魔法はないのよ」


 カナエは働いた。

 誰よりも働いていた。それは比喩ではなく、文字通り。

 国中の商会で最も長く仕事に拘束されている女性、それが今の彼女であった。


 貧乏暇なし。

 お金も、時間もない。ましてや、若さと共にその健康も失われつつあった。


「まぁ、そんな魔法があっても素質のない私には使えないんだけどね」

 そう自嘲して笑う。


 十代の頃に魔法を使うことに憧れて、魔法協会という魔法を管理する組織に魔法の素質を検査してもらった。

 その結果は無情なものであった。

 カナエには魔法の素質が一切なかったのだ。


「お金に困ることなく、のんびり過ごして、健やかにかわいいこ達とキャッキャウフフする私の理想の幸せはいずこー……?」


 前日から減らない書類の山。

 職場に終業の鐘が鳴り響くと、社長や同僚たちはその日やり残した彼らの作業をすべて彼女に持ってくるのだ。

 減るわけがなかった。


 黒髪と黒眼のは不吉の黒とも言われ、忌避される社会。

 そのどちらももつカナエは、この世界に生まれた時から苦労することが宿命づけられていた。


「あー、一服一服」

 カナエはその懐から、クシャクシャになった煙草の箱を取り出した。


 連日働き続けるカナエ。

 商会の締め作業をするのが彼女でありながら、始業に向けた開始作業をするのもまた彼女であった。

 彼女の生活には酒を飲む余裕がなく、商会から支給され煙草だけが、彼女に許された唯一の娯楽であった。

 安っぽい手作りの煙草は妙に癖になった。


「神サマー。労働基準監督署ろうきをくれ、労働基準法をくれ」


 ファンタジー世界に労働者の権利そんなものは存在しなかった。


 煙草の煙をくゆらせながら、人生で一番楽しかった頃を思い出す。

 それが逃避だと頭でわかっていながらも、そうすることが彼女をこの世界にぎりぎりで踏みとどまらせていた。


 この世界のカナエの最初の記憶は、孤児院から始まっていた。


 幸いにも孤児院の大人は、彼女を他の子と同様に扱った。

 院での勉強を真面目に受けた彼女は、卒院する頃までに読み書きができるようになった。

 自身に降りかかるイジメと戦っているうちにその体も強くなった。


 しかし、周りからの負の言動を受け続けたカナエは、後ろ向きで強く迫られると嫌と言えない人格を形成してしまった。

 それが彼女が長年に渡って超ブラックに搾取され続けている理由であった。

 加えて、忌避されている容姿をもつ彼女は、こんなベンタブラックのような働き口でも、見つけるのに大変苦労したのは苦い思い出である。


「みんな、元気にしているかな」


 カナエの人生すべてがすべて悪かったわけではない。

 孤児院の院長は優しく、何よりそこで出会った三人の女性と作った楽しい思いでは、この世界でも大人になった今でも色褪せずに、擦り減った彼女の心を支えていた。


 天使のような三人であった。

 お転婆な性格で、出会った時からお金と数字が大好きだった、我武者羅ちゃん。

 独特な方言が板についていた、悪戯とお昼寝が大好きだった、自堕落ちゃん。

 何を考えているかわからないが、鍛えることが大好きだった、実直ちゃん。

 

 今となっては名前も顔も朧気で、その声すら断片的にしか思い出せない。

 それでも、彼女たちと過ごした時間は大人になった今でも、彼女にとってはかけがえのない時間であった。


 将来、彼女たちみたいな子どもを授かった生活、と甘い幻想に浸ったあと、カナエは現実おしごとに返ってきた。


「絶対やめてやるぅ。寿退社してやるぅ……!」


 商会の裏に併設されたボロ小屋に住み込みで働くカナエ。

 徒歩〇分の職場。休日出勤は当たり前。給料は滞納しがち。

 そのくせ、何かあればすぐに給料から天引き。

 働けど働けど、その日を生きるので精いっぱい。


 そんなずぶずぶに黒く染まった彼女には寿どころか、候補となる人の気配も一切なかった――


 ――運命が変わるその日を迎えるまでは。



「結、婚?」


 その日、カナエの上司であり、社長でもある男を通していきなり降って湧いた縁談話。それも三つ。


 脂ぎった髪と顔をもつ社長が、

「あぁ、取引先の方々が黒髪黒眼に興味を示してな。世の中には奇特な人がいるもんだな、ははは」

 額の脂をハンカチで拭った。


 ぶち殺してやろうか、とカナエは久しぶりにキレそうになった。


 ――乙女の結婚をなんだと思ってるんだ。


 お肌の曲がり角が気になる彼女であったが、カナエはいまだ結婚には夢をもっていた。


 それだけが、彼女の心のよりどころであった。


 もし、その結婚が誰かに強いられてもので。

 もし、その結婚生活がこの商会のように辛い毎日となってしまったら――カナエはこの世界でこれ以上は生きていく自信がなかった。


 これでカナエが貴い身分であったら、高貴なる者の務めノブレス・オブリージュ、としてかそれも受け入れられたかもしれない。

 現実の彼女は、高貴な生活からは程遠いどん底で、さらに地べたを這いずり回っている存在であった。


「先方は既にいらしていらっしゃる。お前はまず――そのひどい顔と服をなんとかしろ」


 悲しいかな。

 心がそれを受け入れることができなくても、カナエにそれを断ることはできなかった。

 

 惨めさに涙が出そうになった。


 よそ行きに身なりを整えるため、自室へ戻ったカナエは、ひび割れた鏡台の前に座った。


 なけなしの給料で買ったものの、ひび割れた鏡台の前の飾りと化していた化粧品の封を切る。

「いつか、私の運命の人を見つけた時まで取っておくつもりだったんだけどな……」

 

 精いっぱいの化粧を施して、鏡を見つめた先にはひきつって歪んだ笑み。

 

 鏡台の前で唇を噛み締めていると、

「おいッ、まだかッ!」

 扉の前に立つ社長の怒鳴る声が、カナエの部屋へと響く。


 慌てて鏡台から立ち上がると、その拍子に封をあけたばかりの化粧品が転がり落ちた。

 その拍子に零れ落ちる中の液体。

 カナエにはそれがまるで、彼女の手から滑り落ちていく理想の幸せに見えた。


 零れ落ちる液体に身を屈め、手を伸ばすカナエであったが、

「はやくしろッ!」

 もう一度社長の怒声が飛ぶ。


 伸ばした手を引っ込めると、唇を結んで逃げるように部屋を後にした。


 化粧をした彼女に待っていたのは、社長からの叱責。

「トロトロするな。どうせ時間をかけてもお前は変わらないんだ」

 社長はそう言うと、あてつけるかのようにカナエの顔を見て鼻で笑った。


 職場に一つしかない応接室は、カナエが寝泊まりする宿舎の反対側に位置していた。

 そのため、カナエに与えられた自室から応接室に向かうと、必然的に職場を横切ることになる。


 仕事に勤しむ同僚たちの視線が、カナエに嫌でも集まるのは自然なことだった。


 その途中で先導する社長が、聞かれてもいないのに「縁談だよ、コイツの。最初で最後のな」と言って笑うと、それを聞いていた同僚たちも声を上げて笑った。


 カナエにはもう後がない化粧を崩すことはできなかった。

 これが彼女にとって最後のお化粧。

 下唇を噛んで俯く彼女を誰も気にも留めない。

 

 一通り見世物にされたカナエは、とうとう応接室へとたどり着いた。

「いいか。お前は何も喋るな。お客様とは俺が会話する」


 睨みつけるようにそう言うと、社長はカナエの返事も聞かずにその扉を開けた。


 二人が入った応接室には、三人の女性がソファに腰かけていた。


 ――きれい。


 カナエのそれまでの陰鬱な気持ちを一瞬で吹き飛ばすほど、彼女たちは美しかった。

 あまりにも綺麗な三人の女性を前に、彼女たちはこれから出会うお見合い相手の秘書だろうか、とカナエは思いを巡らせた。


 別人のような笑みを浮かべた社長の言葉を開くが、

「いやいや、大変お待たせして申し訳ございま――」

「――そうね。私の貴重な時間を一〇一〇秒も使ったわ」

 

 赤髪赤眼の女性がそれを容赦なく遮った。

 社長の顔が凍り付く。

 彼女は美の彫刻のような端正な顔立ちであった。

 その整った顔立ちの真顔は見る者に恐怖を与えた。


 赤髪の女性の隣に座る緑髪緑眼の女性が次に口を開く。 

「ウチは全然きにせーへんけどな。待った分だけ楽しみも増すやん?」


 その女性もまた美しかった。

 独特な方言と退廃的な雰囲気があるその女性は、人好きのする笑顔を浮かべた。


 赤髪の女性が高嶺の花だとするならば、彼女は届きそうで届かない花。

 高嶺ではない。それゆえに人は手を伸ばす。

 しかし、その手がその美しい花弁に届くことは一生ない。


 最後の一人は青髪青眼の、やはり美女。

「無駄話はいいよ――本題に入ろう」


 赤髪の美女とはまた違った類の無表情。

 緑髪の退廃的な雰囲気ともまた違った独特な空気を纏っていた。

 彼女の体は鍛え上げられており、どこか佇まいに芯があった。

 そういうことに疎いカナエもすぐにわかるほど、姿勢であったり、体つきがどこか二人とは違っていた。


「……えぇ、そうね。これ以上時間を無駄にしたくないわ。そこの男、出て行ってくれる? 今すぐ」

「え? あ、わ、私が、ですか?」


 赤の美女の言葉に、社長が後ろを振り返る。

 そこにはカナエしかいない。


 カナエは、社長が三人の女性を前に、いつも以上に汗を流していることに気がついた。また、その体が小さく震えていることにも。


 赤の美女の目がスゥと細くなる。

「同じことを何度も言わせるなよ無能が――"錬金王"とお前の時間の価値が一緒だとでも思っているのか?」


 目の前に立つ社長の背中の汗染みが、背びれまで染みていくのを見て、カナエはひそかに留飲を下げた。

 ――錬金王? 私も連勤王だから、仲間ね! いいぞもっとやれ!


 緑の美女が、

「まー、ウチはどっちでもええけどなー」

 左手をひらひらとさせながらそう言うが、

「社長がこの縁談に同席する理由がない。この場の対価として、納めるものは既に納めた。ここからは私たちの時間だ。部外者にはお引き取り願おう」

 青の美女がそう言い放った。

 その瞳には抗いがたい威圧の色があった。


 社長が肩を落として振り返る。

「――何も喋るな。ね」

 

 カナエに何か言おうと口を開いた社長に、赤の美女が釘を刺す。

 その声に体を振るわせた社長は、もう一度肩を落とすとそのまま部屋を後にした。


 部屋には、カナエと三人の美女が残された。


 社長が退出した途端に、三人の美女が口を閉じる。


 ただ黙ってカナエの顔を穴が開くほど凝視している。


 他人にここまで凝視されるのはどうにも居心地が悪い。

 それが見たこともないレベルの美女であるとなおさらであった。


 カナエの背中にも汗が伝った。

 ――喋っても、いいのかしら?


 そのまま誰も口を開くことなく、三分の時が過ぎた。

 カナエは、お見合い相手が来るのを待っているのだろうと独り合点した。


 更に五分の時が過ぎた。何も状況は変わらなかった。


「あ、あの――」

 痺れを切らしたカナエが口を開くと、

「しゃ、喋った……」

 赤の美女が、人類が初めて火をみたときの衝撃のような驚く。


「むっちゃええ声……」

 緑の美女が、事後のようなウットリした表情を見せる。


「いい……」

 青の美女が、肩を震わせ、その一言に万感の思いを込める。


 三人の反応にカナエがギョッと目を剥いていると、

「結婚しよう」

「結婚しよーや」

「結婚する」


 カナエが予想だにしていなかった言葉が、彼女たちの口から飛び出してきた。

 

 カナエは色々と聞きたいことをぐっと堪えると、

「私、女なんですけど……?」

 自身の女としての尊厳を守りにいくことにした。


 目の前の三人は服の上からでもわかるくらいに、スタイルも抜群に良かった。


 出るところが出て、締まるべきところが締まっているセクシャルダイナマイトの赤。

 全てがちょうどいい。大き過ぎず、さりとて小さ過ぎず。パーフェクトボディの緑。

 鍛え上げられた健康美。躍動感のあるその魅惑の体つきがアグレッシブエロスの青。


 両者を比べると、天と地ほどがあることはカナエ自身も認めるところであるが、どうしてもそれだけは伝えておきたかった


「えぇ、それが?」

「そんなん知ってるに決まってるやん」

「愛の前に性別は無意味」


 ――えーっと……どういうこと?


 困惑を隠せないカナエは、

「すみません。意味がわからないのですが――」

「――好きなの」

「――好きやねん」

「――好き」

 三人の美女は言葉を被せてそう言い切った。


 間抜けにもポカンと口を開くカナエ。


「あなたたちが、私を、好き?」

 失礼とは思いながらも、左手の人差し指で三人を差した後に、その指で次は自分を差した。

 

 三人はそれを見て、嬉しそうに何度も首を縦に振った。

 カナエを見る三人のその目は、どこか潤んでいた。


 カナエは言葉を失った。

 「あー」や「うー」と言った意味のない言葉がその口から漏れる。


 絶句するカナエに、畳み掛けるように三人の美女が再び口を開く。


 赤髪の美女が、

「私と結婚してくれたら、一生お金に苦しむことはないわ」

「えッ!? ほんとにッ!?」

「えぇ、本当よ。私はお金だけは腐るほどあるの」

 目を輝かせるカナエ。美女と結婚して、お金に不自由しなくなる、という垂涎の誘い。


 緑髪の美女が

「ウチと結婚してくれたら、一生好きなことやってたらええで」

「えッ!? ほんとにッ!?」

「ほんまやて。ウチには時間だけは無限にあんねん」

 語彙が喪失したカナエ。美女と結婚して、自由気ままに暮らすという夢のスローライフの誘い。


 青髪の美女が、

「ボクと結婚してくれたら、一生誰にも屈しない力を手に入れられるよ」

「えッ!? ほんとにッ!?」

「うん。ボクは誰にも負けない力をもっているから」

 興奮が止まらないカナエ。美女と結婚して、もう誰にも虐げられことない理想の世界からの誘い。


 カナエは天にも昇る気持ちであった。

 ――なんだかよくわからないけど、ありがとう神サマ。ありがとう……!


 三人の提案に対して、カナエが滂沱の涙を流していると、

「まずは邪魔者は消さないとね」

「ほんまそれな。いい加減うっとおしいねん」

「同意。障害は排除するのみ」


 どこから取り出したのか、三人の手には凶器。その顔には狂気。


 赤の美女の黄金の双剣。

 緑の美女のマゼンタ色の刻印がついた黒銃

 青の美女の禍々しい突起の付いたシアン色の手袋。


「――へ?」


 カナエと三人の間にあった机が砕け散る。


 密室に破壊の嵐が訪れた。大災害である。

 風切り音と共に部屋は切り刻まれ、銃声が響くたびに部屋の風通しがよくなり、撲音に伴って部屋の備品のことごとくは砕け散った。


 眼前で唐突に始まった略奪愛うばいあい

 三人の美女は、顔を見れば互いに殺し合うほど、とてつもなく仲が悪かった。



 紆余曲折を得て、カナエは縁談の翌日から、彼女たちと同棲生活を始めることになった。


 お互いを知るところからはじめましょう、というカナエと、結婚するところからはじめましょう、という三人の美女の折衷案であった。


 そして、始まった三人別々・・・・の同棲生活。

 なにせ顔を突き合わせれば、殺し合いを始めるのだ。

 とてもじゃないが四人で同棲生活は送れない。

 カナエに物理的な被害は一切ないが、怖いものは怖い。


 三人との個別の同棲生活は、一日ごとに順番に彼女たちの家を転々とすることになった。


 彼女たちと同棲生活を始めたことを社長に伝えると、どういう風の吹き回しか、カナエに一週間の休暇を与えた。

 働き初めて二日連続で休暇を取るのは、これが初めての経験であった。それだけでも、カナエは三人の美女に感謝した。


 商会からもらった休暇の間、三人の美女は彼女を甘やかした。それはもうぐずぐずに。


 赤の美女は、カナエから就職後の生活を聞いたその翌日に、従業員ごと・・・・・商会を買収した。

 休暇明けに、がんばるぞー、と意気込んで出社したカナエを、下着姿の授業員が土下座で迎え入れた時には、スカッとした気持ちを通り越して、さすがに引いた。


 緑の美女は、奴隷紋によってその身が奴隷になった従業員の心をへし折るべく、カナエに従業員の弱みを教えてくれた。彼女はどういうわけか、浮気や横領など彼らの秘密を握っていた。

 大の大人が泣いているにも拘わらず、笑って心を壊しにかかる彼女に、カナエはやっぱり引いた。


 青の美女は、カナエに少しでも、反抗的な様子を見せた従業員を、死ぬ一歩手前までボコボコにした。

 彼女はただ手を下すにとどまらず、そのやり方を実演形式でカナエに教えた。カナエはもちろんドン引いた。


 同棲生活は、カナエが三人の生活に合わせることになった。

 彼女たちが、カナエと常に一緒にいたがったからだ。

 おはようからおやすみまで。カナエは彼女たちと甘い日々を送るようになった。


 カナエは彼女たちとの生活中で、完璧に見える彼女たちも、やはり完璧ではないことがわかった。


 赤の美女は我武者羅だった。

 錬金王と呼ばれるだけあって、国内で大きなお金が動くときはいつだってその陰に彼女がいた。

 そのスケジュールは秒単位で、食事は味気のない最先端技術の詰まったカプセルとるだけ。入浴も魔法で済ませるだけ。

 確かにお金はあった。ただお金があるだけだった。それがカナエには悲しかった。


 緑の美女は怠惰だった。

 他の二人の美女とは反対で、のんびりしていた。あまりにものんびりし過ぎていた。

 彼女は不老不死であったのだ。かつては聖女だった嘯く彼女には、その長い時間の中で、富も名声も、友達さえも失っていた。

 確かに時間はあった。ただ時間があるだけだった。それがカナエには悲しかった。


 青の美女は実直だった。

 魔法協会が定める、国どころか大陸中の最高位階まで上り詰めた彼女であったが、さらに高みを目指し、研鑽に精を出し続けた。彼女は竜の血を引いており、人の世にいながら人とは違う摂理で生きていた。

 確かに誰よりも強かった。ただ孤独な強さあるだけだった。それがカナエには悲しかった。


 カナエは、カナエなりのやり方で彼女たちに向き合うことにした。



 カナエが彼女たちと過ごす時間は、光であった。

 それは矢のように過ぎ去っていった。


 カナエと三人の関係は、決して楽なことばかりではなかった。

 何度も、何度も何度も衝突と和解を重ねた四人。


 我武者羅ちゃんは、相変わらずお金に目を光らせている。

 彼女はこの国どころか大陸でも最もお金持ちになった。

 カナエは、ただ彼女から与えられるのではなく、秘書として仕事を手伝い、給金という形でお金を手にするようになった。

 そのお金で我武者羅ちゃんにプレゼントを上げると、彼女は泣いて喜んだ。


 自堕落ちゃんも、相変わらずのんびりと過ごしている。

 起きたいときに起きて、眠りたいときに眠る。大陸でもっとも自由な存在であった。

 カナエは、我武者羅ちゃんのお仕事の随行先で知った色々な場所へと、自堕落ちゃんをデートと称して連れ回した。時々、二人でボランティア活動にも精を出した。

 元聖女の性が疼くのか、ボランティア活動中の自堕落ちゃんは、普段より活き活きとしていた。


 実直ちゃんも、相変わらず強い克己心と自制心で日夜鍛錬に励んでいる。

 ついには"大陸最強"と呼ばれるまでになった。

 カナエは、そんな実直ちゃんに料理を教えた。ごく一般的な家庭料理を。最初は渋っていた実直ちゃんであったが、いつの間にかそれが趣味になり、あっと今にカナエを追い越して、料理の技術でも大陸級になった。

 カナエのとる食事は、彼女の手作り料理になった。

 

 彼女たちは相変わらず顔を突き合わせては喧嘩ばかりしていたが、カナエの前では殺し合うのをやめた。

 些細な口喧嘩でさえも、カナエの「喧嘩する子は好きじゃない」と言う言葉の前に、刹那の速さで肩を組んで謎の踊りをはじめることもあった。


 我武者羅ちゃんは、王都の一等地に四人の家を作った。

 カナエと彼女の家ではない。四人の家である。

 その豊富な資金力を背景に王都の一等地を買い上げ、その上の箱ごと建ててしまったのだ。

 その家ができてから、実直ちゃんの作る食事を共に頂き、週末のお昼には、怠惰ちゃんと一緒に昼寝をするようになった。


 自堕落ちゃんは、なんと働き始めていた。

 「働いたら負け」と口癖のように言っていた彼女であったが、週に数日、フラッとどこかで働いているようであった。

 また、彼女も実直ちゃんのつくる食事を共に頂くようになった。


 実直ちゃんは、少し欲望に対して素直になった。

 それがカナエに対する性的な欲望に特化していることに、カナエは貞操の危機を感じ始めていた。

 彼女はカナエ以外の二人にも、食事をつくるようになった。


 四人は、我武者羅ちゃんの作った家に、一緒に住むようになった。


 この日はカナエが四人で同棲するにあたって、唯一彼女が珍しく我儘を言って作らせた特別な日――『週末の一日を四人で過ごす日』。


 最初は難色を示した三人であったが、カナエの泣き顔を前に、彼女たちが折れるのにそう時間はかからなかった。

 惚れた弱みである。

 それに三人もその頃には、互いに出会った時ほどの殺意は既に持ち合わせていなかった。


 実直ちゃんの朝食で一日が始まり、お昼は怠惰ちゃんと昼寝、夕方には我武者羅ちゃんとお買い物。


 実直ちゃんの夕食に舌鼓を打った四人は、今は共有スペースに設置された特大サイズのベッドソファの上に横たわっていた。

 窓の外を見ると外はすっかり暗くなっていた。


 三人の絶世の美女を侍らすカナエに、

「結婚しよう」

「結婚しよーや」

「結婚する」

 甘える三人の声。

 散々甘やかされてきた彼女はもう驚かない。


 ――なんて贅沢な選択肢なのだろう。


「えー、どうしようかなあ?」

 などとカナエがわざとらしく勿体ぶると、実直ちゃんがカナエに飛び掛かる。

 そうなると負けじと我武者羅ちゃんが張り合ってくるので、自堕落ちゃんはニヤニヤとしながらそれに便乗する。


 あっという間に三人の下敷きになるカナエは、

「ぐえっ……!?」

 潰れたカエルのような鳴き声を上げた。


 誰からともなく笑い出すと、部屋は笑顔で満たされる。

 誰か一人では駄目だった。四人でいるから心からこうして笑えるようになったのだ。


 カナエが、ふと窓に視線を送ると、空では音のない交響曲が奏でられ始めたところである。


 彼女の理想の幸せハイ・ファンタジーは、まだ始まったばかりであった。


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