クラゲの血は透明か?

譜久村 火山

クラゲの血は透明か

 クラゲの血とは透明か

 クラスの仲は表面か

 大切だ

 裏の気持ちの正面化

 伝わる思いは傲慢か

 くだらぬ数は同接だ

 繋がりの質 到底負けず

 捧げよう

 うだつの上がらぬ応援歌


 昼下がりの授業中、教科書に隠して西園寺はスマホを開く。ユーチューブで何度も見た映像を再生した。音は出さない。

 映し出されたのはとあるライブのステージ。クライマックスを終え、次の曲を持って卒業するアイドルが花道を進みマイクを持つ。

「私はずっとクラゲのような存在でした。クラスのみんなと仲が良かったけど、誰とも親友ではなかった。教室の中を周りに流されて、フワフワと生きていました。でもあの日を境に変わりました。忘れもしません。あの高校での一日を」

 西園寺はアイドルの口の動きに合わせて、心の中で台詞を言った。

 画面を閉じると担任の教師が言う。

「それじゃあクラゲ祭も近いし、今日はこの辺で終わるか」

 生徒たちがパラパラと教材を抽斗にしまい始める音がした。

 クラゲ祭。我が校が輩出した伝説の国民的アイドル。彼女がかつての自分を超え、アイドルへの道を進むきっかけとなったクラス対抗競技大会。それが彼女にちなんで今ではクラゲ祭と呼ばれるようになった。

 しかしそんな彼女はアイドル卒業と共に芸能界を引退し、日本中を震撼させた。

「知ってると思うけど、それぞれの部門で優勝したチームは対談できるんだぜ?いいよなお前たち生徒は」

 今彼女が人々の前に現れるのは年に一度。クラゲ祭で優勝した生徒との対談。クラゲ祭で優勝した生徒は、あのアイドルに会える。

 西園寺の心臓が鐘を鳴らした。


 放課後、西園寺は当番だったゴミ出しの仕事を終え教室に戻る。すると教室担当の生徒たちが床を掃いていた。しかしメインは掃除ではなく、おしゃべりのようだ。この班はクラスメイトの中でも陽気な人たちが集まっており、廊下まで笑い声が聞こえていた。

「あっ、テルテルじゃん」

 グループの中の一人、岡末という一際笑い声の大きい女子が声をかけてきた。彼女はサラサラの長髪を遊ばせている。

「ねぇテルテル聞いた?あつし、若菜にフラれたらしいよ。チョーウケる」

「おいあんまりいじんなよ」

 あつしと呼ばれた生徒はそう言いつつも、特に嫌がる様子はなさそうだった。

「あってかテルテル、お願いがあるんだけど」

 岡末が言った。

「机運ぶの手伝ってくんない?この時期になるとみんなひきだしに教科書置きっぱにするから重くてさ」

 そう言われて、西園寺にスイッチが入った。

 西園寺はすぐに教室を見渡し、後ろ半分に机が寄せられているのを確認。足早にそこへ近づくと、二つの机の間に立つ。それぞれの机の下に片手を入れ込むと、同時に二つの机を持ち上げた。そしてそれを前へと運ぶ。

「椅子は頼んだ」

「おっけー」

 岡末たちが、残った椅子を運ぶ。それを繰り返して、机はあっという間に元の位置へと戻った。最後に脇に避けてあった教卓を持ち上げる。教卓は通常二人で持ち上げるのだが、西園寺なら片手で十分だった。

 引き出しの中に手を入れ、天板の裏に掌を当てる。すると変な感触があった。覗き込むとガムテープによって貼られた、「それ」を見つける。しかし西園寺は何も言わず、片手で持つのは諦めて両手で机を運んだ。

 そこに箒を片づけた岡末が近づいて来る。

「さすが、この筋肉は伊達じゃない」

 そう言って、岡末がカッターシャツ越しに西園寺の盛り上がった筋肉を触る。さらにはいつものやってよと言われ、岡末を上腕二頭筋にぶら下がらせた。

「やっほー。やっぱり、テルテルは頼りになるな。あつしもこのパワー見習いなよ」

「うっせぇ」

 廊下の方から声が飛んで来た。

 クラゲ祭には三つの部門があり、スポーツで順位を競う部門もある。

 そのため西園寺の体はすでに最高の状態に仕上がりつつあった。

(これでクラゲ祭では、岡末からチームに誘ってもらえるはずだ)

 西園寺は心の中でそう確信した。


 その後図書室で勉強をし、教室に戻った。クラスメイトはたいてい部活か塾に行っていて教室には数人しか残っていない。そんな中、西園寺は一人の生徒に話しかけられた。

「西園寺、ちょっと来て」

 話しかけてきたのは中東なかひがしである。彼女は切りそろえられてたショートカットが特徴だ。普段は教室の中で静かにしているが、西園寺にだけは気兼ねなく話しかけてくる。

「どうした?」

 西園寺が席の近くまで行くと、一冊の本を差し出される。

「いつも通り、ミステリーを読んでいたんだけどこの暗号の意味がさっぱり分からなくて。私数学はてんで駄目だから」

 そこに書かれていたのは、「8 31 21 34 89」という数字の羅列だった。西園寺はそれを見て、数秒頭を回転させる。そして、ある可能性に思い至った。

「その小説に、松阪ひまりという登場人物はいるか?」

 すると中東は驚いたように目を見開いた。

「ヒロインだけど」

「じゃあそいつが犯人だな」

「なんで分かったの?」

 西園寺が中東に説明する。

 数字の羅列はフィボナッチ数列を弄ったものになっていた。元の数字は「8 13 21 34 55 89」である。そして「8 13」と「21 34 55 89」はそれぞれ、松ぼっくりとひまわりを表している。松ぼっくりだったら根元から見た時の渦の数が、反時計回りで8、時計回りで13になるのだ。ひまわりも種子の列の数が、それぞれ34と21、55と34、89と55のいずれかのパターンになることが知られている。

 松ぼっくりは松笠とも言うため「8 13」の8は「まつ」、13には「かさ」を当てはめ、「21 34 55 89」にはそれぞれ「ひ」「ま」「わ」「り」の字を入れる。その後、その文字を元の数字に対応して並べ変えると「まつさかひまり」になるということである。

「あんたやっぱりすごいね。さすが学年一位なだけあるわ」

 クラゲ祭では知力を問われる部門もあり、謎解きやクイズ大会も催されるようだった。そのため西園寺の頭脳はいまや、校内で敵なしの状態まで仕上がっている。

 西園寺は心の中で思った。

(もし岡末が駄目でも、中東がチームに誘ってくれるはずである。元々彼女は交友関係が広くない。大丈夫だ、問題ない)

 西園寺が自分の言葉に対して頷いた。


 西園寺はその後も、クラスメイト達の課題などを見ていて、気づけば日が傾き始めていた。そろそろ約束の時間である。

 西園寺はクラスメイトの池畑に呼び出されていた。言われた通り、三階の空き教室に向かうと池畑は教室で一人佇んでいる。夕日に照らされて、その美貌がいつも以上に美しい精彩を放っている。そのまるでAIかのような顔立ちは見るものすべてを魅了した。

「こんな所に呼び出しておいて、何の用だ」

「もっと近くに来て」

 池畑が手招きする。言われた通り、西園寺は池畑のいる窓際に近づいて言った。すると池畑が西園寺の首に腕を回した。池畑の顔が、文字通り目と鼻の先に現れる。近くで見るとより、その大きな瞳に吸い込まれてしまいそうだった。

「今私にキスしても、誰にもバレないね」

 池畑が言った。その声からは甘い匂いが漂ってくる。

「どうする?」

 池畑はそう言うと、目を瞑った。彼女のツインテールにした黒髪が揺れる。目を瞑った彼女は触れれば壊れてしまいそうな儚さがあった。

 西園寺はその艶やかな唇に、そっと自身の口を重ねる。

 池畑は一切の抵抗なく西園寺を受け入れた。

 やがてキスを終えると、池畑が目を開く。そして悪魔のような笑みを浮かべた。彼女の考えていることはいつも分からない。

「クラゲ祭で問われるのは、体力と知力。もう一つはなんだった?」

「精神力だ」

 西園寺が池畑の問いに答える。

「正解」

 すると池畑は西園寺の懐に入り込み、上目遣いで西園寺を見上げた。

「もし君がキスを我慢出来たら、その精神力を評価して私があなたをチームに誘ってあげたのに。残念だなー」

 そう言うと池畑は西園寺からスッと距離を取り、床に放ってあった鞄を拾い上げる。

「じゃあまたね。明日のチーム分け、楽しみだね。神の息吹があなたにも降り注ぎますように。ふふっ」

 池畑はそう言うと、教室を出ていった。


 翌日。この日は授業の時間が全て、クラゲ祭の準備に当てられていた。そして最も重要なのは一限目。チーム分けである。どの部門にエントリーするにせよ、誰とチームを組むかは勝敗に大きく影響するのだ。

 チーム分けはそれぞれの生徒がチームを組みたい生徒の希望を出し、それを調整する形で行われる。そして誰からも希望されなかった生徒はチームを組むことが出来ず、運営に回される。それはすなわち、クラゲ祭への出場権を失うということで、ひいてはあのアイドルに会うという夢の終焉を意味した。

「それじゃあ、チーム分けの結果を発表していくぞ」

 担任の声に、教室の雰囲気が引き締まった。

「まずは第一組、岡末、長友、吉永、深田、江藤、伊良部、田中あつし」

 岡末のチームに西園寺の名前は無かった。一気に心臓が暴れ始める。西園寺は自分に言い聞かせた。

(落ち着け。まだ一組目。岡末に誘われないのは想定内だ。他にも手は打ってある)

「じゃあ次。第三組、中東、犬養、小野寺、谷口、田中はな」

 中東の組にも、西園寺の名前は無かった。友達の少ないはずの中東だが、同じく人づきあいが苦手なメンバーで固まったようである。それに読書という共通の趣味もある人選だった。

 その後も、発表は続く。まだどのチームにも所属していない生徒の数が着々と減っていった。チームを組めたものはホッとし、チームメイトたちと目配せをしている。まだのものはみな、祈るようにして胸の前で手を合わせていた。西園寺も同じようにして、心の中でただ祈りを捧げる。そんな中、池畑だけがいつもと同じ調子で席に座っていた。

「じゃあ第七組、伊藤と佐藤。ここは二人チームだな」

 先生の声が西園寺の脳裏に重くのしかかる。これで名前を呼ばれていない生徒はあと二人。池畑と西園寺だ。ここで池畑が西園寺とチームを組んでくれなければ、西園寺の夢は途絶える。

「そして池畑だが、池畑は諸事情によってクラゲ祭当日に出席できないそうだ。ということで残った西園寺には、運営係に回ってもらう」

 そう言われた瞬間、全身から力が抜けた気がした。この高校に入ったのも、血を吐いてまで筋肉を追い込んだのも、塾でぶっ倒れるまで勉強したのも全部あの人に会うためだった。その夢がいま塵と化した。

 後ろの席の池畑が西園寺に言う。

「君はこのままで良いの?」

 その声が、頭の中をぐるぐると回った。

「君はこのままでいいの?」

「君はこのままでいいの?」

「君はこのままでいいの?」

 体が燃えるように熱い。西園寺は溶けて消えてしまいそうだった。現実と幻の区別もつかず、視界が揺れている。

 そんな中、西園寺は立ち上がった。教室中の視線が今、西園寺という一人の生徒に向けられている。

 西園寺は席を立つと、教壇へ登った。

「おい、どうした西園寺?」

 担任の言葉は西園寺には届かない。

 西園寺は担任を突き飛ばした。担任はその力に為すすべもなく、教壇の下まで吹っ飛んだ。クラスメイトはみな不意を突かれ、西園寺から目を離せない。

 西園寺は教卓のひきだしに手を入れた。天板に貼られたガムテープ。それを剥がすと、西園寺が「それ」を手にした。

 西園寺がナイフを天に高く掲げる。

「僕はクラゲだった」

 西園寺は落ち着いていた。

「でも!」

 しかし激昂する。

「僕の血は透明じゃない」

 そう言うと、西園寺は自身の掌をナイフで掻っ切った。燃えるように赤く、鮮やかな血液が宙を舞う。

 その時、池畑が誰にも聞こえないような声で呟いたことにクラスメイトの誰も気が付かなかった。

「正解」

「私もあの時は誰もチームを組んでくれる人はいなかった」

「西園寺君。クラゲ卒業。おめでとう」

 翌日、あのアイドルが女優として芸能界に復帰するというニュースが日本中を歓喜させた。

 

 

 

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クラゲの血は透明か? 譜久村 火山 @kazan-hukumura

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