第39話
窓の外では色を落とした草花が揺れている。吸い込んだ空気は少し冷たくて、乾いた匂いがふわふわと浮かんでいた。
季節の移ろいを感じながらも、放課後の空き教室にはいつも通りの日々が流れている。
私は秋風に揺れる前髪を払い、読み終わった文庫を閉じた。
あれから一週間が経ったが、事態はこれと言った変化を見せていない。
弥影に行った翌日、佳乃ちゃんに全てを話すと、彼女は「よく頑張ったね」という言葉と共に私の頭を撫でてくれた。
大好きな彼女の教師生命のため、私はそこ以外でこの事を口外しなかった。
本来であれば関わった全員に状況を伝えて一緒に泣きわめきたかったが、それすらも知生は戻ってこないという未来を後押ししそうだったのでやめた。
未だに知生から連絡は来ないし、何の情報もない。あの後どうなったかも、私にはわからない。
それでも、なんてことない日常は何食わぬ顔で過ぎ去っていく。
もちろんそんな日常にも多少の変化はあった。
ちょくちょく剣道部に顔を出すようになったり、師範の道場復興の手伝いをすることになったり、話しかけてくるクラスメイトが増えたり、そんな感じ。
知生が言っていた通り、彼女無しでも私はなんとか上手くやれている。ありがたいことに、かつての無気力な私はもういない。
何かが足りていないような違和感を埋めるように、私は日々を過ごし続けていた。
改めて思い返しても、私はあの場で私に出来ることをやり切ったと思う。だから不思議と後悔はない。
自分の気持ちを伝えることが出来たし、知生の気持ちも聞くことが出来たし。
この気持ちは、答案用紙が回収されるときと似ている気がする。結果を知るのはいつかの私。
だから今は振り返らず、目の前のことを精一杯楽しもう。きっと彼女もそれを望んでいるはずだから。
携帯電話が鳴る。少しの期待を胸に画面を起動する。
メッセージの主は……。文香か。大方今日は剣道部に顔を出すのかという確認の連絡だろう。
ふうと息が一つ落ちる。私は便りを開封せず携帯電話をしまい、鞄と竹刀を持ち上げ教室を後にした。
ほんの少しだけ冬の匂いを含んでいる風を切り、私は身を揺らす。
校舎の影に差し掛かったところで、かちり、かちりと規則正しい音が聞こえた。
ギター練習中に飽きるほど聞いたぞ。これはメトロノームが揺れる音だ。
珍しい、こんなところで楽器の練習をするなんて。暢気に思考を巡らせていた私の意識は、続いて響いた大きな声によって遮られる。
「宇宙人さん! 僕はここです!」
私は思わず声の先を目で追った。音の根っこには、一人の少女が佇んでいた。
少女と形容したのは単に私が彼女のことをよく知っていたからで、男子の制服を纏っているあの姿は、五メートルほど離れたこの距離でもかなり中性的に見えた。
そんな少女は、メトロノームの音に合わせ、小柄な身体を揺らしている。いや、それどころではない。強烈な既視感が私を支配した。
私は急いで音の近くに寄った。目の前に低い頭がある。それだけのことで、私の言葉は奪われてしまう。
彼女はこちらに気づき、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「おや、暇そうなお姉さん。宇宙人っていると思いますか? ふふっ、こんな感じでしたっけ? 久々すぎて勘が鈍っていますね」
彼女はこれまでの道中の全てを想起させる言葉を放った後、一冊の手帳を取り出して再び口を開いた。
「高校生活を満喫するために絶対にやっておきたい100のこと、通称ちいリスト。まだまだ本編はここからです。もちろん完成まで付き合ってくれますよね?」
私は目に収まりきらないほどの涙を浮かべ、大きく頷きを返した。
仮に私の人生を一冊の本にしたならば、青春の一ページは余白の少ないものになるだろう。
『華の女子高校生』という煌びやかな広告を散らかした表紙に恥じないほど、一文字一文字がキラキラと浮かんでいる、そんな本。
こんなポエティックな独白が脳内に咲いてしまうのは、再び姿を現したこのちんちくりんのせいだ。そうに違いない。
「おかえり、知生」
大きく息を吸って、私は彼女に笑みを向ける。彼女は力感なく微笑んだ後、スイッチが入ったように眉を上げた。
「感傷に浸っている場合じゃありませんよ! さっそく次のリストを何にするか決めましょう!」
「えっ、ちょっと。今から? せめてもうちょっと余韻に──」
「知ったこっちゃありません。ほら、行きますよ!」
「えーっ」
彼女は有無を言わせず私を校舎の方へと引っ張り始めた。
相変わらず強引で自由気ままなんだから。でも、これでこそ知生だ。
こんな彼女だからこそ、一緒に青春を過ごしたいと思えるし、こんな彼女と一緒にいられたから、私の世界は色を取り戻したのだ。
見慣れた後ろ姿に引き摺られつつ、私はこれから新たに始まるであろう物語に期待を膨らませた。
夜を青く染める 豆内もず @mamemozu
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