夜満ちるソワレ

空月ユリウ

独りになった夜

「ミラノ!!?」


小国の商業都市、その【演奏地区】の端の、治安の悪い裏通り。人々に愛される様々な演者たちが奏でる演奏が聞こえる建物の裏手に、ボクの友は倒れていた。


焦らすようにまだ雨粒を落とさない雲で閉ざされた夜空の下に、血溜まりの中で。


悲鳴を上げて駆け寄るボクの声に、ミラノの夕焼け色の瞳が僅かに震える。


「どうして、ミラノ、大変だ怪我が、」


ミラノの隣にしゃがんだボクの衣装が一気に血色に染まって重くなった。ブーツを履いた素足に飛んだミラノの血は冷たい。


暗がりでよく見れないけれど、『いつもヒールを履いていて疲れないのかい?』とボクが何度も訊いていたミラノの片足が付け根からなかった。


その度に『ルーナだって剣を提げるのに重いと思っても、だから外そうとは思わないでしょう?それと同じよ』と返されて、ボクは、確かにそうだね、なんて笑っていた。


「あら……来たの、ルーナ」

「当たり前だろう、御飯時には戻ってくるって言っていたじゃないか!」


だからいつまで経っても帰って来ないミラノを探し回って、そしたらこんな暗くて冷たくて硬い場所にいるなんて、


「ごめんなさいね。邪魔が入っちゃって戻れなかったの。それよりよして頂戴、ルーナ。血で汚れちゃうわ」

「ボクは友の血に濡れる事が汚れる事だとは思わない!」


ボクが大好きだと言ったミラノの夕焼け色がもう随分と暗いのは、灯光の差さない路地裏だからか、もうあまり血が通わないからか。


「そ、そうだよ早くお医者様に診てもらおうすぐに手当してもらえるから、」


抱き上げようと伸ばした腕を、ミラノが制止するように掴んだ。その力は強くて、愚かなボクは、まだ大丈夫そうだと場違いにも安心してしまった。本当に、馬鹿だった。


「助からないわよ、こんなに血が出ちゃったもの。可愛いアナタに血塗れの死体を運ばせるなんてしたくないわ」

「何言っているんだ!このままだと死ぬかもしれないのに悠長な事言ってないで!」

「ルーナ」


取り乱して大きな声を出したボクを宥めるように、落ち着いて静かなミラノの声がボクを呼ぶ。


「かもではなくて本当に死ぬの。周囲に騒がせて医者に苦労をかけるより、静かな此処でアナタに娶ってもらった方が幸せだわ」


嘘だ。数刻前まで晩御飯は何を食べようかなんて話してたのに。次の舞台はいつもより大きなところねなんて笑っていたのに。


それに、静か?こんな寒くて暗い場所が?


「嘘だよ、明日も舞台はあるんだよ、ミラノも女使徒役で出るんだよ」

「出れそうに、ないから、代わりにルーナが、やって。ルーナの役とは、出番、複重はなかった、でしょ?」

「そんな代わりにぽんと出れるもんか!君の役は君の役だよ、ボクにだって誰にだって代わりは務まらないんだよ!!」


どれだけ練習していたか、どれだけ役と向き合っていたか、どれだけ舞台で踊っていたか、知っているから。“ミラノの代わり”としてその役をすることは、絶対に出来ないと、分かっているから。


そう思っているボクを、君は理解しているから。


「どうして、どうしてそんな事言うんだよ、ミラノ」


冷たく鉄とカビの匂いがするレンガの上にへたり込んで、ミラノのお腹の上に頭を埋める。


優しく、ミラノの手がボクの頭を撫でた。昔上手く演じられなくて落ち込んでいた時と同じ、安心する手で。


「ふふ、ルーナは、いつも透明で、綺麗ね」


いいや。ボクより誰より、君の方が綺麗で、艶美で、優雅で、素敵だよ。


ボクは濁ってて、腐ってて、弱くて、全然綺麗じゃない。


「ごめんね、ルーナ。いっしょにグラルティ聖堂で踊ろうって、やくそく、したのに」

「ボクが言い出したんだよ、世界舞台に立ちたいって」

「それでも、うなずいたのは、ワタシよ。…ほんねを、いうと、べつに、ずっとこのまちで、ずっとこのよるのしたで、それでもよかったの。アナタといっしょに、おどれる、なら」

「……ミラ、ノ」


いつだって堂々としていた大好きな声が弱々しく、ゆったりと、ぼんやりと霞んでいく。


「もう喋らないでミラノ、傷に障る」

「ふふ、ふ、いまさらよ。…そろそろ、ひとあめ、きそうね。ひえるから、もどりなさい」

「ミラノを置いて?馬鹿言わないでよ」


顔をミラノのお腹に埋めたまま小さく被りを振る。


「いつまで、たっても、さびしんぼさん、ね、ルーナ」

「そうだよ、いつまで経ってもボクは寂しがり屋なんだよ。独りじゃ踊れないし、歌えないし、帰れないし、出掛けられないんだよ」


あの場所から飛び出せたのだって、あの場所に飛び込めたのだって、夢を持って走り出せたのだって、今ここまで駆けて来れたのだって。


「ミラノがいなきゃ、なんにもできないよ、ボク」


だからいかないで、と続く言葉に、頬に涙が伝う。


「いやだ、ミラノ、ひとりにしないで、いっしょにいて、いっしょにぶたいでおどろうよ、あんなひろいばしょにひとりでうたうなんてさびしいよ、ミラノ、ぼ、く、」


泣きじゃくり出したボクの頭を抱きしめるミラノの腕は、きっと冷たいだろうけれど、そんな事ないと思いたかった。


「だいじょうぶ、大丈夫、ルーナ。いまはワタシしか、いないかもしれないけど、ぜったい、アナタと、ずっと、いてくれるひとが、いるから。その、ひとと、出逢うから。このあとすこし、つらいだろうけど。きっと、アナタのやくに、たつから」


あぁ、いつだったかずっと昔、まだ小さい頃に、ミラノがこうやって泣きじゃくるボクと寄り添ってくれる事があった。あったかくて、安心した。


ずっとそんな彼女の側にいられると思って疑った事もなかった。



「おおき、く、なった、わね、ルーナ」


なのに


「いつも、そば、に、いてくれて、ありがとう。うれしかったのよ、ほんとう」


なんで


「ほーら、わらって」


どうして


「ふふ、ぶたいに、たちたかった、なぁ」


こんな


「さようなら、ルーナ」


空気が冷えた。


「ミラノ?!!!!」


ミラノの顔を覗き込むけれど、霞んだ夕焼け色はボクを映さない。穏やかな声は返って来ない。一緒にみんなで舞台に立って踊ったあの日々だって、稽古場で切磋琢磨した日々だって、打ち上げでどんちゃん騒いだ日々だって、もう。


「やだ、嫌だよミラノ、ミラノ!!!!!」


降り出した雨が容赦なくボクとミラノの体温を奪っていく。


「…寒い……寒いよ、ミラノ」


………雨が、雨が降り出す前でよかった。こんなに寒い思いをせずに済んだのなら、きっと、よかった。


「置いて行かないで…これから、ボクは、どう生きてけばいい……?」


雨が一気にミラノの血溜まりを流していく。鉄の匂いが薄れた代わりに、湿った土の匂いが広がり出していく。


「ボク、独りになっちゃったよ、ミラノ」


ミラノの血を吸って重かった服は、いつの間にか雨のせいで重たくなっていた。


…何をしたらいいんだろう。彼女がいない世界で、ボクが叶えたいと思った夢は、意味を持っているんだろうか。ううん、きっとない。独りで踊ったってきっとボクは楽しくない。ここでミラノと一緒に眠った方が余程、


『邪魔が入っちゃって戻れなかったの』

『ふふ、ぶたいに、たちたかった、なぁ』


「ぁ」


………ミラノの心残りを、仇を、とらないと。このまま朽ち果てていいものか。


「…待ってて、ミラノ。すぐ、だからね」


冷たく固くなったミラノを抱きしめる。君が好きなボクの笑顔を浮かべて、まだこの世界で、独りでも、


「踊るからね」

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夜満ちるソワレ 空月ユリウ @hujimaru

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