第3話
バーで一人。一杯やりながら、そんな昔の事を思い出してしまったんだ。
それは、今日もあの日みたいに、外には雨がしとしと降っているからかもしれない。
ハイネケンの小瓶を一本、チェイサー代わりにして、ワンショットのウイスキーをちびちびやりながら、煙草をふかした。
学生の頃にかっこいいかな、と思って始めたバーテンダーのバイト。卒業して社会人になった今は、行きつけの店になってる。
この店のマスターに教えてもらった、かっこいい飲み方を今でも続けてる。本当にかっこついてんだかは、わかんないけど。
だって、今の私って、全然かっこよくないと思うから。
「……なんであんな見栄張ったんだかなあ」
苦笑い混じりに、あの日、恋人がいる、なんて見栄を張った事を思い出したんだ。
あの時の宇田川は凄く冷めた態度で、私の見栄が見透かされてるんじゃないかって。怖かったな。
「貴女、今日は酔っ払って昔の知り合いにメッセージ送るのよしなさいよね」
マスターがそんな風に私を窘めて、わかってますよ、なんて気のない返事を返す。
それでも、なんとなくメッセージアプリを立ち上げて、昔の知り合いの名前を眺めてみると、やっぱりそこに宇田川の名前はないんだ。
酔っ払って、人恋しくなると、昔の知り合いに連絡したくなってしまうの、本当に悪い癖なんだ。
別にそれ自体が悪いってんじゃないけど、なんだろう、キラキラしてた頃の、って自分で言うのは変だけど。いや、確かに、キラキラしてたんだよ。その頃の自分を知ってる人に連絡するのってさ、今の自分から逃げてるんじゃないかって。実際、逃げてんだろうけどさ。
あの頃、貴女、かっこよかったね、って言ってもらえるのを期待してるようで、惨めなんだよ。
でも、連絡取ったって、そんな返事は返ってこないしさ。
最近どうしてる? って聞いたって、彼氏がどうとか、早い子だったら子供がどうだって、そんな感じ。
あんなに私の事を王子様扱いしておいてさ。あんまりじゃないか?
まあ、でも当然だよな。
箱庭の外に出たら、本物の王子様はいくらでもいて。
王子様の代わりなんか、いらないんだから。
結局、私だけがあの箱庭の中に取り残されてる気分だ。
私の時間だけが、あの頃のまま、動いていないんだから。
それって結構嫌な気分なんだよ。
私はそんな嫌な気分を振り払うみたいにして、ウイスキーを一口だけ飲んでから、煙草を一吸いして。溜息の代わりに、ふうっと煙を吐き出した。
いらっしゃいませ、なんてマスターの声が聞こえて。ぼーっとしていたもんだから、ドアが開いてお客さんが入ってきた事なんか気付かなかった。
別に向こうだって私の事なんか、気にしやしないだろうけど、一人がよかったな、なんて勝手な事を思った。
私って、いつからこんなに一人が落ち着くようになったんだろう。いや、一人が落ち着くっていうより、他人がいると落ち着かないってのが正しいんだけど。
ちらり、と横目でさっき入ってきたお客さんを見た。パンツスタイルのスーツでばっちり決めて、出来る女って感じのお姉さん、かな。もしかしたら、同い年くらいなのかもしれないけど、そうだとしても、私よりはずいぶんしっかりしてそうだ。
かっこいいな、って素直に思った。
大人になったら、こういう人をかっこいいって言うんだろうな。
スーツって憧れるよな。私は私服で仕事をするから、スーツなんかよっぽど大事な客先に出向く用事でもなきゃ、年に何回も着ない。普段からスーツを着るような仕事をしてたら、少しは大人になれたのかもな。なんて、そんな簡単な話じゃないだろうけど。
あんまり彼女を眺めていたら、自分が惨めになりそうで、私はなるべく彼女の事を気にしないようにして、さっさと飲んで今日は帰ろう、って小瓶を傾けてグラスにビールを注いだ。
それでも、お酒が強いってわけじゃないから、一気に飲む事なんて出来なくて、ゆるゆる飲んでたら、彼女がちらちら、こっちを見てるんだよな。
なんか気になるな、やだな、って思ってたら。
「……今井さん?」
私は驚いて彼女の方を見た。
彼女の顔を見て、本当にびっくりした。
「……宇田川」
そうか。今日も雨なんだ。
雨の日には、君に会うんだよな。
「久しぶりね」
隣、いいかしら、なんて言って、私の隣に座ろうとする君に「本当に。久しぶりだ」なんて。なるべくかっこつけた調子で迎えて。近くで見ると、やっぱりかっこいいな、って思って。
でも、かっこいいね、なんて言えないから。
「なんか、凄く大人っぽくなったね」
なんて言い方してさ。
だって、宇田川の前では、かっこいいのは私の方でありたいんだよ。それは、今ではとっても難しいことなんだけど。
「お互い大人じゃない」
そう言った宇田川には、やっぱり大人の余裕、みたいのが感じられてさ。
お互い? 冗談きついよ、なんて。ちょっと卑屈になった。
「煙草、吸うのね」
柔らかく微笑んだ宇田川の顔を見たら、なんだか照れくさくって、しどろもどろになってさ。
「あ……。これ?」
なんて、馬鹿みたいな返事。これ、しかないだろっての。
「まあ、ね。君は? 吸わないの?」
宇田川の方に灰皿を寄せてやった。宇田川は首を横に振って「私は、もうやめちゃった」なんて言ってさ。
嘘だろ。私は、あの日、君が煙草を吸ってるのがかっこよくて。それで真似したってのに。
「そうか。それがいいよ」
なるべく気取って言ったら、宇田川は「久しぶりに吸ってみようかしら」って、一本ちょうだい、って手を出してくるんだ。
真っ白くて、細くて、長い、綺麗な指だな、って思いながら一本、煙草を手渡してやった。
ライターを宇田川の方に滑らせてやったってのに、宇田川ったら、煙草を咥えた顔を私に寄せてきてさ。
「……ん」なんて当たり前みたいに催促するもんだから、私は煙草を咥えて、宇田川の煙草に火を移してやった。
ありがとう、って一言だけ言って、ふう、って煙草をふかす宇田川は、やっぱりかっこよかった。
「最近、どう?」
宇田川の言葉に思わず、ふふっ、なんて笑みが溢れた。
「前にあった時も、そう聞いたね」
まあ、久しぶりに会ったら、そう聞くしかないんだろうけど。
だって、私と宇田川は別に友達でも何でもなくて。
連絡先だって知らないし、お互いの近況なんか知る由もないんだから。
それはちょっと寂しい事なんだけどさ。
宇田川は、そうだったわね、なんて笑いながら、まだずいぶん残っている煙草を灰皿にぐしぐし押しつけて消して。私が絶対頼まないような、お洒落なショートカクテルを一口啜った。
「特に変わりゃしないよ。適当に働いて、休みの日は家でだらだらしてさ。たまにこうやってお酒飲んでる」
「本当に変わらないのね」
おかしそうに、くすくす笑った宇田川を見て、君は変わったな、なんて思った。なんていうか、取っつきやすくなったっていうか。なんだろう。とにかく、いいな、って思ったんだ。
「……あの時、さ。嘘ついたんだ。恋人なんか、いやしなかった」
私の言葉に宇田川は「そう、だったの?」なんて、目を丸くしちゃってさ。
「なんか、見栄張っちゃって」って照れ隠しにビールを煽った私を「そうなんだ」なんて、どこか嬉しそうに見つめるんだ。
宇田川が「どうしてそんな見栄を?」って聞くもんだから、私ももう恥ずかしい事なんかないや、って思って。白状したよ。
「まともに恋愛とかした事ないからさ。ああいう時は、なんか、駆け引きとかさ。いるんじゃないかって思った」
私の顔はお酒のせいか、恥ずかしさかで、赤くなってたと思う。宇田川はそんな私を見て「やだ、もう」なんて本当におかしそうに笑って。それは恥ずかしかったけど、嫌じゃなかったな。全然。
それから、あれやこれや、本当にどうでもいい事を話したけど、凄く楽しかった。久しぶりに人と話して、楽しかったんだ。何より、嬉しかった。宇田川と私は、気が合うんだ、って思えたから。もっと早く、こうやって話が出来ていればよかったのにな。お互いのお酒も切れた頃、思い切って切り出してみたんだ。
「なあ、宇田川。よかったら飲み直さないか。家、近いんだ。よかったら……」
宇田川の顔を、私はどんな顔で見ていただろう。きっと、あの頃、私を見ていた女の子達みたいな顔をしてたんじゃないかな。
宇田川は困った顔で私を見つめ返して、一言。
「……ごめんなさい」って。
まあ、がっかりしたよ。顔にもかなり出てたと思う。
「あ……。そう、か」なんて平静を装ったつもりだけど。だめだったろうな。
じゃあ、せめて連絡先だけでも、ってスマホを取ろうとした私の手の上に宇田川が自分の手を重ねたんだ。
重なった宇田川の左手の薬指に指輪が光っていて。
それで、私は何も言えなくなった。
「きっと、また何処かで会うわ」
私達ってそうでしょう、なんて微笑んだ宇田川は、やっぱり綺麗だったな。
「……うん。そうだな」
宇田川は重ねた手を離して「じゃあ、また」って微笑んで。やっぱり名残惜しくはあったけど、未練がましいのはかっこ悪いから。私も、またな、って素直に見送ったよ。
宇田川がいなくなった店内に一人、残された私をマスターがなんとも言えない微妙な表情で眺めててさ。
ふられちゃった、なんて強がって笑った私を、苦笑交じりに「……お気の毒様」なんて慰めてくれて。
きっと私の顔は自分が思ってるより酷いもんだったんだろうな。
そのままチェックを済ませて外に出ると、雨は上がっていて、水溜まりに映ったネオンがやたらと綺麗だった。
気分としちゃ、辛くないって言ったら嘘になるかな。
そりゃ辛いさ。初めての恋で、初めての失恋なんだから。
でも、なんだか止まってた時間が、ようやく動いたような気もしてさ。
さあ、私も前に進まなくちゃ、なんて思えたんだ。
きっと、いつかまた、雨の日には、あの子に会うんだから。
雨降る頃に会いましょう 蟻喰淚雪 @haty1031
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