第2話
もう会う事はないと思っていたから。
あの日、また貴女に会うなんて、夢にも思っていなかったわ。
あまりいい思い出ではないけれど。
今思えば、やっぱり嬉しかったのだと思う。
あの時は、長雨続きで、私達が出会ったのは寂れたコインランドリー。
初めて貴女とお話をした日は、私、偶然を装ったの。
貴女があの東屋にいるのは知っていたから、卒業前にお話がしたくて。
学校が終わったら、すぐにあの東屋に向かって、何でもないような顔をして本を読んで待っていたわ。
でも、二回目は本当の偶然。
運命とか、信じない方だけれど。
やっぱり、あの出会いは運命的で。
それは、やっぱり嬉しかったの。
長雨が続くじめじめした日で、ランドリーの中には生ぬるい空気が溜まっていたわ。
雨は嫌いで、長雨はもっと嫌いだけど、ランドリーで乾燥待ちをしている時間は嫌いじゃないの。
乾燥機の中でぐるぐる回る洗濯物を眺めて、ごうごう唸る機械音に耳を傾けながらぼんやりするのは、結構悪くない時間だって思ってた。
服を洗濯する場所で煙草を吸うのって、どうかと思うのだけど。灰皿があったから、遠慮なく煙草を吸ったわ。
その場には私一人だけだったし、ね。
普通の人は、煙草は二十歳まで、なんて冗談を言うみたいだけど。私は二十歳を過ぎてから煙草を吸い始めたの。
煙草を吸いながらぼんやりしていたら、人が入ってくる気配がしたから、灰皿にまだ随分残っている煙草を押しつけて火を消したわ。
「身体、壊すよ」
背中越しにそんな声が聞こえてきて、大きなお世話、って思ったわ。
でも、その声のちょっと気取った調子に聞き覚えがあって。まさかって思いながら振り向いたの。
「……今井さん」
嘘でしょう、って思ったわ。
それでも、私を見た貴女の笑顔はあの日のままで。あの日より少し伸びた髪だけが、時間の流れを感じさせてくれたの。
久しぶり、なんて言いながら上の段の乾燥機に洗濯物を放り込んでいく貴女を見て、やっぱり背が高いな、格好いいな、って。
高校生の時に戻ったみたいにどきどきしたわ。
「宇田川が煙草を吸うなんてね」
ちょっと意外だ、って笑った貴女が私の隣に座った時。私は微笑み返したつもりだったけれど、ちゃんと笑えていたかしら。
「映画で見た女優が煙草を吸っていたの。それが格好よくて」
真似してみたの、って言った私に「似合ってるよ」って笑いかけてくれたわね。その女優が、ほんの少し貴女に似ていたっていうのは、とてもじゃないけれど言えなかったから。そうかしら、なんて誤魔化したりして。照れ隠しに毛先をくるくる弄ったの。
「……最近、どう?」
思い切って近況を聞いてみたけれど、元々人と話すのは得意じゃないから。気の利いた言葉が出なくて、少し恥ずかしかった。
それでも、貴女と普通に話している自分が信じられなくて。夢みたいで。それと、ほんの少し誇らしかったかな。
だって、貴女にずっと憧れていたんだもの。
初めて貴女を見たのは中等部の二年の時。
それまでも、貴女の名前は何度も聞いていたわ。
クラスの女の子達が、貴女の事をいつも噂していたから。
正直、馬鹿みたいって思ってた。だってそうじゃない。男の子がいないからって、ちょっと格好いいだけの女の子を王子様扱いして、きゃあきゃあ騒いじゃって。そんなのおかしいわ。
だから貴女が出る試合を、学校の行事だからって、関係ない私まで応援しに行く事になった時は、正直とっても面倒だったの。
スポーツなんか、好きじゃないし。
だけど、試合に出ている貴女を見て、私も他の子と一緒なんだって気付いてしまったわ。
あの日の試合は負けてしまったけれど、貴女の活躍と、貴女が肩を落とすチームメイトを励ます姿が、今でも目に焼き付いているの。
周りの子は、貴女が負けてしまった事にショックを受けて涙を流したりもしていたけれど、私は泣かなかった。
泣いたら、それこそ他の子と一緒になってしまうもの。少しでも他の子と違う立場で貴女を見ていたかったの。
それは、本当にくだらない見栄だったのだけど。
「どう、って?」
貴女の声でやっと思い出から帰って来れて。私の質問が曖昧なばっかりに、貴女はそんなふうに聞き返したのでしょうけど。私の方が何を聞いたのか、忘れてしまって。ええっと、なんて言葉を探しながら、また毛先を弄ったの。この癖、変だと思われてないといいのだけど。
「大学に入ってから、何か変わった事はあった?」
「変わった事、か」
貴女はほんの少し考えてから、困ったように「……特にないな」なんて曖昧に笑ったわね。
その笑顔は、私の知ってる貴女とは少し違って。親しみやすいような感じがしたけど。それは、少し寂しかったりもしたの。
「適当に授業受けて、バイトして、たまにお酒飲んで。バカな大学生って感じ」
自嘲気味にそんな事をいう貴女にちょっとがっかりしたのを覚えてるわ。勝手に憧れて、勝手にがっかりするなんて、よくないと思うのだけど。貴女にはいつも格好よくいてほしかったから。
「……そう」
私の声にそういう感情が滲んでしまったのかしら。貴女は私の返事にばつが悪そうに俯いてしまったわね。私は貴女にそんな顔をさせてしまったのが申し訳なくて。そんなつもりじゃなかったのに。誤魔化すように立ち上がって、乾燥が終わった洗濯物を乾燥機から取り出したの。
洗濯物をバスケットに放り込む時に下着がこぼれてしまって。
生活感しか感じない地味な下着を貴女に見られたのがなんだか恥ずかしくて。
こんなのしか持ってないわけじゃないの。お気に入りの下着は乾燥機にかけたくなかったから。ちゃんとしたのもあるんだから、って。心の中で言い訳しながら慌てて拾い上げたっけ。
もうそれで頭の中がぐちゃぐちゃしちゃって。
貴女に背を向けたままで、なんであんな事を聞いたのかしら。でも、やっぱり聞きたかったのね。
「……恋人とか、出来た?」
私の言葉に貴女は驚いたように、少し黙ってしまったわね。背中越しで見えなかったけど。なんとなくわかった。
「……宇田川がそういう話をするなんて、思わなかったな」
そうでしょうね。私もそう思うもの。
高校生のあの日みたいに、聞いてしまってから後悔したわ。
「ごめんなさい。変な事を聞いたわ」
そんな私にまた曖昧な笑いを浮かべながら「いや、いいよ」なんて言った貴女に、その笑い方、好きじゃないわ、なんて。
また勝手な事を思ってしまって。そんな自分も好きじゃなかった。
「まあ、それなりに。上手くやってるよ」
そう、よね。
聞かなくても、なんとなくわかってた。
今の貴女は、普通の大学生で。
女子校という、箱庭の中の王子様じゃない、普通の女の子で。
きっと、恋人くらい、当たり前にいるわよね。
そう。当たり前の事よ。本当に、当たり前の事。
それなのに。
それなのに、勝手に聞いたくせに、勝手にがっかりしたりして。
私って本当に馬鹿で、嫌な人だわ。
「貴女の恋人なら、きっと素敵な人でしょうね」
嫌な気持ちを誤魔化すように、強がってそんな事を言ってみたりして。貴女は貴女で、また曖昧に「まあ、ね」なんて笑って。
その笑い方、本当に嫌い。
せめて格好つけて、恋人の自慢話くらいしなさいよ。
「じゃあ、もう行くわ」
私はきっと酷い顔をしていたから。
貴女に顔を見られたくなくて、目も合わせずにそう言ったから。
貴女がどんな顔をしているかなんて、わからなかった。
いいの。そんな事わかりたくもなかったから。
「ああ。じゃ、また」
「ええ。また」
また、なんて言って。きっともう二度と会う事なんてないのに。
私は足早にランドリーを後にして。
家に帰ったら、せっかく乾かした洗濯物が、帰り道の雨で少し濡れているのに気付いて。
また勝手に泣いたわ。
初恋が終わってしまったから。
今思えば、きっと、あれは恋でもなんでもなくて。
箱庭の中だけの、ただの憧れの錯覚だったのでしょうけど。
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