初陣

愛する母さんへ

 ずっと憧れていた帝国陸軍士官学校に入って、もう1年になります。しかし、(遂に!)今日で訓練期間が終わり、3日後にはソアバール戦線に向けて出発します。教官殿からは「3年半かかる所を、1年で卒業できる君たちは優秀だ!」と言ってくださりました。やっと戦争に行けると思うと僕も鼻が高いです。

 シュトラウトは僕とは別の場所に行くことになったらしく、名残惜しそうにしていました。明日は2人で酒でも飲み交わそうと約束しました。士官学校でできた初めての友と離れ離れになるのは少し、辛いものがあります。

 戦争が長引くにつれ精強な帝国陸軍もヴァルネ共に押されることが多くなっていると聞きました。ですが、僕は絶対に戦争に勝ってきます。

 まだふるさとに帰る日は遠くなりそうだけど、合間を縫って手紙は出します。

 ボックやクラーラや父さんにもよろしく伝えておいてください。

           貴方の自慢の息子

          ローライト=フェルゲン







…………


第一章 初陣


…………


南部方面軍集団麾下きか第11軍第8装甲師団「シュバイツラント」第3装甲擲弾兵そうこうてきだんへい連隊所属第2大隊第6中隊第10小隊、それが僕の新たな配属先である。ソアバール共和国と対峙している最前線、快晴の下、大小様々な砲撃のクレーター痕が散在し、雪が積もり始めた11月中旬の平野にある粗悪な塹壕ざんごうを防衛に使うため、兵士たちがスコップを振るい、丸太や土嚢どのうを置き、各所に機関銃や迫撃砲を設置している。士官学校にいた時には滅多に見ることのなかった光景を尻目に、塹壕内の半地下型の指揮所へ足を運ぶ。薄暗く、手狭な指揮所へ入ると、自分と10歳差はありそうな中肉中背の男がいた。――歳の差だけならゲラルト叔父さんと同じぐらいだろうか――恐らく小隊長、つまりは自分の上司にあたる人物である。無礼がないように自己紹介と挨拶をしようとすると、「ローライト=フェルゲン准尉だな、イワシュツ=ギュンター中尉だ。」

先にあちらから話しかけてきた。

「はい。ローライト=フェルゲンと申します。本日付でシュラハト士官学校から士官候補生としてこちらに移動してきました。こ、これからよろしくお願いします。」

「ふむ、よろしく。」

そう言うと中尉はタバコをふかしはじめた。

戦場の自己紹介とはこうも手短なのか、と戸惑いつつ15秒ほど直立姿勢で待機していると、またあちらから話しかけてきた

「お前は初陣で死ぬだろうな。」

「……え?」

何を言っているのか理解ができなかった。出会って3分もせずに我が身の終わりを予言された。なんなんだこの人は。

「冗談でしょう。」

「私は至って真面目だ。」

「お、お言葉ですが死ぬは流石に言い過ぎではないでしょうか。そもそも私には指示すらまだ伝えられていません。」

「お前、ここに来るまでに外を見てきたな?」

「は、はぁ…」

「私の小隊は何をしていた。」

「敵の塹壕を整えて防衛体制を整えようとしているように見えました。」

「そうだ。15秒、15秒あれば土嚢が1つ積める。有刺鉄線を1m張れる。塹壕を20cm掘れる。弾薬を1箱補充できる。お前はそれをやらなかったのだ。」

「ですが…我々は士官ですよ……?士官が塹壕を掘るなんて聞いたことがありません。」

「では軍規に『士官は塹壕を掘ってはならない』と書いてあるのか?」

「い、いえ…それは……」

僕と中尉の間に重苦しい空気が流れる

沈黙から数秒――その時の僕には数時間に感じられたのだが――するとまた中尉が言葉を発する。

「ふふふ、思った通りの反応だ。この前の士官候補生も今のお前と同じ顔と反応だったぞ。もっとも、そいつはセルスで狙撃手に殺されたがな。」

「はい…?」

まったく意味がわからなかった。僕は試されていたのだろうか。微塵も動けないでいると中尉は独り言のように新人特有か、と呟きながら、タバコの灰を落とす。

「ど、どのような意味でしょうか」

「私は多くの士官候補生を見てきた。その時に私が何もせずタバコをふかすと、書類上では性格も頭脳も異なる若者たちが、誰も彼も皆同じような反応なのだ。全く動かないか、そわそわし始めるか。君の場合は前者だったというだけのことだ。」

「そしてこれも例外無く全ての士官候補生に言っている事だが、時間は1秒でも無駄にするな。戦場ではコンマ1秒ですら貴重だ。ゆえに食事と休息以外では常に動け。どんな些細なことでも構わん。それが味方と、自分を守ることに繋がる。」

「は、はい。わかりました。肝に銘じます…」

僕がそう言い切らない内に中尉は指揮所を出た。

もしかしたら僕はとんでもないクセ者の下で働くことになったのかもしれない。


指揮所から出ると、さっき見た光景が眼前に広がった。暗い所からいきなり明るい場所に出たせいか、思わず目をつぶる。目の前ではイワシュツ中尉が分隊長達に指示を出していた。先程まで吸っていたタバコは手元になかった。もう捨てたらしい。――意外に肺が弱いのかも――言われた通りに弾薬箱の1つぐらい運ぶか、と思っていた矢先に中尉がこちらに近づいてきた。

「偵察機からの情報だ、今連絡があった。敵軍がこちらに向かっている。規模は不明。おそらく我が軍の占領しているセルスを奪還する為の先鋒だ。防衛策を練るぞ。」

そう言うとまた指揮所へ戻って行った。電光石火が服を着て歩いているような人である。


指揮所の机上には既に周辺の地形が描かれた地図が置かれていた。――士官学校の教室の長机もこのような感じだったな――そう思っていると、

「ローライト曹長、君ならどのように防衛する?」

中尉が問う。

「この平原では何も障害物がありません。塹壕を使って防衛を行います。」

「うむ、塹壕はこのような形だ。」

そう言うと地図に青鉛筆で塹壕を書き込む。

「この塹壕はもとは敵が我々を迎え撃つために作ったもの、それゆえに十字砲火を浴びせやすいよう、ゆるやかに『く』の字型に折れ曲がっている。」

――――この塹壕の形では敵が十字砲火を組めても我々が利用すれば『>』のような形で迎え撃つことになる――――

「これでは十字砲火を組めずに、火力を集中することができません。」

「その通りだ。ではこれを解消するためにどのように陣地を構築する?」

「塹壕の両端に機関銃を一丁ずつ設置してはどうでしょう?MGの制圧力なら敵は手も足も出ないでしょう。」

「名案だが、機関銃は真っ先に狙われる。

いくらMGとはいえ歩兵が殺到すれば厳しいだろうな。」

それに、と中尉が付け加える

「もし機関銃を塹壕の両端に配置すればそれの制圧のために敵歩兵が両側に散開する。塹壕中央からの距離も遠くなるから手榴弾はおろか、ライフルで射撃しても''敵を制圧''することは出来ても''倒す''ことは出来ないだろう。敵の増援が来る可能性も捨てきれない。ダラダラと防衛戦を続ければこっちがジリ貧で負ける。最悪の場合、機関銃が制圧された後に塹壕内で挟み撃ちに逢うぞ。」

「で、では機関銃はどこに…」

「ここだ」

中尉は塹壕の、比較的直線の部分を指さして言う

「『く』の字で言えば2本の線のそれぞれの中心、そこにMGを配置する。」

「了解しました。では迫撃砲はどこに置けば……」

そう言った瞬間、偵察兵と思しき男が駆け込んできた。

「報告致します!敵を発見したとの報告が!」

「距離は」

中尉が問う

「12時方向、1500m前方です!」

「規模は」

「2個小隊規模の歩兵が確認されています!」

「了解だ。全員に戦闘準備をさせろ。……

…話が違うではないか、という顔をしているな。」

つくづく恐ろしい人である。心の中や考えていることを文章にして読まれている気分だ。

「所詮航空偵察だ、こういうことはしょっちゅうだ。それよりさっさと防衛戦の準備をするぞ。私は塹壕内で部下達の指揮と戦闘をせねばならない、迫撃砲の指揮は君に一任する。」

「わ、私が前線で指揮…ですか?」

「なんだ、士官は全員後方で書類と睨めっこしているものだとでも言いたいのか?」

「い、いえ…そういうことではなく…前線で指揮するのは模擬以外でやったことがなく……」

「当たり前だ、士官学校を卒業したばかりだしな。誰にでも初めてはある。死にたくなかったら戦うことだ。」

そういうと机上にあったヘルメットを取るが早いか、指揮所を出ていってしまった。僕も戦闘準備をしなければ……――生き残れるだろうか。


外に出ると青かった空は僕の気持ちを表すようにどんよりと曇っていた。先程までは談笑しながら作業していた兵士たちも、戦闘とあってはこわばった顔でせわしなく走り、戦闘準備を整えている

「迫撃砲班曹長はどこでしょうか!」

そう呼びかけると塹壕の外から言葉が返ってくる

「こっちだ!」

塹壕から出ていくと長身の男がいた

見ると襟に曹長を表す隊章がつけられている

後ろには迫撃砲の装填手と思われる兵士が砲弾を運んでいる。

「今日付でここに配属されたローライトです、よろしくお願いします。」

「あぁ、よろしく。俺はグリンテット=ヘルグライン、迫撃砲班の班長、階級は曹長だ。」

「ここで迫撃砲班の指揮を執るようにイワシュツ中尉から任されました。」

「了解だ、俺らが使うのは5cm軽迫撃砲、持ち運べるのが利点だが、今は精密性を高める為に固定してある。有効射程はだいたい500mとちょっとだ。ま、こんなこと言わなくても士官候補生とあらばわかるか。」

その時だった

「敵歩兵部隊!前方600m弱!」

「思ったより早いようだ。迫撃砲の基本はわかるな。」

「はい」

「よし、そこに望遠鏡があるだろう。それで観測手をやってくれ。距離と、だいたいの方向を指示してくれるだけでいい。」

「わかりました」

「初陣で観測手なんて役目を押し付けて申し訳ないな、うちの班もこの前のガリューツグラードで亡くした仲間の交代が出来ていないんだ。」

「…………そうなんですね」

「辛気臭くさせたな、指示をくれ」

「はい」

気付けば敵は迫撃砲の有効射程距離内に入ってきていた。

「1時方向、距離510」

「了解」

独特の射撃音と共に砲弾が打ち上げられる。

――迫撃砲というのは小さい大砲のようなもので、砲弾を打ち上げ、空中で炸裂してその破片で敵を殺す兵器だ。歩兵にはめっぽう効くが戦車にはイマイチだ。砲弾によってはその場を燃やす焼夷弾しょういだんや白煙を炊いて視界を遮る煙幕弾などもあるということに留意しておけよ。――

士官学校の教官の声が頭の中で響く。

「ぼさっとするなよ、次の目標は?」

「10時方向、距離490」

「了解」

「次目ひょ……」

その時、グリンテットの隣で砲弾を込めていた自分と同じ歳ぐらいの兵士が顔を撃たれ、死んでいた。

「伏せろ!」

グリンテットが叫ぶ。

「敵の狙撃手だ、機関銃より先にこっちを狙ってきやがった。」

「どうするんです」

「どうするもこうするも、こっちに狙撃手は居ない。対抗手段があるとするなら、この迫撃砲だ。」

「なら今すぐにでも撃って排除すべきです」

「いや、奴はまだこっちを見てる。試しに死んだやつのヘルメットをとって、そいつのライフルにひっかけて掲げてみろ。」

「でも戦友だったんじゃ…」

「骸には無用の長物だ」

「……」

言われた通りに伏せながらヘルメットを取る。

死んだ兵士のまだ閉じきっていない瞳が――まるで僕を恨んでいるかのように――こちらを睨む。撃たれた箇所からはどす黒い血が、鉄の臭いを漂わせながらこくこくと流れている。

そうしてヘルメットを被せたライフルを掲げると2秒もせずにヘルメットは甲高い音を立てて地面に落ちた。

「な?言った通りだ。」

「じゃあどうすれば…」

「塹壕の兵士に紛れて位置を偵察してこい、機関銃の近くには行くなよ。あと、そこに置いてあるMP40を持ってけ、護身用だ。」

「り、了解」

その言葉を後に塹壕内へ走る。


塹壕内は怒号と銃弾の飛び交う地獄と化していた

「おい!お前はそっちを撃て!」

「衛生兵!こっちだ!早く!」

「死にたくない!」

五感に訴えかけるものすべてが現実とは思えなかった。というよりも思いたくなかった、の方が正しいと思う。そうして、塹壕の真ん中から少しだけ左にずれた地点で狙撃手を特定することにした。さっき見えた発砲煙の方向を、望遠鏡で見回す。すると――――いた。どうやら迫撃砲が沈黙してから、目標を機関銃にしているらしい。ここから見れば1時方向、距離470といったところか。早く曹長のもとに戻らなくては。


「グリンテット曹長、やつは11時方向、ここからだと距離510付近に居ます。今は機関銃手を排除しようと躍起になっているようです。」

「510か…有効射程ギリギリだ。精密性は高くなっているとはいえ、当たるかわからんぞ。」

「……煙幕弾はありますか?」

「…初めてにしてはいい考えだが、相手は身軽だ。移動すれば煙幕なんぞ、どうってことはないからな。」

「焼夷弾ならどうですか。直撃でなくても周囲を燃やせば倒せるはず…」

「あいにく補給が遅れててな。焼夷弾の予備は無い。つまり俺達はあいつがこっちに気づかないうちに倒さないといけない。猶予はあって2発だ。それまでに倒せなければ…」

「こちらが死ぬ…」

「そういうことだ」

全身に緊張が走り、呼吸が荒くなる。

「き、距離と方角は先程の通りです…」

「なんだ、怖がってるのか?」

「い、いえ!そんなことは…」

「嘘をついてるのはすぐにわかる。いいか?戦場ではな、死ぬ時は死ぬし、死なない時は死なない。死なないように祈っておけよ。」

――そう言われても、あわや口から出そうになった言葉を慌てて胃の中にしまいこむ。

「いくぞ」

「は、はい!」

再び独特の射撃音が空を切る。

戦場の喧騒のおかげか、迫撃砲の射撃音は掻き消されたようで、敵の狙撃手はこちらに気づかず、依然として機関銃手を撃っているようだった。

「弾着!敵狙撃手は…生きています!」

「伏せろ!」

土煙の向こうで僅かに鈍く光るスコープが見えた。おそらく人生で一番、目を見開いた瞬間だったと思う。反射的に伏せようとした瞬間、甲高い音と共に、握りこぶしで思い切り殴られたような強い衝撃が頭の中に響き渡り、そのまま仰向けになってばたりと倒れ込んでしまった。

――耳も聞こえなければ、視界もボヤけている…頭のてっぺんの辺りがズキズキと痛む。もしかして奴は僕の頭を撃ち抜いたのか…僕は死んでしまったのか…だとしたらここは天国なのだろうか……

「ぃ…!おい!しっかりしろ!お前は生きてるぞ!」

グリンテットに声をかけられ、起こされる。

「狙撃手だ、頭に銃撃を受けたが幸いヘルメットのてっぺんが凹んだだけで、あとは怪我はなさそうだな。」

どうやら地獄に引き戻されたようだ。

衝撃のせいで混乱している頭を撃ち抜かれないよう、匍匐前進でもといた場所に戻る。ヘルメットは使い物にならなくなってしまったので、誰の物かもわからないそこら辺に転がっていた兵用帽を被る。ないよりはマシだ。

「次で決めなければ、あいつを排除するのは厳しい。お前の測距に掛かってる。いいな?」

「はい」

「よし、頼む。」

震える手で望遠鏡を掴み、覗き見る。

やつはどうやら狙いをこちらに変えたらしく、さっき見た鈍い光がこちらを照らしていた。

それを見て咄嗟に伏せる。

「同方向、距離510」

再び射撃音が空を切る。

「弾着!敵狙撃手は…」

震える右腕を左手でつかみながら恐る恐る望遠鏡を覗き込む。

いた、敵狙撃手だ。しかし、もう鈍い光を放つスコープはこちらを照らしてはいなかった。倒したのだ。

ほう、と長い息を吐く。

戦場全体を見渡すと依然としてそこには地獄が広がっていた。すると曹長が突然怒鳴る

「お、おい、望遠鏡貸せ!」

「観測手なら自分が…」

「いや違う!いいから貸せ!」

恐怖と焦燥が同居する顔に気圧され、望遠鏡を渡す。

「おいおい冗談キツイぜ…」

「な、なにがです?」

「戦車だ、敵のな。こっちを吹き飛ばすために近づいてきてる。」

「大変じゃないですか!急いで報告しないと…」

「あぁ、頼む。12時方向、距離650の地点に3両、おそらくT-34の1個小隊だ……」

「了解です…」

迫撃砲の陣地から飛び出して塹壕に入り込み、中尉を探す。

「中尉!どこですか!」

「ここだ!来い!」

緊張からか、息が苦しいのを抑えながら中尉の元へ走る。近づくにつれて、火薬と血の匂いが強まっていく気がした。中尉はSMG《サブマシンガン》で敵を倒しているようだ。

絶え絶えな息を少し整えて中尉に話しかける。

「イワシュツ殿!敵戦車小隊です!」

「車種は!」

砲撃や銃声の中で自然と声が大きくなる。

「T-34かと!」

「無線手!電話を貸せ!」

近くに居た無線機を背負った兵士を呼び、通信をする。支援砲撃か爆撃でも要請するつもりだろうか。

「こちら第10歩兵小隊!防衛担当地区B-4にて敵T-34一個小隊と接敵、戦車隊の支援を求む!」

「砲撃や爆撃ではないのですか?そちらの方が効果的だと思いますが…」

「俺は砲撃や爆撃よりも頼りになるやつを要請した。」

「戦車が砲撃や爆撃より頼りに…?」

「さしあたっての目標はここで持ちこたえることだ!戦車も近づいてる。お前はここに残って戦闘に参加しろ。」

「り、了解。」

敵戦車の砲弾が撃ち込まれるさなか、中尉から対戦車手榴弾2つと対戦車擲弾てきだん発射器、通称''パンツァーファウスト''を受け取る。まさか初陣で戦車狩りもすることになるとは、と驚きおののいていると、中尉は僕の肩を叩いて「大丈夫だ。」と言う。この人の中にも『死なない時は死なない』の精神があるのだろうか。

敵戦車のエンジン音が少しづつ大きくなるにつれて、死にたくないという思いはもちろんの事ながら、あわよくばここから早く逃げ出したいと思っている。一方では、――祖国を信じ、力を信じろ…祖国を信じ、力を信じろ…――士官学校で毎朝10回暗唱させられた言葉が頭の中をぐるぐると巡る。真反対な2つの思いが混ざりあって今にもどうにかなってしまいそうだ。正気を保つのに必死になっていると、近くの兵士が叫ぶ。さっきの無線兵だ。

「敵戦車!前方300mまで接近!」

「全員!頭を低くしろ!対戦車火器は最初の砲撃を凌いでから使え!敵歩兵による攻撃は継続して行われている、攻撃の際は戦車を攻撃する一人を二人が援護する形を取れ!いいな!」

中尉の叫びとともに、全員が塹壕の中にしゃがみこむ。戦車の起こす地響きが大きくなるにつれ、僕の鼓動も大きくなっていく。

その時、轟音とともに土埃が頭の上に降り注ぐ。塹壕のギリギリ手前に砲弾が落ちたのだ。それを合図に手榴弾のピンを抜き、紐を引っ張って思いっきり投げる。他の兵士も待ってましたと言わんばかりに次々と手榴弾が投げられ、パンツァーファウストが発射される。

――戦車用のグレネードランチャー――士官学校ではそう習った代物だが、前線では大層重宝されているらしい。

そんな事を思っていると2回、3回と轟音が鳴り響き、それに続くように機銃が掃射される。他の戦車も塹壕に攻撃をしているようだ。

周りには残念ながら不幸を引き当てた兵士が力無く転がっていた。おおかた、砲撃の後の機銃掃射でやられたのだろう。

「気に留めている暇はないぞ!奴らはまだ動いてる!頭を下げろ!」

中尉の叱咤を聞き、反射的にしゃがみこむ。そこからはさっきと同様に2発目の砲撃を凌ぎ、今度は対戦車手榴弾を投げてまたしゃがむ。1回やってしまえば慣れるが、その間も周りでは兵士が死んでいる。それを見てなんとも思わない自分が一番恐ろしかった。

と、突然左から爆発音と歓声が聞こえる。どうやら塹壕の左舷側で戦車を撃破したらしい。

目の前の戦車もそれに気づいたらしく、左舷の援護に向かうためか、車体を左に向けようとする。

これは戦車撃破の絶好の機会だ、弱点である車体側面にパンツァーファウストを撃ち込んでやれば敵は2両失って、撤退するだろう。

立ち上がり、パンツァーファウストを構える。

「やめろ!立つな!」

中尉の静止を振り切ろうとするも、中尉は続ける

「まだあいつは3発目を撃っていない!早く戻れ!」

その一言は僕を絶望させるのに十二分なものだった。もうパンツァーファウストは撃てる、戦車の砲はこちらを見ている。ああ、終わった。という絶望感と刺し違えてでも撃破する。というヤケクソ気味の気持ちでパンツァーファウストの発射ボタンを押そうとしたその時、轟音が響く。





―――ローライト達が戦車を発見した頃、今から15分ほど前…


「防衛地区B-4から支援要請、敵T-34一個小隊が接近しているようです。」

「了解、ガソリンは入ってるし向かうとしようか、B-4は第10擲弾兵小隊の担当なのかな?」

「ええ…でも、なんでわかるんです?」

「私に助けを求めるのはあそこの小隊ぐらいだからね、しかし相手はT-34か、ちょっと厄介だね。」

「同じ戦車小隊の他の戦車は修理中ですがそれでも出発しますか…?」

「いや、我々だけでいいよ。出発しよう。前進開始」

「了解」

エンジン音を響かせるIV号戦車G型は一途B-4へ向かう。


「15分か、すぐに着くだろうね。」

「しかし本当に我々だけでよかったのですか?敵は一個小隊、少なくとも3両はいるのですよ?数の上では絶対的に不利ですし、この戦車の砲では相手の正面装甲を貫ける確率は低いです。」

「なるほどね。またお決まりの''数字は嘘をつかない''ってやつ?」

「はい、数字は絶対に嘘をつきませんからね。」

「それはどうかな」

「どういう意味ですか?」

「戦場には数字で説明できないことが沢山あるからね、人によってはそれを幸運や不幸って言う人もいる。」

「ふうん…」

「なんだい?不服そうだね。まぁ、全て理論で説明しないと気が済まない性格の人にはちょっと酷な話だね。」

「……見えてきました、敵戦車です。」

「了解、さっさとやっちゃおうか。――306号車から第8師団司令本部へ。B-4に到着、戦闘を開始します。」

『了解、武運を祈る』

「まずは正面のT-34からやるよ」

「12時方向、距離495、Feuer《フォイア》!」

「……撃破確認。次弾装填してね。」




――生きてる。轟音は確かに聞こえたのに、2本の足は大地を踏み、両手では弾頭が付いたまんまのパンツァーファウストを構えていた。が、目の前のT-34は燃え盛り、砲塔は大地に堕ちている。なぜ、と思っていると背後からエンジン音が聞こえてくる。背後にも敵が、と思った時、卒然兵士が歓声を上げる。

「戦車だ!IV号が来たぞ!」

味方戦車、先程中尉の呼んだ援軍だ。遂に到着して、すんでのところでT-34を撃破したのだ!が、

「中尉、どういうことです!戦車隊を呼んだはずなのに1両しかいません!しかもIV号です!T-34には太刀打ちできませんよ!」

「もう少し遅れていたらお前が死んでいたんだ。文句を並べている暇があるなら手を動かせ。――各員、戦車の援護のため、敵歩兵を攻撃せよ!」

手に持ったMP40で敵歩兵をあしらいながら思う

――絶対にIV号戦車はT-34には勝てない。

この頼りない戦車を頼らなければならないというジレンマが僕の中に渦巻く中、戦闘は続く。




「それじゃあ、次は左のT-34をやろうか。」

「了解、10時方向、距離500、Feuer!」

「命中、だけどまだ動いているね。同目標、砲塔下を狙って、今度は仕留めるよ。」

「照準調整、Feuer!」

「お見事、敵戦車撃破。残り一両だよ。」




平原に爆音が響く。

IV号はやられた……と思ったのもつかの間。正面のT-34が火を吹いていた。

――火力で劣るIV号がなぜ…

いいや、そんなことを考えている暇はない。

正面のT-34は居なくなったとはいえ、左右はまだ押されている。

敵歩兵が稜線に隠れた隙を狙い、イワシュツに提案する。

「中尉殿!敵の注意はIV号に向いています!

右翼のT-34を撃破しに行くのはどうでしょう?」

「良い案だ。行こう。」

塹壕中央の指揮を分隊長に任せ、持っていたMP40を背中にまわすと、両手にパンツァーファウストを持って走っていく。

先行した中尉の後を追って行くと、だんだんとT-34のエンジン音が大きくなってきた…

「もう少し先に行くぞ、塹壕の出口辺りでヤツを迎え撃つ。」

塹壕の右端に着いた。

「ここからだと戦場をほぼ真横から見ることができますね。」

「ああ、T-34共はIV号に火力を集めている。早く援護せねばやられかねん。いくぞ。」

「了解」

その場で持っていた二丁のうち、一丁のパンツァーファウストの安全装置を解除し、その場に置く。

「いいか?絶対に死ぬな。パンツァーファウストは俺とお前のを合わせて四発ある。チャンスは四回もある、生き残ることを最優先事項としろ。」

「はい」

「ではパンツァーファウストを持て。俺は戦車後方から接近する。お前は側面だ。」

「了解しました」

「では、武運をな」

「中尉殿も」

「ああ」


戦車狩りは士官の仕事である。そして士官の死因の多くを占めるのもまた敵の戦車である。

――絶対に撃破して生きて帰る――

伏せて敵に勘づかれないようにしつつ、匍匐前進でごそごそ、もぞもぞと近づく。

装甲が一番薄い上面は飛行機で狙うことも出来なくは無いが、相当難易度が高い。そこで二番目に装甲の薄い車体側面・背面と砲塔側面・背面が戦車の弱点となる。


――側面を撃ち、戦車に載せられた弾薬に誘爆させ、撃破する――

対戦車戦闘のいろはを思い出しながら、ゆっくりと、着実に、敵へ近づく。

その時、またも轟音が響く。音のした方向を見やれば、戦車の残骸が二つに増えていた。

僕の目の前にいる''鋼の化物''も仲間がやられ、下がろうと後退し始めた時、イワシュツの撃ったパンツァーファウストが戦車のエンジンルームに当たった。惜しくも撃破には至らなかったが、そこから火の手があがり、前にも後ろにも動けないようになってしまった。手足を無くした化物にとどめを刺すため、パンツァーファウストを構え、周りを見る。敵歩兵は機関銃に釘付けにされており、戦車の側面はガラ空きだ。

――いける。やる。

伏せた状態からしゃがみの姿勢になり、足を前後に広げて衝撃に備える。

「死ね!ヴァルネ!」

パンツァーファウストの発射ボタンを押し、そう叫ぶ。と同時に戦車は爆発四散した。

……爆音と血と鉄の焦げた臭いとを周りに撒き散らす。

敵の戦車を撃破したのである。途端に、全身から力が抜けていく。すると、撃破された戦車の残骸から二人の乗員が火だるまになりながら飛び出してきていた。一人はなにかを叫びながらのたうち回り、最後には口の中に拳銃を突っ込んで自害した。もう一人はシュルヒマンツィ語を操れるようで、私にも意味がわかった。助けてと叫んでいたが、あいつは敵だ。畜生にかける情けはない。そのうち叫びも動きもしなくなり、辺りに人の焼けるひどい臭いが立ち込めるのみとなった。

塹壕の方向を見やれば、まだ敵の歩兵はMGに釘付けにされていて動くに動けないようだった。

もうここに用はない。中尉と合流して塹壕に戻ろうと思った時、

「やったな!文字通り勲章もんだ!」

「あ、ありがとうございます…」

声にも力が入らず、絞り出すように声を出す。

「なんだ?大丈夫か?」

「い、いえ、ご心配なく…」

「ならいいが…さっさと塹壕に戻るぞ。恐らく敵歩兵は撤退するはずだ。ここは退却路になりうる。」

「了解です…」



塹壕に着いたと同じタイミングで敵歩兵はほうほうのていで逃げ出した。逃げる兵士の背中を撃つMGの銃声が止むと、さっきまで阿鼻叫喚の地獄絵図だった戦場に水を打ったような静寂が訪れた


中尉は戦車隊に礼を言いに行くらしく、私もそれに同伴した。戦車隊の車長と思しき人物が戦車から降りてくると、中尉が口を開く

「よぉ、久しぶりだな、シェロナー。」

「ヴェルクト=コンラート作戦以来かな?」

「そのぐらいかもな。相変わらず戦車の扱いがうまいな。今どきIV号でこんなに活躍できるのはお前ぐらいだ。」

「そう言ってくれて嬉しいよ。そっちは?切望してた副官とやらかい?」

「あぁ、ローライトだ。なかなか見込みがある。」

――この人から褒められるとは思っていなかった。中尉から呼ばれた名に咄嗟に反応して自己紹介をする。

「ローライト=フェルゲンです。所属は第10小隊、階級は准尉、士官候補生です。」

「うん、よろしく。しかし昔のイワシュツを見てるようで微笑ましいね。」

「口は災いの元って知ってるか?」

「ふふふ、ごめんごめん」

「中尉と……その方、シェロナー殿はどのような関係なのですか?」

「士官学校の同輩だ。こいつは戦車科、俺は歩兵科に進んだから一緒にいたのは2年と10ヶ月ぐらいだが、入学後すぐに馬が合ってな、それ以来の仲だ。」

「おっと、私からの自己紹介がまだだったね。

名前はシェロナー=ヴェルクック、階級は大尉でこいつの車長をやってるよ。」

そういうとIV号戦車を指さした。砲塔横には【306】と大きく描かれていて、これは第8装甲師団麾下のどこかの戦車連隊に所属する306号車であることはひと目で分かった。すると、

「車長!PzGr.39の残弾は10発、PzGr.40は残り3発です。」

ハッチから私と同じほどの年齢と思しき男が出てきた。

「了解、君もこっちに降りてきて。――紹介するよ、キムンスト=カールだ。」

「はじめまして。キムンスト=カールと申します。階級は准尉、士官候補生です。306号車では砲手を務めています。」

「ローライトです。同じく准尉を務めてます。よろしくお願いします。」

「イワシュツ、中尉だ。ここの小隊長をやってる。しかしこのキムンストというやつは昔のシェロナーによく似てるな…」

「そうかな?」

「いや今のは意趣返しのつもりだったんだが…」

「あぁ、ごめんごめん。」

「まぁ、お前にも副官ができたのは喜ばしいことだ。今度酒でも持ってってやる。」

「わかった、ありがとう。」

「それと……―――」

久しぶりの邂逅に話の尽きない上官二人をさしおき、先程の砲手に質問をする。

「あのー…」

「?」

「質問なのですが、306号車は連隊本部に帰還なさるのですか?」

「いえ、しばらくここに残った後、帰還します。敵が再攻撃を仕掛ける恐れありとの報告がありましたので。」

「そうなのですね。先程は…どうもありがとうございました。あのままでは木っ端微塵になっていました。」

「あぁ!あれは貴方だったのですか!」

「ええ、お恥ずかしながら…」

「本当は次の弾で仕留めるつもりが有効打になっていたようで…

でも命を助けられたのなら良かったです。」

「本当に本当にありがとうございます…!」

「いえいえ、これも戦争に勝つ為ですからね。『悪辣ソアバールに勝利するためには一に団結、二に協働』とラジオでも言っていましたから。」

「そうですね。お互いに頑張りましょう」

そういうと二人で握手をした。

のちに戦友となるキムンストとの出会いはこのようなものであった。―――

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神の掌の上 いわし @aeiueoueoaiaiueo

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