第5話 ~side 僕~
暑くなってきたから。
夏が始まったから。
レモネードの季節になったから。
……キミの季節になったから。
僕はフラリといつもの喫茶店に立ち寄った。
座る場所はもちろん、入口から一番遠い、いつもの窓際のテーブル席。
今日こそはレモネードを飲もう、と意気込んで入ったものの、いざとなると躊躇してしまう。
こんなセンチメンタルな気分でレモネードなんか飲んでしまったら、泣いてしまうんじゃないかって。
マスターもママさんも、長い時間をかけてメニューとにらめっこを続ける僕を、決して急かしたりはしない。
有り難いことだ。
だからいつも、長い時間僕は迷ってしまう。
今日こそレモネードを頼もうか。
お腹も空いているから、軽食も頼もうか。
でも、軽食を頼むならレモネードじゃなくて、やはりコーヒーだな。
なんて。
そうしていつものように迷っていると、突然目の前のテーブルがコトリと小さな音を立てた。
顔を上げると、テーブルの上に置かれていたのは、注文していないはずのレモネード。そばにはママさんが立っている。
「え? まだ注文していませんが」
ママさんが間違うなんて珍しいこともあるものだと思いながらそう告げると、ママさんが言った。
「あちらのお客様からです」
ママさんの手の先にいたのは、キミ。
キミの姿を見つけた時の僕の気持ちが、キミに分かるだろうか。
キミは少し緊張した面持ちでゆっくりと近づいてくると、僕に言った。
「ご一緒しても?」
僕のカラになった頭は、無意識のうちにコクリと頷いていた。
レモネードが置かれたテーブルを挟んで、キミと向き合う。
僕の向かいの席にキミが座っている。
見慣れた光景だったはずなのに、やけに新鮮に感じる。
レモネードが一杯しか無いからだろうか。
「それ」
手つかずのレモネードにチラリと目をやって、キミが言う。
「飲まないなら私が飲むけど」
「飲む、飲む!」
慌ててグラスを手に取り、ストローを咥えて吸い込む。
とたんに、脳天に響く冷たい刺激。
続けて、口の中に広がる酸味。
そして、口の中に残る甘さ。
ふふっと笑ってキミが言った。
「無理しないでいいのに。好きじゃないでしょ、レモネード」
「最初はね、苦手だったよ、正直」
いつの間にか、ママさんはカウンターの中へと戻っていた。ここは今、キミと僕の二人だけの空間。
「でもね。クセになっちゃったんだよね、いつの間にか」
レモネードは、キミなんだよ。
僕にとっては、ね。
「無いと物足りない。もう会えないと思うと、無性に会いたくなる。会おうと思えば会える。だけど、思い出してまた苦しくなるのが、怖かったんだ。今でも、キミが好きだから」
何を今更。
そんな風に切り捨てられても仕方がないと思った。だけど、これはきっと神様が僕にくれた、ラストチャンス。だから、ありのままの僕の気持ちをキミに伝えた。
「何よ、今更……」
怖くて顔を上げられない僕の耳に届いたのは、覚悟していたはずの言葉。だけどそれは、予想以上に僕の胸を抉った。
そう、だよね。
さすがに遅すぎたか……
あきらめかけた時。
「すいませーん! レモネードもうひとつください!」
キミの元気な声が店内に響く。
「やっぱり夏は、コレよね!」
ママさんが運んできてくれたレモネードを、キミが美味しそうに飲む。
その顔に、僕たちの関係がもとに戻った事を感じ、全身に安堵と幸福感が巡る。
「チェリー、あげようか?」
「ううん」
そこはまだ、もとには戻っていないのかと落胆する僕の隙を付いて、キミが僕のチェリーを奪い、口の中へと放り込む。
「チェリーはね、あなたから取るのが好きなの」
「なんだよそれ」
あははと笑い、キミがストローを奥まで差し込んで思い切り吸い込む。
ズズズと、お行儀の悪い音が鳴る。
上目遣いに僕を見るキミ。
僕に止められるのを待っているんだね?
そう思いつつも、僕もストローを奥まで差し込むと、負けじとズズズと音を立てて思い切り吸い込んだ。
夏が来たね。
キミがいる夏が。
今年は何杯レモネードを飲むだろうか。
キミと一緒に。
楽しみだな。
【終】
lemonadeの夏 平 遊 @taira_yuu
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