『雨の帰り道』

小田舵木

『雨の帰り道』

 梅雨時ってのは雨が降る。天気予報も雨だって言ってたっけな。

 なのに傘を持たずに出かけてしまった俺。

 仕事が終わって気付いた。外は土砂降りなんだって。

 

 ああ、うかつな事したよな、って思って。会社の玄関で立ち尽くす。

 脇を見れば傘立て。ビニール傘がたくさん刺さっていて。

 一つ拝借してやろうかと思ったのだが…まあ。そんなんは出来ねえ。傘パクなんて大人のやる事じゃねえ。

 

 暗くなった空から。大きな雨粒が降り注ぐ。

 雨粒が地面を叩いて。水しぶきが足元を濡らす。

 迷っている場合ではない。さっさと雨宿りするか、帰るか決めてしまわなければ。

 

 雨宿りをすれば。帰る時間は確実に遅くなる。雨が止む保証もない。

 そもそも。定時を迎えた俺は。会社に一秒だって居たくない。

 …覚悟は決まって。俺は傘を差さずに雨の中、帰ることにする。

 

                  ◆

 

 スコールみたいな雨が降ってる。

 その中、傘を差さずに帰る俺。最高に惨めだ。

 頭に容赦なく降り注ぐ雨。自ずと視線は下がる。

 地面に当たって弾ける雨粒。そいつが俺のズボンを濡らす。

 ズボンの裾が濡れて重たくなって。足は進まない。

 だが。俺はいち早く家に帰りたい。だからこの雨を突っ切ろうと考えた訳だ。

 

 会社の玄関から数十メートル。後ろを振り返れば工場がある。

 その工場で。クソみたいな仕事をしているのが俺だ。

 ギリギリ時給4桁台。割に合わない給料。だが。そんな仕事に就いちまったのが俺だ。

 仕方がないじゃないか。メシを食うためには働かなければならない。何時までも親のスネはないのだ。

 今日だって。あのクソみたいなライン作業を8時間やって。8000円強稼ぐのが精一杯。

 ああ。何でこんな人生送ってるんだろうか。もうちょっと稼げる仕事をしていたかった。

 そんな事を考えている内に横断歩道。この横断歩道。毎朝渡るのが憂鬱だ。

 それを引き返しているんだから、少しはハッピーな気分で居たいのだが。生憎の雨。

 その上、タイミング良く赤信号が灯って。俺は雨の中立ち尽くさなければならない。

 

 信号待ちの間に。俺はどんどんびしょ濡れになっていく。

 いい加減、シャツが重い。まるで鎧みたいに体に張り付いていやがる。

 いち早く家に帰って。シャツを洗濯機に放り込みたい。だが。家まではまだまだあるのだ。

 

 1分ほど立ち尽くせば、信号は青に変わって。

 ようやくコイツを渡れるな、って思いながら、横断歩道を渡る。

 その際に傘を持ったスーツの男とすれ違う。ホワイトカラー。俺が成れなかったモノ。

 彼は哀れな目線を俺にくれる。大雨の中、傘を差さずに帰っている俺を憐れむ目だ。

 余計なお世話だって言ってやりてえ。だが。そんな言葉には意味はない。俺の被害妄想だ。

 

 横断歩道を渡りきって。

 俺は住宅街の中に入っていく。この住宅街を抜けて駅まで行かなくてはならない。

 ああ。帰り道は始まったばかりなのだ。

 

 住宅街をしばらく歩けば中学校があって。

 俺はここを通る度にうんざりした気持ちになる。

 なにせ。中学生は希望で溢れてやがる。それを見ていると羨望と失ったモノへのどうしようもない感情が溢れてくるからだ。

 そう。俺はもう若くない。30を越してしまった。

 この超高齢化社会に於いてはまだまだ若造だが、生物学的には中年だ。そろそろまともな人生を歩まなければならない。

 なのに。時給ギリギリ4桁台で、しょうもないライン作業をしているのだ。

 将来への不安しかねえ。貯蓄なんて出来ねえし、転職するガッツもない。

 

 ああ。さっさと通り過ぎよう。

 俺は中学校ってハコを見てると、どんどん暗い方向にモノを考えてしまう。

 

 中学校を通り過ぎれば。大きめの公園。

 ココは俺のオアシスだ。ココでの仕事上がりの煙草が至福なのだ。

 だが。今は生憎の雨。どうしたものかと考える。

 雨の中、煙草に火を着けようが消えるのがオチ。でもニコチン切れの俺は煙草が吸いたい。

 

 結局、コンクリで出来た山の遊具のトンネルに入り込む。

 大人も入れるサイズで良かった。

 しばしの雨宿り。そして9時間ぶりの煙草。びしょびしょの鞄にしまっていた煙草の箱は湿気っている。

 中身の煙草も湿気っていて。火がなかなか着かない。が。フィルターを全力で吸い込んで、無理くり火を着けた。

 ああ、ニコチンとタールが頭に沁みる。

 モヤがかっていた頭がクリアになる感覚。

 やっとひと心地つけた。だが。今はまだ帰り道の途中。ここで寛いでいては家に帰れない。

 俺はトンネルの外を見やる。

 雨はまだまだ止みそうにない。駅までは後半分ってトコロ。

 濡れて重くなった服を整えて。俺はトンネルの外に出る。

 

 後ろ髪引かれる思いでオアシスの公園を後にして。

 俺は駅まで急ぐ。住宅街の中を。

 いくらかの人間とすれ違う。みんな、俺と違って傘を持ってる。

 まったく。こんな日に傘を持ち歩かないバカは俺だけらしい。

 スーツの女、学生服の男、主婦…みんな、傘を差さない俺を哀れな眼で見てきやがる。

 そんな視線をくぐり抜けて。住宅街を抜けて。駅の前の道路に出る。後はコイツを辿たどって駅に走れば良いだけ―っと。そういやこの通りにはコンビニあったっけな。傘買えるじゃんか。

 だが。俺は貧乏人で。ビニ傘一つ買うのにも躊躇してしまう。

 歩きながら1分の逡巡しゅんじゅん…もう濡れてるし良いか…

 俺は傘を諦めて駅に向かって。

 

 数分を経て駅に着く。

 体はびしょ濡れ。髪からは雨水が滴る。

 駅の入口の階段をトボトボ上って。改札を潜って。

 濡れた体を震わせながら、ホームで電車を待つ。

 周りの視線が痛い…が。俺のお仲間は居る。俺と同様に傘を持たずに駅まで歩いてきたヤツは居る。

 俺はソイツを生暖かい眼で見て。でも着ている服はスーツで。

 結局、俺の仲間は居ないんだなあ、って思う。

 

 十数分待てば電車が来て。

 俺はびしょ濡れの体を車内に押し込む。

 そしてまたもや奇異と哀れみの視線を寄越されて。

 いい加減、そういう視線にうんざりして。

 顔をうつむけて目をつむる。

 数駅分、電車は揺れて。俺は最寄りの駅で降りて。

 最寄りの駅の改札を抜けて。

 駅の側のスーパーに寄って、割引された惣菜を買って。

 買い物袋の口を縛って。またもや雨の中に突っ込んでいく。

 最寄り駅から家までは人通りが少なくて。

 俺は遠慮なく雨に打たれて。

 ある映画のように雨の中で踊り歌う妄想をしながら、家路を急ぐ。

 

 十数分、新幹線の高架下を辿って。

 やっとの思いで家に帰って。

 玄関を開けて。風呂場に行って。そこで服を全部脱いで。洗濯機に放り込んで。シャワーを浴びて。

 ようやく、びしょ濡れから開放される。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『雨の帰り道』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ