治ってから

 普段通り、バスケ部は体育館で練習をしていた。青春の汗が迸るこの空間は、僕のように暗くジメジメとした人間は相応しくないし、決して相応しい人間になりたいとも思わない。



 だから、とっとと話をしよう。僕に出来ることは、ただそれだけなのだ。



「松原先輩! がんばってぇ!」



 練習を見物する数人の女子生徒。制服を着ているのを見る限り、彼女たちはその松原先輩とやらのファンか何かだろう。貴重な放課後を使ってまで他人の活躍を見学するバイタリティには呆れる一方で、確かに同じ学校の先輩の推し活なら金もかからずリーズナブルで悪くない趣味なんじゃないかとも思った。



 さておき。



 黄色い声援を受けて走るのが松原先輩。もとい、鯨井が告白した噂の先輩だった。遠目に後ろ姿しか見えなかったから知らなかったが、確かに端正な顔付きをしている。憧れられるに足る容姿というのは、嫉妬も起きないほど整っているようだと俺は思った。



「松原先輩、少しいいですか」



 俺は、休憩時間に入ったバスケ部の中へ入っていくと彼へ声をかけた。後ろには鯨井。歩いている間は俺のシャツを指先で掴み、今はきっと腹の前で握って恐怖を堪えているのだろう。



「なんだ?」

「単刀直入に言います。俺の恋人にあらぬ噂がたっています。あなたに恋をしているという噂です。御存知ですか?」



 すると、松原はタオルで汗を拭きながら周りの部員たちとヘラヘラ笑う。背後からは、まるで失神でもしたんじゃないかってくらい大きく息を吸い込む高い声が聞こえた。



「お前の恋人? メグがか?」

「えぇ、その通りです。なにか問題がありますか?」

「いや、あり得ないだろ。見たところ、お前とメグはちっとも釣り合ってないぜ? この貴重な休憩時間にわざわざやって来てそんな話をするだなんて、まさかメグの弱みにつけ込んで手に入れようとでもしているのか?」



 まさか、三流のざまぁ系に出てくる頭の悪そうな悪役みたいな煽りをリアルで聞くことになるとは思わなかったな。人は中身という俺の信念が、より一層強固になったような気がした。



「僕の考えは……。まぁ、どういうふうに考えてもらってもいいです。ただし、その噂で彼女が被害を被っていることは確かです。要件とは、その噂をこの場で直ちに否定してもらいたいということなんです」

「はっ。俺がメグの気持ちを否定したって意味がないだろう。俺が何を言おうと、そいつの気持ちに関係はない」

「いいえ、出来ます。彼女がバスケ部をやめてから少しも関わりがないと言えばいいだけです」

「……なに?」

「証拠の無い情報に踊らされる連中は、あなたのように影響力のある人間の言葉を鵜呑みにするモノです。あなたが否定すれば、彼女の不安は収まることでしょう」

「なにを勝手なことを言ってるんだ、お前は」



 松原は俺の胸ぐらを掴んだ。



「あまり調子こいたことを言ってるんじゃないぞ。大体、メグが中学の頃から俺のことを好きだってことは大勢が知ってる話だ。なんせ、俺を追って女子バスケ部にまで入ったんだからな」

「前はそうだっただけで、今はそうではないということです。というか、何をそんなに嫌がる必要があるんですか? 僕の頼んでいることは、あなたにとってそんなに難しいことではないと思いますが」

「お前の態度が気に食わねぇんだよ、下級生。頼むんなら、相応の姿勢が必要なんじゃねぇのか?」

「僕が土下座でもすれば、あなたの地位は更に確固たるモノになるという話ですか。まったく、自己顕示欲のお化けというのは厄介な存在ですね」



 ピキリ、彼のコメカミに青筋が浮かび上がる。



「もう一度言います、鯨井の噂を否定してください」

「その口の聞き方がムカつくって言ってんだろうがよ!?」



 ならば、僕にも考えがある。言ってもわからない人ならば、他の方法を取る他にあるまい。



「調べてみると、フッてもしつこく付き纏ってくるという話まで出回っているようです。しかし、あの日にあなたたちの出来事を見ていた者はいません。要するに、鯨井が流した情報ではなければ必然的にあなたということになります」

「なぜそんなことが分かる!? どこかで見ていた人間の仕業の可能性もあるだろ!?」

「ありません、僕は一部始終を上から見ていました。現場の周りに、人の目がないこともです」



 松原は、口をパクパクさせながら僕を見ていた。



「大方、人気者になった彼女を自己顕示欲のために活用したといったところでしょう。男子人気の高い鯨井が惚れている、しかもフッてもしつこくされると聞けば、あなたの商品価値は高くなる。僕にはスクールカーストの社会は分かりませんが、それも上位に立つ者にとっては必要なことなのでしょう。一定の理解はありますよ」

「お、お前……っ」

「しかし、それは完全なる嘘です。なぜなら、鯨井はあなたにフラレた翌日からギャルになり、それ以降ずっと僕と文芸部室で過ごしています。証人は僕だけではありません、高町先生や彼女の友達もその事実を知っています。そんな中で、どうやってあなたに付き纏うというのですか?」



 胸ぐらを掴む彼の手を握っても、握力は遠く及ばない。



「問題は、なぜあなたが嘘をついてまで自分がモテるという話を貫くのかという話ですが。恐らく、フッてもしつこく付き纏われているというのは嘘じゃなかったのではないですか?」

「な……っ」

「ハッキリ言って、鯨井の愛し方は異常です。自分のコンプレックスか目を逸らし、憧れて忘れようとするあまり周囲に目を向けられずぶっ飛んだことをする女です。そんな彼女が、あの日にまで一度も告白せず黙っていたとは考えにくいです。恐らく、今までに何度か同じようなイベントがあなたと鯨井の間にはあったのでしょう」



 しかし、彼のシャツを掴む力は間違いなく弱まっていた。



「少なくとも、彼女の告白は一度や二度ではなかったハズです。それが、あなたの心からの安心になっていたんじゃないかと僕は考えました」

「あ、安心?」



 鯨井が言う。いつの間にか、隣で練習していたバドミントン部もネット越しにこちらを見ていた。



「きっと、あなたに告白する女子は何人もいるのだろうと思います。鯨井本人も『叶わない恋』であると言っていましたし、あなたが人気者であることは周知の事実です。そこにも、黄色い声援を送るファンたちがいますからね」



 無論、容姿は鯨井に遠く及ばないが。



「そして、それだけ多くの選択肢があれば当然一番いい女子の中から恋人を選ぼうとするのが人情というモノです。ただし、なんの保険もなしに別の女子からの告白を待ち続けられるワケがないというのも人情です。松原先輩。ひょっとすると、鯨井の告白はあなたの安全マージンになっていたのではないですか?」



 要するに、どれだけ女子をフッて失敗したとしても、最後には美少女の鯨井が自分のことを永遠に好きでいてくれるのだから選定の機会は無限であると松原は考えていた。それが失われるのを嫌って、会いに来なくなった鯨井が自分を好きだという噂を流したというのが俺の推理だ。



「愛の重い彼女と関係を結ぶことは、あなたの女遊びに歯止めをかけるファクターとして充分です。しかし、彼女が持つ美貌が素晴らしいこともまた事実。ですから、あなたは彼女からの告白で自己顕示欲と安心を満たしつつ、更なる可能性を探り続けてドツボにハマってしまった。女遊びの行くつく先とは、こういうことなのでしょう」

「て、テメーっ! 勝手なことを抜かすな!! 俺がそんな不誠実な人間だとでも言うのか!? 名誉毀損で訴えるぞ!?」

「しかし、松原先輩。あなたには恋人がいませんよね?」

「な、何を根拠に!?」

「だって、恋人がいるなら鯨井の噂をまっさきに否定するハズじゃないですか。彼女のヤンデレを知っているあなたにとって、鯨井の恋心はあなたの恋人に対するあまりにも不誠実極まりない噂でもあります。否定しないことは、もはや裏切りと言っても過言ではないことになるでしょう」



 胸ぐらが離される。周りで見ていた生徒たちは、ヒソヒソと話を始めた。



「これが意味することはなにか。会いに来なくなった鯨井を繋ぎ止めておこうとした理由はなにか。考えられる理由は一つ。鯨井は、あなたに告白してきた女子の中で、松原先輩。あなたにとって一番価値のある女子だったということです」

「お前……っ。お前は……っ!!」

「松原先輩。ひょっとして、あなたも鯨井を好きだったのではないですか?」



 その額に滲むモノは冷や汗なのだろうか。後ろをチラリと見ると、そこにはもう、なんの憂いもない晴れやかな泣き顔で俺を見つめる鯨井の姿があった。



「だから、僕はあなたを自己顕示欲のお化けだと言ったのです。愛や恋よりもプライドに重きをおいている雄なあなただからこそ多くの女子に慕われているのでしょうが、実態は鯨井メグという保険に守られていただけの薄っぺらな虚勢です」

「ち、違う……っ」

「しかし、あなたが鯨井からの好意の噂を否定しないということは、あなたが他の女子の価値を否定していることにもなるのです。その事実を知った周囲がどんな反応を示すかは興味ないことですが、あなたが大人しくお願いを聞いていてくれたのならこんな僕の世迷い言が体育館を支配することもなかったでしょう」



 松原は、顔面を真っ青にして横に首をふる。爽やかさとキラキラしたスタイルを貫いてきたであろう彼にとって、腹黒い内側を晒されることは望む話ではなかっただろうが――。



「しかし、鯨井メグは僕の女です。下らない噂を流して、彼女を悲しませないでいただきたい」



 そして、冷ややかな視線に後ずさる松原に背を向けて僕は体育館から出る。そのあと、遅れて部室に戻ってきたことから察するに、鯨井も彼に何かを告げたようだったが。僕は、そのことについて彼女を問いただす気もない。



 けれど。



「んふふ。鏡花って、本当にあたしのこと大好きなんだね」



 そう言った彼女の笑顔は、あの日、クラスのど真ん中で嘘をついた笑顔と同じモノだった。



「失恋のこと、バラして悪かった。ごめんね」

「うぅん、いいよ。だって、今は鏡花がいるんだから」



 × × ×



「鏡花、早くしてよ」

「ま、待ってくれ。僕が体力のない人間なのは知ってるだろ」

「知らない。ほら、早く」



 言って、あたしは鏡花の手を引きズンズンと夜の山道を登っていく。ゼーゼーと情けなく苦しそうな息を吐く彼だけど、このペースでは一番いい景色に間に合わないので仕方ない。



 あたしは、鏡花と今日訪れる流星群をこの街の一番高い場所から眺めたい。この願いへカレシを強引に付き合わせることが悪いことだとは、もう微塵も思わなかった。



「おんぶしてあげよっか?」

「い、いや。いい。いくら僕でも、そこまでみっともないマネは出来ない」

「だったら、ほら! 頑張ろうよ!」



 要するに、ヤンデレという病は『あたしだけを愛してくれそう』という勝手な思い込みの気持ちの暴走なワケで、逆説的に自分だけを愛してくれそうにない強い男には発揮されないモノなのだ。



 きっと、あたしは松原先輩の弱い心を見抜いていた。というか、あたしだけではなくどの女の子も無意識のうちに彼の本質に気がついていて、だからこそ眺めているだけのファンではなく告白する恋人になろうとしたのだと今になって思う。



 女には、そういうセンスが身についているのだろう。女の直感が当たるというのは、雰囲気や言動から察する防衛本能に基づいた理由があるのだろうとあたしは今回の件で思い知った。



 ……鏡花は、本当に強い男だ。



 目的のためにひた走ることが出来る人間というのは、つまり成功体験という経験を信じているのだと彼は言う。



 ならば、本来はヤンデレのあたしにとって強い男というのは惚れる対象にならないのが筋だけど。逆に言えば、鏡花を好きになった時点で本当はヤンデレでなくなっていて。だから噂を知るまでの言動や愛し方は、それしか知らなかったあたしの不慣れな部分が露呈しただけなのだそうだ。



 ……けれど、本当はそんなワケがない。ただ、鈴木鏡花という男がどんな人なのか知らなかっただけというあたしの認識不足のせいで彼を疑って。



 そんな狂ったあたしを、彼は信じてくれた。だから、あたしは普通に戻ることが出来たのだ



「ぜー……っ。鯨井。頂上はまだなのか?」



 しかし、あたしは返事をしない。



「め、メグ」

「なぁに?」

「頂上は、まだなのかって」

「もう少しだよ」



 鏡花に名前を呼ばれるたび、あたしに自信が満ち溢れる。必ず苗字でしか人を呼ばない彼が、あたしだけを名前で呼んでくれる。恋愛嫌いな彼が見せてくれる、たった一つの恋の証。



 それが、あたしが前を向いて生きていられる理由なのだ。



「一つに縋るなって、言ったハズだろう」

「いいじゃん。どうせ、鏡花はあたしを裏切らないんだから」

「ぐ……っ」



 だから、あたしは鏡花が憧れたあたしでいようと思った。嘘をつき、みんなを騙そうと思ったあたしでいようと思った。あたしからしてみれば、そんなのってみんなに対する裏切りでしかないけど、その裏切りこそが鏡花があたしを助けてくれた理由なのだから、大切にしてみてもいいと思ったのだ。



 あたしは、ヤンデレじゃない。かわいいと思われなくてもい。結ばれることに、それは些末だと知ったから。



「ほら、ついたよ」



 空を見上げる。



 そこには、既に流れていた無数の星。一つ一つが光の線を描き、遥か彼方へ消えていく。前のあたしならば、そのすべてに鏡花との永遠を祈ったのだろうけど、今はそんなことはしない。



 鏡花はあたしのモノだ。あたしが、あたしの魅力で抱えておく男だ。何よりも大切な彼の心を、星や神様に願うだなんてありえない。



 だから――。



「な、何を願ったんだ? ここまで来たからには、何か願い事があるんだろう?」



 あたしは、あたしよりも小さな体を背中から抱き締めて耳元で答えた。



「これからも、鏡花の人助けが成功しますように」

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【中編】ヤンデレギャルを治すラブコメ 夏目くちびる @kuchiviru

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