病んだ後
つまるところ、前編の冒頭は一種の叙述トリックである。
もう既に分かっていることだとは思うが、僕が唐突に一人芝居を始めた時点で鯨井は既にヤンデレと化していた。もっと言えば、僕のせいで鯨井はヤンデレを開花させてしまったワケで、ならば犯人の一人は完全に鈴木鏡花その人なのである。
これは、犯人と探偵を同時に努める非常に恩着せがましいマッチポンプな男子高校生と可哀想な女子高生の物語だ。
……まぁ。
簡単な解決方法として、彼女に身を任せて爛れた青春を謳歌することが挙げられるのだろうけど、もちろんそんな猿みたいな浅い解決方法など誰も望んでいない。
果たしてどうすべきかと手をこまねいている間に、こうして二年になった今でも鯨井は文芸部室に住み着いているのだった。
「えへへ、鏡花ぁ」
ハッキリ言わせてもらうが、僕はヤンデレが好きじゃない。先に語ったとおり強い女が好きだから当たり前といえば当たり前だから、僕のことしか考えないような女に憧れていられるハズもない。僕はリスペクトを欠いた関係などクソ喰らえと思っているのだ。
要するに、憧れた女にはかくも強くいて欲しいと願うことこそ、僕の行動原理なのだよ。
なんて、クソくだらない言葉遊びと妄想をしてからパタリと本を閉じる。ゾクゾクと感じる視線に根負けして前を向くと、そこには窓辺に寄り掛かりニコニコしながら僕を眺める鯨井メグの姿があった。
かわいいね。
でも、こわいね。
「ここは文芸部なんだから本を読みなさいよ」
「鏡花はあたしのバイブルだからいいの」
絶妙に言い返せない反撃に、僕は苦笑いしか返せず静かに思考を巡らせた。
以下本編。
根本的な話、人が自信をつけるためには成功体験が必要だ。
つまり、この問題の答えは『鯨井メグを成功させる』ことであり、僕の目的とはそれを考えることにある。ただ、ならば、鯨井を何に成功させればいいのだろうか。ここがこの物語の核になってくるのだと僕は考えている。
「そもそも、成功ってなんだよ」
金持ちであることは、成功とは言えない。なぜなら、生まれながらに金持ちの人間は功を成さずとも金を持っているからだ。美人な女も同様。美人だからといって、それは最初からあったモノを輝かしているにすぎない。
しかし、貧乏から金持ちになることは成功であるといえるし、ブスから美人になることも成功といえる。つまるところ、成功とは行動の結果を形として得ることにあるのだろう。
ならば、必要なのは一度目の勝利だ。僕は、まず間違いのない、鯨井の根幹を担うことになるであろう確固たる勝利の正体を知りたかった。
「僕と付き合ったら、鯨井は満足するのか?」
「うぅん。だって、鏡花はカノジョいらないんでしょ? あたしは、あたしだけを見ていてくれるなら関係なんてどうでもいい。重荷になるのなら、証拠なんていらない」
ややこしいことこの上ない。
あの時に大人しく、鯨井みたいなキラキラした快活な美人に元気づけてもらえるなら、一緒に楽しく笑っていられるなら、そういう女子は是非ともカノジョにしてみたいとでも言っておくんだった。
「そんなことよりさぁ」
「言うほどそんなことか?」
「いや、鏡花があたしのことを大好きで大切に思ってくれるのは分かったからさぁ。ほら、別の楽しい話とかしたいじゃん? そんなに考えてばっかりだと、頭パンクしちゃうかもよ?」
誰のためにこんなに知恵を練っていると思っているのか。そんな思いをかき消し、ため息をついてから鯨井を見た。
「残念だけど、楽しくない話をしよう。あなたは、なにか一つくらい好きなモノはないのか?」
「鏡花が好き〜」
「僕以外で頼む。別に、僕なんてあなたが回復すればいつだって手に入る取るに足らない男だ」
「うへへ〜。なによ〜、付き合う気もないのに嬉しくさせないでよ〜」
やはり、腐っても陽キャ。僕のようにやっかみを心の奥底に秘めていくワケでもなく、思ったことは口にするらしい。匂わせがイヤというのは、どうやら男女共有の悩みであるようだった。
無論、鯨井がそのことについて悩んでいるようには毛ほども見えなかったが。
「まずは、鯨井が何をしたいのかを探さないといけないのか」
「……あのさ。それって、鏡花のお手伝いじゃダメなの?」
まるで、狐に摘まれたような気持ちになった。
「あたし、鏡花の優しいところに惚れたんだよ。だから、ヤンデレ? 的なあたしの愛し方を治すのに自信が必要ならさ、一人で生きるのが好きな鏡花の真似をしてみるのがいいんじゃないかって思うんだけど」
時々、鯨井の賢さに驚かされる機会がある。ならばこそ、俯瞰的に物事を見る力自体は身についているのに、なぜ自分の惚れ方が異常なことに気づかないのかは非常に不思議なところだ。
「それで自信がつくなら是非ともやっとくれ」
「鏡花のためになっちゃうよ〜」
残念ながら、こんな会話は僕たちの物語に何も影響を及ぼさない。いくら語ったって進展しない話を長々としていられるほど、中編の物語に余裕など無いというのに。
「そんなこと言わないでさ、あと五千文字くらいたっぷりイチャイチャしようよ」
「ダメだ、このパートは一行で終わらせてくれ」
そんなワケで、サクッと対応を終わらせて(本当に五千文字甘えてきたから割愛)僕たちは高町先生の元へ向かった。どうしてもよろしいアイデアが浮かばないのだ。普段は聞く側の僕だから、たまには相談する側にまわってもいいだろう。
「だったら、保健室に来る女の子をそっちに回してもいいかしら。ひっきりなしに来るから忙しいのよ」
「女子、ですか」
「メグちゃんがいるなら、女の子の相談だって聞けるでしょ? 鏡花君、恋愛相談って聞くと露骨に嫌な顔するから『助けて〜』って言えなかったんだもの」
鯨井は僕を見てニタニタと鼻の下を伸ばした。大方、自分が特別扱いされていたのだと邪推したのだろうが、フラレた翌日の元気な嘘に惹かれて助けてあげたいと思ったのは確かなので皮肉を言うのはやめておこう。
「女子が鏡花のことを知るのは望むところじゃありませ〜ん、嫌で〜す」
「いいえ、先生。ちっとも嫌じゃないです。彼女は少し熱があるんです」
「恋の熱で〜す」
「熱いのねぇ」
「本当に恥ずかしいのでやめてください」
翌日。
果たして、この展開を誰が予想できただろうか。
「きゃはは!」
「てかさ〜」
「えぇ? マジぃ?」
このクソ狭い文芸部室には鯨井の友達が屯し始め、ギャルのたまり場となってしまっていた。恐らく、彼女たちは保健室に生息していたのだろう。それを高町先生が紹介したお陰でこうなってしまったといったところか。
「帰ってくれ、ここは追い詰められた男子の最後の行き場だ。あなたたちのようなキラキラした女子が立ち入っていい場所じゃない」
「あなた(笑)」
「でも、ウチら相談者だも〜ん。ここに来たら解決してくれるって聞いたも〜ん」
「だったら、そのスマホ弄りをやめて一人ずつ真面目に話してくれ。僕がなんとかするから」
そんなワケで、翌日からの僕はギャル共の悩みを片っ端から解決するために働くこととなった。どいつもこいつもまぁ、カレシが最近かまってくれないだの、浮気されてるかもしれないだの、告白の仕方が分からないだの。頭ピンクの恋愛相談ばかりを持ち込みやがった。
なんなんだ、この学校は。
どいつもこいつも恋煩いで悩んでいなさる。恋愛嫌いの僕からすれば、非常に厄介というかやる気が出ないというか。とかく、絶望的にやる気の出ない依頼ばかりで僕はいつもの五倍も余計に疲れていた。
「この学校には伝説の恋愛物語があるからね、みんなそれに憧れて恋したがってるんだよ」
「伝説?」
「月野さんっていうお嬢様の話、知らないの?」
「……僕の知ってる月野先輩は男だ」
そういえば、カケル先輩のお姉さんは有名人だと聞いたことがあったっけ。彼が人助けを始めたのも、もっぱらそのお姉さんのカレシに憧れたのだとか。
「人に注目される恋愛をやらかすだなんて、考えただけで寒気がする。それに、伝説に憧れたって普通の奴はその月野先輩みたいな恋愛なんて出来るワケもない」
「なんで?」
「普通だからだ。大体、大恋愛にだって別れは訪れる。大方、その二人だって今じゃ離れ離れになってるに決まってるだろう。高校生カップルが結婚する可能性なんて数パーセント程度らしいぞ」
「鏡花は寂しい人だねぇ、あたしが心を温めてあげないとねぇ」
「……調べ物をしてから帰るから、先に行っててくれ」
まったく、死ぬほど厄介な伝説を残してくれたモノだ。その月野先輩のカレシは、どうやら高槻という男らしい。今は町家の繁華街で居酒屋をやっているらしいことを知ったから、文句の一つでも言いに行ってやろうと考えたのだ。
僕は、夕方の店の扉をガラリと開いた。中にいたのは、仕事終わりのサラリーマンが何組かとやたら美人な女将さん。そして、会計をしている清潔感の塊みたいな三十代くらいのお兄さんだった。
この人が、厄介な伝説を残した先輩なのか。目が異常に鋭いくらいで、意外と普通の人だと思った。
「こんにちは、はじめまして。僕、西城高校に通っている者です。高槻さんというのはあなたですか?」
「そうだよ。どうも、いらっしゃい。俺になにか用かな?」
「あなたの残した伝説とやらのせいで、僕は大嫌いな恋愛相談を受ける羽目になったんです。その文句を言いに来ました」
すると、彼、高槻さんはニコリと笑って僕をカウンター席に案内した。どう見ても普通の人だけど、これが本当に伝説の主人公だというのだろうか。
「コーラでいいかな? それとも、お茶のほうがいい?」
「水でいいです、金がないので」
「せっかく後輩が尋ねてきてくれたんだ、飲み物くらいは奢ろう。それで、文句というのは?」
「あなたの恋愛が語り継がれ、今の西城高校は恋愛中毒者ばかりになってしまったんです。僕は、そんな恋する乙女のキューピッドに抜擢された不幸な一般人ですよ」
「……ははっ。あぁ、そうなんだ。いや、ごめんよ。そうかそうか、それは大変申し訳のないことをしてしまったね」
高槻さんは、ニコニコと笑いながらコーラをついだグラスを僕の前に置いた。そっとおしぼりを横においてくれた女将さんが、もしかしてカケル先輩のお姉さんだろうか。だとすれば、彼らは結婚に至る数パーセントの人間だったということか。
「それにしても、伝説だなんて。大変なことになってますね、あなた」
このヒロインと比べては申し訳ないけど、あのギャルたちがどんな大恋愛をしたってやっぱり一般人級にしかならないだろうと思った。
「高槻さん。カケル先輩が憧れたというのなら、あなたも人助けに一役買っていた人間なのでしょう? 僕は恋愛が大っきらいなので、女子からの相談に答えが思いつきません。迷惑を被っている詫びに何かアドバイスをください」
「んふふ、昔のあなたにそっくりですね」
なんだ、その変な笑い方は。美人じゃなきゃ百パーセント許されてないぞ。
「一つ確認しておこう。キミが本当に知りたいのは、本当にアノニマスな女子からの相談の解決方法なのか? もしかして、解決出来ないと感じているのはたった一人なんじゃないか?」
「……はい?」
「いや、なに。なんとなく、そう直感したんだ。相手はきっと、キミのことを病的に好きで、周りが見えないくらいの好感度で。キミは、そんな彼女をどうにかして治したいと思っている。けれど、その子一人について俺に聞くのは恋愛嫌いな自分を否定するようで恥ずかしいから、他の子の相談を解決する最大公約数的な答えを知って当てはめようとしている。恥ずかしい理由は、キミの憧れだろうか。恋愛的に好きなことと、憧れで好きなことの境界がわからない。だから、嘘にも本当にも出来ないで困っている。どうかな?」
この人、何者なんだ? さっき出会って一言二言交わしただけなのに、一言一句間違えのない推理だったぞ?
「回答しよう。ならば、その子はコンプレックスから目を背けようとして必死に恋をしている。キミを見ていると、大嫌いな自分を忘れられる。それが、彼女の病的な恋心の正体ということを覚えておくといい」
「コンプレックスから目を背ける、ですか?」
「キミが憧れているのと同じように、その子もキミに憧れているということさ。もしも気持ちに応える気があるのなら、遠回りなんてせずに精一杯大切にしてあげなさい」
怪物だ。
果たして、この人はこんな街の居酒屋の店主でいてよい器なのだろうか。僕は、結露の浮いたグラスに口をつけて驚きを誤魔化しながら優しく微笑む高槻さんの話に頷いた。
「……分かりました、ありがとうございます」
「気にしないでくれ。キミは、俺のせいで迷惑を被った被害者だ。いつだって力になろう。名前は?」
「鈴木鏡花です」
「覚えておくよ、鏡花君」
翌日。
「鯨井、話がある」
「なぁに?」
「恋人になって欲しい。あなたを幸せにするには、きっと適した方法だと思う」
僕よりも大きな女子を見上げながら、僕は人生で初めての告白をした。好意を伝えるだけなんて大した感動もないだろうとタカを括っていたが、存外、思っていたより緊張するモノだ。
僕の呼吸は、鯨井が口を開くまで止まっていた。
「カノジョ、いらないんじゃなかったの?」
「気が変わったんだ」
「あたし、一生手放す気ないよ?」
「僕は恋愛嫌いだ、最初で最後だとありがたい」
すると、鯨井は僕を押しつぶすんじゃないかって勢いで飛びつき、壁に押し付けるようにして自分の胸に僕を締め付けた。運動をやめたからだろうか、彼女の体は想像よりもずっと柔らかかった。
「結婚する数パーセントになるつもりで付き合ってくれないと困るよ?」
「ガタガタうるさいなぁ、だったらフればいいでしょうが」
鯨井は笑った。
まるで真っ暗いその瞳に、一つだけ光が灯ったように見えるのは 気のせいだろうか。こんな時、感極まって泣くよりもニコニコしてくれている方が、僕も気が楽で告白した甲斐があるというモノだ。
「優しすぎるよ。だって、あたしのこと好きじゃないのは分かってるもん」
「そういうダルい問答は嫌いだ、物事は結果で物語るべきだろ」
「あたし、鏡花よりも大きいんだよ?」
「言うなよ。大体、憧れてる女より小さい自分の方がよっぽど情けない」
必要とされないことにコンプレックスを抱えていたのなら、誰かに必要とされればいいというのは至極単純で明確なアンサーだ。しかし、恋愛せずに恋人を手に入れることにカタルシスはあり得なく、ならば、僕たちが結ばれることはやはり本質的に鯨井を救う答えにはならない。
けれど、きっと、恋人だからこそ出来る求め方もあるだろうと僕は漠然と考えた。純愛だの過程だの、そんなモノには毛ほども興味のない僕だから、答えに理由を後付するような生き方も選べるのだ。
そういう意味で言えば、僕たちの関係は必然だ。出来ることなら、努力も困難もせずに幸せになりたい。誰だってそう考えているだろうし、実際にそれを目指しただけ。
……なんて、脳みその裏側で思考を巡らせるくらいには悩んだのだ。どうか、語り部にあるまじきやり方を許して欲しいと願うくらいはさせてくれてもいいだろう。
だが、これはこれで一つの失敗だったと思い知ったのはほんの数時間後のことだ。
『鏡花へ。今日はありがとう、とても嬉しかったです。夜も遅くなってしまいましたが、恋人同士になったのでルールを決めちゃいました。安心してください、鏡花は縛られるのは嫌いだと思ったのでほんの少しです。きっとどこのカップルでもやっている当たり前のことだとは思いますが、あたしも鏡花も初めての恋人なのでわかりやすくしようと思ったのです。出来れば寝る前に読んでおいてね』
もう、この時点でまぁまぁ嫌な気分になったのだが、僕の頭がクラリと来てしまったのはスマホの画面を立てに六度もスクロールしなければ表示しきれないほどの長過ぎる文章だった。
僕は、『読みたくない』と返信してスマホを閉じた。どうせ色々と送ってきているんだろうけど、そのへんのことはすべて明日の僕に任せ眠るとしよう。
……などと考えた昨日の僕を、今日の僕は本気で恨むことになるのだった。
「ウザかった? ウザくないよね? だって、あたしたちって恋人同士だもんね? これくらいのこと全然普通だよね?」
「なぜ迎えに来る、あなたの家って全然遠いでしょうが」
「心配なんだよぉ。だって、せっかく鏡花が恋人になってくれたのにさぁ。きっと今日もみんな文芸部室に来るんだよ? そんな中で鏡花が頑張ったら、みんな鏡花のこと好きになっちゃうでしょ?」
「その考察、流石に恋愛に対して失礼では?」
一瞬の間、やがて。
「ハッキリ言って、カレシが色んな女の子にモテる男だとカノジョ的にはとても気持ちがいいです」
ハッキリ言うなよ、そんなこと。
「でも、それと同時に心配だよ。だって、あたしは――」
「大きいからかわいくない、とでも思ってるんだろ」
「……うん」
鯨井メグという女は、どうやらかわいいと思われたいらしい。カッコいいでもなく賢いでもなく、ただかわいいというのは、現代的には批判されそうな価値観でもあるが。
けれど、女という生き物は得てしてそういう生き物なのかもしれない。僕だって、カッコいいと言われればそれなりに嬉しくなってしまうだろうから。
「とはいえ、その意識の変革は難しいだろうな」
なぜなら、価値観とは相対的なモノだからだ。
自分よりも背の高い女の子がかわいいという価値観にとって、小柄な特徴を持つ日本人という民族はあまりにも否定的だ。彼女がそう感じてしまっているのだから、僕が彼女の希少性を説く意味など何もなく、故にこの道を進むのは明らかな愚策なのだろうと理解した。
そして、彼女の思う『かわいい』の中にはきっとギャルがある。だからこそ、そっちに振り切れたのだろうというどうでもいい考察を交えつつ嘆息。
「鏡花もそう思ってるでしょう?」
「人は中身だろ、外面には少ししか興味ない」
「少しあるっていうのがほんと鏡花っぽい(笑)」
つまり、開き直る方法を探すのだ。
自分はかわいくなくてもいい、心配する必要もない。そんなふうに思えば自信がつくのか、自信がつくことでそう思えるのかは定かではないが。こんなふうに考えられるようになる成功体験こそが、鯨井には必要なのだ。
「どうだろう」
「……あたしのこと、本気で考えてくれてありがとう」
「そう思うなら自信を持ってくれ」
「鏡花が人助けばかりしてる人じゃなければ思えたかもね」
「まったく、厄介な話だ」
ところで、ギャルという生き物は存外モテるらしい。
冷静に考えてみれば、人気の理由なんて明るい性格に帰結するワケで。いつもニコニコしているだとか、一緒にいると楽しいだなんてのは男子的にとてもありがたい要素であり。つまり、僕以外にヤンデレ的な恥部(そう呼んで差し支えないだろう?)を見せない彼女は、周囲から元気印の活発な女子高生と捉えられているのである。
もちろん、その容姿の好みだって充分に加味されるべきモノだとは思うが――。
「人間、楽しそうに生きてる奴を見てるのが幸せだったりするモンだ」
「それ分かる! ゲーム実況とかさぁ、上手い下手より本人がゲーム好きなんだなぁって思える方が応援しちゃうもんね!」
それは知らんけど鯨井がそう言うならそうなのだろう。
「あなた、ゲーム好きなの?」
「自分じゃ全然やらないけど、ホラーゲームとかは見てると楽しい」
「へぇ」
僕は人がギャーギャー叫んでるのを聞くのが嫌いだから、実況だの配信だのはまったく見ないので共感はしてあげられなかった。
「鏡花はゲームやらないの?」
「あまり、指先が滑らかに動く方でもない」
「ふふっ、自分でやってみると全然うまくいかないのあるあるだよね」
なんとなく、運動神経のよさというのはゲームの上手さに比例するような気がするが。スカウトからすぐにスタメン入りした鯨井が上手くないのなら、あまり関係のない要素なのだろうと思った。
もちろん、ここでの上手い下手だって相対的なモノであって、僕から見れば上手いのかもしれないけれど。
「でも、恋愛は自分がやってる方が楽しいよ?」
「実況はやめてくれよな」
「残念でした、もう散々しています。具体的に言えば、鏡花の写真を使ったり嬉しかったことを呟いてSNSでバチクソに惚気けてます。他の女子を牽制する言葉も使います」
……恥ずかしいからやめろよ。
「見たい?」
「いいや、見たくない。世の中には知らなくていいことがあるのを僕は知っている」
「んふふ、やっぱ鏡花って優しいね。ダメとは言わないんだもん」
その笑い方、やはり美少女には似合ってしまうモノなのか。もしかして、あの人は鯨井の遠縁の親戚だったりするのだろうか。
「でも、鏡花の顔は隠してるよ。安心してね」
「それはよかった。ついでに言えば、僕はどうせ他の誰のモノにもならないのだから、せめて威嚇的な呟きだけは遠慮してほしい」
「んふふ、だから大好き」
まるでテディベアでも抱きかかえるように僕の首に手を回すと、鯨井は頬に頬ずりをしてやけに甘ったるい匂いを擦り付けてきた。このスキンシップには不覚ながらドキッとさせられてしまう。マーキングされてると思うと、少しゲンナリくるけれど。
「一緒に帰ろう?」
「駅までなら」
ところで。
なぜ、僕がギャルがモテるなどという惚気話にも聞こえる話題を持ち出したかと言えば、鯨井が男子と関わる時間が増えたように思えるからである。
もちろん、それはギャル化してクラス内の活動に精力的になったから母数的に当たり前といえばその通りなのだが――。
問題は、その評判が彼女の古巣であるバスケ部にまで伝わったことだった。
「ねぇ、ちょこっと聞きたいんだけど」
「なんでしょうか」
いつものように窓辺に潜んでいると、鯨井のギャル友である浅香が声をかけてきた。仲のいい友達だからか、鯨井は特にヤンデレ感のある表情も見せず目線だけ僕たちに向けた。
「メグと鏡花って付き合ってんだよねぇ?」
「そうだよ」
「なんかさぁ、今日クラスの子から聞いたんだけどぉ。メグがバスケ部の先輩に恋してるって噂があるらしいんだよねぇ。しかも、結構色んなところから出てる話だから信憑性も高そうだしぃ」
これが脅威の警告なのか、それとも既に事件が始まってしまったオープニングなのか。判断は僕にはつかなかった。
「そうなのか?」
「ち、違う!! 全然違うから!! あたしが好きなのは鏡花だけだから!!」
僕は、手放しで信じられるほど鯨井メグを知らない。もしかすると僕への態度や言葉は
けれど、それでも彼女を疑う気にならないのは、単純に僕が恋愛嫌いの性格だからということなのだろう。
「メグさぁ、ギャルになってからクッソ男子人気高いじゃん? だから噂の拡散力も高いっていうかぁ。眉唾モノの情報でも、みんな結構信じちゃったりするんだよねぇ」
浅香は、文芸部に屯するギャルの中でも随一(というか唯一)の読書家である。そのため、彼女の気怠い口調からは連想出来ないほど的確に物事を伝える力が備わっている。
そんな彼女が言うのだから、噂は止められないスピードで校内を駆け回っているのだろう。逆に、僕と付き合っていることはギャルたちしか知らないため広がらない。口が軽そうに見えて、義理に異常に厚いギャルという生き物は輪の外へ秘密を漏らさない生き物なのだった。
「本当に違うよ? というか、鏡花はそれが絶対にあり得ないの知ってるよね? だって、あの日の出来事はここから――」
「そう熱くなるなよ、鯨井。他の人間に何を言われてもブレないのがあなただろ?」
「熱くなるよ!! だって、鏡花に信じてもらえないことほど悲しいことなんてないもん!!」
「だったら、毅然と否定すればいい。オロオロするとそれっぽいだけじゃないかな」
「わからずや!!」
立ち上がった鯨井を見て、同席していたギャルたちは空気を読んだのか部室から出ていく。僕としては、なにかトラブルがあった時のためにいて欲しかったのだが、空気の読める彼女たちが出ていったということは逆説的に僕の間違いを指摘されているようで助けを呼べなかった。
「恋が嫌いな鏡花には分からないだろうけど、好きな人が自分を疑ってるって思うだけであたしは気が狂いそうなくらい不安になるの! 他の誰が疑ったっていいけど、鏡花にだけは疑われたくないって思っちゃうの!!」
あいも変わらず、瞳の奥に光のない目で僕を見下ろしたかと思うと、鯨井は僕の手を握って縋るように胸の前で抱えた。
「お願いだから、信じて。あたしにとって、鏡花だけがすべてなの」
「それはよくないな」
僕は、絶望のどん底に突き落とされたかのような鯨井を押して逆に椅子に座らせた。
「ここに屯してるあなたの友達を忘れて、僕だけがすべてだなんて宣うのは許せない。そういうモノに気づけない女子を、僕は決して尊敬なんて出来ない」
「ち、違う。そうじゃなくて――」
分かってる。
鯨井が、僕のことになればまともに頭を働かせられなくなることなんて百も承知だ。けれど、ここでそれを肯定してしまえば、DV男のメカニズムのように彼女を従わせ、歯向かうことの出来ない関係を構築してしまうような気がしたんだ。
そんなのは嫌だ。
僕が憧れた鯨井メグは、クラスのど真ん中で本音を隠し堂々と嘘をつく強い人だったのだから。それを取り戻すために、このピンチをチャンスに変える必要があるんだって。彼女を取り戻すなら、今しかないんだって。
そう、思ったんだ。
「堂々としてればいい」
「……え?」
「なんで悪いことしてない鯨井が怖がらなきゃいけないか。それは、つまるところ噂を否定できる自信があなたにないからだ。仮に根も葉もない噂だとしても、それを僕に信じさせる力が無いと思いこんでいるからだ」
「それは……」
「違う、鯨井メグはそんなに弱い女じゃない。現にあなたはクラスのど真ん中で人を騙し、自分の本音を隠し通したじゃないか」
彼女の頭を撫でる。きっと、こうして上から優しくされた経験が無いからこそ、彼女は孤独だったのだろう。
「大体、あなたが好きになった男は、又聞きの噂話で人の真偽を唱えるような愚か者か?」
「うぅん、違う。絶対に違うよ」
「だったら、そんなに不安がる必要はないだろ。確かめられたら、片っ端から笑ってやればいい。その噂の真相を図らないで別れを告げるほど、僕は恋人関係が軽薄な代物だとは思っていない」
鯨井は、笑顔になって泣いた。
「……でもね、鏡花」
まるで、じんわりと温かくなった胸の内を抱き締めるように。
「それでも……。それでも一つだけ、恋人同士だって思える儀式が欲しい。鏡花があたしを信じてくれてるって思えれば、あたしはそんな自分が好きになれるハズだから」
そんな彼女に、僕はあまりにもわざとらしく顎を持ち上げ、まるで作り物のように大袈裟にキスをした。もう二度と、僕の頭の座標が彼女の海抜を上回ることはない。そう直感したから、きっと彼女にはたった一度、見上げさせるようにキスがしたかった。
「信じるよ」
僕がしたかったから、そうしたのだ。
「……ありがと」
「元気が出たなら行こう、体育館に行けば会えるだろう」
「体育館?」
「決着は早い方がいい。噂の出どころも分かっているのだから、そいつを否定しにいけばいいのさ」
行って、僕は彼女の手を引き立ち上がらせた。彼女をヤンデレに仕立て上げたもう一人の犯人、そいつに会わなければ終わらせられないから。
「鈴木鏡花の相談所は、スピード解決がモットーなんだ」
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