魔女の秘宝(アルカナ)

高野祐

0話 攀じれば

 辺り一面妙な緊張感が漂っていた。

 荒廃した工場都市の中に、雪が降り積もっていた。

 そしてその中にぽつんと一人の少年が蹲っている。

 彼の周りから全てが切り離されたような孤独感。

 冬の風が容赦なく吹き付け、彼の耳を赤く染める。


 助けなど期待する余地もなく、ただ死を待つばかり。そんなことくらい彼にも分かっていた。


 父親は逞しい男で、その背中は何よりも大きかった。

 母は笑顔が素敵な人で、彼女の無邪気な分け隔てない笑顔は克明に思い出される。あの暖かかった温もりが、遠い昔のように感じる。彼らとは、もう会えないのだろうか。


「おかぁさん…おとぉ…さん…」


 少年の口からは不意にそんな言葉が溢れていた。もう堪らなくなって、泣き出したい気持ちだった。ただ、彼は泣きながら人生を終えるのは嫌だった。だから、必死に歯を食いしばりながら、涙を堪えていた。

 その姿には少年のあどけなさに背反した、気高さのようなものを感じられずにはいられなかった。


 朦朧とした意識の中、少年の脳内には走馬灯のように、ある御伽噺が思い出されていた。


 どこで聞いたのだろうか。はっきりとしないくらい、昔の話。ただ鮮明に覚えているのは、母の体温と全てを包括するような優しい声音。


 はるか昔、暗い暗い地底の国で、ある一匹の蜥蜴が、地底から地上へと長い年月をかけて掘り進みやがて地上へと到達するというお話。

 蜥蜴は太陽の光を浴び、人間に近い姿へと生まれ変わる。そして地下の世界を開いた蜥蜴は、地聖母として崇められる、という結末だった。


 なぜ今この話を思い出したのかは分からない。

 ただ、このお話をしてくれる時の母の表情が好きだったなと思い出す。

 しかしその表情も、次第に朧げとなり、モザイクがかかったようにしっかりと認識できない。


(あぁ、僕は死ぬのかな…)


 そんな風に悟った時、不意に空を見上げた。

 綺麗だ。こんな状況にも関わらず、彼はそう思った。

 暗闇を切り裂くように、明月が天高く彼を見下ろしていた。

 雪の一粒一粒が輝き、幻想的な風景を醸し出していた。


 彼は手を伸ばした。伸ばした先に何があるでもなく、ただ雪が吹き付けて冷たい。雪の一粒一粒が意地悪い表情を持って、僕を痛めつけるのを楽しんでいるようだ。

 ただ、それでも何かを掴むように手を伸ばした。暗い暗い闇の中、乱吹くふぶく雪に抗うように、ただ手を伸ばした。その先には、月があった。


 ザッザッ…


 靴が雪を踏みつける音が聞こえた。

 ただそれは耳元で乱吹く音に打ち消されて、あまりに微かな音だった。


 少年がそれに気づいたのは、目の前がとても大きな影に覆われてからだった。


 彼はその影の正体を見上げた。視界は霞み、輪郭ははっきりしなかったが、なぜか生き別れの家族にあったような安心感が感じられた。彼は安堵の表情を浮かべた。そして手を伸ばしたまま、降り積もった雪の上へと意識を手放した。


 その銀色の髪が綺麗だと思った。

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