〔第2章:第2節|墓終結空〕
寝起きの悪さは自覚があるけど、死んでもそれは変わらなかったらしい。
「……ごめん。遅れた」
あたしの天国での朝一番は、謝罪だった。
廊下に出たのは、十時半。
疲れが集ったのか……起きたら十時過ぎてたし。
でも死んでんのよ。ちょっとの遅刻くらい……ダメか。
そう。ダメだ。
筋は通したい。
色の浅い青い服を引っ掴み、髪だけはしっかり繕って、履き心地の良さげなサンダルみたいな靴を引っ掛けて、あたしは待っていた三人と慌てて合流した。
廊下で待っていたのは、奇しくも色違いの服を着たあたし以外。
黄色い服を着た絲色と、赤い服を着た薇。
全員無地のシャツと、ナイロンみたいな妙な素材のズボンを履いて、
「なにはともあれ、下に行こうか」
緑色のシャツを着た先生に従う。
エレベーターに乗るあたしたち。向かうは天使の待つ受付。……待ってるかは知らないけど。
この後なにが待ってるかなんて、ここにいる誰だって知らない。
「まずは、これまでの情報設定を行いましょう」
受付の天使に言われ、あたしたちはバラバラにされた。
……違うから。
体がとか物理的なやつじゃなくて。四人別々に席を設けられたって事。
個人面談。
いつだって嫌いだ。
「では。個体識別名称、墓終結空、さん——でよろしいですね」
赤毛のチリチリとした髪の天使が、あたしの担当だった。
子供顔で、年齢があるかどうかは知らないけど、天使にしては若く見える。ファミリー映画に出てくる、無邪気な田舎娘、みたいな笑顔。
「そう……です」
敬語を使わなきゃいけない相手も、目上の相手も、あたしは嫌いだった。……本能的にそうさせられているなら、なおさら。
「ではまず……あなたが死んだ事を、誰かに知らせたいですか? 先にご逝去された、再会したい相手などは?」
「いいえ」
あたしは即答だった。
死に別れた知り合いなんていない……はず。少なくとも、あたしの知る範囲には。いたとしても、たぶんそんなに仲良くない。知られるメリットがない。
あ、でも……。
「マ……母だけ、知らせたいし、知りたいです」
「お母様ですね——墓終
天使の背後から、一本(? ひと巻き?)の筒が飛んできて、解かれて一枚の茶色い紙になった。なにが書いてあるのかは見えないけど、ママの事だろう。
…………。
「墓終亜華様は、現在『天界』にはいらしておりません」
ママは死んでない。
「……そうですか」
「他に、あなたに関連する人物で、死んだ方をお知りになりたいですか?」
…………。
正直、あとはどうでも良い。
「いいえ」
あたしが知られないのに、誰かのを知ろうとするのは……良くない気がする。
「でしたら次は、これからの事です」
これからの事は、あたし一人では決められない。他の三人によるとしか……。
天使に素直にそう言うと、
「決定は致しません。相談程度の事だとお考え下さい。都度都度私たちを尋ねても構う事はありませんが、なるべく自立的に動く事が新しい人生を豊かにする、というようにお考えしていただければ」
……相談。
相談ね。
「生前の後悔はありませんか? 勉学、仕事、家庭、友情、恋愛など、より身近なところより始まり、冒険、研究、創作、意識など、理想とする自分、理想とする夢は?」
————。
夢?
あたしはうっかり……生前の癖で、笑った。
夢。
遠い話だ。
……ここで世界平和とか言ったら、どうなるんだろう? 世界征服とかは?
「良いんですよ、どんな願いでも。天国に善し悪しはありません。そもそも神は、あなた方『人間』を創った
あたしの軽い想像がわかったように、天使はそう言った。いや、あたしのじゃないのかも。あたしみたいなのが、いっぱいいたのかも。
「墓終結空さん」
天使は背筋を伸ばし、改まった口調で告げる。
「あなたは中央値レベルの物理軸文明にてご逝去されました。しかし寿命平均というわけではありません。勿論『なにもしない』という選択もあります。実際に、上階の宿泊所には数十年籠っている方もおられます。ですが、生前での後悔や、抑えていた願望を叶えるなら、ここからがチャンスの機会です。生前であろうとそしてなかろうとも、自らの願いをどうしたいのか、この世界を知る事がどんな事か……人生を、考える必要があります」
あたしは一人っ子だった。
慕う兄姉も、慕われる弟妹もいない。
父親はベンチャーの社長。ママは専業主婦。
そこそこ良い家庭で育ったと思う。
……十歳までは。
あたしが十歳の時、父親は蒸発した。
会社が潰れ、仕事が無くなった。元々プライドの高い父親だ。お金を借りるだけ借りたら、そのまま蒸発した。
借金とまではならなかったけど、ママは残ったお金を工面しつつ、足りない分は働きに出た。
で、体を壊した。
あたしは十五歳。高校入学したて。
半年前は元気だったママは、このご時世で珍しくも、病床から出られなくなった。
代わりに、あたしは働くようになった。
あたしの願望。
小さい頃は、スイーツショップで働きたかったかもしれない。ファンシーショップの店員とか、もしくはタレントとか、スポーツ選手とか——ユニコーンにだってなりたいと思ってたかもしれない。
でももう、忘れた。忘れてしまった。
貯金と支払書と睨めっこの高校生活。時々開かれていた教科書も、今は母が遺品として持っているかもしれない。そのうち
あたしの人生。
急に放られても、困る。
なにも決めれないままひとまず天使との対話を終えたあたしは、三人と合流した。広いホールの端。また最後だった。夢や目標に悩んでいたから? もしかしてみんな、あっさりやる事が決まったの?
あたしを含む全員が、自分たちにとってなにか大事な事でも書いてあろう、数枚の紙の束を持っていた。
先生が口を開く。
「みんな、知り合いとか、新しい発見とか、なにかあった?」
絲色が続いた。
「えっと……僕と薇さんは、確かに親戚でした。生前の自覚と面識はなかったし、普通にかなり遠かったけど」
薇字名が小さく頷く。
「じゃあ……あんたも、悪魔?」
「いや。どうも血筋とかじゃないらしい」
肩を竦める絲色。首を横に振る薇。続く先生。
「そう。じゃあ……なにか目標とか夢とか、自分のなにかを見つけた人〜……?」
…………。
「……君ら、ホントに若者?」
……一応、先生もでしょ。
「待ってくださいよ」
絲色が困ったような顔で言う。
「天国に来たと言われても、まだ外にも出てないんです。なにがどうなのかまるでわからない状況で、急に夢や目標なんて言われても、普通に難しいですって」
そういう事だった。
世間(生前の?)の若者は、そうじゃないかもしれなかったけど、ここに集うは……なんていうか、
コミュニケーションだけが取り柄の、
独り言で忙しい名家の長女(だった者)。
貧乏金無し片親(だった)のあたし。
よく知らない大学生(一応、
目まぐるしく忙しい生前から、突然ほっぽり出されてしまったのだ。初動に時間をかけるくらいは許してほしい。
先生は緩やかに笑みを浮かべた。
「そう言うと思って、はい」
先生が紙束から、鮮やかな青い一枚を取り出し、あたしたちに見せる。
『祝! 初入国者向け、天国案内ツアー!!』
「……ツアー?」
あたしの声は、我ながら否定的なニュアンスを含んで聞こえた。
「そう。まずは世界を知ろう! って感じのらしいよ。天使が、役所に置いてて良いって認可した、保証済み」
謳い文句——「生まれ変わったこの世界を、まずひと目見て回りませんか?」をヒラヒラとさせる先生。正面に立っていたあたしは、ままにその紙を受け取る。
「天使から聞いたんだけど、初心者も初心者じゃない人も、けっこう参加するみたい」
「な、なら……わ、
答えたのは、ちょうどその文面を読んでいたあたし。
「常時募集、だって。必要に応じて時間も調整できるって」
「なら、参加しても良いかもね」
絲色に反して、薇はいつも通り、心配性だ。
「あ……悪魔も、参加して……良いんでしょう、か……?」
……。
それは知らない。
「そもそも、
あたしが訊くと、先生は紙の左下を指差す。——『参加料無料』。
「ここで応募できるみたいだし、受付で訊いてみよっか」
「では四名様のセット予約ですね。明日の正午、十二時にて、このフロアの東ゲートから外に出ていただいて、ガーデンフロアの
半魔も問題なく、あたしらの明日の予定が決まった。
——そして、今日やる事がないあたしたちは今、屋内の広いテラスにいた。
そもそもこのビル——『ポインター』というらしい死者の転移場所は、天使曰く「引き篭もっても問題ない」ほどの生活環境が無償で提供されている場所であり、その各階にはそれぞれ休憩所のようなフロアも用意されていた。受付からそのまま流れてきたあたしたちは、仕組みの詳細は知らないけど、生前に既視感のある自動販売機からそれぞれ飲み物を持ってきて、大理石模様の丸い卓を囲んでいた。
「自己紹介が必要だと思うの」
メロンソーダを飲む先生が言った。子どもっぽい飲み物だけど、なんか似合う。
「今更だと思うし、成り行きかもしれないけどさ——私たちがここにいるのは、なにかの
遠回しに「君らは死んでもやる事ないでしょ? 私もなんだ。だから一緒にいようね」と言われている気がした。……確かにその通りだ。
「ちゃんとしたパーソナルというか、バックグラウンドを互いに知ろうとするのも、これもまた人生、って感じでさ。もちろん、無理強いはしないけど」
あたしたち生徒(? だった?)は、顔を見合わせる。
なんだかパターン化してきたように、そしてそれが最適であろうように、あたしたちの代表として、レモンソーダを前にした絲色が、先生に「では、先生からどうぞ」という視線を送った。
レモンソーダ。
絲色らしく……なんか、微妙な選択だ。
先生は咳払いを一つ。満面で悪意のない、純粋な笑顔を返す。
「私は、琴石九留見。『琴石九』って珍しい苗字だし、名前は『留見』だけど、小さい頃からのあだ名は『くるみ』。歳は二十二——ってのは、もう言ったっけ?」
その辺は、あの空の世界で聞いた。……あんまりダブらせんな。まだ第二章なんだよ。
「そうだねぇ…………私が
……。
それは聞いてない。
「と言っても大したアレじゃないんだけど……生まれてすぐに孤児院に置かれちゃって、そのまま大学に進学するまでの十八年は、孤児院育ちってわけ」
…………。
「こういう話をしたら『重い』って言われる事も多いけど……みんな、意外とすんなりしてるみたいだね」
……。まあ……死んだ後だし?
「僕らも一応、死んだ後ですから」
あたしも、たぶん薇も思ってる事を絲色が口にした。……同じくらい悪意ない笑顔で。
「そっか……じゃ、あとは…………」
宙を見る先生。絲色が助け舟を。
「どうして、先生に?」
「それは……なんとなく、かな。周りに勧められて……一応、担当は社会科全般だけど、これも周りに勧められてって感じ。……なんか……主体性が無いね。私自身も、昔から言われてきた気もするけど」
朗らかだったと思えば急に落ち込む。純真さの塊みたいな大人……大学生はまだ子供?
「まあ、それ以外は……
「あぅっ!? あっ……は、はい……」
ビクッとした薇。前に置かれたリンゴジュースに、波紋が広がる。
ジュースが贅沢品であったあたしの感性からしてみれば、リンゴジュースは高級趣向品の部類だ。
波紋が小さくなる。
……長くなりそう。
「あっ……えっと……わ、私は、薇、字名と……言います……。えっと……あ、あの……十七歳……お、女です」
その
「慌てないで良いからね。ゆっくりで」
先生は慰めるように言ったけど、本人は縮こまりたいようだ。
「あっ……えっと……あの……ぜ、薇の……一族の……ぶ、分派の、家で……ちょ、長女です……。あっ……い、妹が一人、います……。で……えっと……えっと……」
「薇一族ってなに?」
地元では有名な名家も、部外者の先生は知らない。
「そういえば、僕もはっきりとは知らないなぁ」
「あんた、一族の端くれじゃなかった?」
「て言われても……認知されてないほど遠いから。それも互いに」
あたしらの視線は、再び薇字名に集まる。
「あっ……えっと…………大本は、『
それらしい話。
具体的に言わないところ、よく知らないのか、話したくないのか。
そりゃそうだ。
「ええっと……和山っていう家があって、その分家? として、薇一家? 一族? がいるって事?」
「そ、そうです……」
「じゃあ、字名ちゃんはお嬢様って事になる?」
「い、一応……」
そう。
そこが、微妙なところ。少なくとも本人にしてみれば。
薇字名は有名人だ。
薇一族の『
人の事をどうこう言いたくはないけど、文武両方に特筆する点が
そういう意味では、あたしらは似ているのかも。
あたしは貧乏で苦労した。薇は腫れ物として苦労した。
あたしは悪魔じゃないけど…………ン?
「あんた独り言が多いのって、もしかして……あんたの中の……その、
先生が「おぉーー」と納得したように感心を見せ、同じような顔をした絲色が、あたしに向けていた視線を薇へ流した。
「……あっ……そ、そうです…………。じ、実は…………ご、ごめんなさい……」
…………。
静かになった円卓。
助け舟出せよ——あたしの視線に気付いた絲色が、少し考えてから口を出す。
「薇さんは、小さい頃はどんなだった?」
「あっ……えっと……その…………」
却って考えさせそうな事言いやがって。
ていうか、知らないの?
親戚じゃなくても知ってる事なのに?
そして、なんとなく強く思った。
——絲色って、何者?
「わ、私の中の……あ、悪魔が……その……名前が……」
急いでいたわけじゃないけど、薇字名——そしてクージレイン・ヴァリス・イデアルタの説明は、小一時間かかった。
薇はいちいちつっかえて喋るし、喋る事自体得意じゃないのが丸わかりなほど、「順を追う」という事ができていない。
——悪魔の所為だと思おう。じゃなきゃ本気で可哀想だと思えてしまう。
「じゃあ昨日今日で、急に『ジェンナ』から『クージレイン』に変わったのか」
「ていうか、普通に家族関係が大変だったんだね」
薇は意外にも、自身が
絲色と先生は興味津々らしく、少し前のめりで聞いていた。薇は話が進むほど縮こまっていき、もう詰められているように見えていた。
……なんか既視感あるな、この光景。
薇字名の話が終わると、あたしたちはひと息ついた。
「じゃあ、字名ちゃん。次は誰?」
先生が指名制と言った以上、指名制だ。
あたしたちは直接的な生徒ではないし、先生も本当の先生ではないけど。
奴隷根性のように染み付いた、あたしたち学生の
怯えてる薇。言われなくてもあたしじゃない——と思ったけど、薇字名が示したのは、あたしだった。
「……お、お願い、します……は、墓終、さん…………」
自己紹介。
面談と同じくらい苦手。
あたしが話したのは、孤児や迫害ほどの先天的な状況ではない。
至ってシンプルに、シングルマザーと貧乏生活を話した。絲色は知っていた事だから、薇の話ほどの反応はしなかった。けど、先生は……。
「苦労したねぇ〜〜!!!!」
なんか人一倍感涙に咽び、隣に座ったのがあたしの
語ったのは、体面の事だけ。孤児じゃないし、親戚一同から爪弾きにされたわけじゃないし、障害を持っていたわけじゃないし。
性格? これは生まれつき……じゃないけど、語らなくてもわかる事でしょ。
「さて——じゃあ最後は、絲色くんだね」
「僕って言われてもなあ——」
絲色はレモンソーダを一杯。
父無し貧乏娘と、和風シンデレラの成り損ないと、孤児の教師見習いを前に、呑気に宙を見ている。
「何もない、みたいな顔してるけど、あんたが一番わかりやすい——かったのよ。絶対になにかあったでしょ」
あたしは露骨に左腕を見て言ってやった。ついでに、
「まあね」
と、ワザとらしく冗談めいた態度、という事もわかっていた。
「僕は……そうだな……」
絲色はまず、先生を見た。
「僕も孤児です。先生と違って孤児院じゃなくて親戚のところに行きましたけど。叔母と義妹との三人暮らしです。……でした」
作り笑いが、薇に向く。
「親戚同士ってのは、本当に知らなかった。僕は叔母さんの親類に詳しくないし、
「……は、はい……」
「ちなみにだけど、絲色
「……い、いえ……。……ご、ごめんなさい。わ、わから……ないです……」
「そう。なら、やっぱ遠かったんだ」
「あのさ」
先生が首を傾げて言う。
「その……私が言うのもアレなんだけど、みんなさ……天国で、家族を探したりしないでも良いの?」
「……良いんです」
絲色は笑みを深めて言う。
「僕が小さい頃の話で覚えてないし、さっき天使に訊いてみたけど、僕の両親は探してないみたいだし」
「あたしは……父親嫌いだったし。そもそも死んでるかどうかも知らない。というか、悪運強そうだから生きてると思うし」
不愉快ながらも、そんな印象を覚えている。調子の良いだけの父親。今となっては、これ以上関わり合いたくない。
「わ、私も……別に…………です……」
「先生は? 僕らと違って、先生の事探してるとかは?」
「あー…………私も、なかったの……」
……………………。
気まずい沈黙。
絲色があたしを見た。
「僕の両親は、雨の降る山道で車をスリップさせた。二人は死んで、僕は腕を失い、視力が落ちた。僕が四歳の頃の話だ」
初めて聞いたような、でも、どこか他人事のように、絲色はそう言った。
天国と地獄の(異世界?)生活 裏表日影 @HikageUraomote
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