ギヴン・アップ

雪国匁

第1話

「どーも、先生」

六面灰色の味気ない、机と気持ちばかりの電気だけがついた面会所。

倉庫にすらならないような空間に無理に価値を見出したような、そんな部屋だった。


「……来てくれたんですね。感謝で頭が上がらないものです」

一挙手一投足に金属音が伴う“先生”。

両手を一つに纏める手錠に、四方向から首に向けめられた鎖。

誰が見ても異質なその姿の私の師は、似つかわしくないほどに平和的な笑みを浮かべた。



「すみません、2人分の水をお願いできないでしょうか」

看守にそう頼んで、先生は私の方を向き直した。

「改めて、お久しぶり……でもないですね。お元気でしたか?」

「体の方はね。中身の方は、知ったこっちゃないけど」

頭の後ろで手を組んで、椅子の上で足を組む。

「先生こそ元気?」

「はい、元気ですよ。獄中生活も思ったより悪くないものですね。先日まで、心地良い喧騒けんそうに身を置いていた自分が信じられないほどに穏やかです」

看守が置いてくれた水のグラスを手に取って、あおろうとするのを先生の首の鎖が、音を立てて阻む。少しだけ目を丸くして、不便そうに彼女は水を飲んだ。

「まぁ、こういうところは少々不便ですが」

「思ったより数倍、元気そうで良かったよ。先生」

「あなたがいる手前、中身の方まで醜悪しゅうあくにはいられませんので」

「そりゃどーも」

乾いた感謝を述べ、乾杯もせずに私は黙って水を口に含んだ。

「最近は、何をしていますか?」

「双六かな。1人4役、意外と面白いよ」

「そうですか。生活の方は?」

「先生たちが全部使ったから、二捨三入にしゃさんにゅうくらいでも一文なし。このまま野垂れ死ぬのも悪くないかもね」

そう冗談を混ぜた返答をすれば、途端彼女の目はガラスのように少し曇る。

「カイス」

「分かってる、なんて答えてやんないよ。先にやったの、そっちだからね」

悲しそうな目を浮かべた。どっちかは、知らない。

「そうですね、話を変えてもよろしいでしょうか?」

「勝手にどーぞ」

私は椅子を前後に遊ばせながら、そう適当に返事した。

「あの子達は、元気ですか?」

今度曇ったのは、確実に私の目。

「……それさ、そんなに重要?」

「ええ、私にとっては。少なくとも、意味のない情報ではありませんから」

「ふーん……」

勝手に重くなった口を、開こうかどうか逡巡する。

「あなたなら、ここに来る前に会っているでしょう?」

「どうして?」

「そう思える、時間帯ですので」

午後4時を指した壁の時計。私が外に出たのは、短針が11の時だ。

見透かされてるな。私が今、雑に悩んでいることも。

そう思うと凄く馬鹿らしくなって、口が重くなくなった。

「泣き虫のミバネは、いつも通り涙を啜ってるよ。アルバは退屈だーって喚いてたし、パリソは珍しくポケ〜っとはしてなかったかな。オカエは私が来たらとっても喜んでた」

「はい、ありがとうございます。その調子なら、皆に顔を見せてくれたようですね」

「不本意だよ。暇だから、行ってやっただけ」

「変わってなくて何より。頭を下げられないのは、許してください」

首元のかせ鬱陶うっとうしそうに、彼女は目だけ俯いた。

「……ああ、これは言わないとダメか」

思い出したような振る舞いをして、私は口を開いた。

「何でしょうか」

「『ありがとうございます』だってさ」

「……ペトラですか。相変わらず、律儀な子です」

「正解。返事は要らないってさ」

そう言って、私は水を飲み切って立ち上がった。

「じゃ。気が向いたら、また来てあげる」

「では、一つだけ頼み事をしてもよろしいですか?」

一切表情を変えず、先生はそう言った。

「どーしたの?」

「今度いらっしゃったら、少し眠り薬を頂きたくて。体も動かさず、中々寝付けないのです」

「……ふーん。覚えてたら、持ってきてあげる」

「面倒ごとを頼んですみませんね」

そんな先生を軽く見てから、私は扉を開けた。






「また来たよ、先生」

「何度もいらしてくれて、ありがとうございます。何もないですが、どうぞお掛けください」

相変わらずの貼り付けたような笑顔の先生は、波風のなさそうな心持ちだった。

「最近はどうですか?」

また看守に水を頼み、いつものように私に問いかける。

「流石にそろそろ本当にお金もないから、夜間警備の日雇いしてる」

「野垂れ死ぬのは、やめたのですか?」

「そんな先生に、一つ良いこと教えてあげる」

人差し指を突き立てた。

「死ぬのって、思ったより怖いんだよ」

「……そうですか。有益な情報ですね」

「でしょ?」

私は、軽く伸びをした。

「最近、暇でしょ。何考えて生きてるの?」

「そうですね……。強いて言うなら、間違い探しをしています」

天井の方に目をやって言ったので、しっかり考えて答えたようだった。

「間違い探し?」

「はい。私は今までの人生で、この時にこうしておけば良かった。そんな感じのことを考えています」

「へぇ。例えば?」

「皆で少し遠出して遊びに行った時。立ち寄った店で、紅茶でなく珈琲を頼むべきでした」

まるで、本心のような言葉だ。

「……思ったより、小さな間違いなんだね」

「結局のところ、人生において間違いと断定できることはあまりありません。後で余程の後悔をしても、その出来事が次の行動を良くしているかもしれませんから」

「……そう。それ、本当?」

私は、少し身を乗り出した。

「はい。少なくとも私の人生では、前述したもの以上の間違いは見つかりませんでした」

「その出来事が発端で、死ぬことになったとしても?」

部屋の中で、水が打たれた。

「……ええ。間違いだとは、私は思っていません。それが皆の願いでしたから」

微笑みを解いて少し悲しそうな表情を浮かべたのも、恐らく本心だろう。

「例え、その結末が今の状況でも。私は正しかったと考えていますよ」

「……そっか」

「私の後悔は、あなたくらいですかね。1人残してしまうこと、とても申し訳ないと思っています」

頭を下げようとした先生を、鎖が止めた。まるで、鎖が私のようだった。

「申し訳なくは、思ってくれてたんだ」

「勿論。私はあなたの……」

ここに間を見出したのは、私の勝手な願望。

「……先生ですから」

だから、ここに苛立ちを覚えるのも、私の勝手だった。

「……そーだね。じゃあ、私も帰ろうかな」

懐から眠り薬を取り出して、先生の前に置かれている水に放り込んだ。

「3つだけ貰ったよ。あと、2つね」

「はい。またいつでも、いらしてください」

これは、さっきまで言おうか迷っていた。

ついさっき、決めた。


「昨日、ロクレが処刑されたよ。今日は、アルバだって」


そう言い置いて、先生の反応も見ずに、私は扉を開けた。






長廊下に乱雑に響く足音が、私の耳に入り続ける。

扉の数を数えるまでもなく、ただ一つの扉を乱暴に開ける。

「おや、こんにちは。カイス、今日の天気はどうですか?」

何も言わずに椅子に座る。

「……カイス?」

「水、ください」

看守に先に頼んでから、私は先生の方を向いた。

「どうされましたか?」

「……『どうされましたか』?」

その言葉が、私の逆さ立った鱗を撫でる。


目の前にグラスが置かれた瞬間、私はその中身を目の前に放り投げた。


ポタポタと、髪から垂れた水が、首の枷を流れて落ちる。

「…………」

先生は、何も言わない。


「……昨日は、ロマイ。今日は、ミバネ。明日は、ペトラ」

文節ごとに、吐いて捨てる。


「何、考えて生きてるの?」



「あの子達は、あなたも含め、天涯孤独でした」

おもむろに、先生は口を開いた。

「その身で、私の元まで流れ着いてきました。あの子達は、何を思っていたか?」

ここで私が言うのは、違うなと思った。


「憎しみです。個人でない、地域でない、国でもない。世界への、人間への」

張り付いたような笑顔は、うに消え失せていて。

「幸せを奪った全てを嫌い、嫌い、嫌った。カイスも、最初はそうだった」

波打ったような心持ちのように思えた。


「このまま穏やかに生きていても、あの子達に本当の幸せはやってこなかった。どこかで、ああする必要がありました。それが、あの日でした」


「何を考えているか、と聞きましたね。私は、祈っているんです」

「……ペトラ達の」

「はい。彼女らが、『幸せ』に出逢えるように。それと」

私の、目を見た。


「あなたの、幸せを祈っているんです」


先生の言葉に、その言い方に、無視できないくらいに。

私は満足した。

私の自我が、願いが、満たされてしまった。




水に、睡眠薬を放り込んだ。



次の日、私の姉妹は、残らず首を括った。






「どーも、先生。調子どう?」

「可もなく、不可もありません。この生活にも、丁度慣れてきました」

「そっか」

何を話せば良いか分からなくなって、黙り込んだ。

「あなたは、元気ですか?」

「……違います」

少し嬉しそうに、先生は微笑んだ。

「よく、言いましたね」

「私は」

先生の言葉を、無理やり切った。


「私は、死ぬのが怖いです。皆が目の前で死んで、今はどうしようもないくらい怖い」

先生は表情を変えない。

「先生は、怖くないんですか?」


「あなたの目の前で取り乱すことが、できる?」

優しく、聞いてて気持ちの良い、先生の声色だった。

「あなたが生きていても、皆死んでしまっても、私はあなた達の先生だよ。一生ね」

目元が霞んで、私の足元が少し濡れた。




「今日も持ってきたよ、眠り薬」

「ありがとうございます。最後まで、ここにいらしてくれて」

「……不本意だよ」

「相変わらずですね」

先生は、笑った。

水の中に放り入れた。

「ほら、全部飲んで。私はもう帰るからさ」

私はそう言って立ち上がる。先生は、少しずつグラスを空にしていく。

「……どうしました?」

先生の姿を凝視していたのか、不思議そうに彼女は言った。

「……いや、何にも」

「そうですか。では、さようなら」

「うん。……じゃ」

扉を開けた。


「今まで、ありがとうございました」




部屋の外、扉の横。座り込んだ。

先生は、私が帰ったと思っている。




あの日私が武器を取らなかったのは、先生がいたからだ。

皆は、幸せに生きれなかった。私もそうだ。曇りはあった。

けど、私には、先生と皆と一緒に暮らす毎日が。



どうにも捨てられなかっただけだ。


結局私は、私を、見て欲しかっただけだ。


これ以上、先生には苦しんで欲しくなかった。

誰かに殺されて欲しくなかった。









扉の向こうから微かに聞こえた、鎖が人を支えて軋む音。


残った眠り薬を一錠、私は誰にも見られずにゴミ箱に捨てた。


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