第一章

留学生

第3話 謁見と命令

「いやだ‼︎私は行かない」


「そんなこと言わないで下さいよ」


「何と言われても行かない」


「そんなあ……」


世界一の大国、グラッセ帝国の王宮内の一室で、その交渉は行われていた。


交渉といっても、その光景はまるで、イヤイヤ期の子供とそれを宥める親の様であった。


与えられた自身の執務室の長椅子に座り込んだまだ十五歳の少女と、四十手前になるかという歳の文官。


一回り以上歳の離れた、娘のような歳の少女相手に宥めすかし、頭を下げて懇願する文官の姿は酷く滑稽だったが、本人達は至って真面目だったし、王宮内ではもはや有名になる程繰り返された姿でもあった。


何故なら、文官が頭を下げている少女は、皇帝の婚約者であり、若干十五歳にして帝国軍の魔術師団団長の位を預かる皇帝陛下––ウィリアム・グラッセの側近なのだから。


十五歳の少女が側近。


本来ならばあり得ないが、皇帝以外では皇帝が最も信を置いた人間達にしか身につける事を許されない禁色––竜胆色を身に付けているのが、その少女の特別な立ち位置を何より証明しているだろう。


「何度も言ってるだろう?執務室に行くのでいいなら行くけど、私は謁見の間は嫌いなんだ。行、か、な、い‼︎」


「そこを何とか……」


「……何度言われても変わらない。どうしても私を謁見の間に連れて行きたいのなら、ウィルの命令でも持って来て。そうじゃないなら執務室で話す様に伝えて」


謁見は心底、それはもう吐くほどに嫌だが、上司にキツく言われているであろう文官が可哀想になって、少女––ヘレナ・クロウは譲歩した。


幾らウィリアムでも、自分が心底嫌がっている謁見を強制する事はないだろうと考えた故の譲歩だったのだが、彼女はすぐにその判断を後悔することになった。


「ヘレナ、それは本当ですか?」


「なっ⁉︎」


「流石ウィリアムは貴方の事をよく分かってますね。皇帝としての呼び出しです。

今すぐ執務室に来て下さい」


「アーク……」


ヘレナがアークと呼んだ、そこにいるはずのない人物、執務室でウィリアムと仕事をしているはずの側近の一人、宰相の位を持つアクダリア・マケドラングによって、皇帝としての命令が下されたからだ。


「アーク、拒否権は……」


「無いに決まっているでしょう?さっさと行きますよ、ついて来て下さい」


後ろで緩く三つ編みにした紺色の髪をひるがえして急かすアクダリアの様子に溜息を吐きながらも、ヘレナは文官にお疲れ様と手を振って立ち上がり、彼の後を追った。




◇⚪︎⚪︎◇⚪︎⚪︎◇⚪︎⚪︎◇⚪︎⚪︎◇




皇帝の執務室に入ったアクダリアは、当然の様に仕事をするウィリアムの右斜め後ろに立った。

また、ヘレナも何も言わずに長椅子に座り、中での話の内容が漏れないように、指を鳴らして執務室全体に防音魔術をかける。


それを待っていたかのようにウィリアムは書類をめくる手を止めて、ヘレナの方に視線を向けた。


「やっと来たか。遅いじゃないか、レーナ。転移魔術を使えばすぐだろうに、何をしてたんだ?」


「魔術を使わずに歩いて来たんだよ、少しでも謁見の時間を減らす為にね。それで?ウィル、何の用?」


逆らえば残酷な罰を。

従順にすれば絶大な権力による庇護を。

そんな信賞必罰を掲げる、多くの国の国王を配下とし、大陸の国を支配するグラッセ帝国の冷酷な皇帝。


そんな評価を受けるウィリアム・グラッセに対してこんな口を利けるのは、彼女くらいだろう。


そして彼がそれを楽しげに笑って受け止めるのも……彼女だけだ。


「悲しいな。俺の婚約者殿は、未来の夫と会う時間が不服か?……困ったなあ、そんな事を言われると、思わずどこかに閉じ込めてしまいたくなる」


ゆっくりと立ち上がり、ヘレナの隣に腰掛けた状態でヘレナの髪をくるくるといじりながらそう呟くウィリアムの表情は、楽しげに笑みを浮かべながらも目が真剣だった。


「そうじゃない。ただ、謁見として呼び出されたのが不服なだけだ。

せっかくウィルに会えるのに、その用が仕事だなんて悲しいじゃないか。

だから、早く終わらせて二人でお茶でもしよう」


一緒にお茶を飲みたかったら、一刻も早く要件を話せ。


少しでも返答を間違えれば本当に監禁しそうなウィリアムの様子に、しかし一切の焦りの色を浮かべる事なくニッコリと笑って、ヘレナは言ってのけた。


その言葉に満足げに笑みを深くしたウィリアムだったが、急に眉間に皺を寄せる。

まるで嫌な何かを思い出したかのような仕草を不思議に思っていると、アクダリアが代わりに話し始めた。


本来なら皇帝であるウィリアムの許可を得ずに話し始めるのは許されていなかったが、彼が側近であることと、今いるのが謁見の間でないから公式ではないことから彼は発言することが可能だった。


「ヘレナも知ってるでしょうけど、今日の午前中、フラウ王国の使者がウィリアムに謁見しました」


「うん」


全くの事実だったので、それが何なのかと思いながらヘレナはうなずいた。


「留学生を兼ねている使者だったのですが、その使者が……」


「レーナを学友として指名してきたんだ」


「……は?」


フラウ王国は隣にある、数少ない大陸に残った帝国の属国以外の国。

だが、それだけの小国だった。


たかがそれだけの国の使者が?

帝国の皇帝の側近、魔術師団団長であり婚約者の人間を?

学友として?


「あり得ない」


思わず声すら漏れた。


「そう、あり得ない。そして、俺が許可するはずもないと誰でもわかるだろう」


そう。グラッセ帝国の皇帝が、婚約者を溺愛している事は有名な話だ。

何故わざわざ皇帝の機嫌を損ねるかもしれない愚を犯してまで、私を指名するのか。

あの国と私は関係ないと言うのに。


「何故レーナを指名するのか、を使っても全くもってわからない。

とても不快だ。それでだ、レーナ。留学生の学友として、学園に入学してくれ。

すまないが、これは命令だ」


目元を下げて、面白くなさげに命令するウィリアムは珍しかった。


わからないことがあるのは面白くない。

けれど、私が留学生の学友として自分と離れた所に行くのも面白くない。

そんな本音が漏れ出ていた。


一番不満に感じているであろう自分よりも、不満だと前面に押し出した表情を皇帝にされた。


それだけで、自分はこの人に期待されているとわかるから。わかってしまうから。

不満よりも嬉しさが勝ってしまう。


「わかった。ちゃんと何で私を指名したか、探ってくるよ。

今度はちゃんと転移魔術使って会いに来る」


だから、安心して。


そう含んだ言葉に、二十二歳なのに子供のように破顔するウィリアムを見て、素直で可愛いと思う。

他国では不吉とされる、黒い髪と赤い目という色を持つ、七歳も年上の男の人に使うべき言葉ではないと思うが、それでもそれが本音だった。


「よし、これで仕事は終わりだ。レーナ、忌々しい任務の準備は明日からでいいから、俺とお茶してくれるか?」


命令した本人がその任務を忌々しいとか言ったらダメでしょうに……。


「勿論だよ、ウィル」


宰相のくせに執事のように給仕するアークが部屋から出て行き、久しぶりに二人でするお茶会は、とても楽しかった。


こんな時間が、何かの企みで壊されたりしないように。

誰かに幸せな日々を奪われないように。


楽しいお茶会の裏で、絶対に留学生達の思惑を暴いて見せると密かに決意を固めた。





















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フェイト・プシューケー 〜戦禍の華蝶姫〜 ❄️風宮 翠霞❄️ @7320

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