第30話 離婚はしない?



 アイナが誘拐された事件から、数日が経った。


 あの事件は世の中にはあまり知られていない。

 カポネ伯爵家がコネと金で揉み消したようだ。


 まあ元とはいえ、次期当主が平民を誘拐して捕まった、なんて事実を広げたくはないのだろう。


 口止め料などの賠償金としてアイナにはとんでもない大金が支払われたみたいで。


『こんなことなら、あと五回くらいは誘拐されていいかも!』


 と言っていたから、たんこぶができるくらいに一回頭を殴っておいた。


 その度に私がどれだけ心配して、暴走しかけると思っているのか。

 誘拐されて暴力を受けたから、心の傷が深くないようでよかったけど。


 今日は久しぶりの学校で、クラス分け試験の結果が出る。


 おそらく、というか間違いなく、私とアイナは同じクラスになるだろう。


 下級クラスではなく、上級クラスで。


「ミランダ、学校まで送るぞ」

「ルカ様。別に送らなくてもいいけど」

「行く先が同じなんだ、馬車を二つ出すよりも効率的だろう」

「……確かにそうだけど」


 あの事件以降、私はルカ様と少し距離を取っている自覚がある。

 だって恥ずかしいし……あんなキスされて。


「同じ家に住んでいて、気まずいからと言っていつまでも逃げられると思うなよ」

「うっ……わかったわよ」


 ルカ様の言うこともわかるので、私は観念して一緒の馬車に乗った。

 馬車は出発し、静かな揺れと共に進んでいく。


 私とルカ様は対面に座ったまましばらく黙っていた。


「今日から新しいクラスだろう。緊張はしないのか?」

「緊張? すると思う?」

「しないだろうな。それくらいで緊張するなら、俺にタメ口をすぐに使うことはないだろう」


 別にタメ口で話すのも緊張するほどじゃなかったけど。


「ルカ様は誰かと話す時に緊張するの?」

「俺はしないが、俺の相手はよくするな。ほら、前にアイナ嬢に差し入れをしに行った時に、アイナ嬢もその家族も緊張していただろう」

「ああ、確かに」


 アイナが退院した後、私とルカ様が家まで差し入れを持って行ったのだ。


 彼女の家は平民の中では少し大きい家で、六人家族が住むには十分の広さだ。

 アイナの下には妹が一人と、双子の弟が二人いて、アイナが長女。


 彼女が攫われて傷を負って入院をしたので、両親も下の兄妹達も心配したことだろう。


 だから差し入れを持って彼女の家に行ったんだけど、その時になぜかルカ様も来たのだ。


 私は彼が別に来る必要はないと思ったんだけど、


『妻の友人に差し入れを持っていくことは普通だろう?』


 とのことで、一緒に行った。

 でもルカ様が来たことで、アイナのご両親がめちゃくちゃ恐縮してしまっていた。


『マ、マクシミリアン公爵家の当主様で、精霊の守り人の総司令であるルカンディ様が、ただの平民の私達の家に来ているなんて……!』

『これは夢よ、あなた。絶対に夢、ほらそこに私達の天使がいるから、絶対に夢よ』

『妻よ、私達の子どもである天使はいつも現実にもいるんだぞ』

『あら、そうだったわね』


 ……恐縮していたのかしら?


 アイナのご両親は気さくで面白い人たちだけど、ルカ様と話す時はいつもより緊張していらしたわね。


 でもアイナの弟妹達は、ルカ様を気に入っていた。


『わぁ、王子様みたい! 王子様、私と結婚してください!』

『姉ちゃん、バカだなぁ。この王子様はもうミランダ姉ちゃんと結婚しているんだよ』

『えっ、ミランダ姉ちゃん結婚したの!? 僕と結婚してくれるんじゃなかったの!?』

『弟よ、バカだなぁ。ミランダ姉ちゃんはもう結婚してるし、してなくてもお前なんか選ぶわけないだろ』

『そんな男よりも、僕のほうがミランダ姉ちゃんに相応しいよ!』


 ……気に入っていたかしら?


 でもルカ様に失礼な物言いをしていて、アイナやご両親がとても焦っていたわね。

 ルカ様はそのくらいで怒るような人ではないから、私は大丈夫だと思っていたけど。


 実際にルカ様は起こらなかったし、逆にいつもは固い表情筋が緩んで笑みを浮かべていた。


「ルカ様って意外と子どもが好きなの?」

「ん? ああ、アイナ嬢の弟妹さんたちのことか?」

「ええ、あの子達に対しては優しかったから」

「そうか? 子どもに対して、あのくらいの態度は普通だろ」

「でもいつもより口角が上がっていた気がするわ」

「あの子達は可愛かったしな。それに……俺が無表情でいたら、街で子ども達に泣かれたことがあるから」

「ふふっ、そうなのね」


 確かにルカ様は美形だけど、無表情だと少し怖いのかもしれない。

 特に子どもには怖がられてしまうだろう。


「だから子どもと接する時は意識的に口角を上げているつもりだ。だが、アイナ嬢の弟妹さんは意識せずとも穏やかな気持ちになったな」

「あの子達は可愛いからね」

「ああ、俺にもビビらずに接してくれたしな」

「ビビるというか、舐められていなかった?」

「そうかもな。それはそれで新鮮で楽しかったが」


 ルカ様はそう言って思い出したように穏やかに笑う。


 その笑顔にまたドキッとしてしまって、私は一度視線を逸らした。

 子ども達と絡んでいた時の笑みがいつもと違う感じがしてドキドキしたけど、その時のことを私も思い出してしまった。


「ミランダは、子どもは好きなのか?」

「え、ええ、そうね。子どもなら全員好きというわけじゃないけど、アイナの弟妹のような可愛い子は好きよ」

「ああ、そうみたいだな。あの子達に慕われている姿は、姉というよりかは母のようだったぞ」

「……それは嬉しくないけど」

「そうか? だがミランダなら、良い母親になりそうだな」


 ルカ様はそう言って私のことを見つめてくる。


 私が良い母親ね……考えたことなかった。


 ルカ様と結婚する前は、早く辺境の村に行って家族から離れたいとしか思っていなかった。


 確かに自分に子どもができたら、しかもそれがアイナの弟妹みたいに可愛い子だったら。

 絶対に可愛がるわね、うん。


 私の子どもというのもあるし、ルカ様の子どもだったら男の子でも女の子でも、めちゃくちゃ可愛いだろう。


 ……ん?

 ルカ様との、子ども?


「っ……!」


 そこまで考えて、私は顔に火が出るほど熱が上がった。


「どうした、ミランダ」

「へ、変態!」

「はっ?」

「こ、子どもが欲しいって、変態じゃない!」

「何が……ああ、そういうことか」


 ルカ様は察したようにふっと笑う。


「そういえば初心だったな、ミランダは」

「うっ……!」

「夫婦なんだから、そういう行為をすることもあるだろう。俺達はまだしていないが」

「し、しないから! 私達は一年後には離婚するんだから!」

「そういえば、そんな契約をしていたな」


 ルカ様はいきなり馬車の中で立ち上がって、私の隣に座った。

 身構えようとしたけど、その前に彼の手が私の腰に回された。


「俺は、離婚するつもりはないぞ」

「なっ……!」

「あの契約も『どちらかが望むなら離婚していい』というような書き方だから、離婚しなくてもいいんだ」

「わ、私は離婚するつもりだから!」


 至近距離で口説いてくるルカ様に、私は真っ向からそう言ってやった。

 しかし彼は腹を立てた様子もなく、穏やかに笑う。


「ああ、今はそれでいい。だが――」


 ルカ様は私の額に唇を落とした。


「――前にも言ったが、俺は手に入れたいと思ったものは、何が何でも手に入れたいからな」


 そう言って不敵に笑ったルカ様。


 彼の整った顔が近くて、心臓が高鳴りすぎて、痛くなってきたので――。


「ふんっ!」

「いっ!?」


 頭突きをした。

 私も特に頭が硬いわけじゃないので、彼と一緒に額を押さえて痛がる。


「おまえ、いったい何を……!」

「ル、ルカ様が近づいてきたから……」

「やるにしても、もう少し手加減しろよ。お前まで痛がってるじゃないか」


 お互いに額を押さえながら顔を見合わせて、そして笑った。


「はぁ、本当にミランダは……予想がつかないな」

「そっちのほうが面白いでしょ?」

「ああ、ミランダほど面白くていい女を俺は知らないな」

「っ……私もルカ様ほど悪い男を知らないわ」

「お互い様だな」


 そんな会話をしていると、馬車が停まった。


 どうやら精霊魔法学校に着いたようだ。


「じゃあ、私は新しいクラスに行ってくるわ」

「ああ」


 私が馬車のドアを開けると、やはりいろんな生徒から注目されていた。


 まあこれも慣れないといけないわね。


「ミランダ」

「ん?」

「頑張ってこい。今日は夕食、一緒に食うぞ」

「……ええ。いってきます」

「ああ」


 なんだか家族らしい、夫婦らしい会話を最後に、私は馬車を出てルカ様と別れた。


 彼が乗った馬車を見送った後、私は学校のほうへ歩き出す。


 まだ少し痛い額を押さえて。


 その額に残ったルカ様の唇を思い出さないようにしながら。



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精霊隠しの契約結婚 ~出涸らしの私が結婚できない男に溺愛されました~ shiryu @nissyhiro

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