終章 俺の名前はニャン太郎
一樹たちと再会した時点で大怪我をしていた俺は、その後真っ先に動物病院へ運ばれた。傷跡こそ残ってしまったものの、腕の立つ獣医たちのおかげで、大事にならずに済んだ。
数日後、俺が久し振りに一樹と学校へ向かうと、一樹たちに対する周囲の目が大きく変わっていることに気づいた。
デートの瞬間を学校の誰かに見られたのか、一樹と二葉は「校内屈指の高学歴カップル」として一躍有名になった。特に、高嶺の花だったあの二葉を射止めたとして、一樹は校内のみならず他校の生徒からも声をかけられるほどにもてはやされた。六代先生を除く先生方に「不純異性交遊だ」と叱られたり、二葉を狙う男たちに妬まれたりと、嫌なことも少なからずあったみたいだが、二人の幸せそうな顔を見る限り、それらは些細なことでしかないように思えた。
学業のほうはどうかというと、そちらもまったく問題なかった。一樹、二葉、五李の三人で切磋琢磨しつつ、そこに三四郎も交え、四人で安定した好成績を収め続けた。
一番驚かされたのが、三四郎が学年上位三十位以内に入り、掲示板に張られるテスト結果の紙に名前が載ったことだ。俺たちは目を疑ったが、それでも特に一樹は、友人の努力が報われたのを自分のことのように喜んでいた。
一樹と五李も上位三位以内を維持していたが、やはり何よりも凄かったのは二葉と言えよう。前回のテストで順位を大きく落としてしまった二葉だったが、周囲からの心配や侮蔑を振り払うかのように、次のテストでは全教科満点という信じられないような結果を叩き出した。その後のテストでも学年一位を記録し続け、周囲からは「女王の帰還」と称えられていた。
学校の外でも、一樹は二葉たちとの親睦をさらに深めていった。
三四郎には、バッティングセンターやコンビニの青年誌コーナーなど、半ば強引に引っ張られる形で男子らしい娯楽を教えてもらった。インドアな一樹が運動することの楽しさを知ったり、性の知識を身につけたりするのに一役買ってくれたようである。
五李とは、テストの学年一位を取り続けていた二葉を倒すべく、「二葉の首を討ち取り隊」として結託し、普段四人で行う勉強会とは別に、二人のみでの勉強会に励んだりしていた。それを二葉に見つかったときは、二葉が浮気現場だと勘違いして泣き出してしまったが……。
二葉とは恋人同士として、家族絡みの付き合いも増えていった。お互いの両親が初めて対談したとき、まさか二葉の父親が大手企業の代表取締役だとは知らず、一樹の両親は蛇に睨まれた蛙みたいに縮こまっていたが、二葉の母親が気さくに振る舞い、二葉の父親が一樹のことを感謝したのもあり、最近では何度か親同士で食事をするくらいには打ち解けていた。
二葉自身とも、一樹はデートの頻度を増やしていったようである。俺は二人が出かけるときは留守番するようにしていたから、デートしている様子をほとんど見かけなくなったが、たまに見かけたときの二葉のべた惚れっぷりがとにかく凄まじかった。
家でデートをしているとき、二葉は隣に引っついて指を絡めたり、甘ったるい声で囁いたりして、一樹とのスキンシップを図っていた。一樹は二葉が豹変したと酷く動揺していたが、俺は二人が付き合う前から二葉の奇行を目の当たりにしているので、自分の心をありのままにさらけ出しているだけなのだと理解できた。
基本的には人目につかないようにデートをしていたようだが、三四郎と五李、そして恋愛事情に理解のある六代先生には隠すことなく振る舞っていた。六代先生は「行きすぎた行為だけはしないように」と時折注意していたものの、信頼している二人が晴れて結ばれたことを心から祝福していた。
一樹たちが高校三年生になり、進学するための受験シーズンに入ったときも、六代先生は勉強に励む一樹たちを応援し、力になってくれた。特に、国内トップクラスの偏差値を誇るという東応大学を志望する一樹、二葉、五李の三人には、過去の問題集を持ってきてくれたり、試験の出題傾向を調べてくれたりと、至れり尽くせりのサポートをしてくれた。
受験生同士で励まし合ったり、一樹の両親にも支えてもらったりしながら、一樹は冬の大学入試に臨んだ。俺は一樹の両親と一緒に見届けることしかできなかったが、試験をすべて終えて帰宅した一樹はやりきった顔をしていた。受験勉強を含めて、最後の一秒まで後悔しないよう努めた者にしかできない顔だった。
そして、合格発表の日。一樹は二葉、五李と一緒に、合格者の受験番号が掲載されたホームページを、通話しながら同時に開いて確認した。張り詰めた緊張感が漂う中、一樹たちが自分以外の受験番号を見つけたと声を上げ、それによって三人とも無事に東応大学を合格したことを知った。一樹たちのみならず、そばで見守っていた一樹の両親も感涙し、その場はしばらく歓声の渦に包まれた。
後日、一樹たちとは違う大学に受験していた三四郎からも、合格したという吉報が届いた。一樹、二葉、三四郎、五李の四人は曇りのない笑顔を浮かべたまま、桜並木とともに東雲高校の卒業式を迎えられた。
それから長い月日が経ち、一樹たちの飼い猫になってから六年目の春を迎える。
優秀な成績を収めて大学を卒業した一樹は、東応大学文学部の助教として新生活のスタートを切った。学生のころから教授たちの信頼を得ていたらしく、多忙で目が回りながらも、充実した日々を送ることができているそうだ。当面は、二葉との初デートのときに両親からもらった一万円を百倍にして返すことが目標らしい。
二葉は大学でも群を抜いた成績を維持し、周囲を驚嘆させていた。人間の中で容姿端麗なのもあり、ミス東大という美男美女を決めるコンテストでもグランプリを取ったりしていた。
大学を卒業すると、二葉は父親が経営する大手企業に新入社員として入社した。親のコネなどではなく、実力で掴み取った採用だった。周りと同じ土俵で一から地力をつけ、将来は父の跡を継いで企業を支えたいと二葉は語っていた。二葉ほどの優秀な人間なら、努力が実を結ぶのも時間の問題だろう。
ちなみに、一樹と二葉は大学生になってから、東応大学の近所にあるアパートで同棲するようになっていた。引っ越す際に、二人の要望で俺も一緒に行くことになった。一樹と一緒にいられることは素直にうれしかったが、同棲してからの二葉はたがが外れたかのようにスキンシップがエスカレートしており、俺にとっては目も当てられない日々が続いた。
五李は理系の道を進み、卒業後は世界を股にかける大手のIT系企業に就職した。大学での成績も二葉には敵わなかったが、就職が決まったときに「ようやく二葉と肩を並べられた気がする」と号泣していた。二葉も涙ながらに祝福し、「お互いに頑張っていこうね」と抱き合って激励した。
三四郎だけは別の大学に通っていたが、最近の電話で、地元の銀行への就職が決まったと朗らかに報告してくれた。「お前が付きっきりで勉強を教えてくれたおかげだ」と礼を言われると、一樹はうれしさのあまり感涙してしまった。「いつかまた一緒に遊ぼう」と一樹が呼びかけると、三四郎は「当たり前だろ」と気前良く返事を返してくれた。
一樹と二葉は電話でのやり取りでしか三四郎の近況を直接聞けなかったが、それ以外の詳細は五李から教えてもらうことができた。意外なことに、五李は三四郎のことを気にかけ、暇ができれば三四郎が一人暮らししているアパートに押し入り、通い妻みたいなことをしているそうだった。五李にスマートフォンで見せてもらった写真には、髪を黒く染めてソフトモヒカンにした三四郎が写っていた。
五李自身は「あいつの部屋が汚すぎて見ていられなかっただけ」とつっけんどんに語ったが、恋心が芽生えたんだなとにやにやしながらも、俺たちは三四郎と五李の仲を見守った。三四郎はああ見えて面倒見が良くて義理堅いところがあるから、きっとそこに五李は惚れたのだろう。
一樹たちが立派な大人になって歩み出す姿は、雛鳥が巣立っていくような虚しさと安堵感を覚えた。もう何の心配もいらないと思えた瞬間、俺は迷いなく自分自身の運命と向き合うことができた。
一樹たちが成熟した一方で、俺はというと、すっかり年老いてしまっていた。食欲は失せ、毛づくろいすら面倒になり、仮にも東町のボスだった俺は見る影もなく痩せ衰えた。
異変に気づいた一樹と二葉が、家族や三四郎、五李、六代先生を呼んで俺を動物病院に連れていってくれたが、獣医に俺の寿命がわずかであると告げられると、一樹たちは酷く悲しみながらも、時間をかけて俺との別れを受け入れようと努めてくれた。
猫は死を悟ると、飼い主の前から姿を消すという。俺が一樹たちのもとから去っても、今度こそ別れのときが来たのだと受け入れてくれることだろう。一樹たちが仕事に行っているうちに、俺は一樹たちの善意で半開きにしてくれた部屋の小窓から抜け出し、久し振りに一匹で東町を歩いていった。
石畳の歩道で優雅に舞う桜の花びらが、新たに訪れた春を彩る。車が慌ただしく行き交う一方で、ランドセルを背負った子供たちが無邪気に笑いながら桜のカーペットを軽やかに駆けていく。
昔と何ひとつ変わらない光景に、俺の心が満たされていくのを感じた。これからは、俺たちに代わって若い二匹が、この色褪せない平穏を守ってくれることだろう。
再び飼い猫になるのを受け入れてくれたグレーとは、一樹と出かけているときに何度か密会を重ねていたが、俺がそう長くないことを悟ると、グレーは自分が正式に東町のボスを引き継ぐと宣言してくれた。最近では昔の俺に引けを取らないくらい屈強になっており、振る舞いも垢抜けて頼もしい存在となっていた。
密会の際にグレーから聞いたが、西町のほうはあのブラウンがボスを引き継いだそうだ。前に会ったときのように横暴ではなく、俺たちの暴力で解決しない思想を受け継ぎ、今ではすっかり丸くなって理解のある猫に変わっているらしい。また、命を落としていたかもしれない自分を俺たちが救ってくれたことに心から感謝していたと、グレーは語っていた。
今のグレーとブラウンなら、野良猫たちの未来を安心して任せられる。東町の元ボスとしても、とうに心残りはなかった。ただひとつだけ、死ぬ前に大事な約束を果たさなければならないと思い、俺は最寄りの駅を見つけて線路沿いに歩いていった。
あいつの縄張りを知ったのは偶然のこと。だが今思えば、あの時のあいつは俺に隠すことなく縄張りに戻っていった。もしかすると、あいつは俺に自分の居場所を知ってほしかったのかもしれない――いや、それはさすがに自惚れが過ぎるかな。
自嘲するように笑いつつ、俺は約束のために相手の縄張りへ辿り着く。西町のアーケード商店街にある、『しろいろ』という店。いや、店主の婆さんが店を畳んでしまったのか、実際は前の面影がほとんど残っていない空き店舗となっていた。だが、特徴的な大きい看板は記憶に残っていたので、ここがあいつの縄張りだと確信できた。
昔のように高く跳ぶことができないので、樋や山積みになった段ボール箱を足場に少しずつよじ登っていく。息切れしながらやっとの思いで看板の裏に辿り着くと、鉄骨が入り組む中、軒の上で丸くなるシロの姿を見つけた。
こいつも随分と老いてしまったなと思った。元々華奢だった体つきが、あばら骨がうっすらと浮き出るほどに痩せこけ、毛のつやもなくなりぱさついてしまっている。大きな水溜まりに浸ってずぶ濡れになっていたが、水溜まりから離れる力すら残っていないようだ。
「……クロ?」
ようやく俺の存在に気づいたシロが、声を上げてゆっくりと身を起こす。
さらにシロのほうへ歩み寄ると、水溜まりに白髪だらけの干からびた自分の顔が映った。そんな俺を見て、シロもすべてを悟ってくれたようだ。
「一緒にいてくれない?」
シロはそれだけを言い、多くを語らなかった。話す余力すら残っていなかったのかもしれないし、話さずして満足してしまったのかもしれない。俺も同じだったからだ。
俺はこくりとうなずくと、シロのそばに寄り添い、水溜まりの上で一緒に丸くなった。
シロの体はひんやりと冷たくなってしまっていたが、まだわずかに温もりが残っていた。風前の灯火をまだ消さないでいてくれたのは、俺が約束を果たしに来ることを信じて待っていてくれたからだろうか。
だがもう、シロはその火にくべることすら止めてしまったようだ。気持ちよさそうに眠るシロの顔は、微塵の未練も残っていないように見えた。
俺は密かに、水溜まりに映るシロの頬を舐めた。そして、シロに続くように静かに目を閉じ、眠りについた。
俺の首で、かけがえのない友からもらった鈴のメダルが燦爛と輝く。いつの日か、輪廻転生の果てに一樹たちとまた巡り合えることを願うばかりである。
黒猫ニャン太郎 阿瀬ままれ @asemamire_m
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