第39話 最終話

 ヒデヨシは海面に顔を出した直後、岬の爆発を目撃した。


「おい、嘘だろ」


 大きな火柱と噴煙とともに、先ほどまであった岬の先端部分が焼け落ち、海に崩落していく。凄まじい勢いの爆発だった。


 ヒデヨシは、博士のパソコン上の設計図に記載されていた、不可解な爆弾のことを思い出した。「妻」を再現したアンドロイドに搭載するにしては、そぐわない物騒な機能だと思ったが。それがなぜ仕掛けられていたのかを、唐突に理解した。


 ––––ナビィを、誰にも悪用させないためだ。愛する人を模ったアンドロイドを、他の誰にも暴かれないために。博士は自爆装置を仕掛けたんだ。


 あまりに突然の別れに、ヒデヨシはそのまま、海を漂っていた。目の前で起こったことなのに、脳が現実を理解するのを拒否しているみたいだった。とにかく爆破現場に行かなければと思い直し、崖沿いに陸に上がれる場所を探して泳いで行く。


 息を切らしながらたどり着いたそこには、地獄絵図が広がっていた。


 肉片があちこちに飛び散り、人だったものの残骸が血溜まりを作っている。地面は焼けこげ、爆発の中心地はえぐれていた。


 夕日が、燃えるようだった。


 焼けた肉の匂いに鼻を覆いながら、「彼女」の痕跡を探していく。すると、夕日の光を反射して、地面の上で紫色に輝くものを見つけた。


 それは、ナビィの破片だった。高熱でひしゃげていて、どこの部品かはわからない。ヒデヨシはそれを手に取ると、手のひらでしっかりと握りしめた。


 銀色の金属はまだ熱かった。あたりを探ってみれば、一つ、二つと、散り散りになった彼女の破片が見つかる。


「ナビィ……」


 涙は出なかった。

 ただ後悔だけが押し寄せた。


「ふざけんなよ」


 どうして彼女の気持ちに、最後まで答えてやらなかったのかと。言葉にしてやらなかったのかと。


 彼女には感情があった。––––そして自分にむけられた「愛」は本物だった。


 ナビィを失った今、捻り潰されるような胸の痛みとともに、ヒデヨシは自分の気持ちに気づく。


「俺はまた、好きになった女を、泣かせたまま死なせちまった」


 アンドロイドのナビィを、自分は確かに愛していたのだと。


 ◇◇◇


 それからしばらくして、ヒデヨシはハヤカワ博士の屋敷を買い取った。行方不明の人物が持ち主だったため、手に入れるまでに時間はかかったが。不法な手段にまで手を染めて、ヒデヨシは屋敷を自分のものにした。


 以降はずっと洋館に篭りきりだった。ヒゲも赤髪も伸び放題。見た目を気にする余裕もなく、ナビィを復元するための研究開発に打ち込んだ。


 外出もほとんどせず、食事もろくに取らない。肌は白くなり、体は痩せこけた。


 ナビィの指先に刻まれていた指紋は、屋敷の扉に残されていたものを入手し、復元することで隠し部屋のロックを解除することができた。ルカとともにナビィのデータの入ったパソコンは吹き飛んでしまったが、別の隠し扉にバックアップを見つけた。それもあってナビィの復元は、順調に進んでいた。


 ––––あと少しだ、あと少し。もう少しで、また、ナビィに会える。


 ナビィにインプットされていたヒデヨシとの日々の記憶は、残念ながら失われている。ナビィの過去の記憶はデータベースに保管されていたが、ルカに再起動されてから、ヒデヨシと博士の隠し部屋に至るまでの記憶データは保存されていなかった。


 その事実を知ったとき、ヒデヨシはしばらく研究の手を止めた。


 ––––あのときのナビィが戻ってこないなら、復元する意味はあるのか? 俺と過ごした記憶がないのなら、感情を持った別のアンドロイドを作ることと変わらない。


 自問自答した結果。ヒデヨシは研究を続行することに決めた。

 たとえ記憶がなかったとしても、笑顔のナビィに会いたかった。


 ––––もう一度、やり直せばいい。もう一度学習させればいい。


 しかし今度は材料が揃わない。ハヤカワ博士がナビィを作り上げた時代に比べれば、資源は圧倒的に枯渇していた。苛立ちを募らせながら、ヒデヨシはあちこちの業者と交渉をし、材料を集めようと奮闘していた。


 ある日の業者との打ち合わせの帰り、ヒデヨシは旧市街の近くで、一台の人型アンドロイドを見かけた。ナビィのような完全な人形ではなく、ボディはピンク色の塗装をされている、介護用ロボット。


 ––––なんだ、あれは。


 アンドロイドの腕には、脱力した男の体が抱えられていた。おそらくもう生きていない。近くを通ったとき、腐敗臭が漂っていたからだ。


 天使のような微笑みを浮かべたアンドロイドは、見守るような優しい眼差しで、朽ち始めている主人の体を大事そうに抱えて、砂漠の奥へ向けて歩いていく。


 最近の介護用アンドロイドには、「看取り」の機能がついている。主人が孤独死をした場合、葬儀の手配をしたり、家族や知人への連絡をしたりして、死後の一切を取り仕切ってくれるというものだ。死体を外に連れ出して、こんなところを移動しているというのは、明らかに異常な挙動だった。


「プログラムが、うまく作動しなかったのか」


 アンドロイドの顔は笑っているが、ヒデヨシには泣いているように見えた。じっと、ただ、主人だけを見つめ、死体の頬を撫でている。


 あのアンドロイドは、どこへ向かうつもりなのだろう。主人の屍が朽ち果て、砂になるまで、ずっと一緒にいるつもりなのだろうか。自分が壊れて、動けなくなるまで。


「……俺は」


 ヒデヨシは頭を抱え、地面に膝をつく。


 「ナビィ」はもう一歩で完成するところまで来ている。材料が揃えば、そう時間はかからない。


 彼女そのものを創り上げ、感情を与え、自分への好意を植え付け。愛を分かち合う。そうすればヒデヨシは幸せになれるかもしれない。葛藤はあるだろうが、それでもきっと、幸せな余生を送れるはずだ。


 ––––でも、俺が死んだあと、ナビィはどうなる?


 心を通じ合わせたその先にあるのは、ヒデヨシの肉体の死。砂漠に消えていくアンドロイドのように、ナビィは悲しむかもしれない。


 実際、彼女はハヤカワ博士の死を前に、感情を発露させ、嘆き悲しみ、すべての記憶を消去した上で、自ら電源を切った。彼女にそんな思いをさせないために仕掛けられていたはずの時限爆弾は、彼女自身の判断により作動しなかった。


「俺は、なんてことを」


 ハヤカワ博士は愛した妻を忘れられなくて、妻のコピーを作り上げた。


 ナビィは博士を愛することを強要され、思い悩んだ。


 ついに彼女が愛を理解した瞬間は、彼女の創造主がこの世を去ったときだった。


「俺は、博士と同じことをしようとしてたのか。自分の寂しさを埋めるために、彼女を作り上げようと。自分が死んだあとの、彼女のことも考えずに」


『かわいそうだよ』


 ナビィの声が頭の中にこだました。


『人間のために作られて、働かされて、ひたすら奉仕させられて。「怒ること」は許されず、理不尽に耐えて、それでも愛情や真心を返すことを求められる。そんなの、奴隷と同じでしょ』


『ヒデヨシ、ごめん。好きだって言ってくれたのに。アンドロイドで、ごめん……。あなたのことも傷つけちゃった。博士のことが辛くて、悲しくて。自分で記憶を消したの。自分で電源を切って……。ここでずっと、博士と一緒に眠るつもりだったの』


 ヒデヨシは、ナビィの絶望を知っている。それなのに、自分自身の心を救うために、博士が犯した過ちを繰り返そうとしていた。


『今日を生きて、ヒデヨシ』


 最後に見た泣き顔が思い出される。

 夕日に照らされた彼女は、どんな顔をしていても綺麗だった。


「今日を生きるよ、ナビィ。俺は、今日を生きる……」


 その日を境に、ヒデヨシはナビィの復元を放棄した。研究室にあるすべてを処分し、屋敷も更地にして売った。


 ヒデヨシは寄付をしていた保護施設を買取り、貧しい人々の生活に寄与することに心を砕いた。「今日を生きて」というナビィの願いを胸に、生きている限り、誰かが笑顔になれることをしようと考えた結果がそれだった。貧民街の仲間たちも手を貸してくれている。


 ナビィが自分を笑顔にしてくれたように、自分も、誰かを笑顔にする今日を重ねていく。それがヒデヨシの毎日を生きる意義になった。


 それからいろいろなことがあった。


 国はより貧しくなり、人口はどんどん減っていく。ついにヒデヨシの国も隣国と戦争を始め、限られた資源を奪い合った。

 幸いリトルトーキョーは爆撃などの被害に遭わなかったが、貧しさは極まり、多くの人が死んでいった。


 戦争を乗り切り、さらに何十年かが過ぎた頃。ヒデヨシの体もついに限界を迎えた。


 だが、病院の天井を眺めながら、そのときを待つのは嫌だった。


 ヒデヨシはこっそりと病院を抜け出すと、ナビィとの思い出の地を巡った。手にはナビィの破片を握って。今や廃墟になった辺境の自宅、ナビィを連れて行った警備隊の詰め所、新市街のスーパーマーケット、ブランドショップ「アルピノ」の跡地。エリザベードの屋敷は、すでに空き地になっていた。


 ナビィを失った悲しみから立ち直って以降も、ヒデヨシがナビィ以外の女性に関心を示すことはなかった。ずっと、彼女の姿だけが、心の中で一等星のように瞬き続けている。


 薄暗い林を抜けると、秘密の花園があった。


 白い花が揺れる。芳しい香りが、鼻をくすぐった。あのときと、ここの景色はなにも変わらない。彼女と寝転がり、語り合った日が、まるで昨日のように蘇ってくる。


 ふと、視界の端になにか映った気がした。

 視線を向ければ、遠くに誰かが立っているのが見える。


 その姿を認めて、ヒデヨシの心臓は激しい鼓動を繰り返した。


 美しい女だった。

 まるで、子どもの頃に絵本で見た妖精のような。


 陶器のような肌に、ヘーゼルブラウンの柔らかな髪、髪色と同じ色の瞳。

 それは紛れもなく、「彼女」だった。


「ナビィ……?」


「ヒデヨシ!」


 満面の笑みの彼女が、元気よくこちらに駆け寄ってくる。最後に見たあの日の、ナビィそのままの姿がそこにはあった。


 ––––博士の妻の「ナビィ」か? いや……違う。


 ナビィの背中には、「翼」が生えている。しかしそれは、羽毛をまとった天使のような翼ではなく、鋼の骨組みに、ガラスを嵌め込んだような形状をしていた。鋼の翼を悠々とはためかせるナビィは、自由で、幸せそうだった。


「本当に、『あの』ナビィか?」


「そうだよ。ヒデヨシはずいぶんおじいさんになったねえ」


 おどけた様子で笑うナビィに、ヒデヨシはかつてのように悪態をつく。


「うるせえ。お前が『生きて』なんて言い残すから、生きてやったんだろうが。なんだよその言い草は」


「ごめんて」


 涙で視界が歪む。せっかく求め続けた相手が目の前に現れたのに。こんな憎まれ口しか叩けない自分に、嫌気がさす。


「アンドロイドにも魂はあるのか」


「ある、みたいだねえ。じゃないと、私がここにいる説明がつかないでしょ?」


 ––––そうか、本当に、あの、ナビィか。


 ナビィはつま先立ちをして、ヒデヨシの頬に手を添え、涙を拭う。


「世界はわからないことだらけだな。人間の科学でわかってることなんて、本当にちっぽけな部分でしかない」


 ナビィは微笑んだ。相変わらず無邪気で、愛らしくて、柔らかな微笑みだった。


「……迎えに来たよ」


「遅えよ」


「早すぎても困るでしょ。ヒデヨシは、自分の人生を生きてたんだから」


「うるせえ! 俺はな……」


 せっかくナビィが拭いてくれたのに、涙がとめどなく溢れ出す。


「うん」


「お前にずっと、会いたかったんだよ」


「うん」


「最後に、ちゃんと伝えられなかったことが、ずっとずっと心残りで」


「うん……」


「お前は勝手に死んじまうし」


「……」


「聞いてんのか」


「聞いてるって」


「だからな、俺は……」


 涙を止めたいのに、止まらない。言葉を紡ぎたいのに、うまくできない。


 ナビィはヒデヨシの手を取った。もうほとんど温度の残っていない、冷たい掌を。


 ヒデヨシはやっとのことで、言葉を捻り出した。最後まで伝えることのできなかった、アンドロイドのナビィへの想いを。


「俺はお前が好きだった。愛してた。お前が人間か、アンドロイドかなんて関係ない。ずっとずっと、お前と一緒にいたかった」


 涙まじりのその言葉を聞いて、ナビィはひまわりのように微笑んだ。


「私もだよ。……置いていって、ごめん」


「ほんとだよ、クソ野郎が」


「それ、愛する女性に言う言葉?」


「……俺の口の悪いのは、知ってるだろうが」


「知ってる」


 朗らかに笑うナビィの小さな顔を、ヒデヨシは両手で引き寄せる。


 額を合わせ、お互いの温もりを分け合った。アンドロイドのはずのナビィの肌も、なぜだかヒデヨシには、温かく、心地よく感じた。


「これからは、ずっと、一緒だ」


「うん」


「ナビィ」


「なあに?」


「愛してる」


「私も、愛してるよ!」


 いつの間にかヒデヨシの姿は、ナビィと過ごした頃の姿に変わっている。


 ヒデヨシはナビィの背に合わせて屈み、柔らかな唇に、自分のそれを合わせた。ナビィは軽く微笑むと、ヒデヨシの体を抱きしめて、彼の唇に応える。


 眩い光があたりを包み、ふたりの姿は一瞬にして消えた。


 花園に残された年老いたヒデヨシの肉体からは力が抜け、がくりと地面に倒れる。彼の口から、ふたたび言葉が紡がれることはなかった。


 そのまま何年もの時が経ち、秘密の花園は忘れ去られ、ヒデヨシの体も朽ち果てた。

 古びて土まみれになった服と、骨と、ナビィの破片を残して。




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