スタジオのみなさん、聞こえますか

紫鳥コウ

スタジオのみなさん、聞こえますか

 羽子帆波はねこほなみからのテキストメッセージに返信をすると、しばらくやりとりが続いてしまい、眠たくなっていたはずが、すっかり目が冴えてしまった。

 明日は早く起きなければならないということを知っている帆波は、冗談めいたメッセージを送ってくる。


《眠そうな感じだったら、笑っちゃうかも》


 どのスイッチがどこの明かりに対応しているのか、また忘れてしまっている。真っ暗にするより、ぼんやりと明るい方が、寝心地がいい。

 アラームが鳴る時刻を確認し、スマホを充電器に繋いだ。目をつむり、日本海の細波さざなみを聞く。


 もう「ロケ芸人」としてはくを付けられてしまった。スタジオに呼ばれることもなければ、ネタ番組に出ることもできない。

 たまに、「ピン芸人」にフォーカスしたバラエティ番組のオファーがあるけれど、それはもちろん「バラシ」になってしまう。

 本命の芸人のスケジュールがダメだったとしても、もうひとり仮押さえしている芸人がいて、そいつもダメだったら俺……という感じなのだろう。


 しかし、ロケの仕事はいくつも舞い込んでくる。

 そして場数をこなすごとに、テクニックも磨かれていく。コンビ芸人の合わせ技を使えない分、オープニングの手数には限界があるけれど、VTRがはじまって一発目の「掴み」で外したことは滅多にない。


 だけど明日は生放送だから、ある程度は「守り」に入らなければならない。しかも、朝のニュース番組のワンコーナーだ。道の駅の名産品を伝えることが、最大の目的であって、そこに「笑い」は必要とされていない。

 必要とされているのは「コミュニケーション力」と「語彙力」だ。

 道の駅の担当の方がのびのびとお話しできるような場を作り、商品の美味しさが伝わるように表現を巧みに使う。


 ダメだ。仕事のことばかり考えてしまう。


     *     *     *


 仕事に真面目で、細やかな気配りができて……わたしの困っているときに、さりげなく助けてくれた――というのが、俺のことを好きになった理由だと言っていた。


 ある先輩芸人がMCをしている番組で、日本各地の商店街を紹介するというものがあった。その番組のロケ担当として、帆波と一緒に各地で「仕事」をしてきた。

 そうしているうちに、自然とお付き合いをすることになった。


 賞レースで結果を出していない、大きなブレイクをしたわけでもない、イケメンランキングなどには縁もない俺が、雑誌でグラビアを飾ることもあるアナウンサーと付き合うことができるなんて、ほんとうに夢みたいだ。


     *     *     *


 どうも眠ることができない。元カノのことを思いだしてしまうのだ。

 七年も一緒にいた。同棲もしていた。それなのに、振られてしまった。喧嘩をしたわけでも、不倫におぼれたというのでもない。


「飽きた」――この一言は、当時の俺を打ちのめした。


 賞レースで好成績を残したこともなければ、テレビ番組に引っ張りだこになった経験もない。見た目はいたって普通だと言われている。

 よくこんなんで(ロケ芸人として)売れたものだ――そう、先輩にからかわれたこともある。


 いま、ロケの腕前を評価されていたとしても、いつか「飽きられる」可能性はある。華のある若手に仕事を奪われるかもしれない。そうしたら、帆波とも別れることになるに決まっている。

 彼女には、もっと相応しい相手がいるのではないか。そういうことを考えてしまうのも、決して少なくない。


 いま、目の前の仕事をパーフェクトにこなすことでしか、そうした懊悩おうのうには抗えないだろう。

 明日……今日の朝の仕事だって、そのなかのひとつだ。

 なにも失敗しないこと、スタッフさんの信頼を得ること、もう使いたくないと思われないこと。これを心がけなくてはいけない。


     *     *     *


「スタジオのみなさん、聞こえますか?」


 ニュース番組のワンコーナーに、あまり時間は割かれない。「掴み」の一発ギャグから入る余裕はないし、そのような指示は出ていない。

 しかもこの日は、幸先がよくない。「聞こえますでしょうか?」と言うべきだった。

 この微妙な言葉の違和感が、収録が終わってからも気になって、仕事ぶりを周りから褒められても落ちこんでしまう。


(それにしても……)


 舞台の上に立ち、お客さんを笑わせる。そんな仕事がしたくて、お笑い芸人になったのに、本当にこれでいいのだろうか。

 それに、これから先のことを考えると、ロケばかりで食えるわけがない。


 それでも今日も、ロケをこなす。笑顔を絶やさない。軽やかに、楽しそうに、剽軽ひょうきんにふるまう。

 しかし、俺のこころには、それとは反対の気持ちが根付いていて、激しい葛藤に悩み苦しんでいる。

 そんなことは、だれも知らないし、知ろうともしてくれない。



 〈了〉

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