17:余話 崇拝


 何度、こういった光景を目にすることになれば、私の心は慣れてくれるのだろうか。


 訪れた田舎町の一角、夕焼けに染まる町並みの赤黒い景色に――たまらず、口元を押さえる。


「…………全員、死んでいますか」

「そうね。殺されている、が正確だけど。……ごめんなさい、失言だったわ、リディヴィーヌ」


 隣に立つ少女――エヴァが緩やかに答えた。

 あわく波打つ長めの茶髪を可憐に揺らしながら、地に伏した住人たちを前にして、首を振る。


「逃げたクソゴミクズはエドメが致命傷を負わせたはずだけど、どうやら蛆虫うじむしみたいにしぶとく生き延びてるみたいね」

「…………」


 その愛らしい顔立ちからは想像も付かないほどの汚い言葉が、彼女の口から次々と飛び出す。

 何度も聞き慣れた“旧友”の言葉選びに、しかし、今日だけは救われた気持ちになった。


 ――目の前には、この町で暮らしていたと思われる住人たちの無惨な死体がいたるところに散乱していた。


 路地裏や家屋のそば、井戸のふち、畑の中に至るまで、場所を選ばず血と肉が飛び散り、見る者の心を凍りつかせるような惨状をていしていた。

 一刺しで殺されたとみれる住人もいれば、拷問の果てに残酷な死を遂げたと推測できる死体もある。


 老若男女ろうにゃくなんにょ問わず、全員が全員、例外なく殺されていた。

 ……そんな異常な光景を見ても、エヴァは一人、落ち着いた様子で周囲を確認していた。


「それにしても、逃げた能無し男の性癖せいへきまみれね。気色悪い」

「……性癖?」

「あら、情報共有はまだだった? いま追っているのはサリム・リッター、“串刺しサリム”なんて呼ばれてる異常者のクズよ」


 そう言って、彼女は一枚の羊皮紙ようひしを取り出す。


 渡されたのは何も書かれていない報告書。それに私が触れた瞬間、黒い液体がにじみ出して――サリム・リッターに関する詳細事項の文字が浮かび上がった。


 出身から経歴、得意とする魔術や苦手な戦法など、あらゆる項目が列挙れっきょされる中……所属する結社の項目に、一際目立つ文字で〈精鋭なる杖〉と記されていた。


「フォルトゥナに洗脳されたなんて言う団員もいたけど、この惨状を見れば、自分の意思で信奉者しんぽうしゃに“寝返った”と考える方が自然でしょうね」

「〈精鋭なる杖〉の全員が、ですか?」

「ええ、もちろん。そもそも、連中は五人全員が“魔術師至上主義者”のクズとして、結成初期から私たちの監視対象だったもの」

「…………」


 再度、サリムに関する報告書に目を落とすと、嗜好しこうの項目に『串刺しによる拷問』と書かれているのを見つけた。

 ……こんな危険人物を、自分が一切と把握していなかったことに後悔を覚えつつ、ゆっくりと死体の方へ歩み寄る。


 片膝を突いて、その死体の上に手のひらを乗せた。

 そして、しばらく……疑惑と恐怖を貼り付けたまま動かない死者の顔を見つめ続けて、私は判明した一つの事実を口にする。


「“魂”が……抜けていますね」

「やっぱり。貴女を呼んで正解だったわ。おかしいと思ったのよ」


 ぐるりと一帯の惨状を見回しながら、エヴァが不快そうに舌打ちを漏らす。


「フォルトゥナの目的は――」


 言葉が不意に止まり、そのとき――エヴァの背後を目掛けて、無数の槍が殺到さっとうした。


 大小様々な形状の槍が地をう一筋の線から分裂して跳ね上がり、少女の全身を貫かんと吹き荒れる。


(物質操作における流体制御、相手を滅多めった刺しにする戦術、これは……)


 咄嗟とっさに認識した奇襲をそんな風に分析しつつ、私は動くことができなかった。

 エヴァの身に迫る危険を、私が呆然と見過ごさなければならない理由は――私に向けられる彼女の右手にあった。


「――あら、やっと顔を見せたわね、クソゴミ能無し蛆虫以下のクズ」


 私の助けを断るように片手を上げて、突然、エヴァの周囲を何かがそそり立った。


 地面を裂けて飛び出す、巨大な植物の根だ。


 襲い掛かる無数の槍が、同じく、瞬時に膨れ上がった無数の根に絡め取られて、そのどれ一つとしてエヴァの肌に触れることは許されなかった。


「私相手なら奇襲で仕留められると思ったのよね……ああ、なんて……なんっっってあわれな脳みそなの……」


 怒りを通り越して、いっそ憐憫れんびんを滲ませた声で、少女が斜め向かいを見つめる。

 夕焼けに濃い影を落とす、静かな町並みの一点を見つめて、おもむろに右手を上げた。


「〈樹よ奔れ、ラディケス・地をめくり上セルペンテス・げて敵を捕らえよエト・インペディーテ〉」


 ぞっとするような声が魔術を唱えた、次の瞬間。


 大きな震動とともに、地面が盛り上がって――大量の土塊つちくれが空に跳ね上げられた。

 いで、地面をきながら勢いよく飛び出したのは、巨大な……あまりにも巨大すぎる樹の根だった。


「〈移動せよモヴェレ〉」


 エヴァの魔術が発動すると同時に、巻き込まれないよう、進路上に横たわる住人たちの死体をすみける。


 そんな私の配慮などお構いなく、巨大な樹根じゅこんはまるで地を這う巨蛇のように町の中を巻き込みながらし進んで、エヴァが見つめる一点に向けて猛然と雪崩なだれ込んだ。


 暴虐的な速度と質量が直撃した先は、二階建ての家屋だ。一瞬にして、衝突の轟音とともに建物が跡形もなく砕け散る。

 そして。


「……はあ、捕まえた。こそこそと盗み聞きなんて本当に気持ち悪いわね、ド腐れ野郎」


 地面を突き破って伸びた時と同じ速さで、急速にエヴァのもとに這い戻る巨大な樹根。

 進退するたび瓦礫がれきと土を巻き散らしながら、町の中に深々とした跡を作って、樹根は再び地面の中へと姿を消した。


 後に残された町の惨状は、初めに見た血みどろの景色とは違う次元で悲惨だったが……さておき。


 樹根が捕らえて連れ帰った敵対者が、エヴァの足元にうつ伏せで転がっていた。

 それは報告書で見た情報と一致する、追跡中の魔術師――サリム・リッター本人だった。


「ウェヘ、ヘヘ……何で、おいらの居場所が分かった?」

五月蝿うるさい」


 ぞんっ、と空気を裂いた音が鳴る。


 またしても地面から伸びた植物の根が、今度はサリムの四肢を貫いて、はりつけのごとくその全身を宙に浮かばせた。


 苦痛の叫びが溢れ出た魔術師の男の口を、伸びる蔦が幾重いくえにも絡み付いて封じ込める。


「ぐぐっ」

「エドメには後で説教ね。致命傷を負わせたと言っていたけど、まったくのデタラメじゃない」


 奇襲から拘束までその間、たったの数十秒。

 わずかな駆け引きも許さない無情の強さを前にして、私は感嘆かんたんの思いとともに……小さく首を振った。


「その男の半身は、物質操作による液体金属の義体ダミーのようです。このままだと変形して逃げられるので、包囲しましょう」

「!!」


 魔術師の男の目が大きく見開いた。


「あら……そういうこと」


 得心とくしんがいった、と言わんばかりに頷くエヴァが、新たな魔術を唱える。


「〈宿木の檻カウェア・ウィスキ〉――」


 その魔術が発動する直前、男を構成していた身体が、首と胸部だけを残してどろどろに溶け出した。

 

 液状化した金属がサリムの上体を乗せて、機敏きびんな動きでその場をひるがえる。

 しかし、それよりも早く、エヴァの魔術が“檻”を完成させていた。


「はい、おしまい」


 その場に閉じ込められるサリム。地面から新たに伸びた枝が絡まって束となり、四方を囲む面となって、つぼみの閉じるかのごとく球体を造り上げたのだ。


 一切の空隙くうげきも覗かせないほどに複雑に重なっていく枝は、やがて、鋼にも匹敵する牢獄へと変貌へんぼうする。


「さて、私はリディヴィーヌと話がしたいから、雑魚ゴミ虫はしばらくそこでのたうち回ってなさい」


 なおも厚みを増していく枝の球体に、冷めた声でエヴァが告げる。


 それから数秒後――地獄もかくやといった阿鼻叫喚あびきょうかんが、見えない檻の内側から鮮烈にほとばしった。


 そんなおぞましい音色とは無縁と云わんばかりの可憐な笑みを浮かべて、柔らかな巻き毛の少女がこちらを振り向く。


 ――〈制裁せいさいの術師団〉、筆頭審問魔術師、エヴァ・ギー。

 私の旧来よりの友人であり、同年代であるはずの彼女は……今も昔と変わらず、愛くるしい姿でそこに立っていた。




 戦闘から数分が経ち、町にあった住人たちの遺体を全て適切に対処し終えて、一息を付いた頃。


「こんな後始末に付き合わせてごめんなさいね、リディヴィーヌ」

「いいえ、これも私の役目ですから。……元をただせば、」


 首を振る私の頬を、出し抜けにエヴァの人差し指が軽く小突いた。


「……?」

「フォルトゥナの裏切りはあなたのせいじゃない。それでも、えて言うなら“黒百合の徒セクサンブラ”を作ったのは間違いだったでしょうね」

「…………」


 再び静かになった町の中に、エヴァが魔封具まほうぐを使って巨大な虚空の渦を展開させた。


 その黒い渦に向かって球体の檻を転がしながら入れると、ふう……とため息をこぼして、空をあおぐ。


「いずれ、こうなることは分かっていたでしょう」

「……それは」


 敵を追い詰める時とは打って変わり、子供をさとすような穏やかな語調で、エヴァが話を切り出した。


「――メリザンシヤは三大魔術師ルグリオの娘、ベルトランは元信奉者のみ子。

 ――フォルトゥナはアリギエイヌス討伐とうばつ作戦の帰還きかん者、エドメは黒月こくげつの国の元奴隷。

 ――ミリオールは迫害された死霊しりょう術師の末裔まつえい、シャルロッテは錬金術の国エンピレオの王室の血を引く子孫」


 つらつらと並べられていく私の弟子の名と出自に、改めて……胸の奥を鈍い痛みが走る。


 落ち掛けの夕陽によって赤一色に染め上がった町の景色を見つめながら、エヴァがどこか惜しむような声で、かぶりを振った。


「問題は、一つを間違えれば、一人ひとりがアリギエイヌスに近い規模の災いを起こしかねない――災厄級の魔術師ということ」


 静かな語り口とともに、エヴァの瞳が私を見つめる。


「厄介事を招く前に“処分”した方がいいと忠告したのに、彼らを救いたいと反対したのは貴女よ、リディヴィーヌ」

「……すみません」

「責めたいわけじゃないの。ただ、こうして貴女が傷付く姿を見たくなかった。……さて、と」


 そこまで言って、ぱん、と両手を叩くと、エヴァはすぐさま話題を切り変えた。


「私はこれから確認のための“尋問じんもん”に王都へ戻るけど、貴女はどうする?」


 眼前に押し広げた虚空の渦を指差して、少女がこちらを振り向く。


「同行してもよろしいでしょうか」


 私の提案に、エヴァは柔和にゅうわな笑みを浮かべて、


「ええ、もちろん。一緒にあの“クソ男”をなぶって、さを晴らしに行きましょう」


 そんな悪魔めいたことを言ってのけた。




「ギー殿、お待ちしていました。……あ、リディヴィーヌ様も」


 ――鋼花こうかの国の王城、その地下牢に足を運ぶと、私たちを真っ先に出迎えたのは小杖を突く青年、トリスタン・レヴィナスだった。


 地下区画に繋がる長い螺旋らせん階段を下りた先で、石造りの冷えた空間に一人、思案するように彼はたたずんでいた。


 端正たんせいな顔立ちにやつれた表情を乗せて、片手に多くの紙の束を抱える姿は……あの武闘派である総帥そうすい、セブラン・レヴィナスの息子と言われても未だに信じがたい。


「予定通り、あのクソ男にきっかり十五分、尋問をしたいのだけど」

「はい、すでに面会の準備はできています。……一応、確認ですが」

「分かってるわよ、“魔術”は使わない。これでいい?」


 暗がりの中に立っていても分かる、露骨な不満顔のエヴァにトリスタンが苦笑を浮かべて、前方の細道を指差した。


「どうぞ、この先の監房かんぼうにいます。できれば案内したいのですが……生憎あいにく、こんな足でして」

「構いません。お気遣いありがとうございます、トリスタン」


 小杖に支えられて立つ彼の横を通り過ぎて、私たちは地下の奥へと進む。

 左右の蝋燭ろうそくが頼りなく揺れる廊下を進んでいくと、やがて、曲がり角の先に――異様な気配がただよう独房を見つけた。


 ここに来る途中で見かけた他の牢とは異なり、その独房は廊下の光さえ届かないようにさえぎられ、まるで深淵を思わせる暗闇に包まれていた。


 そんな空間を堅固けんこに閉ざす鉄格子てつごうしの前へ、エヴァがゆっくりと歩み出る。

 片手に持つ角灯かくとうの明かりが、独房の闇をはらうようにして内側を照らし出した。


 そこに収監されていたのは――長く伸びたままの髪を無造作に床へ垂らす、長身痩躯そうくの男だった。


 手足をかせに拘束された状態で、ひどくいびつな体勢をもって……男がこちらを向く。


「おや……これは懐かしい顔だな。懐かしすぎて、まるで記憶のままだ」


 白髪しらが混じりの長髪を分けるように首を回して、しゃがれた声で男――ジオフロワ・ヴィンガースが言った。


「随分と死にそうな顔ね。そろそろアリギエイヌスからくら替えしなさいよ、おっさん」

「信仰に揺るぎはない、崇拝すうはいとはそういうものだろう。それとも、私がマナ教に改宗したら、この罪はゆるされるのか?」

「そんなわけないでしょ、殺すわよ」


 ギロリと睨み付けるエヴァに、ジオフロワは肩をわずかに揺らして笑った。


「信奉者の話だろう。何度それを私に問うても、自白させようと拷問しても。どちらにせよ時間を無益むえきに使い捨てるだけだ。

 この地下牢に閉ざされて早十五年余り。外界と隔絶かくぜつされた私に関与できることがあると、まだ本気で信じ込んでいるのか? ならば、それはもはや信仰だな。繰り返し忠告しよう、君たちの時間は“有限”だぞ」


 よどみなく、淡々たんたんとそう語る囚人が――ふと、私の方を振り向いた。


「片方の女は誤魔化ごまかしているようだが……リディヴィーヌよ、随分と歳を取ったな?」

「〈吸い取れ、その生ラーペ命ごと〉」


 私が言葉を返すより素早く、隣から詠唱が流れた。

 次の瞬間、ジオフロワの身体から――無数の小さな枝が伸び始める。


 肌を突き破り、見る見るうちに成長していく植物に反比例して、うめくジオフロワの相貌そうぼうから生気が抜け落ちていく。


 それは一瞬にして、口から泡をこぼさせるほどの苦痛を男にもたらした。


「止めなさい、エヴァ!」


 突然の旧友の行動に、思わず私は叫んでいた。

 冷徹れいてつな表情を浮かべるエヴァが、そこでようやく魔術を打ち消して……がくりと、ジオフロワの頭が力なく垂れた。


饒舌じょうぜつに喋っていいのは私の質問に対する答えだけよ。次にその無駄なお喋りを始めたら、今よりもっと苦しい思いをすることになるから覚悟しなさい」

「は、はっ……では、答え……よう。質問するといい」


 もはや、幾度となく拷問を受けてきたであろうその身体は、慣れたものだと云わんばかりにすぐに起き上がり、鉄格子をへだてる私たちの方を向いた。


 エヴァは変わらず、殺意を込めた目で男を見下ろす。そして、冷淡な声で質問を始めた。


「近頃、ある時をさかいに信奉者たちが各地で暴れ始めたわ。まるで当時、アンタが参謀さんぼう役だった頃の連中とほとんど同じ動きで」

僥倖ぎょうこうだな。『至上の大地』であるリュミラルジュ大陸に幸あれ、と伝えてくれ」


 減らず口を挟むジオフロワに対して、今度は乗っかることなく、エヴァが話を続ける。


「もしも、アンタが保険として計画書を残したとすれば、今になって信奉者の残党がアンタの思惑通りに動いたとしても不思議じゃないはずよ」

「恐ろしいほどの想像力だ。君には詩人の才能がある」

「“魂”の抜けた死体」

「…………ほう?」


 出し抜けに放たれたその言葉をって、いささかの動揺どうようも見せなかった男の態度に――初めての揺らぎが生まれた。

 数秒の沈黙を置いて、エヴァが言葉を重ねる。


「魂は通常、死んだ人間の器にしばらく留まって、やがて消滅するのが原則よ。その魂が、死んだばかりの死体から抜き取られたような形跡があった。これも、十五年前……いいえ、二十年前の時と同じ」


 告げられたその年月の響きに、遠い過去の記憶が去来きょらいする。

 つかの間を過ぎる、旧友とともに尽力した戦いの日々。それらをしのぶことなく、私は両者の問答もんどうを見守った。


 エヴァが更に前へと踏み出す。鉄格子ギリギリまで顔を近づけると、静かな声でそれを告げた。


「当時の目的は分からない、けど現在なら分かる。アンタたち――でしょう」

「――…………ふっ」


 それはもはや、質問ではなかった。

 男の見せる反応から、確信を得るための呼び水めいた発言。


 一瞬、角灯の明かりが激しく揺れる。うごめくように伸びた影が男の姿をみ込み、また吐き出してを繰り返す。


 そうして――数秒が経つと、二人の駆け引きは突然に上がる男の哄笑こうしょうによって終着を迎えた。


「――だとしたら、どうする。お前たちに何ができる? アリギエイヌスの魔術に保護された私の心すら覗けずに、こうして未練みれんがましく生かし続けてしまうお前たちに」


 男が嘲笑あざわらうような口調で、私たちを見上げる。

 それは黙秘を諦めたわけではなく、認めた上で……お前たちにはどうすることもできないのだと、ジオフロワもまた確信めいて笑っているようだった。


 男の問いに、エヴァの殺気が膨れ上がる。


「もちろん潰すわ。片っ端から全部、〈制裁の術師団〉の誇りに掛けて」

「うわ言と変わらないな。あるいは、魔術ばかり唱えていると現実を口にすることができなくなるのか」


 ゆっくりと首を振ると、次に男の視線はエヴァではなく、こちらを向いた。


「リディヴィーヌよ、大魔術師よ。覚悟するといい――戦乱の渦はすでに巻き起こっている」

「…………」


 落ちくぼんだ両目を見開き、もいえない気迫を滲ませながら、滔々とうとうと告げるジオフロワ。


 全てを見通すようなもの恐ろしい眼差まなざしが、暗澹あんたんたる鉄格子の奥で光を帯びる。


「我々は動き出したぞ。貴様の弟子の手によって再び世界は変革を迎える。果たしてそのとき――お前はまだ、公正などという虚妄きょもうを信じ続けられるかな?」


 いつしか問う者の立場は逆転し、男の投げ掛けた提示が地下牢をこだまする。

 アリギエイヌスがのこした妄執もうしゅうが、またもこうして、世界に災いをもたらそうと動き出している。

 なのに――


「…………」


 その問いに返す言葉を見つけられず、トリスタンが訪れる最後まで……私はエヴァの隣で閉口するのみだった。

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遅延特化の陰険魔術師(ベルトラン) 伊佐木ソラ @ao_sora_iro

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