第3話

 目を開けると、見覚えのある床が見え、その固い感触を感じた。

「大丈夫ですか?」

 黒髪店員が俺を覗き込んできた。俺は起き上がる。

「平気みたいです」

 俺は本屋にいた。床に倒れていたようだ。・・・・・・帰ってきたのか。

「すみません、ご迷惑をおかけして」

「いえいえ、ご無事でなによりです。写真集、見つけて下さったみたいですね」

 店員の手元には、『美の宿るもの』があった。

「あっ、はい。それ、どうするんですか?」

「これは、まだ売り物ではないのでバックヤードに保管します。準備が出来たら店頭に置くつもりです」

「準備?」

「はい。色々と必要なことがあるので」

 店員は立ち上がると、俺に手を差し出してきた。

「立てますか?」

 俺は彼の手を掴んで立った。

「ありがとうございます」

「何か、お求めの商品はありますか?」

 一瞬、陳列棚を見たが、俺はかぶりを振った。

「いや、家族が家で待っているので、今日はこれで」

 次に来たときに、買って帰ろう。

「かしこまりました。ちょうど、雨が上がってますよ。写真を撮るには、良い天気になりましたね」

 店員がそんなことを言ってくるとは思わなかったので、俺は少し驚いた。

「もうすぐ、梅雨も明けますよ」

「そうですね」

 俺は頷くと、視界の端で何かが動いた。

「・・・・・・あのグレーの猫はここで飼われているんですか? オス?」

 一度、俺を睨んだ猫は、変わらずカウンターを陣取っていた。

「うーん、まぁ、そんなところですね。ラピスラズリのような瑠璃色の瞳なので、ラピスという名前をつけています」

「次に来たときに、ラピスくんを撮ってもいいですか?」

「はい。もし、来ることが出来たなら」

 店員はまた柔らかな笑顔で、俺を見送ってくれた。

「ご来店、ありがとうございました」

 外に出て見上げれば、白い雲が青空に映えていた。



 暦上はもう秋になるはずなのに、日差しが強いし、未だに蝉の声はうるさい。たまに外を出歩いてみるのだが、やはり日中は、涼しい店内で過ごすに限る。

「そういえば、以前に別の場所で開店していたときの来客が、野鳥フォトコンテストとやらで入賞したらしい」

 私がそう言うと、翠は飲んだアイスコーヒーをカウンターに置いて、不思議そうに私を見た。

「どうして、君がそんなことを?」

「ここに来る途中で、ポスターが貼ってあった。カワセミの写真だったぞ」

 翠は表情を緩めた。

「君も見たんだね。興味ないかと思ってた」

「たまたま目に入っただけだ」

 翠は残っていたアイスコーヒーを飲み干した。

「彼は自分に正直になったんだろう」

 私はカウンター横の椅子に飛び乗った。

「あの写真集はそもそも何だったんだ?」

「写真集を出した女性は若くして亡くなっているんだけど、自分の作品への承認欲求や寂しさから、彼女の思念があの写真集には残っていたんだ。思念によって、自身の展示会場を異空間に創り、写真集を開いた人をそこへ招いていたんだよ」

「強引だな」

「彼女の周りには芸術に携わる人達がいた。そして、彼らはそれぞれの道で成功していた。それ故に、自分も同じようにならなかったことを気にしていたんだ」

「で、その思念はどうするんだ? それがあったままじゃ、売れないのだろう?」

 香箱座りした私のグレーの毛並みを、翠はブラッシングし始めた。なかなか、気持ちいい。

「浄化と保護は済ませたよ。彼女はもう大丈夫だ。この間、早速売り場に出したら、取り置いてくれって予約が入ったよ。後日、取りに来るって」

「それは、昼の客じゃないな?」

「うん。夜のほう。彼女のファンなんだって」

「なるほど。夜の客にそんなやつがいるとはな」

 窓の外に視線を移すと、日差しの向きが変わっていた。まもなく日が沈む。

「今日は誰が来てくれるかな?」

 翠は、翠色の瞳を怪しく光らせて微笑んだ。


                             ー了ー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蒼月書店の奇々怪々Ⅳ ーうたかたの白き花ー 望月 栞 @harry731

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画