第2話
目を開けると、まず本屋とは違う無機質なコンクリートの壁に気付いた。辺りを見渡すと、俺は藤色の小さなソファに座っていて、壁には額に入った写真が飾られていた。本屋で見た植物の写真だ。他には、部屋に似つかわしくないシャンデリアが天井から吊り下がっている以外、窓すらもない部屋だ。
そして、誰もいない。持っていたはずの自分の所持品もなくなっている。
「どこだ、ここ?」
俺は一人呟いたが、当然何の反応もない。ソファから立ち上がって、壁の写真をざっと見た。白い花が並んでいる中、梅の木の写真の上に『美の宿るもの 展示会』と大きな字で広告があった。
「どういうこと?」
何で俺がここにいるのか謎だが、展示会にしては、作品に関する説明書きが全くないのも不思議だ。
俺はどうにかここから出られないかと考えていると、バタンと背後で音がした。仰天して振り返ると、白い扉があった。
こんな扉、あった? ていうか、誰かいるのか?
初めに辺りを確認したときには、扉に気付かなかった。
ひとまず、俺はその扉の先に向かうことにした。ドアノブを回して引くと、同じような部屋があった。また壁に写真が飾られているのかと思ったが、よく見ると植物の絵で、先程の写真と同じ構図のものが並んでいるが額には入っておらず、むき出しのままだ。
梅の木の絵の上に「こちらの部屋の絵をご自由にお塗り下さい」と一言記載があり、そばに設置された小さなテーブルの上に色鉛筆やカラーペン、絵の具一式が置かれている。
ここにある絵は、作品じゃないのか?
この部屋にも窓はなく、外に出られないし、連絡手段がない。扉はついさっき通った扉だけだ。
「どうなってんだ・・・・・・」
俺は途方に暮れたが、やれることが他にないので絵を塗ってみることにした。青いカラーペンを選んで、紫陽花の白い花を青く塗る。
絵心はないけど、色を塗るだけなら俺でも出来る。
「こんな感じか」
ペンをケースにしまうと、キイィと音がして俺はまた驚いた。サッと振り返ると、白い扉が少し開いており、「作品が一つ完成しました」という文字が扉に書かれていた。
俺はビビって少しの間、その場から動かなかった。
しかし、何も起こらないので、俺は恐る恐る扉に近付いた。扉をゆっくり開けて、隣の部屋を伺ったが、やはり誰もいない。
一歩部屋に入ったところで、俺は目を疑った。白い花の写真が展示されている中で、一つだけ青い紫陽花を見つけた。
白かったはずなのに。
「これって・・・・・・」
俺が塗ったから?
何故、こうなるのか理解できない。
再びバタンと音がした。後ろを振り返ると、白い扉から少し離れた位置に黒い扉があった。
「こんな扉、さっきはなかった」
ここは、明らかにおかしい。
俺はどうしたらいいか迷ったが、結局黒い扉のノブを掴んだ。
何かが俺を導いているように感じるけど、これがいいのか悪いのか、判断がつかない。だからといって、何もしないままここにいても、時間が過ぎるだけのような気がした。
俺は黒い扉を開けた。その先はコンクリートが打ちっぱなしの同じような部屋だったが、唯一違っていたのは、展示されている作品の数々だった。
「最愛の父?」
演劇の舞台の稽古中と思われる瞬間の写真の下に記載されたタイトルだ。舞台上の役者に何やら指示を出している様子の男性に焦点が当たっている構図だ。
隣には「最愛の母」という題で、複数人がいる舞台上の真ん中で歌う外国人の女性の写真が飾られている。身なりから、恐らく中世ヨーロッパを舞台としたオペラのようだ。
他にも舞台で指揮する青年や、踊るバレリーナ、建物のデザイン画を起こす建築家、撮影中の映画監督、盛り付けしている料理人の写真が並ぶ。それぞれ、兄や姉、叔父叔母、恋人の様子を一枚に収めた写真のようだ。
そして、並ぶ作品の上には「芸術を創造する我が愛すべき人々」とテーマが掲げられている。
「芸術一家なのか」
俺が言葉を漏らすと、コンコンと扉をノックするような音が聞こえた。音の聞こえた方へ振り向けば、案の定、入室したときにはなかった藤色の扉が現れていた。
ここまで来たら、行くしかないか。
俺は思いきってその扉を開けた。
だが、俺は一瞬ひるんだ。今までと様子が異なり、薄暗い廊下だったからだ。躊躇いながらも廊下に出る。先の扉はすぐそこだ。
左右の壁のウォールライトのそばに、それぞれ写真が掛けられている。花の咲いている木と紅葉している木で、どちらも同じ種類の木に見えた。
先の扉まで進むと、扉の上に葉が全て落ちきった木の写真があった。俺は振り返り、元来た扉の上を見ると、そこには新緑の木の写真。
「季節がテーマか」
俺は目の前の扉を開いた。そこは今までよりも高い天井でウッド調の広い空間だった。何より驚いたのは、大きな木がそこにあった。木の枝によって、花が咲いている枝、新緑の枝、紅葉の枝、葉のない枝と、一本の木に四季が全て表現されていた。木の根元にあるプレートには『巡る時の流れ』と表記されている。
「どうやって、こんなことを・・・・・・」
木の後ろの壁には、一枚の写真が展示されていた。丘の上に、恐らくこの大きな木と同じ種類であろう木と、栗色の髪に色白の若い女性が写っていた。ハーフっぽく見える。
「ようこそ、私の展示会へ」
俺はとっさに振り向いた。写真の中の女性と同じ人が、白いカッターシャツと藤色のスカートを着て扉のそばに立っている。
「あなたは?」
「私はクリスティーナ。なかなか来てくれる人がいないから、来館してくれて嬉しいわ」
「自分は、気がついたらここに来ていて・・・・・・。何故ここにいるのか、よくわからないんですが」
「あなた、私の写真集、見たでしょう?」
本屋で手にした、あれのことか。
「はい。『美の宿るもの』ですよね」
「そう。あれを見つけられたから、ここへ来られたのよ」
クリスティーナは本当に嬉しそうに、ニコニコして言った。
「えっ?」
どういうことだ? 俺はたしか、本屋にいたはずで、目眩がして・・・・・・。
「あなたも何か芸術的なこと、されているの?」
俺は思考を中断した。
「いえ、特に何も。強いて言えば、趣味で動物の写真を撮っているくらい」
「あら、それも立派な芸術的創作活動だわ!」
「いや、個人的に楽しんでいるだけで、人に見てもらえるようなものじゃないです。技術もないし」
「技術も大切だけど、それ以上に創造する人の想いや考えが重要よ。別の部屋で見たと思うけど、私の家族はみんな芸術に打ち込んでいて、それぞれが楽しんだり、向上心を持ったりして自分の好きな芸術と向き合っているわ。その中で創造されたものを他の人が芸術と感じるかどうか、なのよ。あなたがそう感じていなくても、別の人から見たら、素晴らしい作品かもしれない」
「そう、ですね」
熱弁する彼女に、俺はただ頷いた。彼女は俺の様子に気付いて、一歩引いた。
「あっ、ごめんなさい。つい熱が入ってしまったわ。
写真を撮っているあなたが、私の作品に興味を持ってくれて嬉しい。私は、私と同じく様々な分野で芸術を創造する人を尊敬しているの。さっきの部屋にあった家族の写真は全てそう。それから、これは私の代表作」
クリスティーナは『巡る時の流れ』の木を指した。
「植物をテーマに作品を生み出しているの。あなたが最初に入った部屋の作品達は未完成。あなたとの合作で完成する。色を塗るだけでいいのよ」
「じゃあ、あの紫陽花は・・・・・・」
「ええ。塗ってくれたわね。おかげで完成したわ」
「あれは、どういう仕組みで?」
「ここは特別な空間だから。私のしたいように出来るのよ」
俺はずっと抱えていた違和感が大きくなった。ここは、普通じゃない。そろそろ、ここを出ないといけない。
「あの、もう帰らないと、家族が家で待っているので。出口はどちらですか?」
すると、今まで微笑みを絶やすことのなかったクリスティーナから笑みが消えた。
「帰る? そんな必要はないわ。ここはあなたが暮らしている場所とは別の空間。もう他の人のことは気にしなくていいの。共に創作活動を楽しみましょう」
これは夢なのかと思いたかったが、そうじゃないことは直感的にわかった。
これは、ヤバい。
「いや、そういうわけには・・・・・・」
クリスティーナが近付いてくる。俺は後ずさるが、逃げ道がわからない。
「彼を閉じ込めておくのは感心しないな」
どこからか、別の声が聞こえた。声の主を捉えることが出来ずにいたら、頭上から声が降ってきた。
「君の創造的な活動は素晴らしいけど、寂しさや認めて欲しいからといって、彼を巻き込むのはよくないよ」
見上げると、大きな木の新緑の枝にカワセミが留まっていた。
「あなた、勝手に入ってきたのね。許可していないのに」
クリスティーナがカワセミに向かって言った。
「僕の店を気に入ってくれたのは嬉しいけど、お客様に勝手なことをするのは無視できないからね」
カワセミが喋っている。しかも、このカワセミ、瞳が翠色だ。俺は驚愕して、声が出ない。
しかし、クリスティーナが叫んだ。
「ずっと一人は寂しいもの。だから、私の作品を・・・・・・私の芸術の美を見てくれる人を待っていた。ようやく、彼が来てくれたのよ!」
「彼には彼の時間がある」
「私にはもう、ないわ。誰も来てくれない。それなら、ここで一緒に作品を創ればいいって気付いたの」
「君の望みのために、彼の自由を奪ってはいけないよ。彼には待っていてくれる家族がいる。彼の創作活動を認めてくれる家族が」
彼女はハッとしたように、目を見開いた。
「彼を帰してあげるべきじゃないかい?」
カワセミの言葉に、クリスティーナは悲しそうに表情をゆがめ、うつむいた。
詳しいことはわからないが、寂しい思いをしていたらしい彼女に、俺は掛けるべき言葉が見つからない。
俺が悩んでいる間に、彼女は顔を上げて、俺に視線を移した。
「私は写真という芸術に打ち込んだ。家族も応援してくれた。でも、みんなのように成果を出せなかった。写真を撮ることは大好きなことなのに、私の作品を認めてくれる人がいなくて・・・・・・。そんな私でも、家族は変わらずにいてくれた。もっと純粋に、楽しめば良かったのかもしれない」
「・・・・・・俺が撮るのは動物だけど、あなたの作品は気に入ったよ。だから、俺と同じように、あなたの作品を好きだと思う人がまた現れるんじゃないかと思う」
クリスティーナは今にも泣きそうな顔で微笑んだ。
「ありがとう。あなたをこの場所に縛って、ごめんなさい」
彼女が言い終わらないうちに、俺の視界がぼやけてきた。
「あなたも自分に正直に、頑張って」
最後に聞こえた彼女の言葉がそれだった。
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