番外編:松浦祐之介の話(短編小説)
居酒屋に入ると、榎本はすでに来ていて、ビールと焼き鳥をつまんでいるところだった。
「お、やっと来たか松浦~」
「悪い、採点がなかなか終わらなかった」
「この時期はみんな死んでるよな。お疲れさん。ビールでいい?」
「ああ」
十五分も遅れてやって来た俺に、榎本は文句ひとつ言わない。俺はカウンターの隣に腰掛け、ネクタイを緩める。ほどなくしてビールが運ばれてきた。グラスはきんきんに冷やされていて、うっすらと白い煙が立っていた。
榎本は俺の大学同期だ。同じ数学科で、教職課程をとっていた。演劇サークルでも一緒で、奨学金と授業料免除を使って大学に通う苦学生仲間でもあり、共通点の多さから自然と仲良くなった。大学院卒業から十年以上経つが、いまだに交流が続いている貴重な友人だ。
「最近、嫁さんとはどうよ」
「まあ、ぼちぼち。そっちは? 奥さん、もうすぐ出産だったよな」
「そうそう。楽しみだねえ、新しい命ってのは」
焼き鳥や枝豆をビールで流し込みながら、互いに近況報告をする。榎本とは二カ月に一度くらいのペースで合っている。教師の性というものなのか、気づくと学校や自分の受け持つ生徒たちの話になっているのがお決まりのパターンだ。今日も、そうだった。
「俺さ、ちょっと心配な奴がいたんだよ」
榎本がビールのおかわりを頼むと同時に、俺はさりげなく話を切り出した。
「ああ、前言ってた優等生くん?」
「そうそう」
話したのはもう二カ月も前のことなのに、榎本はよく覚えている。
あの時、俺は自分の担任するクラスの生徒の話をした。名前は佐藤幸太郎。課題も授業もテストもそつなくこなすし、大人の言うことにはきっちり従う。責任感もリーダーシップもある。何も心配することがないだけに、なぜだか無性に気になる生徒だった。彼の目は、高校生のそれというよりは、達観した大人のようだったから。
「過去形で話すってことは、何か進展があったんだ?」
榎本が言う。少ない言葉で、言いたいことが的確に伝わる。こういう時、つきあいの長い友人のありがたみを感じる。
「そう。映画を作りたいって言ってきたんだ。ぞろぞろ他の生徒を連れて」
あの時の佐藤のまなざしは、彼らしからぬ強い熱と光を持っていた。少し不安げな、けれど決意に満ちた表情は、彼が初めて見せる青さのように思えた。
「いいねえ、青春だ」榎本はからからと笑い、焼き鳥を串から直接噛み千切った。「で、どうしたのさ、松浦先生は」
「責任者になる大人はいるのかって聞いたよ。案の定いないって言うから、成り行きで俺が引き受けることになった。……そのへんの詰めの甘さは、まだ高校生だな」
「なるほど。で、何、応援してあげるわけ。演技指導とか」
「いや、口は出さない。何かあったら対処するけど、好きなようにさせるよ。あいつらはきっと、大人の介入も誘導も望んでない」
「……お前ってつくづくいい先生だよなあ」
「そうか?」
そうだよ、と榎本は俺の胸を小突いた。「やめろよ」と手を払いのけた後、俺と榎本は同じタイミングで噴き出した。
【声劇台本】映画くらげと花火製作委員会 澄田ゆきこ @lakesnow
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