【完結】命玉(作品230512)

菊池昭仁

命玉

第1話 寿命が見える

 日曜日の郊外にあるホームセンターは、かなり混雑していた。

 私は親父の仏壇の花が枯れかけていたのを思い出し、出入口脇の花を売るスペースで白菊を買い、レジへ向かった。


 「すみません、この花を下さい」


 と、レジの女性を見た時、私は息を呑んだ。


 その女性の頭上には、薄い茶色のシャボン玉のような物体がふわふわと浮かんでいたからだ。

 そして、そこには数字が書かれていた。


 「38」


 (なんだこれは!)

 

 私は最近、仕事で徹夜続きだったこともあり、夢でも見ているのかと思った。

 そして周りを見渡すと、すべての人の頭の上にも同じように球体が浮いていた。


 大きい玉や小さい玉、赤い玉に白い玉、グレーの玉もあれば、黄土色の汚い玉、そして空色の美しい玉なども浮かんでいて、様々だった。

 そして各々の玉にもやはり数字が書かれていた。


 「18」「29」「58」「1」「35」・・・。


 私はある仮説を立てた。


 (もしかするとこれは、残りの寿命? そして色はその人の心の色? その大きさはその人の人間力? 影響力ではないのだろうか?)



 レジに並ぶ老婆の頭上には「12」と書かれた、橙色のサッカーボールくらいの球体が浮いていた。

 ということはこの老婆の寿命はあと「12年」ということになるのだろうか?

 ではこの小さな子供は・・・。


 「おじちゃん、白いお花、キレイだね?」


 なんとその子の頭上には、小さな虹色の美しい、ピンポン玉くらいの球体が浮いており、数字は、数字は・・・「0」となっている。


 その男の子は若い母親と手を繋ぎ、振り返りながら私に手を振ってホームセンターの出口を出て行った。



 その直後、クルマの急ブレーキの音と鈍い音、そして女の悲鳴が聞こえた。


 私は慌てて外へ出た。

 そこにはさっきの男の子を抱きかかえ、狂人のように子供の名前を叫び続ける母親の姿があった。


 そしてさらに悲惨なことには、その母親の頭上の玉も虹色に輝き、それは直径1メートルもあったが、そこにも「0」と書かれてあったからだ。


 私は急に怖くなり、駐車場に停めて置いた自分のクルマに逃げ込んだ。


 心臓の早い鼓動、身体の震えが止まらない。

 私は猛スピードで自宅に帰ると自分の部屋に駆け込み鍵を掛けた。

 買って来た仏花をダイニングテーブルの上に置き去りのまま。


 私は恐る恐る、鏡に自分の姿を映して見た。

 だが、そこに球体も数字もなかった。

 私は安堵した。

 それは単なる一時的な能力だったのかと思ったからだ。

 だが、窓の外を歩く隣の意地悪なオバさんを見た時、私は思わず声をあげそうになった。


 オバさんの頭上に球体はなく、額に赤く✖️が描かれていたからだ。

 一緒に散歩しているミニチュアダックスには、レモン位の大きさのモスグリーンの球体が浮かんでおり、「2」と数字が書かれてあった。


 隣のオバさんは近所では有名な強欲な人で、嫌われ者で、その犬は誰彼構わずいつも吠えていた。



 その時、部屋のテレビでニュースが流れた。


 「先程、ホームセンター駐車場の事故で亡くなった、幼児の母親が急死しました。

 死因は現在、警察が調査しており・・・」


 私は目の前が闇に包まれるような絶望感と、全身が恐怖に包まれていた。


第2話 猫のマイケル

 階下で母の声がした。

 外出から戻って来たようだ。


 「壮一、シュークリーム買って来たわよー、降りてきなさーい」

 「今は要らない、後で食べるよー」


 私は母を見るのが怖かった。

 母の頭上に浮かぶ球体と、そこに書かれた数字を見るのが。


 「アンタの好きなプモリのシュークリームよー」

 「取っておいてー、後で食べるからー」

 「ヘンねー? いつもなら飛んで来るのに」


 母はシュークリームの箱を開け、珈琲を淹れ始めたようだった。

 一体、母の頭上にはどんな玉が浮かび、どんな数字が書かれているのだろう?


 母は53歳だった。

 せめて30、いや50以上の数字があって欲しかった。


 20年前に父を亡くし、私と妹を必死に育ててくれた母。

 私は今まで、母に何も親孝行らしいことをしていないことに気付いた。

 私は怖かった。


 すると、ドアをカリカリする音が聞こえた。

 猫のマイケルだった。

 私は躊躇した。私はマイケルが大好きだったからだ。



 「壮一、マイケルだよ、ここを開けておくれよ」


 私はまた、夢を見ていると思った。

 人の寿命は見えるわ、猫のマイケルがしゃべるわ、そんなことがあるはずがないからだ。

 私は恐る恐るドアを開けた。


 「オイ壮一、いつものように猫じゃらしで遊んでくれよ」

 

 マイケルの頭上にも玉が浮いていた。

 そこには10と書かれ、銀色のバスケットボールくらいの玉が浮かんでいた。


 「よかったあ! マイケルと後10年は一緒にいられる!

 猫の寿命からすれば、相当長生きだもんな! マイケル!」


 私はマイケルをギュと抱き締めた。


 「壮一、苦しいよー」

 「ごめんごめん」


 私はタンスの上に置いておいた猫じゃらしのオモチャを取ると、マイケルにそれを向けた。



 「ほーら、マイケル、大好きな猫じゃらしだぞー」

 「んっ? 壮一、君はネコのボクの言葉が分かるのかい?」

 「マイケルこそ、俺の言葉が分かるくせに」


 マイケルは私をジッと見詰めると、


 「じゃあ、見えるんだ? #命玉__いのちだま__#が」

 「えっ、見えるって、どうしてそれを?」

 「そうだよ壮一。猫語を理解しているということは、我々猫族、犬族と同じように相手の寿命が見えるということだからね? そしてその者の心までもがさ」

 「マイケルも見えるの! じゃあ俺の玉はどんな色? どれくらいの大きさ? そして数字は?」


 マイケルは自分の右前足を舐めながら言った。


 「まあ、それはどうでもいいじゃないか。

 生まれるということはいつか、死ぬことなんだからさ。

 でも辛いだろ? それが見えるのって。

 ボクたち猫や犬が喋れないのはね、玉のことを人間に話さないようにと神様がお決めになったからなんだ。

 たまにボクたちと喋れる人間を見掛ける時もあるけど、まさか壮一もとはねー」

 「そうだったんだ。俺、もう誰とも会いたくないよ、怖いんだ」

 「壮一、サングラス持っていたよね?」

 「ああ、夏の日差しの強い日や、冬の白銀の雪に太陽の照り返しが眩しい時には掛けるけど」

 「それを掛けてごらんよ。 以前、会った猫語が分かるオジサンが言っていたんだ。

 サングラスを掛けると命玉が見えなくなるって」


 私はゆっくりとサングラスをして、マイケルを見た。

 マイケルは三毛猫だったが、見ると命玉は消えていた。


 「どう? 見えなくなった?」

 「うん! 消えた! 消えたよマイケル!」

 「よかったね、壮一。

 人の命の残りがわかるなんて嫌だもんね? 特に大切な人の余命なんか、知りたくないもんね?」

 「うん・・・」


 マイケルの言う通りだった。

 私は婚約者の瞳の命玉を見るのが一番怖かった。


 「壮一、猫じゃらし、早くやってよ」

 「そうだったね、ほーらほら、マイケルー、どう? 楽しいだろう?」


 マイケルは楽しそうに何度も猫じゃらしを前足で猫パンチしていた。


 「壮一、もっと早く振ってよ! もっと早くうっ!」

 「こうか? これでどう? マイケル?」

 「うん、そうそう、そんなカンジ!」


 私とマイケルは夢中になって猫じゃらしで遊んだ。




第3話 言ってはいけない

 夕飯の時間になった。


 「壮一、ご飯出来たわよー、今日はアンタの好きな酢豚だから、早く降りて来なさーい」

 「ハーイ!」


 私はマイケルに言った。


 「ねえ、マイケル、大丈夫かな?」

 「大丈夫だよ、サングラスさえしていれば」



 私はサングラスを掛け、マイケルを抱いて階段を降りて行った。



 「壮一、どうしたの? サングラスなんかして?」

 「なんだか眩しくてさ」

 「眩しくてって、もう夜よ、大丈夫なの? 明日、眼科に行きなさいよ。目は大切なんだから」

 「うん、少し様子を見てからそうするよ」

 「ダメ! 明日絶対に眼科に行きなさい! 目は大切よ」

 「わかったよ、うるせえなあ。

 おっ、うまそうだね? 酢豚」

 「お母さんの酢豚は旨そうじゃなくて美味しいの! どこの中華レストランにも負けないんだから。

 さあ、たくさん食べなさい。

 アンタの好きなパイナップルもいっぱい入れておいたから」


 マイケルは溜息を吐いた。


 「またこのキャットフードかあ~。 これ、あんまり美味しくないんだよなあ~、たまには缶詰も食べたいよ」


 私は戸棚の中から、とっておきの『猫グルメ』の缶詰を開け、キャットフードの上にそれを乗せた。


 「ありがとう壮一! いっただきまーす!」

 

 マイケルは美味しそうに夢中でエサを食べ始めた。



 「どうしたの? 急にマイケルに缶詰なんかあげて」

 「うん、たまにはね? ここ最近はキャットフードばっかりだったから。

 母さん、どこか調子が悪いところはない?」

 「ないわよ、どうしてそんなこと訊くの? めずらしいわね」

 「母さんには長生きしてもらいたいから・・・」

 「ヘンな子ね? でもうれしいわ、ありがとう。

 大丈夫よ、孫の顔を見るまでは死ねないから」

 

 私は泣きそうになってしまった。

 それは母が死ぬなんて、今まで考えてもみなかった事だからだ。


 瞳から電話が掛かって来た。

 

 「壮一、明日、ご飯食べに行こうよ」

 「うん、いいよ。何が食べたい?」

 「焼肉! さっきテレビのグルメ番組でさあ、石ちゃんが「まいうー」って言っていたのを見ていたら、急に焼肉が食べたくなっちゃったの」

 「あの人、本当に旨そうに食べるもんな?」

 「じゃあ明日ね

予約しておいて」

 「じゃあ、19時に『明洞』を予約しておくよ」

 「よろしくね」


 それを聞いていた母が言った。


 「瞳ちゃん?」

 「うん、母さん、明日は夕食いらないから」

 「はいはい、あんたたち、結婚するんでしょ?

 早い方がいいんじゃないの? 私、瞳ちゃんならうまくやっていけそうよ」

 「そのつもりだけどね?」


 私はまだプロポーズをしていなかった。

 そろそろプロポーズをしようとしていた時に、球体が見えるようになってしまった。

 はたして瞳の玉はどうなっているのだろうか?

 私は瞳の寿命を知るのが怖かった。




 私は地元の銀行員をしていた。

 もちろん、銀行にはサングラスなんてして行けるわけがない。私は覚悟を決めた。



 支店に出勤すると、やはり、みんなの頭には球体が浮かんでいた。

 だが、安心したのはみんな、十分すぎるほど長生きだったことだ。

 ただひとりを除いて。



 「1」と書かれた、直径2メートルくらいの大きなミカン色の玉が浮いている男がいた。

 それはいつも私に厳しい、島崎次長だった。


 島崎次長は優秀な銀行員で、今度の人事異動では支店長に昇進するとの噂だった。

 

 「おい、三浦代理、なんだこの稟議の書き方は! もっと簡潔明瞭に書け! 書き直し!」

 「はい、すみませんでした」


 私が島崎次長の頭の上をジッと眺めていると、


 「なんだ? 俺の頭に何かついてるか?」

 「いえ」


 私は自分のデスクに戻った。

 

 (島崎次長に虐められるのも、あと、もう少しの辛抱か・・・)


 私は自分が恐ろしくなった。

 すぐに私はその想いを打ち消した。


 島崎次長には中学3年生のお嬢さんと、小学校4年生の男の子がいる。

 確か奥さんは元同僚だったはずだ。

 そんなことを考えると、なぜか急に次長が気の毒になった。



 銀行に来ている人たちにも様々な玉が浮いていたが、段々それが気にならなくなっていた。

 慣れというのは恐ろしい物だ。

 そして「ああ、あの人は長生きだなあ」とか、「いつもクレームばかり言っているこの爺さんはあと2年か? 人に意地悪ばかりしているからだ」と、勝手に観察するようにさえなってしまっていた。

 そして意外だったのは支店長だった。

 いつもニコニコしていて人当たりのいい森支店長の額には、赤くバツが描かれていたからだ。

 自宅の隣の意地悪オバサンのように。





 仕事が終わり、予約していた焼肉に行くと、瞳が少し遅れて焼肉屋にやって来た。


 「ゴメンねー、ちょっとトラブっちゃって。

 どうしたの? サングラスなんかして?」

 「ちょっと「物もらい」が出来たみたいでさあ」


 私は嘘を吐いた。


 「大丈夫? うつさないでよ」

 「大丈夫だよ、濃厚接触さえしなければ」

 「何やってんだか。今日は折角高いワコールの下着で来たのに。

 ガッカリ」

 「また今度ね? さあどんどん食べて! お店が潰れるくらい!」

 「よーし、じゃんじゃん食べて、ガンガン飲んじゃおっと!」


 私はそんな瞳を見ていて辛かった。

 せめて私よりは大きい数字が書かれていることを願った。

 だがサングラスを外す勇気はなかった。





 家に帰ると、マイケルが玄関に迎えに来てくれた。


 「お帰り~、壮一。

 どうだった? 瞳ちゃんとの焼肉デートは?」

 「うん・・・」

 「そうか、知りたくないよな? 瞳ちゃんの寿命なんて」

 「見て安心したい気もするんだけどね? その逆だったらと思うとサングラスは外せなかったよ」


 私はマイケルを抱いて、二階の自分の部屋に上がって行った。



 「そういえば大事なこと言ってなかった。あのね、その玉のことは絶対に本人に喋っちゃダメだよ。もちろん他人にも言ってはいけない」

 「言わないよそんなこと、言えるわけないじゃないか」

 「そうだろうけどさ、万が一だよ、万が一。

 もし、それを破ったら、壮一は猫にされちゃうからね。

 それだけは気をつけてよ」

 「どうせなら犬の方がいいな」

 「ふざけないで! わかった?」

 「わかったよ」


 私はスーツを脱いでスウェットに着替え、マイケルを膝に乗せて缶ビールの蓋を開けた。

 おつまみのチータラをマイケルに分けてあげた。


 私は再び、自分の大切な人たちの事を思い浮かべた。


 少なくともみんな、私より先に死んで欲しくはないと思った。


第4話 島崎次長

 仕事を終え、帰宅しようとすると、島崎次長から呼び止められた。


 「三浦代理、ちょっと一杯つき合え」


 私はまた説教かと憂鬱になったが、断る理由が咄嗟には浮かばず、駅前の居酒屋へとついて行くことにした。




 店に入ると、沢山の玉が浮かんでいるのが見えたが、極端に数字の短い人がいなかったのが、せめてもの救いだった。


 「実は今日、人事から内示があってな、今度の人事異動で佐野支店に支店長として赴任することになったんだ」

 「おめでとうございます、いよいよ島崎支店長の誕生ですね?」

 「ああ、俺の夢だったんだ。入行以来ずっと、支店長になることが」


 そう言って島崎次長は美味そうにビールを飲んだ。

 私は胸が苦しくなった。

 いつも私に辛く当たるこの島崎次長が、ようやく今までの努力が実り、支店長になることが出来るという。それなのに次長の余命はあと僅かだなんて、あまりにも残酷すぎる。


 「女房、子供も喜んでくれてな? 「パパ、よかったね」って言われたよ。

 俺がここまで頑張ってこれたのも、家族がいたお陰だからな。

 三浦代理、結婚はまだか? うちのライバル銀行の美人の彼女とはどうなんだ?」


 島崎次長は私にビールを注いでくれた。


 「中々プロポーズするタイミングが掴めなくて、ズルズルです」

 「そうか? でもな、結婚は早い方がいいぞ、彼女、2つ年上だったよな?」

 「はい、よく覚えていますね?」

 「どうでもいいことはよく覚えているんだよ、ハハハ」


 次長は喉を鳴らしてビールを飲んだ。

 今度は島崎次長の空いたグラスに私がビールを注いだ。


 「代理も遠慮しないでどんどん飲めよ、今夜は無礼講だからな? あはははは」


 次長は上機嫌だった。


 「そうなんですよねー、そろそろプロポーズしないと・・・」


 私は躊躇していた。自分も瞳もあとどのくらい生きられるのかと考えてしまっていたからだ。


 「お前ならいい家庭を作ることが出来るよ。何しろ俺のしごきに耐えた男だからな?

 代理、いや壮一、俺はもうすぐこの支店から出ることになる。

 だから最後にお前に謝っておきたかったんだ。

 お前は見込みのある男だ、だから俺はお前に期待した。「こいつは俺よりもいいバンカーになる」とな?

 だから俺はお前には誰よりも厳しく接した。

 今まで嫌な想いをさせて、本当にすまなかった。

 この通りだ」


 島崎次長はテーブルに頭が付くのではないかと思うほど、私に深く頭を下げた。


 「止めて下さい! 頭を上げて下さい、島崎次長!」


 私は涙が止まらなくなってしまった。


 その涙は、島崎次長が自分に目をかけてくれていたといううれしさと、感謝の涙であり、そしてもうひとつは、こんな優しい上司がもうすぐ死んでしまうという悲しみの涙だった。

 そんなことも知らずに、私は次長を避け、疎ましく思っていたのだ。

 私はそんな浅はかな自分を責め、後悔した。



 「壮一、もちろん今日は俺の奢りだ、じゃんじゃん飲んでくれ」

 「ありがとう、ござい、ました、島崎、島崎次長・・・」

 「泣くな壮一、いいから飲め!」


 そう言って島崎次長は私の左肩を軽く叩いた。




 その後、スナックに移動しても私はずっと泣き続けていた。


 「どうした壮一? いいかげんもう泣くのは止せ、俺が泣かせているみたいじゃないか! あはははは」


 (その通りなんです、私をこんなに泣かせているのは島崎次長、あなたなんです)


 私は心の中でそう叫んでいた。



 うれしそうに笑って夕食を食べている島崎次長と奥さん、そして子供さんたちの顔が目に浮かんだ。



 「壮一、もういい、泣くな。

 カラオケでも歌え、なんだっけ? お前の好きなミスチルのあれ」

 「私がミスチルを好きな事、どうして・・・」

 「去年の支店の忘年会で歌っていたじゃないか? いい声だったから覚えていたんだよ、それに俺は出来る銀行員だからな? あはははは」


 この人は俺のことをいつも気にかけてくれていたんだ。だから私のどんな些細なことでもちゃんと覚えていてくれたんだ。


 私はマイクを握り、思い切りミスチルを熱唱した。

 この悲しみを振り払うために。





 酔って家に帰ると、マイケルが待っていてくれた。


 「うわっ、酒臭いな壮一。飲んで来たのか?」

 「うん・・・、飲んだよ、飲んで思い切り泣いて歌った!」

 「どうした? 飲んで来たのに楽しそうじゃないな?  

 何か嫌な事でもあったのか?」

 「マイケル・・・、俺は辛いよ、どうしてこんなのが見えるようになっちゃったんだろう・・・。

 俺がいったいどんな悪いことをしたって言うんだ! もうイヤだよ! 耐えられないよ! こんなの!」


 私は服を着たままベッドに倒れ込んだ。


 「どうしたんだ? 壮一、ボクに話してごらんよ」



 マイケルは私の胸に乗ると、私の顔を優しく舐めてくれた。

 私は今日の島崎次長との出来事を、マイケルにすべて話した。



 「そうだったんだ、それは辛かったね?・・・。

 でもね、壮一。人はいつかは死ぬものだよ。

 次長さんだけじゃない、そんな悲しい人たちがこの世の中にはたくさんいるんだ。

 あと少しで苦労が報われる、そんな時に命が中断されてしまう。

 あの志村けんさんだってそうだったじゃないか? あと少し、あともう少しで映画の主役や、いろんなチャンスが来ていた矢先だよ、天国へ旅立ってしまったのは。

 壮一、人はね? 病気や事故で亡くなるんじゃないんだ、神様がお決めになった寿命であの世に帰るんだよ。

 だから悲しむことはないんだよ、みんないつかは死ぬんだから。

 それはボクも壮一も同じだよ。

 壮一はその事実を知るのが怖いし、辛いかもしれない。

 でもね、考えてごらんよ、死期が迫っている人だからこそ、その人に精一杯の優しさを、思い遣りを持って接してあげたらいいんじゃないのかな?

 だってみんなはそんなことわからないんだよ? この大切な人がいつ死ぬかなんて誰も分からないし、考えもしないじゃないか? 

 だから壮一、君は神様から選ばれた人間なんだよ。

 わかるよね? ボクの言っていること?

 だから勇気を出してよ、壮一。

 ボクはそんな悲しそうな壮一を見るのが辛いんだ」


 マイケルは前足で私の頬をやさしく撫でてくれた。


 「ありがとう、マイケル。

 そうだよね? そう考えることにするよ。

 明日から、サングラスは外すことにする。

 現実から目を背けるのはもう止めるよ」

 「うん、うん、そうだよ、その方がいいよ、君は選ばれた人間なんだから」


 私とマイケルは寄り添いながら眠った。


第5話 現実と向き合う勇気

 「壮一ご飯よ~、銀行、遅れるわよー」

 

 私とマイケルは頷き合った。

 

 「現実から目を背けちゃいけないよ。いいな? 壮一」

 「わかったよ、マイケル」

 

 私はマイケルを抱いて、階段をゆっくりと降りて行った。

 サングラスは掛けずに。


 たとえ母さんの数字がゼロでも、私はそれを受け止めるつもりだった。

 それが息子としての私の宿命なのだと。

 マイケルが言う通り、人はいずれいつかは死ぬんだ。

 私はその尊い命と向き合うべきだと思った。

 私は覚悟を決めた。



 「あら、もう眼は良くなったのね? 良かったわ、目は大事よ。

 さあ、早く食べなさい。

 どうしたの壮一? お母さんの顔に何か付いてるの?」


 私はホッとした。

 母親の頭に浮かんだその玉は虹色に輝き、直径が1メートルもあり、その数字には38と書かれていたからだった。


 母さんは現在55歳、すると93歳まで生きられるということになる。

 私は安心したと同時に、出来る限り親孝行をすることを心に誓った。

 私とマイケルは食事を始めた。



 「ねえ母さん、今度の日曜日、瞳と三人で温泉にでも行かないか? 日帰りで」

 「いいの? お邪魔じゃないの? お母さんまで。

 気を遣うことはないのよ、二人で行って来なさいよ、私はいいから」


 母は嬉しそうだった。息子の私が彼女と一緒に温泉に誘ってくれたことが。


 「遠慮しなくてもいいよ、母さんも一緒においでよ。

 美味しいランチも付いているし、予約しておくからさ」

 「悪いわねー、ありがとう壮一。

 実は最近肩が凝ってね、温泉でも行きたいなあって思っていたところなのよー」

 


 私は食事を終えると、母さんに抱かれたマイケルと母さんに言った。


 「じゃあ、マイケル、行ってくるよ。

 母さん、行ってきます」

 「気を付けて行くのよ」

 「ニャー、ニャアニャニャー(よかったね、壮一。いってらっしゃい!)」


 マイケルはゆっくりと尻尾を左右に振った。





 銀行に行くと、掲示板に島崎次長の辞令が貼られてあった。

 


    島崎信也 佐野支店 支店長を命ず



 島崎次長はご機嫌だった。



 「島崎次長、先日はご馳走様でした!」

 「ちゃんと帰れたのか? 相当酔っていたようだったが」

 「美味しいお酒でした。一杯歌って、まだ喉がガラガラです。

 ご栄転、おめでとうございます!

 次長、私に出来ること、いえ、出来ないことでもがんばりますので、何なりとお申し付け下さい!」

 「ありがとう、頼もしいな? 三浦代理。

 俺が言ったことを守って頑張れ、そうすればお前は必ずいいバンカーになる」


 私は泣きそうになり、そのままトイレに駆け込んだ。



 私は水道の蛇口を捻り、顔をジャブジャブと洗った。

 ハンカチで顔を拭きながら、私は鏡に映る自分に命じた。


 「事実から目を背けるんじゃないぞ、壮一!」


 と。そこへ同期の熊谷がやって来た。


 「良かったな三浦、鬼の島崎次長が異動になって。

 これでお前も虐められずに済むな?」


 私は熊谷の胸倉を掴んだ。


 「黙れ! 次長は素晴らしい上司だ!」

 「何だよ、せっかく人が心配してやったのに」


 私は熊谷から手を離した。


 「すまん、俺がどうかしていた」

 「まあ、月末だしな? そうカリカリするな」

 「ああ、ごめん熊谷」


 熊谷の球体は緑色のソフトボールくらいの大きさで、「53」と数字が書かれてあった。





 仕事が終わり、私は瞳に電話を掛けた。


 「どう? 今夜飯でも?」

 「物もらいは治ったんでしょね? いやよ、うつしたら」

 「もう治ったから大丈夫だよ、何がいい? 魚、肉?」

 「うーん、今日はお寿司の気分かなあ?

 そしてその後、エッチしようよ、この前は出来なかったから。

 生理前でムズムズするんだ」





 行きつけの鮨屋に入ると、大将の球体は黄色のバレーボールくらいの大きさで、そこには数字の「22」と書かれていて、女将さんには同じような球体に「35」と書かれてあった。


 私は先に御造りを肴に、冷酒を飲んでいた。

 するとそこへ瞳がやって来た。


 「お化粧直してたら遅くなっちゃった。ごめんなさい、いつも待たせちゃって。女将さんとりあえずビールを下さい。あー、お腹空いたー」

 

 瞳はそう言って、いつものように私の右隣の席に座わった。私はすぐには瞳を直視することが出来なかった。

 私は今にも心臓が破裂しそうだった。

 もしも、瞳の数字が少ない数字だったら・・・。


 (勇気を出せ、壮一)


 マイケルの声が聞こえた。

 そして私は意を決し、瞳の頭上を見た。



 そこには金色に輝く、眩しいほどの直径2メートルもある球体が浮いており、数字は「62」と書かれてあった。

 私はうれしさのあまり、また泣きそうになってしまった。


 「瞳・・・」

 「どうしたの? そんな泣きそうな顔して」

 「よかった、本当に良かった」

 「何が良かったのよ? ヘンな壮一。

 大将、ヒラメにイクラ、それから中トロを頂戴! それからかんぱちもお願いしまーす!」

 「瞳ちゃん、相変わらず綺麗だね?」

 「もう大将、そんな分かり切ったこと言わないで! あはははは」

 

 みんなが明るく笑っていた。

 私はとてもしあわせだった。




 久しぶりに瞳を抱いた。

 私たちは十分に愛を確かめ合った後、私は瞳に言った。


 「今度の日曜日、母さんと3人で温泉に行かないか?」

 「いいわよ、何処の温泉に行こうか?」

 「近場でいいかな?」

 「うん、そうだね、ロングドライブはお母さんも疲れちゃうもんね?」

 「ありがとう、瞳」


 私は瞳を抱き締めた。


 「私、壮一のお母さんとならうまくやれそう。私、壮一のお母さん大好きだから。

 それじゃあもう一回、して。ナマで」

 「了解。瞳?」

 「なあに?」

 「愛しているよ、とても」

 「私もよ。壮一・・・、あんっ」


 私たちの熱い夜は続いた。


第6話 地獄行き

 島崎次長が急死した。

 次長の通夜で私は泣いた、泣き叫んだ。


 放心状態の奥さん、シクシクと泣き続けている中学の娘さんと小学生の息子さん。


 「信也、俺よりも先に死ぬ奴があるか・・・。

 親よりも先に死ぬなんて、親不孝にもほどがあるぞ・・・」


 島崎次長のお父さんも、そう次長の遺体に話し掛けて泣いていた。


 お母さんは5年前に他界しており、お父さんの悲しみは底知れぬものになっていた。

 お父さんも同じ銀行員だったこともあり、息子である島崎次長はお父さんの自慢でもあった。


 「もうすぐ支店長だったのにな?

 俺は次長止まりだったが、あと少し、あと少しで・・・。

 天国で母さんと仲良く暮らせよ、俺もそのうちそっちへ・・・、行くからな・・・」


 お父さんの上には銀色のバレーボールほどの球体が浮かび、そこには「1」と書かれていた。



 奥さんにはオレンジ色のソフトボールほどの球体に「51」と書かれており、娘さんと息子さんも長寿だった。


 

 「クモ膜下出血だったそうだ。

 もうすぐ島崎次長の念願だった支店長になれたというのに、気の毒なことだ」


 支店長が泣いている私の背中を摩りながら言った。

 私はいたたまれなくなり、島崎次長の通夜を飛び出した。

 外は満月の明るい夜だった。


 つがいの野良猫が、話しながら私の目の前を通り過ぎて行った。

 

 「あら、ここのご主人、亡くなったのね? たまにキャットフードをくれたいい人だったのに」

 「仕方がないよ、命ある者に限りはあるからな?」

 「そうね、今日は満月だし、天国の扉も開くわね?」

 「いい人ほど、早く死ぬもんだな?」


 



 葬儀も終わり、1週間が過ぎると、誰も島崎次長のことは話題にもしなくなり、何事もなかったかのように支店の中は落ち着きを取り戻していた。

 これが現実なんだと私は思った。

 こうして人は人々の記憶からも消えていくのだと。


 



 家に帰ると妹の咲が帰っていて、マイケルを撫でていた。


 「お兄ちゃん、お帰りー」


 妹の咲の頭上には、オレンジ色の直径1メートルの球体が浮いており、そこには「68」と書かれてあった。

 妹とは歳が離れているせいか、自分の娘のような存在でもあった。

 私はホッとした。


 

 「島崎次長さん、お気の毒だったわね? 奥さんのご主人を亡くした気持ち、よくわかるわ。お子さんもまだ小さいんでしょう?」

 「うん、でももう銀行では忘れられているよ」

 「忙しいからでしょうね? そんなものよ、世の中は。

 人間はイヤな事や悲しい事、辛いことは早く忘れるように出来ているから。

 そうじゃなければ生きてはいけないもの」


 母の言う通りだと思った。


 「ニャー(その通りだ壮一)」


 咲に抱かれたまま、マイケルも言った。


 


 私は自室に戻り、背広を脱いで部屋着に着替えた。

 階下で母の声がした。


 「壮一、お風呂温くなるわよー」

 「咲が先に入っていいよー」

 「はーい」


 咲も返事をした。



 自分の命玉はどんな色でどんな大きさなんだろう? そしてそこに書かれた数字はいくつになっているのだろうか?


 大好きな瞳と結婚して、子供が出来て、出世して、そしてどうなるんだろう?

 どうしよう、もし数字が1桁だったら・・・。


 まさか「1」とか「0」だったりして?


 私はどんどん不安になっていった。


 「死にたくない、絶対に死ぬのはイヤだ!」


 私は死の恐怖に怯えた。



 マイケルがドアを叩いた。


 「壮一、開けてよ」


 私はドアを開け、マイケルを招き入れた。


 「どうした壮一? そんな怯えた顔をして?」

 「マイケル、僕、死ぬのが怖いんだ」

 「死を身近に感じて怖くなったんだな?」

 「だってさ、もっともっとやりたいことがたくさんあるんだよ。

 死んだらどうなるの? 地獄ってあるの?」

 「落ち着け壮一、前にも言ったが死ぬのはお前だけじゃない。

 俺もお前もみんないつかは死ぬんだ。

 地獄はあるよ、でも安心しろ、99.9%の人間はみんな地獄行きだから。

 そして徳を積んだ奴から神様と約束をして、記憶を消されて再び地上に甦るんだ。そしてまた、魂の修業が始まる。

 だから人生を無駄にしちゃいけない、たとえ1秒たりともだ。

 寿命が分からないから尊いんだよ。明日なくなる命かもしれないからこそ、この一瞬一瞬を大切に生きなくちゃな?」

 「マイケル・・・」


 私はマイケルを抱き締めた。

 こうしている間にも、自分の人生の砂時計の砂は静かにサラサラと落ちている。

 

 「壮一、お金は使わなければ減らないけど、時間は使わなくても容赦なく減っていくよ」

 「ありがとう、マイケル」


 私は冷蔵庫から缶ビールを取出し、いつものようにおつまみのチータラをマイケルにもあげた。

 マイケルは美味しそうにそれを食べていた。


 「ところでマイケル、額に赤くバッテンが付いているのはどんな意味があるの?」

 「ムシャムシャ あああれか? あれは地獄行きが確定しているという印だよ。

 大丈夫、壮一にはないから。ムシャムシャ

 壮一、チータラもっと頂戴」


 私はマイケルにチータラをあげた。


 (すると隣の奥さんも、そしてウチの支店長も地獄行きなのか・・・)


 私は背筋が凍る想いがした。


第7話 女の気持ち

 「明日、銀行の健康診断なんだ。だからご飯もエッチも出来ないの、残念だけど」

 「何も引っ掛からないといいね?」

 「何だかドキドキする、乳がんとかだったらどうする?」

 「それはないな」

 「どうして?」

 「だってコリコリしたりとかのシコリもないから」

 「もう、壮一のエッチ!」


 瞳は笑っていたが、その疑いが現実のものとなり、瞳は大学病院での精密検査を受けることになってしまった。


 

 「再検査だってさ、怖いよ、壮一」

 「大丈夫、瞳はガンなんかで死んだりしないから」


 私は自信たっぷりにそう言った。

 なぜなら瞳の頭上には、金色の大きな球体に「62」と、しっかり書かれているからだ。


 「そんなの分からないでしょう! 壮一は男だからわからないのよ! 女の気持ちが!

 仮に助かったとしてもよ、オッパイがなくなるかもしれないんだよ! 髪の毛も抜けて・・・。

 いいかげんなこと言わないで!」

 「ごめん」


 私は瞳を安心させてあげたいと思い、秘密を打ち明けようとも考えたが、マイケルの顔が頭に浮かんだ。



     「壮一、猫にされてしまうよ」


 


 再検査の結果、やはり乳がんと診断された。

 幸い発見が早く、初期段階だったので、投薬と放射線治療を併用することになった。


 病院に見舞いに行くと瞳はかなりショックだったようで、酷く落ち込んでいた。



 「瞳の好きな『プモリ』のモンブランを買って来たんだ、もう秋だね? 気分はどう?」

 「いいわけないじゃない。もしもこのまま悪化して、「胸を取ります」なんて言われたらどうすんのよ。

 オッパイのない私のこと、壮一は抱いてくれる? 嫌いよね? オッパイのない私なんて・・・」


 私はケーキの入った箱を開けながら言った。


 「君は女だから、それは死ぬほど辛い事かもしれない。でも俺は君を失うことの方がもっと辛い。

 俺は瞳の綺麗な胸だけに惚れたわけじゃない、俺は瞳そのものが好きなんだ、瞳のすべてが好きなんだよ」

 「ハーゲンダッツの蓋を舐めるところも? お風呂で都はるみを歌うところも? そしてわがままで大酒飲みで、エッチした後に美味しそうに煙草を吸うのも全部好き?」

 「もちろん。だから何も心配するな、瞳は必ず良くなる」

 「ありがとう、壮一」

 「瞳のすべてを愛しているんだ。だから何も心配するな、俺がついているから」

 「壮一・・・」


 瞳は大粒の涙を流した。

 私は瞳の手を強く握った。


 「さあ、一緒に食べよう、モンブラン。

 飲物を買って来るね? 温かい紅茶でいいかい?」

 「うん」


 私は病室を出て、談話室にある自販機で紅茶を買った。

 誰でも死に対する恐怖はある。そしてカラダの一部がなくなることは死ぬよりも辛いことだ。

 

 私は考えを変えることにした。

 それは、自分が寿命を知ることができない人間だと思い直すことだった。

 つまり、普通の人間と同じように、目の前の人がいつ死ぬかわからないという想いで接することを。

 死期を知るということは安心であり、悲しみでもある。どんなに数字が大きくても、その時は必ずやって来るのだから。

 頭上の数字に関係なく、ただその人に寄り添う勇気とやさしさ。

 それは寿命など関係のないことなのだ。


 人間には与えられた命を全うする義務がある。

 将来を不安に思ってはいけない、私はそう考えることにした。

 人はいつ死んでもいいように、「今、この瞬間を大切に生きること」が大切なのだ。

 

 


 瞳はその後、順調に回復して、無事退院することが出来た。



 「よかったね、病気が治って?」

 「壮一のおかげだよ、壮一が励ましてくれたからオッパイも切らなくて済んだ。

 ありがとう、壮一」


 瞳は私にキスをした。

 私はそんな瞳をやさしく抱きしめた。

 

 「しあわせになろうな」

 「うん」


 

 大学病院の駐車場のクルマの中で、しばらく私と瞳は強く抱き合ったままでいた。


 私は瞳との結婚を決めた。 


第8話 婚約指輪

 「マイケル、俺、瞳と結婚することにしたんだ」

 「良かったじゃないか壮一! そうなれば毎日瞳ちゃんの膝の上に乗ってナデナデしてもらえるし、瞳ちゃんのオッパイに抱かれて眠れるもんね? おまけに大好きな猫じゃらしもしてもらえる」

 「猫じゃらしなら俺もしてあげてるじゃないか?」

 「どうせなら壮一よりも、瞳ちゃんの方がいいよ。だってボク、イケメン・オス猫だから。

 ああ、早く瞳ちゃんの膝で甘えたいなあ」

 「じゃあ、これはどうだ? 必殺、喉コチョコチョ攻撃-ッ!」

 「ああ、それそれ、それ気持ちいいよ~、壮一」


 マイケルはウットリと目を閉じ、喉を鳴らした。



 


 私は婚約指輪を買うために、銀行のお得意先でもある、『マダム麗子・ジュエリーショップ』にやって来た。


 「あら三浦さん。社長に御用ですか?」

 「いえ、ちょっと婚約指輪を見せていただきたいのですが?」


 すると、奥からオーナーの麗子夫人が出て来た。

 おそらく店内の様子をモニターカメラで見ていたのだろう。


 

 「三浦さん、こんにちは! 今日はどうしたの? 彼女さんへのプレゼント?」

 「婚約指輪をお探しだそうです」

 「あら! とうとうイケメン銀行員の三浦さんもご結婚? 残念だわ。うふふ」

 「30万円くらいの予算で選んでいただけますか?」

 「わかったわ。いつもお世話になっている三浦さんのためですもの、見栄えのする素敵な婚約指輪を選んであげるわね?」

 「おねが・・・」

 「どうかしたの? 私の頭の上なんか見て?」

 「いえ、何でもありません。よろしくお願いします」

 「任せて頂戴。うーん、これなんかどうかしら?」



 若い店員さんの命玉はライトグリーンのソフトボールくらいの大きさの球体に、「60」と書かれていたが、麗子夫人の命玉はオレンジ色のバランスボールくらいの大きさで、そこには「2」と書かれてあった。


 麗子夫人は3年前に社長だったご主人を病気で亡くし、その後、この会社を引継いで、順調に業績を伸ばして来た人だった。

 来年の春にはデパートへの出店も決まっていた。

 それなのにどうして・・・。


 ここへ来る途中もそうだった。

 街を行く人たちの頭上には、各々色んな球体が浮かんでいて、すべての球体には数字が書かれてあった。

 つまりそれは、



         人はいつか必ず死ぬ



 ということを意味していた。

 子供も若者も老人も、男も女もすべて、誰一人の例外もなく、人は死を迎えるのだ。



 麗子夫人はそれぞれタイプの違う3点をショーケースの中から選び出し、私の前にそれらを並べた。


 「私の若い頃はダイヤモンドの縦爪が定番で、「お給料の三か月分」なんて時代だったけど、今は普段もつけることが出来る、比較的カジュアルでかわいい物が多いわね。

 彼女さんのお気に入りの宝石とかあるの?」

 「あるんでしょうけど、訊いたことはありません」

 「そう、じゃあ無難にダイヤとプラチナがいいわね、となるとこのどちらかかしら?」

 

 ひとつは¥280,000と値札が付けられていて、もう一つには¥350,000となっていた。


 

 「こちらの方がいいとは思いますが、ちょっと予算オーバーですね~。

 でも一生に一度の事だし、こちらにします。この指輪を下さい」

 「いいわよ、30万円にしてあげるから。私からの婚約プレゼント」

 「そうはいきません、御社は大切なお得意様ですから。

 お気持ちだけ頂戴いたします」

 「相変わらず真面目な人ね? 三浦さんは」


 仕事柄、利益供与に該当するようなことは避けなければならない。銀行で出世するには成果を出すことはもちろんだが、有望な上司に付くこと、そして「落とし穴」には絶対に落ちないことだ。

 些細なことが後々命取りになることもあるからだ。

 

 

 「サイズは分かる?」

 「はい、以前、彼女の誕生日プレゼントにルビーの指輪を一緒に選んだことがあるので覚えています」

 

 私がそのサイズを告げると、

 

 「あら、ちょうどこの指輪と同じだわ。これも運命かもね?」

 

 私はそのキラキラと輝く美しいダイヤモンドの指輪を見詰め、喜ぶ瞳の顔を想像した。

 


第9話 満月のプロポーズ

 「明日、たまに豪華なイタリアンはどうだい?」

 「うんうん、行く行く。

 どうしたの急に?」


 瞳はすでにその場がプロポーズの場だと期待している様子だった。


 (やっとこの日が来たのね!)と。


 「ちょっと特別な日にしたいと思ってさ」

 「なんだかドキドキするんですけど」

 「じゃあ明日、19時に宇都宮駅のスタバで待ってるから。

 食事は新宿でしようよ」

 「えー、新幹線で東京に!」

 「そうだよ、「特別な日」だからね?」

 「だったら今日のうちに美容室に行くんだったー」

 「いいよ、瞳はいつも綺麗だからそのままで」

 「じゃあ、お気に入りのランジェリーで行くからね? 壮一の好きなパステルブルーのやつで」

 「楽しみにしているよ、気を付けて来るんだよ」

 「うん、壮一もね!」


 私は電話を切ると、マイケルと猫じゃらしで遊んだ。


 「ほらほら、マイケルー、大好きな猫じゃらしだぞー」

 「止めろよ壮一、そんなことしたって俺は・・・」

 

 そういいながらもマイケルは右前足で、猫じゃらしをパンチしてしまうのだった。

 

 「や、やめろよ壮一、やめろってば!」

 「ホレホレ、マイケル、ほーら、ほらほらあー」


 遂にマイケルは我慢出来ず、前足で猫じゃらしを追いかけ始めた。


 「ほれ! はら! それ! もういっちょーっ! もっとか? マイケル?」

 「はれ! おろ! それ! どした!」


 やはりマイケルは猫である。猫の習性には勝てないようだ。

 私とマイケルの猫じゃらし遊びは深夜まで続いた。





 翌日、私と瞳は新幹線で東京へと向かった。

 東京駅から中央線に乗り換え、有名人も御用達の、新宿のイタリアンレストランで食事をしていた。


 「すごーい! この前テレビのバラエティ番組でデヴィ夫人が食べてたお店じゃない!

 良く予約が取れたわね? 半年待ちとか言っていたけど」

 「知り合いにテレビのディレクターがいてね? その人のコネを使わせてもらったんだ」

 「こんな素敵なお店でお食事だなんて夢みたい! ありがとう、壮一」

 「今日は特別な日だからね?」

 「ワクワクしちゃう。なあに? 特別な日って?」

 「後のお楽しみだよ」


 瞳のうれしそうな顔。結婚することはお互いの暗黙の了解ではあったが、正式なプロポーズはしてはいなかった。

 誠実で、一生心に残るセレモニーにしたかった。



 「あんまりドキドキさせないでよ、もう、壮一の意地悪う」


 瞳は美味しそうにプリモ・ピアットの手長エビとキャビアのパスタを食べながら、シャンパンを口にした。

 瞳のイヤリングがキラリと揺れた。

 優雅に食事をする瞳の姿に私は見惚れた。



 食事も終わり、ドルチェにオレンジソースの掛けられた、フォンダンショコラとエスプレッソとなり、いよいよかと瞳は期待しているようだったが、レストランでは何事もなく、瞳は多少がっかりしている様子だった。

 少し不機嫌そうに歩く瞳。


 「ヒールだから疲れちゃったよ、どっかで休もうよー」

 


 新宿アルタの前に出ると、私は時計を確認した。

 22:00 ジャスト。


 その時、アルタのオーロラビジョンに私の顔が映し出された。


 

 「瞳、僕は君に出会えて本当にしあわせです」

 

 その私の声に驚いて、オーロラビジョンを見上げる瞳。


 「これからも苦労を掛けることもあると思いますが、僕の支えになって下さい。

 瞳、僕と結婚して下さい」


 湧き上がる周囲のどよめきと喝采。

 私は瞳に跪き、用意していた指輪ケースを開けた。


 「僕と結婚して下さい」

 「壮一のバカ、似合わないぞ、こんなサプライズ・・・。

 こんな私でよければ、お嫁さんに貰って下さい、お願いします!」


 瞳は左手を私に差し出し、私はその薬指に婚約指輪をはめた。


 再び沸き起こる大歓声と割れんばかりの拍手、瞳も大粒の涙を零し、傍にいた女性たちも涙を拭って拍手をしてくれた。


 「初めて見た、こんなプロポーズ」



 私は瞳を抱き締め、誰に憚ることなく、私たちは口づけを交わした。

 

 いつまでもオーディエンスの拍手と歓声は鳴り止まなかった。


 新宿三丁目の夜空に、大きな満月が浮かんでいた。


最終話 この命 尽きるとも

 結婚式の準備に慌ただしい毎日が過ぎて行った。

 日取りも結婚式場も決まり、私と瞳は招待客のリストの作成に頭を抱えていた。



 「ねえ、壮一の友だちとか、銀行の職場の人は何人くらいになりそう?」

 「そうだなあ? 友人が10人くらいで、職場関係は30人くらいかなあ?

 瞳の方は?」

 「私の方は友だちは6人、職場関係は10人くらいかなあー。なるべく黒字にするには親類縁者を多くしたいわね、ご祝儀も多いし」

 「そうだな? 親戚とかだとご祝儀も期待出来るもんな?」

 「楽しみだなあ、私たちの結婚式」


 そんなことを話しながら、私たちはキスをした。


 「しようか?」

 「招待客を決めてからな」

 「じゃあ早く決めちゃおうよ」

 「そうだな」



 


 3日後、私は突然、瞳の家で激しい腹痛に襲われ、救急搬送された。

 

 「壮一! 壮一、大丈夫! しっかりして!」

 「ひ、ひと、み・・・。 

 だ、だいじょ、う、ぶだよ・・・」


 私は自分の球体の数字を考えた。


 (マイケルが私の球体の数字を言わなかったのは、その数字が「0」だったからなのかもしれない)


 

 病院に着くと、すぐに緊急オペになった。



 リカバリールームで麻酔から覚めた私は尿意を感じ、ナースコールを押した。

  

 「すみません、オシッコがしたいんですけど」

 「そのままして大丈夫よ、尿道カテーテルがついてるから」

 「そうですか」


 ただ、それには違和感があり、そのうち私は眠りに落ちた。



 

 意識が戻ると、傍に瞳や母さん、妹がいた。


 「大丈夫? まだ痛い?」

 「ああ、手術をしたばかりだからね?」

 「腹膜炎になりかけていたらしいわよ、でも手術が成功して本当に良かったわ」

 「盲腸がこんなに痛いとは思わなかったよ」

 「もう少しで腸に穴が開くところだったんですって。

 ただ、経過観察があるから、2週間はかかるそうよ」

 「よかった、結婚式に間に合いそうで」

 「結婚式も大切だけど、壮一のことはもっと大切だよ」

 「そうよ、まずは体を治してからね? 瞳ちゃんが色々やってくれて助かったわ」

 「ありがとう、瞳」

 「旦那様の一大事だもの、当然よ」


  


 入院生活は退屈だった。

 本を読んだり雑誌を見たり、あとはラジオやテレビを観て過ごしていた。

 厄介だったのはリハビリとして、病院を歩くように指示されたことだった。

 当然、入院患者とも顔を合わせるので、例の球を観るのが辛かった。

 入院患者の数字は半数が「20以下」と書かれていた。


 そんな中で、私は友人が出来た。

 彼の名前は山岸智也、年齢が近かったこともあり、私たちはウマが合った。

 彼はいつも談話室で缶コーヒーを飲んでいた。

 最初は彼から声を掛けて来た。



 「入院、長いの?」

 「うん、今日で10日、君は?」

 「もう2か月だよ、俺、山岸、君は?」

 「俺は三浦壮一。  

 入院生活って退屈だよね?」

 「まあな・・・」


 山岸は寂しそうな顔をしていた。

 彼の頭上にはピンクの直径1メートルくらいの球体が浮かんでおり、そこには「58」と数字が書かれていた。





 瞳は毎日、私を見舞いに来てくれた。


 

 「毎日は大変だからいいよ」

 「全然平気だよ、まだ退院出来ないの?」

 「白血球の数値が良くないらしいんだ。

 点滴の針を変えるのが痛くてさ」

 「私が代わってあげたい」


 瞳は私の手をやさしく握ってくれた。


 「ありがとう、瞳」




 瞳と談話室に行くと、山岸と奥さんらしき人が子供を抱いて話をしていた。


 「こんにちは、山岸の奥さんか? 初めまして、三浦です」


 瞳と奥さんはそれぞれ黙礼をした。


 「初めまして、山岸です。ああ、そしてこれが俺の子供だ、かわいいだろう?」

 「ボク、何歳?」


 瞳がその子に尋ねると、その子は指を3本立てていた。


 「へえー、3才なの? すごいね?」


 だが奥さんは寂しそうに笑っていた。


 「いつも主人がお世話になっています」

 「いえ、こちらこそ」

 「三浦の奥さんか?」

 「婚約したばかりなんだよ、俺たち」

 「そうか、なら早く退院出来るといいな?」

 「うちのダーリンがお世話になっています!」

 「ステキなフィアンセさんだね?」


 山岸は力なく笑った。



 それから数日が過ぎた頃、私は山岸の奥さんが子供を抱いて談話室で泣いているのを偶然見かけてしまった。


 彼女の頭上には「35」と書かれた、虹色の30センチほどの命玉が輝き、抱かれた子供には「22」と書かれていた。

 私は奥さんに声を掛けた。


 「大丈夫ですか?」


 彼女はすぐに手で涙を拭った。


 「三浦さんに恥ずかしいところを見られちゃいましたね?」

 「辛いですよね? 旦那さんの入院が長いと」

 「彼はもう長くはないんです。末期の大腸がんなんです、彼・・・」

 「大丈夫ですよ奥さん、彼はまだまだ死にませんから」


 私は迂闊なことを言ってしまったと後悔した。


 「ありがとう・・、三浦さん。でも私、どうしていいのか、もうわからなくて・・・。

 この子とこれからどうやって暮らしていけばいいのかと思うと不安で・・・」

 「大丈夫、心配要りませんよ、彼は長生きしますから」

 「どうしてそんなことがわかるんですか! お医者さんでもないあなたが!

 無責任なこと言わないで!」


 私はこの時、病院生活のストレスで、つい口が滑ってしまった。


 「それは僕にはその人の寿命が見えるからです。

 彼はあと58年生きられます! 旦那さんはまだ死にません!

 僕を信じて下さい! 奥さん!」


 と、私が言った瞬間、私のカラダはみるみる小さくなり、全身が体毛に覆われ、ついに猫になってしまった。


 そこへ、マイケルが現れた。

 

 「壮一、あれほど言ったのに・・・。

 仕方がない、ついておいで、キングに合わせてあげるから」



 私はマイケルに必死に声をかけようとするが、ニャアニャアという鳴き声しか出せなかった。

 

 「それから壮一、もう言葉はしゃべれないんだよ、君は猫になったんだから」


 


 

 私はマイケルの猫パンチで目が覚めた。

 寝室の窓からはまぶしい朝日が差し込んでいた。


 どうやら私は夢を見ていたようだった。


 「おはよう、マイケル」

 「ニャー」


 マイケルは人間の言葉など話さない、タダの猫のままだった。

 それに球体もマイケルの上に浮いてはいない。



 茶の間に降りて行くと、母さんがお茶を飲んでテレビを見て笑っていたが、頭上に球体は見えなくなっていた。


 「おはよう、壮一。

 今日はパンでいい? 昨日、おいしい食パンを買って来たのよ」

 「うん」




 銀行に行くと、島崎次長がいた。

 

 「三浦代理、何だこの報告書は? やり直せ!」

 「はい」

 「何をニヤニヤしてるんだ! 気持ち悪い奴だな? 早くやれ!」


 よかった、島崎次長の頭にも球体は無かった。

 そして次長は生きている。

 すべては夢だったのだ。


 考えてみれば、そんなことが現実にあるはずがなかった。

 それにしても、かなりリアルで不思議な夢だった。




 仕事が終わり、瞳と食事に出かけた。


 「ねえ、もう退院して大丈夫なの?」

 「えっ!」

 「どうしたの? そんなに驚いた顔して。

 緊急手術して入院、本当に大変だったね?」


 その時私は瞳の左手の薬指に、あの婚約指輪が光っているのを見た。

 

 「ねえ、新婚旅行はどうする? ハワイ? それともモルジブにする? 

 いずれにしても海は外せないわよね~? ハネムーンだもん! 海、サイコー!」


 瞳は満足げに指輪を翳していた。



 (おかしい、あれは夢だったはずだ、島崎次長も死んでいなかったじゃないか!)



 私は記憶と現実の整合性がつかなくなっていた。

 夢と現実が混濁している。私は完全に戸惑っていた。



 (これは夢のなか? それとも現実? 私はパラレルワールドにいるのか?)





 食事を終え、瞳と別れて夜道を歩いていると、長い白髭を生やした老人とすれ違った。

 その老人は言った。


 「時間を無駄にしてはいかん、死は必ずやって来るのじゃ」


 私が慌てて振り返ると、そこに老人の姿はもうなかった。

 

 目の前を一匹の黒猫が私を一瞥し、そのまま横切って去って行った。

 私はまだ、夢から醒めてはいないのだろうか?


 そう言えば、今日は10年前に死んだ、親父の命日だった。



                         『命玉』 完


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【完結】命玉(作品230512) 菊池昭仁 @landfall0810

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