第5話

 勇太は竹藪の前でいつものように乱れた呼吸を整えた。いつもより湿気ており、手のひらが汗ばんでいた。目じりには涙の乾いたあとがあった。家から帰ってくるや机の引き出しに隠していたテストの八十点の答案が母にバレてしまい、長時間怒号を浴びせられていたのだ。

 充分に呼吸が整わないまま草むらに作った道を見ていると、既視感のある感情に包まれた。何なのかすぐにわからなかったが、呼吸が落ち着いた頃に頭に線が走った。

「広くなってる」

 竹藪の入り口から小屋までは丈の長い雑草を何度も踏み歩いたことで道ができていたが、勇太の体の幅しかなかった。それがどう考えても二倍は広がっていた。

 もしかしたら小屋の持ち主がいて、その人が返ってきたのかも――

 勇太はかかとからゆっくり足を降ろして小屋に近づいた。小屋を見つけた日を思い出した。壁に耳を当てるが特に何も聞こえない。

 軋むドアを開けても人がいる気配はなかった。落ち葉の散らばっている量が増えている気がした。虫かごを見ると、カブトムシとニホントカゲの姿が見えない。小屋を外に出してよく見てみると、それぞれのかごにはカブトムシの角とニホントカゲの千切れたしっぽだけがあった。

「もしかして食べられちゃったのかな……」

 もし食べられたとしたら食べたのは一体どんな生き物なんだろう。賢い猿がこの竹藪にいるのかもしれない。最近、見た人影ももしかしたら虫を食べた猿の可能性もある。猿なら賢いから虫かごを開けることができるだろう。

 勇太はオオカマキリの墓の隣に二つ穴を掘ってそれぞれの一部を埋めて手を合わせた。立ち上がるとオレンジ色の夕日が周囲に黒い影をつくっていた。目に入った先に葉のついていない竹の枝が伸びていた。それは誰かが笹の葉をむしり取ったような跡があった。枝の先に何か刺さっているが夕日の影になっていて良く見えない。近づくとごくりと唾を飲んだ。口から腹に枝が貫通していたニホントカゲだった。気づいたときには尻もちをついていた。

 枯れ葉の砕ける音がした。後ろを振り返ると、何者かが勇太を見下ろしていた。顔は陰になっていて見えない。猿ではないことだけはわかった。

「君だよね。小屋で虫飼ってたの、ごめんね。でもここはボクの土地だから」

 男はしゃがみこむとにやりと笑った。異様なまでに歯が黄色く、口の周りどころか頬全体にまで太いひげで覆われていた。勇太は涙目になった。恐怖もあるがそれ以上に男からの激臭が身体に危険を知らせていた。男の横をすり抜けて逃げようとするが男の横幅が予想以上に大きくて身動きできない。

「今日はトカゲで、君は明日以降だ。三日に分けて食べるか」

 男はどこからか持ち出した大きな石を両手に持ち、勇太の頭に振り下ろした。激痛が全身をもたげ、視界が真っ赤になった。石をぶつけられたところから血が流れて目に入った。

「君の脳みそがおいしそうだな」

 勇太の意識とは無関係に痙攣が止まらなかった。かろうじて動く右手で頭部を押さえると柔らかいものに触れて強烈な吐き気に見舞われた。そのまま地面に吐瀉物を吐き出したあと、勇太は動けなくなった。男はにやりと笑って錆び付いたのこぎりを取り出した。

「いつものように首切っちまえば動き止まるだろう」

 男は勇太のぐちゃぐちゃになった頭部の髪を掴み、首にのこぎりを充てて力を入れた。

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虫かご 佐々井 サイジ @sasaisaiji

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