終章
空乃有紗が起こした繰り返し七月四日、ループ現象は無事解決された。いまさらであるが、有紗の願望を踏まえると、おそらくあれは【日常】の【ストーリーライン】だったのではないかと詩録は考察していた。
そして、その事件から一週間が経過し、とある日の放課後。『探偵部』の部室には平穏と日常が戻っていた。
「もうすぐ夏休みだねー。楽しみだねー、『探偵部』の合宿。ボク、ウキウキでもう準備始めちゃってるよー」
「あたしも楽しみだよっ! 特に海! せっかくの夏なんだから夏らしいこと、しようよっ!!」
「ふふふ、そうですね。私も楽しみですよ、海。詩録くんも楽しみですよね、海? ほら、私たちの水着姿見れますしね?」
「やめろ、その流れで会話を俺に振るの。見たいと答えても見たくないと答えても地獄じゃねーか。……あと、お前ら。具体的には凛と智慧。俺ら一応受験生なんだが、勉強はいいのか?」
「「…………」」
毎日コツコツ勉強をしている成績優秀な波瑠はさておき、智慧と凛はそっと視線を詩録から逸らす。
そんなバカ二人の様子を見て、詩録と波瑠はそっとため息をつく。
「なら夏休みは私のお家で勉強会を開きましょう。詩録くんも教師役として来てくださいますよね?」
そして波瑠がここぞとばかりに笑顔で詩録の夏休みの予定を埋めていく。
「そうだそうだ、勉強会をしようよっ! ボクお菓子とゲーム持っていくよっ」
「いいね、それ。あたしは大人数用のボードゲーム持っていくよ」
「お前ら、勉強会の意味分かってんのか……? いっぺん、辞書で勉強の意味を調べてこい」
ハナから勉強する気など皆無な問題児二人のその様子に頭痛でもするように頭を抱える優等生の少女と勉強だけはできる少年。
「まあ、でも、息抜きは必要ですからね。休憩でお茶をしたり、ゲームをしたりするにはいいかもしれません。ですので、詩録も来てくださいっ」
「お前、最近こいつらに甘くねえか……? あとなにが『ですので』だ。何一つ順接してねえぞ」
豊かな胸の前で両手を合わせておっとりと言う波瑠の言葉を聞き、詩録はやれやれと首を振る。
これはあれだ。どう足掻いても自分はその勉強会(?)とやらに強制参加させられるやつだ。
これは諦めて素直に参加するのがいいのかもしれない。
どうやら夏休みも忙しくなるらしいと詩録は視線を窓へ投げ、少しずつ橙に染まっていく青空を見つめた。
空乃有紗は将来への不安と、いつか訪れる日常の終わりへの恐怖からあのループを起こした。
彼女はわかっていたのだ。永遠なんてものはこの世のどこにも存在せず、あらゆるものにはいつか終わりが来ることを。自分たちはいつまでも子供ではいられず、いつか必ず大人になることを。学校という小さな小さな箱庭から飛び出して、いつかは社会という大海原に出なけれなばならないということを。
青い空が橙色に移ろい、黒に染まるように、この日常だっていつか取り返しのつかないほど変わり果ててしまう。
黙っていても時間は前へと進み続けるし、いやでも未来はやってくる。現在なんてものは存在せず、それは過去と未来の曖昧な境界に過ぎない。日常の一瞬一瞬を積み上げて、いつかそれが未来へと至る。積み上げた先が幸せな未来だという保証は一切ない。物語は多くの場合ハッピーエンドで締められるが、人生は必ずしも幸せにあるとは限らないのだ。
いつかこの騒がしい日常にも終わりが来るのだろう。
そしてその終わりはすぐそこまで来ている。
さっき詩録が自分で言ったようにもうすぐ受験で、そして卒業だ。
高校を終えて、多くの人は大学へ行く。きっと一〇年以内にはみな社会に出なければならない。
一〇年先の未来。
そんな遥か遠くのものなんて今の自分たちには明確に思い描くことなど出来はしない。
きっと、全て終わって、何もかも終わってしまって、もう二度と手に入れられなくなったときにきっとこの日々を懐かしく思うのだろう。
それでもだ。
いつか終わりが来るからといって
ならば今は、橙色に染まっていくこの青空を楽しもう。青空と夜空の境、夜に染まる一歩手前の景色は今しか楽しめない。
そう思っていたときだ。
詩録のその思考は、コンコンという部室の扉がノックされる音で遮られる。
「……? どうぞ」
波瑠がそう返事をすると、ガラガラと扉が引かれて一人の黒髪の女子生徒が部室の中に入ってくる。
「あの、相談があります」
部室に訪れた彼女はそう言った。
詩録と波瑠、凛、智慧はそれぞれ顔を見つめ合い、視線を交わし。
思っていることは皆同じ。
また、【ストーリーライン】絡みの事件が訪れたのか、と。
詩録は黒髪の来訪者を数秒見つめ、ため息をついた。一難去ってまた一難。ついこの間『ループ現象』の【ストーリーライン】を解決したばかりなのにまた【ストーリーライン】絡みの事件が舞い込んで来た。
と、そこまで考えてふと先ほどまで思い浮かべていたことを思い出す。
きっとこの日常にも、この非日常にもいつか終わりが来る。ならば、しばしこの非日常に身を委ねるのも悪くないのかもしれない。
そう思い直し、少年は来訪者の少女に言った。
「とりあえず、話だけでも聞こうか」
こうして少年少女たちは日常から非日常に身を投じていく。
* * *
オタクに優しいギャルは存在しない。
可愛い幼馴染はいない。
美少女は転校してこない。
女の子は空から降ってこない。
あざと可愛い後輩はできない。
美人な義理の姉妹はできない。
学校一の美人生徒がマンションの隣に住んではいない。
美少女に勉強を教える機会はない。
そもそも学年一や学校一の美少女など存在しない。
美人の先輩とは話すことさえない。
美人の先生の家には行く機会はない。
初恋の人には再会しない。
学校の屋上には行けない。
カラフルな髪の生徒は存在しない。
生徒会に権力などない。
特殊な活動内容の部活は存在しない。
ブラコンな妹などいない。
友達の母親は姉と見間違うほど若くない。
ラッキースケベは起こらない。
テロリストが学校を占拠などしない。
ゾンビパニックは起こらない。
トラックに轢かれても異世界に転生できない。
漫画やアニメ、小説で見かける定番のあれやこれは現実には存在し得ないのだ。そんなものは幻想だ。
そう、幻想なのだ。泡沫の夢なのだ。
きっと誰しも一度は憧れた。例えば、高校に入学するとき、そんなことはあり得ないと頭で分かっていても、もしかしたら『物語』のようなことが起こるのではないかと一抹の希望を抱いただろう。
そして、現実はフィクションとは違うということを身をもって理解しただろう。
しかし。
しかし、世の中にはそういったフィクションのようなことが現実で起こる人たちが存在する。
そして、そういった人たちはこう呼ばれている。
物語に魅入られると。
これは物語に魅入られた少年少女たちの物語だ。そして、この物語はきっとまだまだ続いていく。
(了)
この『物語』はフィクションです。─虚構が現実を侵蝕する─ 鏡 大翔 @Abgrund
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