後編

「それで、僕とあの御令嬢がなんだって?」


 屋敷に着いてエルレアの部屋に来てからエルレアとイリウスはソファに並んで座っている。エルレアはいたたまれずイリウスの顔を見ないが、イリウスはエルレアの顔をじっと見つめたままだ。


(どうしよう、どう誤魔化せばいいんだろう。というか誤魔化せる気がしない)


 思わず口にしたことを今さら後悔しても遅い。そっとイリウスを見ると断固として聞くまで帰らないという姿勢が見える。


 だからといって正直に話したとして信じてくれるだろうか。あなたたちは読んでいた小説の主人公たちで恋仲になりハッピーエンドになるんです、と言ったところで信じてもらえる気がしない。むしろ頭でもおかしくなったのかと心配されるのがオチだろう。


 思い悩んでいると、エルレアの手にそっとイリウスの手が重なった。


「どうしても言ってくれないなら、言ってくれるまでキスをする」

「はい?」

「やめてほしかったら隠していることを言うんだ」


 そう言ってイリウスの顔がどんどん近づいてくる。避けようとするがイリウスの片手がいつの間にか腰に回っていて逃がそうとしない。


 そもそも三ヶ月前に婚約したと兄ジオルのは言っていたが、今までイリウスとキスをしたことがあったのだろうか?この世界に来たのが昨日のことなのでさっぱりわからない。


 そんなことを考えているうちにイリウスの顔は目前まで迫っていた。あの美しい顔が、しかもあの憧れのイリウスの顔が目の前にあるのだ、正気でいられるはずかない。


(む、無理無理無理無理〜!)


「ま、待ってください!話します!話しますから!」


 顔を真っ赤にしてエルレアが声を上げると、イリウスはホッとしたような、でも少し残念そうな複雑な顔をしてエルレアから離れた。


「……信じてもらえないとは思いますが」


 そう前置きして、エルレアはイリウスに全てを打ち明けた。





(俺が小説の登場人物であの御令嬢に一目惚れして恋仲になる……?)


 イリウスは呆然としながらエルレアの話を聞いていた。エルレアは生前は聖女で、罪をきせられて処刑される間際に生まれ変われるのなら令嬢になりたいと願ったらここにいた、と。この世界はエルレアが聖女の頃に読んでいた恋愛小説の世界だとも言っていた。


 到底おかしな話なのだがエルレアは本気で言っているようだ。確かに昨日会っている最中にエルレアは一瞬気を失い、それから言動も行動もおかしくなっていた。


(だが、俺があの御令嬢に一目惚れする?ありえない。俺はエルレア一筋なのに)


 メアリという御令嬢を見た時、特になんの感情もわかなかった。それよりもエルレアの体調の方が気がかりで、そればかり気にしていた。


 それに小説の中の人間だと言われても、こうして自分は生きている。心臓は動き血は流れ心が大きく動く。突然そんなこと言われたところではいそうですか、などとなるわけがない。


 エルレアを見ると言い終えた安堵とその後の不安でおろおろとしている。小説にはいない登場人物だと言っていたが、こうして隣にいて手を握っているとその柔らかさと暖かさを感じることができるのだ。本当はこの世界にいない人間などと誰が信じられるだろうか。


「話はわかったよ。信じがたい話ではあるけど、君が嘘をつくような人間じゃないってわかってる」


 イリウスの言葉にエルレアは一瞬驚き、すぐにホッと安心したような嬉しそうな顔をした。


「でも、だからといってここが小説の世界だとか君が本当はいない人間とか、あの御令嬢に僕が一目惚れするとかそんなことは認められない」


 はっきりと言い切るイリウスを、エルレアは動揺した顔で見つめる。そんなエルレアの手をギュッと握ってイリウスは言葉を続けた。


「君の手はこんなにも柔らかく暖かい。ちゃんと血が通っている証拠だ。僕の手の感触もわかるよね?君も僕もこうして生きている」


 イリウスがスリ、と指で手を撫でるとエルレアはビクッと体を震わせた。


「たとえ君の言う小説の世界ではどうであれ、僕はあの御令嬢に一目惚れすることはないよ。僕が好きなのはエルレアだけだから」


 そう言って握っていたエルレアの手に優しく口づける。エルレアの手も顔もどんどん熱くなりエルレアは顔を真っ赤にして手を引こうとするが、イリウスはその手を離そうとはしない。


「こんなにも君のことが好きなのに、それすらも本来は無いとでも?君と僕の今までの思い出も、君は何も覚えていない?」


 イリウスはエメラルドグリーン色の瞳でジッとエルレアを見つめる。射抜かれたようにその瞳から外らせない。イリウスの悲しげな辛そうな表情に、エルレアは胸が張り裂けそうなほど苦しかった。


 今にも泣き出しそうなエルレアを見て、イリウスはそっとエルレアの手を離した。そんなイリウスにエルレアはもっと胸が苦しくなる。


「君はその小説を読んで、どう思ったの?」


 イリウスの問いかけに、エルレアは震えそうになる声を必死にこらえながら静かに口を開いた。


「……イリウス様がメアリ様へ向ける気持ちや行動にいつもドキドキしていました。こんなにも一人の相手を心から思い愛することのできるイリウス様をとても……素敵だと思っていました」


 エルレアのひとつひとつの言葉にイリウスの胸は高鳴る。


「ずっと人々のため、国のためにと聖女として力を使い忙しい日々を過ごしていましたが、小説を読むたびに幸せな気持ちになれたんです。小説の中でイリウス様に出会えることが私にとって日々を頑張る力になっていました」


 そう話すエルレアの表情はその日々を思い出しているようで少しずつ微笑みが浮かんでくる。そんなエルレアを見て、イリウスは嬉しさと苦しさが入り混じった不思議な感情に襲われる。

 エルレアが嬉しそうなのは小説の中の自分について語っているからで、そんな小説の中の自分に対して嫉妬すら思えるほどだ。

 

「でも、あんなにも人々のため国のためにと頑張っていたのに、最後は裏切られて誰からも信じられることのないまま死ぬことになりました。……私は、誰にも愛されず、無惨に……殺された……。こんな私でも、いつか、どこかで、たった一人の人に、心から愛されてみたいと……思っ……」


 微笑んでいたはずなのに、途中からポロポロと涙を流し嗚咽をこらえそれでも必死に言葉を紡ぐエルレアを、イリウスはいつの間にか抱きしめていた。


 イリウスの腕の中でエルレアはうめき声をあげる。こんなにもか細く繊細なのに、それでも人々のために必死に頑張ってきたエルレアを、その国の人々は信じようともせず処刑したのだ。

 イリウスはどうしようもない怒りを感じるがどこにもぶつけようがない。その世界はこことは別の場所なのだから。


 どのくらい抱きしめていただろうか。腕の中のエルレアが泣き止み静かになったのでそっと顔を覗き込むと、泣き腫らした目でイリウスを見つめそっと微笑んだ。


「私は……ここに来てからイリウス様と出会って本当に、嬉しかったんです。きっと死ぬ間際に一時の夢が見れたのだと。でも、メアリ様がイリウス様の本当のお相手だから、やっぱり私はイリウス様のそばにいてはいけないと思っ……」

「エルレア」


 エルレアの言葉を遮ってイリウスはエルレアの両肩を掴んだ。驚いたエルレアはイリウスを見つめている。


「君がどこから来てどう思おうと、僕の気持ちは変わらない。僕は君が好きだ。僕のそばには君がいてほしい。他の誰かではダメなんだよ」

「でも、……私はイリウス様との記憶がありません。ここに来る前までの記憶が全くないんです」

「それでも良いよ。君にその記憶がなかったとしても、僕の中にはちゃんとある。君のお兄さんにだって、他のみんなにだって、君との記憶が、日々がちゃんとあるんだ。それに」


 そっとエルレアの両手をとってイリウスは微笑む。


「これから二人でたくさん日々を過ごしていけばいいだろう?二人の記憶をたくさん作っていくんだ。僕はそうしたい。君と一緒に生きていきたいんだ。エルレアはどう?僕と一緒に生きていきたくはない?」


 イリウスの問いかけに、エルレアの両目からまた涙がポロポロと溢れ出した。


「わ、たしも、イリウス様と一緒に、生きていきたいです。まだ、死にたく、ない……!」


 エルレアの言葉を聞いてイリウスは嬉しそうに微笑み、額を合わせる。


「そう思ってくれて嬉しい。愛してるよ、エルレア」


 そう言ってイリウスは静かにエルレアの唇にキスをする。ゆっくりと唇が離れたその瞬間、エルレアの脳内にイリウスとの記憶が走馬灯のように流れた。それはほんの一瞬のこと、だが鮮明にエルレアの中に刻まれる。


「あっ」


 それはエルレアが瞬きをして一粒の涙がドレスにこぼれ落ちたほんの一瞬のことだった。


「イリウス様、今、イリウス様との今までの記憶が……!」


 頬を赤らめ目を耀かせるエルレアを見てイリウスは驚くが、すぐに嬉しそうに微笑みまたエルレアを抱きしめていた。


「きっと君がここで生きていきたいと願ったからだ。君が君としてここにいるんだよ」

「イリウス様……!」


 体をそっと離し、イリウスはエルレアの顔を覗き込む。エルレアは嬉しそうに微笑み、イリウスも優しく微笑んでまたエルレアに口づけた。今度は深く深く、何度も繰り返し、エルレアもそれに応えた。





 それは神の慈悲なのか気まぐれか、それともエルレアの多次元世界なのか。

 どういうことだったのかは誰にもわからないが、その後エルレアはイリウスと結婚し末永く幸せに暮らした。


 エルレアが聖女としていた世界にあった一冊の恋愛小説は、あったはずの本棚からいつの間にか消え、二度と誰の目にも触れることは無かった。



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罪をきせられ断罪された聖女は愛読書だった恋愛小説のモブキャラに転生して溺愛されることになりました 鳥花風星 @huu_hoshi

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