中編
聖女だったエルレアが生前愛読していた恋愛小説の中の登場人物になり、待ち望んだ社交パーティーの当日。コンコン、とエルレアの部屋のドアがノックされる。
「エルレア、準備はできた?入ってもいいかい?」
「はい、どうぞ」
エルレアの返事にイリウスが部屋の中に入ってきた。イリウスは社交パーティー用の正装に身を包みキラキラと輝いている。昨日初めて見た時もすごい美貌だと驚いたが、今日はそれ以上に美しくエルレアは思わず息を呑み顔を赤らめる。
(すごい、なんて素敵なんだろう。正装も似合っているし一段と輝いて見えるわ。こんな素敵な人と私なんかが一緒でいいのかしら……)
ドキドキと胸の高鳴りが止まない。顔の熱も一向に冷めないしどうしていいかわからずエルレアは思わず目を逸らす。そしてそんなエルレアを見るイリウスもまた息を呑み絶句していた。
(なんて綺麗なんだ、いつもはおろしているサラサラのブロンドの髪がハーフアップにされている……おろしていても可愛いがさらに可愛さが増しているぞ。しかもドレスは俺の瞳の色と同じエメラルドグリーン、散りばめられた細やかな宝石の刺繍が鮮やかだな。あぁ、あんなに頬を赤らめてなんて可愛いんだ。恥ずかしがって目を逸らす姿も可愛さしかない、どうやったら俺をまた見てくれる?)
目を逸らすエルレアの頬にそっと手を添えてイリウスはそっとエルレアの顔を覗き込んだ。イリウスと目が合い、エルレアの心臓はドクンと跳ね上がる。思わずまた目を逸らそうとするがイリウスがそれを阻止した。
「目を逸らさなで、俺を見て、エルレア」
優しく甘く囁くイリウスの低い声にエルレアは体の奥から何かが湧き上がってくる。どんどん顔が真っ赤になっていくエルレアを見てイリウスは嬉しそうに笑った。その笑顔にエルレアの胸はまた跳ね上がる。
(どうしよう、心臓が、持たない)
「そんな可愛い顔をされたらここから出たくなくなってしまうよ。それにいつも以上に着飾った綺麗な君の姿も誰にも見せたくないな」
「な、そんな……!イリウス様こそ素敵すぎて隣を歩けません」
「だめだよ、君は僕の大切な婚約者なんだから。ちゃんと僕の隣にいて」
ね?と優しく手を握られ見つめられてエルレアは胸がキュッとなる。本来イリウスの隣にいるべきなのはメアリなのだ。今日の社交パーティーでメアリと出会ったら、イリウスはメアリに一目惚れをして恋に落ちる。そうなればこんな風に自分に甘く囁いてくることも無くなるだろう。
ズキズキと胸が痛い。悲しく寂しい気持ちが顔に出ていたのだろう、イリウスが急に心配そうにエルレアを見る。
「エルレア?顔色が悪くなっているけど、具合でも悪い?今日行くのはやめようか。この間も突然気を失ってしまったし心配だ」
「っ、そんな!大丈夫です、あまりにもイリウス様が素敵で緊張してしまっただけですから……」
何とか笑顔を作ってそういうと、イリウスは心配そうな顔のままエルレアの体にそっと手を添える。大事なものを本当に大切に労わるように。
「それならいいけど、無理はしないでね。具合が良くないと感じたらすぐに言って」
(本当にお優しい方だわ。この優しさは本当は私にではなくてメアリに向けられるはずなのに)
痛む心を隠しながらエルレアはイリウスと共に会場へ向かった。
「初めまして、メアリ・ラングレッドと申します」
薄桃色の長い髪をふわりと靡かせてドレスの裾を掴み静かにお辞儀をするその令嬢を見て、やっぱりこれがあの小説の主人公なのだとエルレアは確信した。そっと横にいるイリウスの顔を見ると特に変わらぬ笑顔で挨拶を返している。婚約者としてエルレアのことも紹介しており、エルレアは流れのまま挨拶をする。
(イリウス様、メアリを見ても何も変わらない……どうしてかしら)
小説ではメアリを見た瞬間にその可憐さに一目惚れをするのだ。イリウスがメアリと次にあう約束を取りつけるまでが社交パーティーでの出来事だが、そんな約束を交わすこともないままありきたりな会話をしてメアリとの挨拶は終了した。
(えっ、そんな、えっ)
立ち去るメアリをエルレアは動揺しながら見つめる。そんなエルレアをイリウスは不思議そうな顔で眺めていた。
「エルレア?どうかした?」
「えっ、あの、その、えっと」
チラチラとメアリの方を見るが、メアリはすでに違う御令息と笑顔で挨拶を交わしている。
「先程の御令嬢がどうかした?……それとも」
ジッと目を細めてエルレアを見つめるイリウス。なんだろうか、少し不機嫌そうにも見える。
「俺以外の、他の御令息が気になるのかな」
イリウスはエルレアに顔を近づけて耳元でそっと静かに言った。低く少し圧を感じるような声。驚いてイリウスを見るとその顔は少し寂しそうだ。どうやらメアリと話している御令息を見ていると勘違いしたようだ。
「ち、違います!イリウス様以外の男性には興味ありません」
慌ててそう言ってから自分の発言に思わず赤面してしまう。そんなエルレアを見てイリウスは心底嬉しそうに微笑んだ。
「それならよかった。……挨拶も一通りすんだし、そろそろ帰ろうか」
「えっ、でもまだ始まったばかりなのでは?」
メアリとの約束も取り付けていない。こんな早く帰るなんてとエルレアは慌てるがイリウスはエルレアの体にそっと手を添える。
「エルレアの体調も心配だからね。それにそんな可愛いこと言われたら早く二人きりになりたくなるだろう」
イリウスの言葉にエルレアはボッと一気に顔を赤くした。
(どうしよう、メアリとイリウス様の接点が無くなってしまったわ)
帰りの馬車の中でエルレアは慌てていた。イリウスはメアリに一目惚れしていないようだし、次に会う約束もしていない。
「あの、イリウス様、メアリ様のことどう思われました?」
「メアリ……あぁ、ラングレット子爵家の御令嬢のこと?どうって?」
「えっと、すごく可愛いな、とか、一目惚れした、とか……」
笑顔で言うエルレアの言葉にイリウスはどんどん顔を曇らせる。それもそのはず、婚約者に意気揚々と他の女を見て可愛いと思ったかとか一目惚れしたかとか言われたのだ。
「なんでそんなこと思うんだ。俺はエルレア一筋なんだけどな」
イリウスは腕を組んで少し怒ったように窓の外を見ている。
(あぁぁごめんなさい!そうじゃないんです、だってイリウス様は……)
自分ではなくメアリを好きになるはず。そう言えたならどんなに良かっただろう。でも言えるはずもなく、エルレアはうつむいてぎゅっとドレスの裾を握りしめた。
そんな時、ふとイリウスが口を開く。
「それとも、俺があの御令嬢に一目惚れすれば、君はヤキモチを妬いてくれる?」
馬車の窓枠に肘をかけ顎に手を添えてフッと寂しげにイリウスが言う。窓の外から漏れ入る月の光に照らされたその表情は美しくも儚く悲しげで、エルレアは胸がギュッと苦しくなった。
「そんな……そんなのはダメです!私が嫉妬していいはずないんです、だってイリウス様はメアリ様と……」
思わずそう言いかけてエルレアはハッとし、口を両手で覆う。そんなエルレアを見てイリウスは目を見張り、眉間に皺を寄せてエルレアに顔を近づけた。
「俺が、あの御令嬢となんだって?君は一体何を考えているの?」
イリウスにジッと見つめられその視線に耐えられない。だが馬車の中は密室だ。エルレアはうつむきイリウスの視線をなんとか避ける。
「……屋敷に着いても、君が言ってくれるまで僕は帰らないよ」
イリウスの言葉にエルレアが顔を上げると、イリウスは寂しげに微笑んでいた。
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