孤軍戊辰戦争
そうざ
Lone Force of The Boshin War
壱
徳川の治世二百六十余年を通じ、江戸町奉行所は数度の移転を重ねたが、幕末に至り、北町奉行所は
時に慶応四年五月二十二日(1868年7月11日)、両奉行所内は
全ては
◇
「八つ時(午後3時)になる。切りの良いところで一服するが良い」
年番方与力が声を掛けて回る。
ここ北町奉行所の敷地面積は、坪数に於いて南町のそれに幾らか下回る。とは言え、櫓付きの長屋門を備え、二千五百坪(約8千平方メートル)を超える堂々たる役所である。
同心詰所の面々が三々五々で湯飲み茶碗を手にする。
「日暮れまでに終わるかのぉ」
「隅から隅まで塵一つ残さずとのお達しだからなぁ」
「帳面や調度品の整理整頓もあるし」
「……馬鹿々々しい!」
そう言い捨て、黒ずんだ雑巾を勢い良く桶に投げ付けたのは、若い同心であった。
「また始まった」
「繰り言が来るぞ」
「もう相手にするな」
同輩達は一様に失笑を押し留め、知らぬ顔の半兵衛を決め込む。
「そもそも上様がいけないっ、尻尾を巻いて逃げ帰るなど――」
――ぴしゃっ!――
紙の束を文机に叩き付ける音が響いた。
皆の目が部屋の片隅に集まる。そこには、黙々と帳面の整理を続ける、これもまた同じく若い同心の姿があった。
「
切れ長の目を持つ色白の容貌は、
◇
前年(慶応三年)、江戸幕府第十五代にして最後の将軍、慶喜はその大政を朝廷に奉還していた。しかしながら、倒幕軍は決してその
鳥羽伏見の戦いが連敗を喫した事で、慶喜は大坂から江戸へと撤退、その後は一貫して朝廷への恭順の意を貫いた。この振る舞いが幕臣達を大いに動揺させた事は想像に余りあるが、時勢の追い風が確実に倒幕勢の背を押し続けている事も世人の知るところとなった。
慶応四年四月十一日(1868年5月3日)、慶喜は水戸での謹慎処分と決まり、身を寄せていた上野寛永寺大慈院を去った。同日、江戸城の無血開城が完了した。
◇
今、二人の若者が同心詰所の空気を張り付めさせている。
同齢の二人は、元服前に見習いとして出仕、職務は違えど江戸の安寧に尽力して来た朋輩であり、幼馴染みでもあった。
そんな二人の仲に決定的な亀裂が入ったのは、江戸城が倒幕軍の手に落ちた頃であった。片や徹底抗戦の一存を秘める勇吾、片や飽くまでも慶喜の決断を
勇吾は
「日がな一日、紙面の
提之進は小面の表情を変えずに応戦する。
「四の五の言わず、上野にでも参じたらどうだ」
「あんなものは張子の虎だっ」
勇吾の言う
勇吾が抗弁を続ける。
「
「顔触れはどうあれ、官軍
「所詮、時局に
「だったら、お前はどうするつもりだ」
問われた勇吾は、直ぐに言葉を継ごうとしない。何の妙案も持ち合わせていないようであり、同輩達の目を警戒しているようでもあった。
「……俺は俺なりにやる。まぁ、見ていろ」
この宣言が合図であるかのように、同心達は持ち場へ散って行った。
皆が危惧した通り、清掃作業は夜を徹する事となった。
弐
名目上、今や江戸は将軍のお膝元ではなかい。この劇的な価値観の転倒は、大政奉還の前後に起きた数々の変事にて暗示の如く予感されていた。
少しばかり時間を遡行すると――慶応三年の夏から翌年の春に掛け、各地で珍超常現象が起きた。虚空から無数の
他方で、江戸近郊に於いて百姓一揆や打ち壊しが翌年に掛けて次々に発生した。公儀に依る締め付けが利かなくなり、その威光が絶対不変でない事も白昼の
絶え間なく不穏に彩られた世相に《もと》、幕臣の多くもその体たらく振りを露呈する事になった。我が身大事で遁走する者、さっさと両刀を捨てる者も散見した。
既に江戸の治安は悪化の一途を辿っていた。江戸城では火事が続き、討幕軍に依る付け火ではとの噂が立った。市中では辻斬りや強盗が横行し、中には勤王に用立てる御用金との名目で堂々と金品を巻き上げる徒輩も居た。
そんな最中に起きた江戸薩摩藩邸の焼き討ち事件は、倒幕軍に武力行使の名分を与える事になる。鳥羽伏見の戦いを
◇
不忍池の畔を歩きながら、勇吾は上野の山を見上げた。
東叡山寛永寺。東叡山とは東の比叡山を意味する。不忍池にしても近江の琵琶湖に見立て、
しかし、今は不穏な空気が立ち込めている。
「お許し下さいましっ」
「許すも許さんもないっ」
そんなやり取りが道端から起きた。みすぼらしい女が地べたに尻を突き、それを二本差しの一団が囲んでいる。
「何事ですかっ」
勇吾が集まり始めた野次馬を割って入る。
「あぁ、旦那ぁ」
透かさず袖へと縋り付いて来た女は、勇吾の見知りであった。
高積改は市中の荷駄を見て廻り、安全を確認する役儀である。故に、その道すがら自然と顔馴染みが出来る。
女はナヲと言い、
「どうしたと言うんだっ?」
「それがどうしたもこうしたも――」
そう言い掛けたナヲを、高下駄が一蹴した。転げた躰が商売道具を並べた戸板を真っ二つに割る。
勇吾は慌ててナヲに寄り添い、一団を睨み付けた。
「無体が過ぎますぞっ」
一団は全く動じぬどころか、佩刀の鯉口辺りに手を掛けている。
浅黄色の羽織に白い義経袴、朱鞘の刀を差し、髪を講武所風に結う者も居た。昨今この出で立ちを見て彰義隊と判らぬ者は居ない。
「この
張り上げた声に酔いが混じっている。
「老婆心とは?」
勇吾の問い掛けに、一団が語気を荒げて畳み掛ける。
「何れ江戸は火の海になるっ。その前にさっさと
「道端の物売りなんぞ戦の邪魔にしかならんとなっ」
「田舎侍の魔手からこの町を
薄ら笑いが酒の臭いを振り撒いて行く。
多勢に無勢の酔人となれば、理屈で抗するは悪手である。勇吾は敢えて口角を緩めた。
「この者には私からよく言い含めておきますので、後はお任せ下さい」
ところが、勇吾の恭しい様子に一団の傍若は却って助長された。
「貴様、町方であろう」
町方同心である事は、黄八丈に黒い巻き羽織、そして『八丁堀風』なる独自の髪型を見れば直ぐに判る。一般的な武士が
「風雲急を告げる今般に、貴様は暢気に散策かぁ!」
「弛んどるっ、弛み切っておるっ!」
「この不浄役人がっ!」
高下駄が勇吾の肩を小突く。忽ち何本もの足がそれに組みする。勇吾が体勢を整えようとするや、
嵐が過ぎ行くのを待ちながら、勇吾は思った。直参もここまで落ちたか、それとも
この頃、養子縁組という建て前で公然と『御家人株』が売り買いされていた。極論すれば、水呑み百姓であろうが持参金さえ用意出来ればその日から士分なのである。
「直ぐに江戸を出ますからっ、どうかお
地べたに
◇
「私の
「うちもそうだ。先祖代々、上水の産湯を使って同心を務めて来た家柄でな」
高下駄の
「世の中はどうなっちまうんでしょうかねぇ……」
先程のような連中に江戸が護れるのか、引いては町奉行所はどうなっているのか――言外で詰問されている気がしてならず、勇吾は掛け蕎麦から箸を戻し、静かに問い返した。
「もし……万が一江戸が戦になったら、お前はどうする?」
「勿論、戦いますっ」
「おいおい、穏やかじゃねぇな」
勇吾は思わず苦笑した。
「頼れる人も居りませんし、自分の身は自分で守らなきゃ」
「身内は?」
「天涯孤独でございます」
「本当に俺達は似た者同士だなぁ」
「
「独り身の、一人っ
「でも、お役所にはご同輩がいらっしゃるでしょう?」
「奉行所は腰抜けの巣窟さ。そもそも上様が――」
勇吾は言い掛けて止めた。相手は唯の町人、それも女に時勢を説いても仕方がないと言葉を飲み込んだ。そして、誤魔化すように話題を変えた。
「もしもん時は、八丁堀の組屋敷まで逃げて来ると良い」
「え?」
「広くはねぇがな、雨風くれぇは
勇吾が表通りに視線を移す。
格子窓の外では、黒装束の男達、即ち倒幕軍の兵士が悠々と闊歩している。
この年の正月にはまだ例年と変わらぬ日常風景があった。餅搗きに羽根突き、凧揚げに独楽回し、獅子舞い、鳥追い、三河万歳――それが三が日を過ぎた途端、きな臭い風説が東海道を伝い始めた。
やがて、千人近い幕軍の敗残兵が江戸に流入するに至り、戦が現実のものであると誰の目にも明らかになった。それから数ヶ月、江戸を引き払う者は後を絶たない。
敗残兵の中には、彰義隊に合流する者も居たであろうが、その軍資金と称して商家を襲う不逞者もあった。全てが混沌の
「旦那……」
ナヲが心なしか声を潜める。
「連中が二の腕に付けてるのは?」
「
二人は、行き過ぎる兵士が見えなくなるまで身動ぎもしなかった。
参
慶応四年五月十五日(1986年7月4日)、危惧して通りの事態が起きた。
彰義隊を中核とした旧幕臣と倒幕軍とが衝突した上野戦争である。一連の戊辰戦争に於いて唯一、江戸を舞台とした戦禍であった。
それは明け六つ半(午前7時頃)、雨中に始まった。近隣に轟く砲声に、江戸庶民はいよいよ怖気を振るった。前日に倒幕軍から宣戦の布告が出されていた為、先んじて避難を始める者も居たが、多くは半信半疑のままであった。
やがて、倒幕軍の意図的な放火も含め、上野界隈に火の手が拡がった。雨天ではあったが、谷中、湯島から広小路、そして度重なる砲撃を受けた寛永寺はその
「急げ急げっ、風上へ逃げろっ」
声を張り上げるのは、中間や小物を伴い、押っ取り刀で参じた与力や同心である。この時ばかりは月番も非番もなく、南北両奉行所の面々が上野に馳せ参じた。
同心達は
「黒門の方で激戦が続いてるらしいぞっ!」
「もう死屍累々だそうだっ!」
「そちらに出張るかっ⁉」
「いかんっ、戦いに巻き込まれてはならんっ!」
火事羽織に野袴に身を包んだ与力が、陣笠の下の顔を歪めながら一喝する。
「しかしっ」
「ならぬものはならぬっ!」
彼等の役儀は飽くまでも避難民の誘導や火事場泥棒等の取り締まりであり、くれぐれも彰義隊の援護や倒幕軍の
炎に照らされた皮膚が引き攣る中、一同は改めて町奉行所の立場を思い知らされた。
◇
同じ頃、勇吾の姿は火の粉のちらつく池之端仲町にあった。火焔に巻かれ、熱波に追われた者の中には、池に飛び込む者もあった。
「こちとら、安政の大地震でも
「その意気だっ」
行き交う者を一頻り勇気付けると、勇吾は雨と煙とで霞む上野の山を眺めながら嘆息を吐いた。
つい先日までの明媚が今、一転している。松林の向こう、崩れ落ちる屋根瓦や炎に爆ぜる松林の音に銃声や砲声が断続的に入り混じる。刻々と死人の山が築かれているに違いない。
不意に提之進の顔が浮かんだ。
今頃、人の出払った奉行所の一角で文机に張り付いている事だろう。それが例繰方の役儀である。
時代が動こうとしている。否、正に今、厳然と怒涛の如く動いている。瓦解し掛けた世の基盤を護ろうと、倒幕の暴挙に一矢報いようと、身を投げ打つ者達が居る。
「黒門口は
そんな声が背後を通り過ぎて行った。
勇吾は己の掌をまじまじと見た。熱気の所為か、汗が乾こうとしている。
まだ間に合う――勇吾は駆け出した。
◇
刻限は七つ時(午後四時)に近付こうとしていた。先程までの轟音や奇声は止んでいたが、雨脚は相変わらずであった。
「本郷台地の方から弾が飛んで来たってよ」
「ひえぇ、三百間は離れてるぞ」
「加州様(加賀藩)のお屋敷に飛んでもねぇ大砲があるんだとか」
「飛んでもねぇのに飛んで来たとは、
野次馬の軽口を聞き流しながら、勇吾は
が、そこで足が止まってしまった。
泥田の如き地べたの
上野戦争に於いて、最も壮絶な攻防が繰り広げられた場所こそが、この黒門口であった。
右手に見える山王社は銃撃の痕が目立ったが、隣の清水観音堂は無事に見えた。何れも春には桜色に染まる遊興の地であるが、等しく陰鬱に沈んでいる。
「
立ち
黒装束の群は、
「……町方です」
初めて目の当たりにする
歩哨は幾らか眉間を弛めた。差し迫った敵ではないと察した様子である。
「遺体でも
言葉使いの違和に戸惑いつつも、勇吾は適当に頷いた。
「
泥に
「多くは鉄砲で撃たれちょっでな、ほとんど血が出ちょらん」
勇吾が思わず遺体を見比べる。
「そいに比べて、
言われてみれば、黒装束の遺体は泥水と血糊とが入り混じった中で事切れているようだった。
「おい、
歩哨の一人が野次馬に向かって声を上げた。遺体の回収を手伝わせる腹積もりのようだった。それ切り一団は勇吾に興味を失い、周辺に散って行った。
◇
寛永寺の山門である
中堂の前に出ると、僅かな遺骸の他は人影が絶えていた。物が焼けた臭いが雨にも負けず鼻を擽り続ける。
俺は
心の過半では、間に合わなかったと感じている。然るに、その片隅では、遅かろうと早かろうと己に何が出来ただろうか、とも感じている。
槍を杖に幽鬼の如く彷徨う
「肩を貸しますっ」
「……済まん」
敗者は濡れ雑巾の如く勇吾に身を委ねた。これは俺が負うべき重みだ――勇吾は自らに言い聞かせた。
「根岸の方は……敵さんが手薄らしいな」
訊かれても勇吾には答えようがない。
「……皆、そっちへ逃げたろうなぁ」
安堵にも諦観にも似た声音と共に、敗者はその場に崩れ落ちた。
「しっかりっ」
「もう戦えん……
右腕は辛うじてぶら下っていた。手荒に扱えば直ぐ様に千切れ落ちると思われた。よくよく見れば、側頭部に深い裂傷があり、そこから流れ出しているのは血だけではないようだった。
「介錯を……頼む」
そう言いながら、敗者はまだ融通の利く左手で脇差を抜き、単衣を
「早まらんで下さい」
「町方の、貴様なら……首を打つなど朝飯前、だろう……」
そこで勇吾は気付いた。
池之端仲町の道端で散々足蹴にされた光景が蘇る。敗者はあの一団の頭目であった。
「首切り役は代々山田浅右衛門殿が……」
「ぐだぐだ言うなっ、少しは役に立てっ」
「私が引き受けましょう」
振り向いた先に、
「貴殿の、姓名は……?」
「亥奈提之進、町奉行所配下です」
「拙者は、
瀕死の敗者は、腹に脇差を宛がったまま相好を崩してみせた。
「お前、どうしてここにっ?」
「帳面の整理が終わったのでな、遅ればせながら」
提之進は傘を放ると大刀を抜いた。介錯の経験など持たぬ事は、勇吾も知っている。
「おいっ、安請け合いをするなっ」
それでも提之進は小面の面差しで敗者を見下ろし、ゆっくりと大上段に構えた。
「おいっ!」
「ならばお前がやるか?」
「無駄死にさせる事はない」
「無駄?」
提之進に初めて表情が現れた。が、小面が般若へと変わり掛けたところで、それを抑え付けた。
「医者へ連れて行くっ」
勇吾が托間を庇うように身を呈する。
「もう再起は叶わん躰だぞ」
「それでも生きられるっ」
雨音が二人の沈黙を包む。
その傍らで、か細い息吹が静かに尾を引いた。托間は横倒しになり、脇差しは腹に突き立つ事もなく泥溜まりへと落ちた。
「……負け犬のまま逝かせるのも不憫だ。介錯
さらりと言い
天を仰ぐ。雨粒が両の眼に降り注ぐ。勇吾は瞼を閉じようとせず、流れるものを流れるがままに任せた。
「江戸にも気骨のある直参が居たんだな……」
そう言いながら、提之進は切り離した首の汚れを羽織の袂で拭いた。
戦渦の魔手は、更なる犠牲を求めて北進する。東北諸藩へ、海を越えて函館へ、旧態に固執する者、変革を信ずる者、そして、大局に
肆
慶応四年五月二十三日(1868年7月12日)の夜が明けた。この日は朝方から晴れ渡っていた。
百五十名の同心が北町奉行所の玄関前に下座し、三十名の与力が玄関の上に列座している。
皆、夏の陽射しに些か瞼が重い。総出で夜を徹し、隅から隅まで清掃が行われた。帳面や調度品の整理整頓、障子や襖の張り替え、畳替えまで行う徹底振りは、立つ鳥跡を濁さずの心構えであり、愛着のある奉行所への最後の奉公でもあった。
この四日前、討幕軍の最高指揮官である東征大総督府から南北町奉行宛てに通達があった。
「奉行所の引き渡しが決まった」
年番方与力が神妙な面持ちで告げると、広間の面々が静かな嘆息を吐いた。世の情勢を鑑みれば、この処遇は想定の内にあった。
しかし、いざ当日を迎えたどの顔にも安寧の色が差している。
町奉行職は廃止、南北町奉行所は市政裁判所へと転換となったが、与力や同心は同所での雇用継続が決まったからである。
新時代の統治を速やか且つ滑らかに実現させるには、江戸の町を知り尽くしている与力、同心の職能を活かさぬ手はない。それは、旧幕臣や市井の民に燻る倒幕軍への反感を取り除く意味でも誠に合理的な判断と言えた。
「これからは洋装でお勤めかのう?」
「十手は用済みかのう?」
「裁判所となると、捕り物や鎮火の役儀はなくなって仕事が楽になるかのう?」
つい先頃まで、今後の身の振り方に不安を隠せなかった面々が、今はもう清々しい顔をしている。
勇吾はそれが面白くない。苛立ちを覚えずに居られない。
やがて、八文字に開けられた大門の向こうに、供廻りを連れた三人の判事が騎馬で現れた。立て襟の筒袖と
東北では、同月に成立した奥羽越列藩同盟の名の
「
突然、高らかな声がし、判事一行ははっとした。
新しい町奉行が出仕する際は、門前の
片隅に
つい先般、提之進と共に三ノ輪
「万事、整ってございます」
代表の与力が、大門を入った騎馬を
「お頼み申しますっ!」
門前の方から甲高い声がした。野良着に頬被りの人物が身を屈めながら小走りにやって来る。それは一見、百姓の直訴であった。
「控えろっ!」
与力の一喝が轟く。しかし、百姓に畏れ入るつもりがない事は、緩まないその歩調や、懐から何かを取り出そうとする仕草から明らかであった。
「ならんっ、ならんぞっ!」
重ねての一喝に周囲が腰を浮かしたその瞬間、一陣の風を伴った人影が百姓に組み付いていた。
勇吾であった。
二人は地べたを一間ばかり転がり、土煙を巻き上げた。その騒ぎに、使者を乗せた馬が動揺を見せる。
「御用だっ!」
「御用だっ!」
「御用だっ!」
次々に与力、同心が駆け寄り、百姓を取り囲んだ。百姓は既に勇吾の手で自由を奪われていた。
「お手数をお掛け申した」
馬を宥め終えた使者の一人が、勇吾の許に歩み寄る。
「役儀を全うしたまでです」
「拙者は鎮台府判事の
「逢朽勇吾です……あのっ」
「ん?」
「実はこの者、有名な
「ほう」
「知恵が足りませぬ故、
そう言いながら、勇吾は百姓の頭をぐいと地べたへ押し付け、自らも深く頭を垂れた。
「
「畏れ入ります」
与力、同心の面々は
「江藤どん、北嶋どん、どげんかな?」
問い掛けられた二人の判事は、土方どんが良かとならば、と承服した。
「さぁ、引き渡しを始めもんそ」
与力に声を掛けた土方は、そそくさと玄関へと向かった。平伏する勇吾達を振り返ろうともしなかった。
皆の意識が引き渡しへと移る中、勇吾が百姓の懐から取り上げた
伍
八丁堀界隈は平素と変わらぬ夜を迎えていた。
百姓の身柄を託された勇吾は、町場へと連れ戻し、そのまま放免にした、かに見えたが、日が暮れた後に組屋敷へ顔を出すよう、固く言い含めていた。
「こんな物騒な物を何処で手に入れたんだ? まさか十九文見世で扱う玩具じゃあるめぇ?」
行燈の側で、着た切り雀のナヲが俯いている。その面貌は憔悴し、白昼に要人の暗殺を企てた百姓と同一人物とは思えなかった。
「……
情夫という言葉に、勇吾が息を呑む。行燈の灯りが揺らめいたように感じた。
「
話は五年程前に遡る。
ナヲの情夫は一介の浪人であったが、清河八郎発案に依る浪士組に参加。第十四代将軍、家茂の警護を担うべく同組隊士として上洛した。
しかし、京に到着するや、清河が突如として宣言する。浪士組は将軍ではなく朝廷の先兵として攘夷を遂行する――同組は分裂した。飽くまでも将軍家への忠誠を誓う者達、近藤勇や芹沢鴨は袂を分かち、新撰組を結成する事になる。
「
勇吾の脳裏に、上野で目の当たりにした惨状が蘇る。
そうとは知らず、ナヲは勇吾が手にしている短銃を見詰める。
「それは、あの人が京に滞在した折りに、偶然手に入れたと申しておりました。それを上野の戦いへ参じる時、私に託したのでございます」
「戦いで役立つだろうに、何故だ?」
「俺には刀がある、これはお前がいざという時に使えと」
江戸八百八町の治安を守る町奉行所が引き渡される瞬間、それがこの女の考える
「……それで、男の消息は?」
「上野界隈を捜し回りましたが……生きているとも、死んだとも」
言葉は涙の中に沈んでしまった。
日々の暮らしに追われる
「……もう、忘れてしまえよ」
「はい?」
「尊王も攘夷も、倒幕も佐幕も……」
情夫も、とは言えない勇吾であった。
「旦那は……」
そう言い掛け、ナヲもそれ以上の言葉を継ぐ事はなかった。
朝まだき、勇吾は密かな衣擦れを聞いたような気がした。
夜が明けると、襖の向こうにナヲの姿はなかった。
ナヲの情夫は東北へと逃げ延びたのだろうか。少なくともナヲはそう信じ、後を追ったに違いない。
勇吾は
もう情夫の名を知る
陸
慶応四年七月十七日(1868年9月3日)、 江戸は東京と改称され、同年九月八日(10月23日)には
翌明治二年(1869年)、榎本武揚等が率いる幕府軍が函館五稜廓にて敗し、戊辰戦争が集結。名実共に徳川の治世は終焉し、新政府の時代が到来した――かに見えた。
『上方のぜいろく共がやって来て 東京などと江戸をなしけり 上からは明治だなどというけれど
新たな時代は、藩閥政治の始まりと同義であった。依って世に不満の火種が燻り、殊に武士階級時代の権益を失った士族は、数々の内乱を起こす事になる。
明治七年(1874年)に佐賀の乱、同九年に
その一方で、市井の片隅にも憤懣は脈々と
そして、ここにも自らの態度を
◇
「芋焼酎が飲もごたんなぁ」
「東京ん酒は薄うて不味かっ」
「こんたもう水じゃ、酔くれんぞ」
粗野な三人組が場末の居酒屋を陣取り、大声で笑い合っていた。
やがて
三人共、軍服に身を包んでいる。その言葉使いから、近頃、我が物顔で市中を闊歩する薩摩人である事は誰の目にも明らかで、地場の客は露骨に嫌悪の視線を向けていた。
男達が縄暖簾を潜り出たその
「あぁあっ?」
声を上げた時にはもう風は小路の先へと走り去り、足音と共に宵闇の中へと溶けていた。
「何じゃ!?」
「失敬な奴じゃ」
「……あぁっ!」
「どげんしたぁ?」
「
男の一人が肩口を
新政府に反感を持つ者の仕業である事は、想像に難くない。仕損じたが為に、その場で斬り倒された者もあったと言う。
しかし、この夜の
当時、
はっきりしているのは、市政裁判所の出仕者名簿に逢朽勇吾の名が見受けられぬ事だけである。
孤軍戊辰戦争 そうざ @so-za
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