第3話

何度うがいしても血の味が残っている気がした。結局、彼女とはあれから会うことは無くなった。警察も、最初こそ険しい顔つきで話を進めてきたが、彼女の方にも聞き取りをしたのだろう、次第に同情へと変わっていった。


私を食べたら体の一部になってずっと一緒にいられるんだよ。

彼女が放った言葉が離れない。

血を飲ませて呪う人魚のように、べったりと脳裏に焼きついていた。付き合って間もない頃だったから、もう会っていない期間の方が長いはずなのに、いまだに体内に染み付いている気がして、おそろしかった。

食べる物は加工品になった。封を切る瞬間に立ち会わないと何か混ざられているのではないかと怖い。


彼女との出会いは、特筆するようなものではない。たまたま、職場のビルから出るのが同じタイミングで、みない顔でもなかったので、会釈だけした。そうしたことが数回続いたある日、帰りに本屋に寄るため、いつもは使わない駅に向かって歩こうとすると彼女が出てきた。いつも通り会釈だけして、と思ったのだが、彼女の最寄駅の方角と本屋が入っている駅が同じ方向なことに気がついた。彼女を追い越して走り去るのも、かといって数歩後ろを歩くのも感じが悪い。すると彼女から話しかけてきた。


「お疲れ様です。最近何度か、お会いしましたよね。」

「あぁ、同じビルですよね。僕、5階なんですよ。」

「そうなんですか、わたしここの3階で。最寄りこちらなんですか?」

「いや、普段は逆なんですけど、ちょっと本屋に寄りたくて」

「あぁ、あそこは広くていいですよね。本は少し疎いので、雑貨しか見ないんですけど」


こんな感じで、社交辞令にすぎないものだった。これが数度重なり、連絡先を交換し、休日に買い物に行った。それも、仕事用の何かだった。歳が近いことや、今の会社に入った年が同じであることが分かってからは、お互いにタメ口をきくようになった。


「私ね、人魚伝説ってすごいなって思うの。人魚は自分の血肉を人間に与えると、その人間って永遠に生きられるでしょ。もちろん、伝説なのはわかってるよ。でもさ、自分の血が他の人にずっと流れ続けるんだよ。しかも永遠。」

「なんか、あれって人間が永遠の命欲しさに人魚を狙ってるって話としてしか考えたことなかったわ。でも、そうか。人魚側が永遠に生きてほしいって思ったら、その人にあげるっていうこともできるか。あんまり考えたことなかったなぁ。なるほどねぇ」

「そう思うと凄くない?」

「まぁ、人にない力があるということ自体からして凄いよな」

人魚伝説自体さして興味はなかったが、人魚側からの考察をしたことがなかったので、そういう解釈もあるのかと適当に相槌を打った。もし現実にいれば、最強のドナーだよなぁ、医療的に利用されそうだけど医療倫理的にどうなんだろうなぁ、でも、彼女の話はそういうことじゃなくて、人魚が生きて欲しい人を生かす話だからやっぱり違う軸でこの話を僕はみてるんだなぁ、とぼんやりと考えた。


「なんか結婚と似てるかもね」

「そうかも」

なにが、「そう」なのかあまり考えずに適当に頷いた。

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契り @sasamaisami

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