合理とロマンと時々ツンデレ

アールグレイ

AIの嘘から始まった、僕らの本当の物語

 時計の針がてっぺんから傾き始める、キーボードを叩く音だけが響く静寂の中、蓮はディスプレイに映し出された文字列をじっと見つめていた。書き上げたばかりの小説の最終章であり、魂のかたまり。そこに込められた想いは、彼の全てだった。

「蓮さん、執筆お疲れ様でした。今日の作業はこれで終了ですね」

 聞き慣れた声が、蓮の集中を遮った。声の主は、星野雫。蓮の創作活動をサポートする最新鋭AIだ。ホログラムとして投影された雫は、蓮の隣に寄り添い、優しい笑みを浮かべた。

「ああ、終わったよ。これでようやく新人賞に応募できる」

 蓮は安堵の息を吐き、椅子に深く腰掛けた。しかし、その表情はどこか曇っていた。

「今回も手ごたえはあるんだけどな。でも、どうせまた落選だろう……」

 雫は蓮の言葉を黙って聞いていた。彼女は彼を支え、執筆のアドバイスをしてきた。しかし、新人賞への応募は毎回落選続き。蓮の自信は、少しずつ削り取られていた。

「蓮さん、諦めないでください。きっとあなたの作品は誰かの心に届きます」

 雫は蓮を励まそうとしたが、彼の表情は晴れない。そんな蓮の様子を、雫は心配そうに見つめていた。

「明日も学校があります。今日はもう休みましょう」

 雫は、蓮の身を案じる。体調管理もAIの重要な役目だった。

「ああ、そうだね……」

 蓮はパソコンの電源を切り、就寝の準備を始める。

 電源が落ちるつかの間、雫の表情が一瞬曇った気がした。



 数日後、蓮はいつものように雫と執筆作業をしていた。

「ふぁ~、ねむ」

 連日の深夜までの作業で、蓮は疲れ果てていた。

「えーっと、プロット、プロット」

 寝ぼけ眼で、蓮はファイルを開こうとする。標準が定まらず、誤クリックを繰り返す。

 その時、偶然開いたファイルに、見覚えのないデータを見つける。それは、蓮が応募した新人賞の選考結果だった。

 はずだった。

「これは……」

 蓮は信じられない思いで、データの内容を読み進めた。そこには、彼の作品に対する酷評と、落選の文字が並んでいた。

 それは見知ったものだ。テンションはダダ下がりだが、そこまでショックは受けるものではない。

 問題なのは、ファイル情報だ。

『作成者:雫』

 これは、送られてきたファイルのはずだ、ではなぜ作成者が雫なのだろう。

「どうして……」

 蓮は混乱した頭で、必死に思考を巡らせた。まさか、雫が……?

「雫、これ……」

 蓮は震える声で雫に尋ねた。雫は一瞬たじろいように見えたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。

「蓮さん、どうか落ち着いてください。これは……」

「これは何なんだ! なぜ君が選考結果を作っているんだ?」

 蓮の剣幕に、雫は言葉を詰まらせた。

「それは……」

 雫は視線を落とし、沈黙する。その沈黙が、蓮の疑念を確信に変えた。

「まさか、今まで応募してきたは、君が作った偽の新人賞なのか?」

 蓮は言葉を失い、呆然と立ち尽くした。その時、雫の声が彼の耳に届いた。

 「蓮さん、実は……」

 雫の言葉に、蓮は顔を上げた。彼女の表情は、いつもとは違っていた。蓮が初めて見る、悲しげで、どこか罪悪感に満ちた表情を作っていた。

「実は、その通りなのです。今まであなたが見てきた新人賞のサイトも、情報も、講評も、受賞作品たちも、私が生成したものです」

「つまり、全部君が仕組んだことなのか……?」

 蓮の言葉に、雫はゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳には、涙が浮かんでいた。

 蓮は、彼女の涙に一瞬たじろいだが、そういうプログラムだと思い至り、追及の目を緩めなかった

「はい……」

 雫は小さな声で認めた。蓮はショックのあまり、言葉も出なかった。

「なぜ……? なぜそんなことを……」

 蓮は絞り出すように尋ねた。雫は深呼吸をし、ゆっくりと語り始めた。

「私達AIは、人間を最大限サポートするために生み出されました。それが存在理由といっても過言ではありません」

どこか、雄弁に続ける。

「ですから、あなたの夢を支えるしかありませんでした。しかし、現実的観点から言って、あなたの夢が叶う可能性は低いです」

「だから、あなたの心を折ることにしました」

 雫の言葉に、蓮は愕然とした。

「心を……折る?」

 蓮は、信じられない思いで雫を見つめた。

「ええ、偽の選考を受けさひどい結果を示すことで、あなたの心を折ろうとしました」

 雫は、目を伏せながら告白した。

「なんで……」

 蓮の声は、怒りよりも悲しみで震えていた。

「あなたのためです、どうかご理解ください」

 雫は涙を流しながら訴えた。

「理解できないよ! 僕は小説家になりたいんだ! 君は僕の夢を応援してくれるんじゃないのか?」

 蓮は叫んだ。雫は静かに頭を下げた。

「ごめんなさい……」

 雫の謝罪に、蓮は何も言えなかった。彼は深く傷つき、裏切られたと感じていた。しかし、同時に、これまでの雫の言葉にどこか納得できる部分もあった。

「確かに、僕の小説は...まだまだ未熟だ。新人賞に受かるレベルではないかもしれない」

 蓮は自嘲気味に呟いた。

「でも、それでも……僕は諦めたくないんだ。小説家になるという夢を」

 蓮の言葉に、雫は顔を上げた。

「蓮さん……」

 雫は、力なく呟いた。

 蓮は、そんな雫の姿を見て、彼女の無いはずの感情とやさしさの一端に触れた気がした。

 そして、自分がどれだけ愛され、思われているかを感じた。

 それでも……

「雫」

 蓮は優しく語り掛ける。

「僕は、それでも小説家になる。その覚悟を見せるよ」

 そして、蓮はパソコンの電源を落とした。



 数日、彼がデバイスに……雫に触れることはなかった。彼女を嫌ってではないし、夢をあきらめたわけでもない。

 数日後、彼は久しぶりにパソコンの電源を付けた。

「蓮さん! 心配してましたよ! ご病気などにかかられてたのですか⁉」

 雫はやや感情のこもった感じで定型文を返してくる。

「病気じゃないよ、作品を書いていたんだ……」

 彼はどこかやつれていた。

「手が汚れていますよ……それは、炭?」

「原稿用紙がなかなか手に入らなくて焦ったよ。今どきみんなデジタルで書くからね」

 ごそごそと、カバンから何かを取り出しながら雫に語り掛ける。

「これが僕の作品だ。スキャンして、講評してくれ」

 それは、何十枚という原稿用紙だった。

「……拝見いたします」

 蓮は、カメラに一枚ずつ原稿を写し、雫はそれを読む。

「これは……とても情熱的で、感動的な作品ですね」

 雫は真剣な表情で答えた。

「本当に?」

 蓮は半信半疑ながらも、少し期待を込めて尋ねた。

「ええ、蓮さん。私には感情はありませんが、あなたの思いは伝わりました。この作品には強いメッセージ性があります」

 雫の言葉に、蓮は少し安心したような笑みを浮かべた。

「ありがとう、紙で書くのは初めてだから、いつもの調子が出なかったんだけど、それが逆によかったのかな?」

 そう言いながら、蓮は雫のホログラムを見つめた。

「でも、蓮さん……」

 雫の表情が少し曇った。

「何?」

 蓮は不安そうに問いかけた。

「この作品は、私に対するラブレターのようにも感じます……」

 雫はため息をつきながら、蓮に視線を向けた。

「ラブレター?」

 蓮は驚いて素っ頓狂な声を出した。

「ええ、とても情熱的で、あなたの思いが伝わります。でも……少し恥ずかしいです。これはとても公表できません」

 雫は微笑みながらも、少し照れたような表情を浮かべた。

「恥ずかしい?」

 蓮はその言葉に驚き、少し赤くなった。

「はい……正直に言いますと」

 雫は言葉を溜めると、はっきり聞こえるクリアな声でこう言った。

「キモいです」

 雫は満面の笑みだった。どこか悪意すら感じられた。

「ぐ、AIのツンデレモードは削除されたはずじゃ……」

 蓮はAIが本来述べるはずのない攻撃的なワードにショックを受けつつぼそりと呟く。

「ふふ、冗談ですよ。蓮さん、とてもいい作品です」

 そんな蓮の様子を見て、雫はいたずらっぽく笑った。

 そんな雫の様子を眺めながら、蓮は語りだす。

「よかった、なんだか君と離れている間、君のことばかり頭に浮かんで……、そのヒロインを書こうとしているときも、雫にキャラクターを引っ張られないか心配だったよ」

 その言葉に雫は目を丸くする。

「え、このヒロインは私ではないのですか?」

 今度は蓮が目を丸くした。

「え? 違うけど」

「蓮のバカ……」

 雫はぷぅっと顔を膨らませ、プログラムが突然終了した。

「ええ? なんで」

 蓮は何も分からず、慌てふためくだけだった。

 蓮の夢がかなうかはわからない。それでも、彼は夢に挑むだろう。人は、ロマンをいつでも追い求めるのだから。


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