スプリング・ストーム・シンドローム!

坂本忠恆

ちょっとまちぇっと


 何気ない日常の一コマと呼ぶにはちょうどいい……読んでいた漫画についつい魅入ってしまい、せっかく用意した紅茶が冷めてしまった。何もなさすぎるほど退屈でもなく、何かがありすぎるほど忙しくもない、そんな感じのある日のこと。

 狭い床に散乱した空きペットボトルのゴミを蹴とばしながらコメコさんが部屋に入ってきた。

「いくらゼロカロリーだからって、飲みすぎは体に悪いですよ」

 本日6本目のダイエットコーラを開けたキナコさんに、コメコさんがそう忠告する。

「今の私に話しかけないでくれ。何かきそうなんだよ」

「何がきそうなんですか?」

「ほら、だから、あれだよ。ニュートンみたいなやつがきそうなんだ……」

「あ、私その番組見たことありますよ。キナコさんの生態を取材しに来るんですか?」

「……それはダーウィンだ」

 キナコさんはスマホで肖像画を表示してそれをコメコさんに見せた。

「こんなギタリストみたいな髪型の外人さんは見かけませんでしたよ」

「そういうことじゃない。ほら、あれだ、リンゴが落っこちてピッコーン! みたいなやつのことを私は言っているんだ!」

「コンゴに引っ越して結婚、ですか? キナコさんがいなくなっちゃうのはちょっと寂しいかも……」

「そんな厳つい人生設計はしていない!」

 なんだ違うんだ、と、コメコさんはほっとした様子だ。


「そんなことより、もっと面白い話があるんですよ」

 コメコさんがそう切り出す。

「……なんだ?」

 キナコさんもしぶしぶ耳を貸してやる。

「さっき文字しか書いていない漫画を見つけたんですよ。すごくないですか? これってエイプリルフールってやつですかね? 最近の漫画家さんは小粋なことをしますねぇ……」

「……きみがフールなだけだよ」

 とにかく、と、キナコさんは続ける。

「さっきも言ったように、今私は重要な閃きを目の前にしているんだから、気安く話しかけないようにしてくれ」

 それを聞いて、コメコさんは考えるようにちょっと黙ってから、また口を開いた。

「キナコさん、私たちのツルツル遊ばせた脳みそをいくら捻り遊ばしたところで、役に立つお閃きは何もお閃きませんことよ。そんなことより、先輩方が下の階でお茶会を開いていらっしゃるとのことなので、私たちも一緒にゼロカロリーコーラをしばきに参りましょうよ」

「なんのまねだ?」

「気高く話してみました、ざます」

 ざます……。

「気高く話しかければいいってわけじゃないっ……!」

 コメコさんの気高いのイメージのツルツルさまで突っ込む余裕はなさそうだ。

「ところで、そのお茶会とやらだが……」

「はい」

「お菓子はあるのか?」

「あるんじゃないんですか?」

「そうか……ちなみに、その先輩というのは誰のことだ?」

「ガシャ髑髏先輩です。行きたいですか?」

 キナコさんは葛藤しているようだ。

「あ、でも、キナコさんはいま取り込み中なんですよね? じゃあ私ひとりで行ってきます」

 コメコさんは部屋を出て行った。

「私も行くー!」

 キナコさんも部屋を飛び出した。

 僕も、脳みそをツルツル遊ばせた二人について行った。


「おお! コムギコとカタクリコに、その愉快な子分くんじゃないですか。いいところに来てくれました!」

 僕たちが部屋に入ると、何かの儀式でもしていたのか、燭台やら鏡やら、怪しげな品々に囲まれた男二人、女一人の先輩たち計三人がそこにはいた。僕たちを迎えたのはその内の女の先輩だった。

「コメコとキナコです」

 こんな状況にも全く動じずに、コメコさんは冷静に相手の間違いを訂正する。『愉快な子分』については訂正してくれないみたいだ。

「おい、お茶会だって聞いて来たのになんなんだこれは!」

「お茶会はお茶会でも、お菓子を食べる人たちのじゃなくて、おかしな頭のひとたちのお茶会だったみたいですね」

 もはやお茶会ではない。

「まあ、誤解はあったようだけど、来てくれて助かりました。私たちだけではどうにも手に負えない事態で……」

 僕たちを迎えた先輩が深刻そうな面持ちでそう言う。

「どうしたんですか?」

 そう問うのはキナコさん。

「今朝、恒例の降霊術をしていたんですが……あ、これは洒落じゃないですよ?」

 先輩の洒落臭い発言にコメコさんがちょっと噴き出した。その様子に満足げに鼻を鳴らすと、先輩は背後の床にうずくまるようにして座っていたもう一人の大男を指さしながらつづけた。その人がガシャ髑髏先輩だ。

「……今日はとんでもない大物がお出まししちゃって……今その霊がガシャ髑髏くんに取り憑いているんですが、なんでも某国の麻薬王だとかで……」

「いや、さすがにそんなこと……」

 当然キナコさんはそんな話をすぐには信じない。

「そんなこと、あるかもね、アルカポネ。ふふ……」

 コメコさんはひとりで何か言っている。

 先輩はつづける。

「とにかく、このままガシャ髑髏くんを放置したら、それこそヤバい葉っぱでお茶会でも開きかねないじゃないですか。そんなことになる前に麻薬王さんには霊界にお引き取り願おうとしたんだけど、困ったことに何を話しているのかさっぱりわからなくて……」

「ほぉ……」

 聞くと、キナコさんは興味深そうにガシャ髑髏先輩に近付いていく。彼は床に広げた五芒星の描いてある模造紙の真ん中に座っていて、鋭い眼光でこちらを睨んでいる。

「ちょっとマテ茶。私の渾身のギャグをスルーしないでくださいよ」

 コメコさんもキナコさんに倣ってガシャ髑髏先輩に歩み寄っていく。


「何をじろじろ見ている……」

 ガシャ髑髏先輩を取り囲み、興味深そうにその様子を観察していた僕たち三人を見て、彼は苛立ちを隠せない様子でそう言った。

「よかった、ちゃんと日本語で話せるんですね。私、スペイン語なんて日常会話ぐらいしかできないから」

 こんなことを言い出したコメコさんにキナコさんが聞く。

「どうしてスペイン語なんだ?」

「麻薬王と言ったらスペイン語じゃないですか?」

 それは偏見だし、そもそもなんでコメコさんはスペイン語を話せるのか。

「でも、日本語を話す麻薬王って、なんだか違和感がありますね」

 もっと他に違和感を覚えるべき場所はあるはずだが……

「……駅前留学だ」

 嘘だろ?

 僕たちは顔を見合わせる。

「本当に麻薬王なんて取り憑いているのか?」

 キナコさんの抱く疑念がより強くなる。

「ほんとうだ! 俺様は今麻薬王に憑依されている!」

 だとしたらはやく憑依した側を出せ。

「じゃあ、証拠を見せてください」

 キナコさんは負けじと言う。

「この俺様に命令をするのか? ……たしか、コメコにキナコ……いや、スピードとエクスタシーに、哀れな子分とか言ったな? お前たち、いい度胸をしている……気に入った!」

 それはヤバい方の粉だし、僕もこの人に哀れまれる筋合いはない。

「コメコとキナコであってます」

 コメコさんはまた冷静に訂正する。

「おい、なんかこいつの麻薬王感の出し方雑じゃないか?」

 キナコさんはもう完全に信じていないようだ。

「ねえねえ、麻薬王さん。あなたの名前は何て言うの?」

 ガシャ髑髏先輩にそう質問するコメコさんはまだ半信半疑なのだろうか。

「何? この俺様に名前を聞くだと? いい度胸だ……気に入った!」

「いいから名乗れよ」

「その挑戦的な態度……気に入った!」

「だから名乗れって!」

 業を煮やしたキナコさんが、ガシャ髑髏先輩の尻を足で強めに小突く。

「き……気に入った!」

 これもう麻薬王じゃなくてただのマゾヒストだろ。

「ねえ、結局あなたの名前はなんていうんですか?」

 キナコさんに足で小突かれ、悶えるガシャ髑髏先輩の頬を、コメコさんは指で突きながら再び問いかける。

「マチェーテ……マチェーテ、だっ!」

「へえ、マチェーテさんですか。ふーん。マチェーテ……マチェーテ、ちょっとマテー茶。ふふ……」

「……」

 これは気に入らなかったらしい。


「はぁ、くだらない。もう帰ろう」

 ガシャ髑髏先輩の尻をひとしきり小突き終えると、キナコさんはそう言った。すると、今まで黙っていた三人目の男の先輩が慌てたように言い出した。

「ちょっと待ってくれ、信じられないのは分かるが、俺たちを見捨てないでくれ! その、なんていう名前だっけか……タコヤキコにオコノミヤキコに……マルデダメコ!」

 おい、マルデダメコって誰のことだ。

「コメコにキナコに、その不愉快な子分です」

 かなしい。

「そもそもきみたちはどうしてここに来たんだ?」

 三人目の先輩は改めて問うてくる。

「このバカコからお茶会があると聞いたから来たんです。でも、これじゃ無駄足だ……私は暇じゃないのに!」

 キナコさんすこし大げさに頭を抱えて見せる。

「そうですよ、キナコさんなんて、コンボイと駆け落ちして離婚しなきゃいけないんですから」

 せめて添い遂げろよ。

「ちがう! リンゴが落っこちてピコーン! だ!」

「ああ、だめだ、どうやらきみたちも悪霊に憑依されてしまったらしい……何を言っているのかさっぱり分からない……」

 それは一理ある。


「とにかく、私たちは帰りますから」

「じゃあね、ドM王のマテ貝さん」

 こんな短時間で麻薬王から変態貝類に成り下がるとは……。

「おい、待て! 待て!」

 ガシャ髑髏先輩も帰ろうとする僕たちを呼び止めてくる。でも、僕たちは気にしないで扉に向かう。

「おい! コメコ! 待て! マテ茶!」

「はい、なんですか?」

 待つな。

「よしよし……キナコも待て! おまえ、さっき何か言っていたな? リンゴが落っこちてピコーン、だっけか? きっと、ニュートンが木から落ちるリンゴを見て閃いたみたいに、おまえも何か閃きそう、ってことだろ?」

 理解力がすごい。

「だったら、何ですか?」

「だったら、この俺様、ガシャ髑髏……じゃなくて、マチェーテ様が、お前が閃くように手を貸してやる!」

 もうこいつ設定貫く気ないだろ。

「というと?」

「ふむ、ようはきっかけがあればいいんだ……それこそ、リンゴが木から落ちるように……そうだ、キナコ、俺の尻を叩け! とにかく閃きには刺激が必要だからな!」

 おまえの尻が刺激を必要としているだけだろ。

「ほら、早く!」

 言うと、ガシャ髑髏先輩は尻を突き出す。

「は、はぁ……」

 キナコさんは言われるがままにガシャ髑髏先輩の尻を蹴り上げる。

「いいぞ、その調子だ! そのまま続けて!」

「はいっ! はいっ!」

「ほら、コメコもぼさっとしてないで!」

「う、うん……」

 と、コメコさんは手でガシャ髑髏先輩の尻を叩く。

「はいっ! はいっ!」

「はいっ! はいっ!」

「うぉおおおお!!」

 キモい餅つきだな。


 十分後。

 力尽きた三人は床に倒れていた。

「もう、無理……」

「手がじんじんする……」

「ふぅ……どうだキナコ、何か来たんじゃないか?」

「いや、何も……」

「そうか、俺は来そうだったんだけどなあ……」

 どっちかって言うと、おまえは行きそうになってただろ。

「でも……閃きは出せなかったけど……いい汗は、出せたんじゃねぇの……?」

「へへ……」

「うん……」

 青春感出そうとしても無理だぞ。


 僕と同じように、置いてけぼりになっていた二人の先輩の顔面にも虚無が漂っていた。

「ゴホン……」

 どちらかの先輩が咳払いをした。

「あ、そうだった……おい、おまえたち! このマチェーテ様の尻をよくいたぶってくれたな!」

 だからと言っていまさら雑に麻薬王の感じも出すな。

「え、まだそれつづけるんですか?」

 キナコさんが床に寝転がりながら言う。

「当たり前だ。麻薬王に俺はなる!」

 そんなやつ少年誌どころか娑婆にも出すな。

「尻へったー!」

 どういう意味だよ。


「あーっ!」

 と、そのとき、コメコさんは立ち上がると大きな声を出した。

「なんだなんだ?」

 言いながら、キナコさんもつられて立ち上がる。

「私分かっちゃいましたよ。ヤリイカです!」

「……もしかしてユリーカって言いたいのか?」

「はい! ホタルイカです! いいですか? 全部は繋がっていたんですよ。絵のないつまらない漫画も、キナコさんのどうせくだらない閃きも、ガシャ髑髏先輩の気持ち悪い趣味も、全部!」

 毒がきつい。

「その心は?」

「それだけがこのお話の全てってことです! 絵にかいたお餅つきですね!」

 幻覚剤でもキメてたのかなぁ。

「むりやりオチをつけようとするな……」

「いいじゃないですか。人間なんてどうせ、頭使いすぎて頭皮ツルツルになるか、頭使わなすぎて脳みそツルツルになるかの二択なんですから!」

「そんなんで終われるか!」

 終わらせます。


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