エピローグ


 ■


 ナツは自分で決めた通り、翌年の二月、ドームコンサートを最後に芸能界を引退した。

 リーダーのアサトが芸能界に復帰し、グループとしても人気絶頂。ASKETが、これからってときだった。

 芸能ニュースでも、しばらくはナツの芸能界引退の報道が続いていたが、桜が咲く頃には、それも落ちついていた。



 ――季節は、ナツと出会った春になった。


 その日、薄紅色の桜の花びらが舞う中で、朔良はナツを待っていた。

 待ち合わせは、大学の校舎裏の山。眼下には袴やスーツ姿の学生たちが写真を撮りあっている姿が見える。去年の自分も、同じ輪の中にいた。周りに合わせようと、本当の自分を演技で覆い隠し、踠き苦しんでいた、その頃の自分は、もういない。

 今、朔良は劇団『ステージ飛鳥』で研究生になり、役者の道をスタートさせていた。

 約束の時間になると坂道の下からスーツ姿のナツが歩いてくるのが見えた。

 芸能界を引退して、アイドルじゃなくなったからといって、その美貌やスタイルが失われた訳じゃない。

 やっぱり『ステルス』は健在で、誰もナツを振り返っていなかった。

 桜が咲き誇るこの場所で、彼の美しさを独り占めしているのは、今、朔良だけだ。

「お待たせ朔良。ライン見たよ! 舞台決まったんだって! おめでとう、今日はお祝いだねぇ。焼肉? それともすき焼きかなぁ」

 今日は大学の卒業式で、お祝いされるのは、ナツの方だ。それなのに先に、おめでとうと言われてしまった。

「ナツってお肉好きだよね」

「え、朔良も好きでしょ?」

「うん。好き」

「スーパーで買って帰ろうか」

 ――魚より肉、コーヒーより、紅茶。

 ――あと、女の子じゃなくて、男の子が好きだ。

 去年の今頃、そういえば、そんなことも考えていた気がする。

「僕じゃなくて、おめでとう! はナツだよ。大学、ご卒業おめでとうございます!」

「ありがとうございます。あー本当、単位取れてよかった。今夜は一緒にお祝いだね」

 そう言って手を差し出される。ナツが当たり前のように、外で手を繋いでくれるのが嬉しかった。

 本当の自分を知られるのが怖かった、以前の自分じゃ考えられない。

 ゆっくりと桜の舞う山道を二人手を繋いで歩いた。

「ところで、ナツ。僕、ずっと訊きたかったんだけど」

「ん?」

「前に、役者の僕に一目惚れしたって言ってたよね」

「んーそうだね」

 二人の間に、春の柔らかな風が通り抜けた。

 あの日、朔良にとって掴みどころのなかった春の日は、今、同じように存在している。

「役者じゃないときの僕って……ナツ、どう、思っている?」

「そんなこと気にしていたの?」

「だ、だって……」

 なんの取り柄もないと、毎日、灰色で燻っていた頃の自分。何かになりたくて、なれない自分が大嫌いだった。

 なりたい自分になっても、以前の、情けなく臆病で、カッコ悪いままの朔良は、そのままのこってる。

 憧れた役者になっても、全てが思い通りにならないって、もう分かってる。朔良は、それも愛おしい。

 アイドルじゃないナツも好き。じゃあ、あなたは?

「そんなの、決まってるよ。好きなのは――」

 そっと、耳元で囁かれる。

 役者になった花本朔良と、新しい夢に向かって歩み出した里村夏生。

 ――好きなのは、朔良ぜんぶ




おわり


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