【フィリアの記録】 ただの事故。

「なぁ、生命神様よぉ。俺達の生活が苦しいのは、お前のせいなんだろ?」

ここは美しきウァリティアの街――の、路地裏。

秋から離れて歩いた私は、あろうことか『神を嫌悪する者達』に絡まれてしまっていた。

本当なら街中で声をかけられた時点で逃げるべきだったのだけど。

それができなかったのは、私を待つ人を脅しに使われたからかしら。

あの子ならきっと絡まれても大丈夫だけど。

それでも生命神として、芽生えたばかりの生命である彼を守りたいと。

なるべく辛い思いをしないようにというのは、私のエゴに見える?

「お前が神なら、俺達のことを救ってみろよ!!!」

肩を伝う痛み。

それでも声を上げなかったのは、私が民衆だったら彼と同じことを思うという確信があるからだろうか。

思考を巡らす中、俯いてしまった顔。

「…ごめんなさい。私は生命神だけど、貴方達皆を救う力は持ち合わせていないの」

それを無理やり上げて、精一杯の誠意を込めて答えを口にした。

でもそれは悪手だった。

「っお前!!!」

乾いた音と共に、ズレる視界。

遅れてやってきた痛みでやっと、頬を殴られたと理解した。

思わず手で頬を押さえる。

確かな痛みが手の内から伝わっていた。

滲む視界。

多分、反射。

今の私を見て、生命神だと思える者は居ないだろう。

きっと、それほどまでに哀れな姿をしているから。

…でも嘲笑が聞こえてこないあたり、彼らも本気で救いを願っているのだろう。

それは痛いほど分かった。

だけど、私には

「私には、力が足りないの……」

思わず出てしまった言葉。

彼らの様子は伺うまでもなく、行動で教えられた。

強引に鳴らした鐘のように頭痛がする。

壁に打ち付けられた背中は、激しく悲鳴を上げていた。

そんな中、思い出す。

誰かが言っていた。

暴力に訴えてしまったなら、その人はもう終わりだと。

――それでも、私は彼らと向き合いたい

己の無力さを受け入れ、彼らを救いたい。

分かっている。

今の彼らに私の言葉など届かず、

今の私には彼らの望みを叶えてあげることができないだなんて。

だけどここで。

ここで神である私が力を使って、彼らを拒絶してしまったら。

誰が彼らと向き合い、救おうとするのだろう。

「まだ、無理だけれど…いつか必ず、助けるから…」

手を差し伸べる。

しかし、その手は振り払われた。

頭痛のせいか、視界は少しずつ眩んでいく。

意識が途絶える前に彼らと話し合いをしないと――

「信じ…られないかもしれないけど、私、絶対いつか、助けるから…」

できる限り本音を込めて。

「だから、助けたくないわけじゃないの…分かって、ほしいの」

伝わってくれるように。と願って。

「――分かったよ」

その言葉に期待をしたのに。

「お前なんか、消えればいいんだってな!!!」

曖昧な視界でも分かるそれ。

銀色に光って、私を狙っていた。

――このままここに居たら、きっと死んでしまう

でも私はまだ信じたいし、

何より助けを呼んだら…

あの子が、来てしまうでしょう?

「何も救えないなら、神なんて死んでしまえ!!!」

「――っ」

振り下ろされるナイフを受け止めようと、腕を掲げた。

しかし、ナイフが私の腕に当たることはなかった。

「――そこまでだ」

代わりに聞こえたのは、飛ばされたナイフの落下音と。

守りたかった彼の声。

顔を上げて見えたのは、悔しさの滲む秋の顔。

「よくもまあ、生命神様に向かって不躾な態度をとれたものだ」

私が何かを言う前に口を開く彼。

彼は相手に背を向けたまま、私のことを抱き上げた。

「君も君だよ。どうしてこうなるまで僕を呼ばないんだ」

多分、その言葉が伝わったのは私だけ。

…本当は私にも言わない予定だったのかもね。

何事もなかったかのように秋は振り返り、彼らに向き直る。

「彼女はこの国の神であり、この世界の守護者でもある。そんな彼女に危害を加えようとしたんだから…分かるよね?」

「うっ、うるさい!!!元はといえばそいつが何もしないのが悪いんだろう!!!」

「彼女はまだ生命神になってから日が浅いんだぞ。何かするも何も、時間が足りないだろう」

「っ…それは…」

秋の言葉に、彼らは口を閉ざす。

…日が浅いとはいえ、生命神という座を引き受けたのだから。

「……でも、生命神になったんだろう!?それなら、俺等のことを救うことだって…!!」

彼らのように考える人がいるのも分かるし、

「それなら君は、この短期間で全ての人を救えるのかい?無理だろう?」

それでも秋の言っていることも正しいと思う。

私はまだ未熟だから。

仕方がないといえば、全て片付いてしまう。

「だからなんなんだよ!!俺等とは違うから神になったんだろう?それなのに何もできないのなら、神なんて辞めちまえ!!」

「…言ったな。今、僕は君を不敬罪で拘束する。どうしてかは言わなくても分かるだろう」

ただ私は、

「後日君の判決を言い渡すから、それまでは――」

「まって!!」

生命神として、

「判決は私が下す!!…お願い、私がやりたいの…!!」

できる限り彼らを救いたいなって。

思っちゃうから。

「…まあ、君ならそう言うだろうなとは思っていた。ここは君の国なんだし、君がやりたいようにやればいいさ」

「…うん、ありがとう」

彼らの罪を消すことはできなくても、軽くすることはしてあげたい。

だってこれは私が原因だったから。

だから、そう思った。

「判決は後日、私から連絡するから…。もう家に帰りなさい」

「っ、お前らなんなんだよ!!今更慈悲を掛けたところで、ただの偽善者だぞ!!!」

「そうかもね。でも、私はそういう神だから」

彼らの目を見て、そう告げる。

「もういい!!!」

諦めたのか、嫌になったのか…彼らは走っていってしまった。

そして路地裏には静けさが戻った。

秋の暖かさを感じながら、深呼吸をする。

…秋には迷惑を掛けちゃったわ。

ううん、ずっと掛けているわね。

それは…神になった日からずっと。

ずっと頼りっぱなしで。

守りたいのに、守られている。

…そんなんで、いいのかしら。

そんな神でいいのかしら。

「いいに決まってるだろ。本当に君は馬鹿だな」

顔を上げる。

私を抱く手が少し強まった気がした。

ゆっくりと流れ出す視界。

見上げた顔の表情は分からない。

ただ心地よいリズムに身を任せ、そのまま静かに目を閉じた。

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神様たちの幸福理論 猫墨海月 @nekosumi

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