鎖でこんがらガール&ボーイ

渡貫とゐち

魔女と鎖


「――あのっ、うちの子を見ませんでしたか!?」


 通行人の男に必死になってしがみつき、我が子の居場所を訊ねる母がいた。

 ……よほど切羽詰まっていたのだろう、母は我が子の容姿も服装も伝えなかった。

 少なくとも、情報がなければたとえ見かけていても答えられないだろう。


 しかし、男は答えた。――この町で子供がひとりで歩くことはまずない。ひとりでいるところを見たならば、その子供は母親からはぐれたとしか考えられないからだ。

 そして、はぐれた子は一日にひとり、見られるのも珍しい……そもそもあり得ない話だ。


 母は子から目を離さないどころか、手さえ離さないように――と義務付けられているのだから。


「子供ならついさっきそこの通路にいたな……あの子はあなたの子か」


「本当ですか!? ありがとうございます!!」


 どうして見つけた段階で保護してくれなかったのですか、とは、母は言わなかったし、態度で男を責めることもなかった。

 もちろん見逃した男に罪はない。非難される立場でもない。子がひとりで歩いていたところを見たからと言って、声をかければ、声をかけた側が痛い目を見ることだってあるのだ。

 大切なら絶対に傍を離れてはならないのが町の鉄則だ。


 子がひとりで歩いていれば、親が意図的に『見放した』と判断される。

 ちなみに、子を見捨てることは罪にはならない。


「……今から迎えにいっても手遅れだと思うが……」


 時間差があるため、はぐれた子供はもっと遠くへいってしまっているだろう、という意味ではなく。親が傍にいない子供は格好の的だ。

 当然、子供を主食としている悪魔が見逃すはずもなく、今頃、子は悪魔に攫われ、食べられてしまっているはず――――



「ふむ、手遅れだな。既に結末は儂が確認しておる。またひとり、子が悪魔に捕食された――昔から、子から目を離すなと口酸っぱく言ってきたはずだが……。目を離す以上に手も離してしまえば、悪魔に攫ってくれと言っているようなものじゃな。文句も言えん。儂らは悪魔に一切干渉できんのだから、攫われてしまえば阻止する術もない」


「……爺さん」


 男の親族ではない。

 昔から町にいる、過去と歴史を知っている老人だ。


「はぐれた子供がいないかのパトロール中だったのだが、被害が出てしまった……まったく、見届けてしまうとは、運がない」


 間に合ったところで杖をついた老いぼれになにができるのか、と考えてしまうが……男は言葉をぐっと飲み込んで、訊ねる。


「爺さん……悪魔はなぜ、子供だけを食べるんだ?」


「だけ、ということもないが。悪魔によっては大人の味を好む者だっているだろう。単に子を好む悪魔が多いだけだ。子好きの悪魔が目立っているから、そいつらが悪魔の特徴であると勘違いしているだけだぞ。

 ……儂らにも好みがあるだろう? テーブルに料理が並んでいる、スープや野菜よりも肉や魚を好んで食べてしまうのではないか? 悪魔たちも、同じ感覚なのだろう」


 美味しいから積極的に食べているだけなのだ。


 それ以上の理由はなく……、子がいなくなれば大人を食べ始めるはずだ。


「どうしたら……子は悪魔から逃れられるんだ?」


「親が大事に抱えておくしかない。儂らは年月と共にそうやって守られてきた……。だからこうして、生きている。……悪魔との付き合いも長くなってしまったものだ――」


 親から後生大事に守られ、育てられてきた。

 守られ、大人になった者たちが、今の親をやっているのだ。


「……子を守る方法が、ないこともないが……」

「あるのか? 親が離れていても子が守れる方法が――」



「反則に近いがな。悪魔と言えば、同時に魔女の存在も浮かび上がってくる。彼女たちは悪魔ほど我々に干渉することがないが、契約なら話は別じゃな。魔女と関係を持てば、悪魔よりも質が悪い結果になるかもしれんが……、魔女にも当たりはずれがあることを祈るしかないのう」


 つまり、賭けになってしまう。

 男は魔女と言われてもぴんときていない顔をしていた。……悪魔ほど、魔女の存在は公にはなっていない。

 老人がその存在を知っていたのは、彼自身が『特別』だからではなく、知る機会さえあれば誰でも知ることができるからだ。


 タイミングさえ合えば、男でも知ることができた。

 魔女との雑談に花を咲かせることもできる。魔女のご機嫌を取ることが必要だが……。


「魔女の知り合いがいる――相談してみよう」


「魔女を知る、あんたは一体……。だけど、魔女に相談して――代償にオレらの魂が抜かれるなんてことはないよな……?」


 老人はゆっくりと、首を左右に振った。


「さて、どうかのう?」




 魔女宛てに手紙を出すつもりで書いていたら、背後に気配があった。

 開けっ放しにしていた窓の外には……魔女だ。


「……まだ封を閉じてすらいないんだが」

「一文字でも書けば伝わるものよ」


 それが魔女ヨ、と彼女は答えたが……そうなのか?

 魔女の言うことは本当であろうと凡人には理解できない。


「それにしても……六十年も放置しておいて、今更ワタシに声をかけてくるなんて、ねえ……ルゥ坊も偉くなったものねえ。今はこの町の町長みたいだけど……」


「形だけじゃよ。まったく浸透しておらんし、儂が散歩をしていたところで誰も儂が町長であることに気づかん。気づかないというよりはそもそも知らないのかもしれんが……」


「新聞の端っこに書かれている町長紹介部分なんて誰も見ないものよねえ」


 形だけで構わないと言ったのは本人だ。

 町長であると認識されなくとも文句は言えない。


 ――ふわりと舞い下りるように、バルコニーに足を着けた魔女。

 老人、あらため、町長のルゥドが彼女を出迎えた。


 彼はひざまずき、まずするべきは謝罪である。


「魔女よ……あの時はすまなかった。理由はもちろん多々あるが……若いの時の儂は、あんたが怖くなったんだ。魔女、というだけで儂はあんたとの関係を切った……そして、この町を発展させることを望んだ――――

 悪魔が子を攫うことは昔からあったが、被害はほとんどないようなものだった。それが……今では親が子を抱えていなければすぐにでも攫われてしまう環境になってしまっている。あんたの仕業だと思っていたよ」


「ワタシは一切、噛んでいないわ。見て見ぬフリはしていたけどねえ……。だからワタシが発端では、もちろんないわ」


 魔女が原因でも、そうでなくとも、ルゥドからすればもうどっちでもよかった。


「――魔女よ、今度こそ、契約がしたい」


「魔女と契約を結ぶ意味は知っているはずよね? ……ふふふ、ルゥ坊の魂を頂くことができるのかしら?」


「構わん。こんな老いぼれの魂ひとつ……どうせすぐに死ぬ運命だ」


 病のことを考えれば。

 ……覚悟を決めたルゥドの表情に、魔女はつまらなそうに舌打ちをした。


「……ちょうどいいから処理してしまえ、の精神では契約したくないわね……」

「あんたが望むなら、他のものも検討するが?」


 被害が甚大になっている、悪魔の捕食事件――

 子供が守られるなら、差し出せるものは多くなる。それだけ、なんとかしたい問題なのだ。


「なら……ルゥ坊の、ワタシがまだ知らない記憶を――――

 六十年間の思い出をワタシにくれるかしら?」


「……そんなことでいいのか?」


「ルゥ坊の思い出にワタシがお邪魔するわ。あなたの人生の細部にワタシが映り込むことになる――大切な思い出も、ワタシという魔女が記憶を塗り替えてしまうのよ?

 そして記憶だけでなく世界が改変するような、大きな代償――ルゥ坊が見る走馬灯にはワタシが映ってるはずだけど……いいのよね?」


 魔女が差し込まれたことでそこにいた人物がいなくなっていることもある。

 世界が変わるということはその者が消え、世界が適応することもであり――人、ひとりが消える危険性も孕んでいる。

 だが、ルゥドは笑った。笑い飛ばした。


 それだけの被害で未来を守れるのであれば安いものだ、と。


「はっはっ、それは良いことではないか。手離してしまったあんたとの思い出を作ってくれるのか……、死の直前に、最高のプレゼントだ」


「……ルゥ坊の記憶を、汚しているのに?」

「今、汚されたとしても、当時の儂は確かに幸せだったんだ――もうなんとも思わんよ」


 ルゥドの言い分に魔女が珍しく戸惑っていた。

 そんな顔を引き出せたことも、ルゥドにとっては死ぬ前のご褒美みたいなものだ。


「――儂の全てをやる。だから、町の子供たちを――守ってくれ」




 魔女の魔法によって、親と子が、『魔法の鎖』で繋がれた。


 軽く、物体には干渉しない。

 つまり建物や人物に引っ掛かることがなければ、鎖としての重量もなく、繋がっていることさえふとすれば忘れてしまう。

 これならば、目を離し、手元から子が離れても、悪魔が子を攫うことはできない。


 子が攫われたら親がすぐに気づける。

 鎖を引っ張って子を引き戻せば、悪魔から取り返すことも可能だ。


 ……だが。


 問題がひとつ。

 魔法は魔法に干渉してしまう。

 そう、魔法の鎖同士はぶつかってしまうのだ。



「――あぁっもうっ、また絡まって……そこの奥さんっ、この鎖をくぐってください! そうです、そうすれば絡まった鎖もどんどん解けて――」


「待ってくださいここが複雑に絡まってます! ちょっと動かないで!! 解こうとすればするほど絡まっていくんですけどこれほんとどうなってるんですか!?!?」


「おかーさん、お腹すいたー」

「もう少し待ってなさい!! 鎖が解けないと別の誰かに引っ張られて――もう引きずられるのはごめんだわ!」


 親が集まり、あーでもないこーでもないと鎖を解いている。

 順調に解けているのかどうかはまだ分からないが……。


「いてっ」

「引っ張らないでください! 知らない子が引っ張られて倒れますから!!」


「で、でも、多少は強引に引っ張らないと絡まった鎖はびくともしなくて……」


「分かってますからもう少し丁寧に!!

 ――もうっ、悪魔の被害はぐっと減ったけど、今度は面倒なことに……ッッ」


 魔法の鎖がこんがらがってしまっている。


 上空から町を見下ろしていた魔女が、混乱する人々を見て満足そうに笑った。

 意図的ではないが、これはこれで面白い……とでも言いたげだ。



「便利なものには不便がつきものよねえ。ごめんね……これ、仕様みたいなの」



 呪いのような仕様だった。


 だが、……攫われるよりはマシだろう?




 …了

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