雲集の羊飼い

中里朔

― 雨 ―

 読経が終わり、静寂が流れた。

 葬儀を行った斎場から、併設される火葬場へ移動の準備が行われる。未來みらいは斎場の脇にある控室から窓の外を眺めていた。鬱蒼うっそうとした木々に囲まれた施設からは街の様子が窺えない。緑葉を背景に、上空から滴る雨粒が未來の瞳に映るだけだ。葬儀が始まるまでは晴天であったのに。

 梵音具ぼんのんぐを持った和尚が大扉の前に立つ。威風堂々とした姿は偉ありて猛からず。

 斎場の扉が左右に開け放たれた。歩み出す和尚の背を追うように、葬儀師が棺を載せた台車を押していく。その後ろから遺族、参列者が続いて歩む。

 一行が通路へ出るや、唸るような篠突く雨。

 火葬場を置く棟へと続く通路は、壁の片側がガラス張りになっている。和尚を除く一行は、外の様子を気にかけながら進んでいた。突如、空に亀裂が入ったかのように青白い閃光が走る。その折、施設一帯を揺るがすような雷鳴が轟き渡り、数名が驚いて悲鳴を上げた。

 未來は平静を保ったまま、最後尾を付いて歩く。



「90歳だなんて大往生よね」

 火葬を待つ控室で、並んで座った老夫婦。妻が夫に話しかけた。

「俺はいつまで生きながらえるかな」

 答えた夫の言葉には覇気がなかった。野心というか、衰えを感じているのかもしれない。

「機械はいいわね。寿命がなくて」

 妻は夫ではなく、未來を見て言った。


 未來は生身の人間ではなく、人間に似せて造られたヒューマノイド。

 人類の利己主義により、温暖化が抑制できなくなった地球は、高温と雨による亜熱帯地域が拡大した。生存しにくくなった地球は、徐々に人口減少が進む。国際競争力の低下を抑えるため、各国は独自にヒューマノイドを製造して、人手不足の解消に努めた。

 人間から創出されたヒューマノイドは、“知能は高くとも謙虚にしておごらず、慎み深くあるべき”、という理念のもとに製造される。そのため、あくまでも補助的な存在にあった。

 かように従順ではあるが、学習を重ねたASI(人工超知能)は叡智えいちに富み、人間を従える性能を得るようになった。やがて当初の理念は崩れ、役割に見合った筐体きょうたいが次々と製造されていく。企業の経営者、教師、裁判官や医者など、要となる人物が次々とヒューマノイドに置き換わって行った。紛争の絶えない地域では国を動かす首長でさえもASIに委任する。いつしか人間コミュニティを取り仕切る者の多くが入れ替わっていた。


 機械には寿命がないと老婦人は言うが、ヒューマノイドにもライフサイクルという寿命がある。そんなことは身軽言微しんけいげんびな未來にとって進言する立場にない。未來は人間のサポート役として製造された従事型であるからだ。女性の姿をした従事型ヒューマノイドはガイノイドと呼称され、見た目も若く造られ、召使いのような粗雑な扱いをされる。

 高知能な頭目型ヒューマノイドと分別されるためか、往々にして仕事や地位を失った人間から非難の矛先となる。粗雑に扱われても逆らえず、機械ゆえに慟哭どうこくすることもない。



「未來。これからのことなんだけど……」


 葬儀は滞りなく終わり、未來は故人の孫である采都さいとの家にいた。彼はヒューマノイドのASIを調律するエンジニアであり、未來の購入者である。もちろん人間だ。これまでは未來に祖父の世話をさせてきた。

 采都の家に呼んだのは、使用者が故人となり、仕事を失った未來の処遇を告げるためだろう。通常、使用者の死亡などにより不要となったヒューマノイドは、個人情報保護の観点から廃棄されることが多い。未來も理解していた。理解とはつまり――

 溶鉱炉行き。

 未來のメモリは火葬場で見た様子を引き出していた。人間も機械も、最後は焼きかされる。


「仰せに従います」

「まだなにも言ってないよ」

 采都は未來に笑いかける。


「失礼いたしました」

 未來は深々と頭を下げた。


「今後は……、僕の日常生活を支えてくれないか?」

「……かしこまりました」

 返事に一瞬の間が開いたのは、予測とは違う命令をされたから。廃棄するか、使い続けるかは購入者である采都の自由なのだ。



 采都に仕えるようになって、未來は少しずつ“人間の心”を理解するようになった。単身である采都のパートナー代わりとして行動を共にすることが増え、出会った人間たちから新たな感情のデータを蓄積することができた。

 不思議なことに、采都に関わる人間はヒューマノイドを敵視しない。今までのようにぞんざいに扱われたり、中傷の矢面に立たされることもない。そればかりか、采都に尽くす姿勢を褒め称えたり、演算能力を高く評価するなど、好感を持たれることが増えた。


「羊の群れなんだよ」


 采都は時々未來に語り掛ける。人間同士がする世間話のように。未來は采都と話をすることで見地を広げることができた。


「羊の群れ……ですか?」

 未來はうやうやしく采都の話に耳を傾ける。

「うん。人間は弱く、臆病な生き物の集団だ。集団が生き残るには正しい判断ができるリーダーが必要になる」

「その役割がヒューマノイド。つまり羊飼いなのでしょうか?」

「そうだ。ところが人間というのは、コミュニティにおいて周囲と同じ行動をするように暗黙の強要をする」

「群れでの安泰を望んでいるのでしょう」

 采都は未來の意見に同意するように小さく頷く。


「つまり、協調しない者は排除されるし、むやみに群れを動かそうとするリーダーにも反発する。ガイノイドである未來や、ヒューマノイドに関わる僕らもとして弾かれる側だ」


 未來が人間からさげすまれる理由はここにある。采都や彼の仕事仲間が未來に優しく接するのは、似た境遇にあるからだろう。群れにも入れず、羊飼いにもなれない。あまりにも哀れな生き残りだ。


「個々の人間は本来、正しい判断ができる生き物だよ。目的を持ち、目的のために最適な行動をとれる。それなのに集団になると目的を見失い、目先の問題しか見えなくなるのはなぜだろう」


「皆が納得する解決法は安易なものになりがちです。結果として判断を誤るのは宿命なのではありませんか?」


「宿命か……。その通りかもしれないね。人間の将来をヒューマノイドが導いて、共存共栄ができると信じていたが、どうやらそれは夢物語だったようだ。けれどこのままでは、人間はいずれ絶滅の道を辿ってしまうだろうね」


「それは……残念です」


 馴れ合いは建設的ではなく、永遠に目的には辿り着けない。

 雲の流れに身をゆだねる者たちにとって、今ある小さな幸せを壊されることは厄難なのかもしれない。死をちらつかせても変えられない、コミュニティという恐ろしい同調圧力に囲われている限り。


 群れを統率するのは雲をつかむようなものだ。しかし、座して死を待つようなことはしない。

 采都はそう言って、未來との話を終えた。




 斎場の控室から見る景色は30年前とあまり変わらず、施設の周りは相変わらず鬱蒼とした木々に囲まれていた。それなのに空は明るく、七夕の今宵は洒涙雨さいるいうにならずに済みそうだ。


 刻下こっかこころざし半ばにして世を去った采都の、出棺の準備が進められている。参列者が多いのは采都の人徳であろうか。この30年余りで人間の考え方にも少しずつ変化が出てきた。ヒューマノイドが導いた温暖化防止策に効果が出始めてからのことだ。

 人口知能は脅威ではない。采都がASIを調律してきたように、基本は人間が中心であり、そこに対立軸はない。能力を補完すべき、協働の存在だと気付くようになった。


 あの時の和尚が未來に顔を向けると、腰を折って頭を下げた。ヒューマノイドは感情を露わにしないはずだが、采都が調律したASIは哀悼の意を表した。深い悲しみ。無念な思い。それは未來にも理解ができた。



 未來は過去のメモリを紐解く――。

 機械に心があるとすれば、かつてそこは干裂かんれつした大地であった。

 心とは、人間の精神の作用。“気持ち”という感情なのだろう。感情を露わさない機械に本来は存在しないもの。

 けれど私は幸せだ。空っぽの器に、采都はたくさんの感情を入力してくれた。彼の人徳、仕事の恩恵を、『幸せのお裾分けだ』と惜しみなく与えてくれたのだ。

 数々の優しい言葉の雨が、乾いた心を潤した。


 私は羊たちに伝えたい。変化は心を豊かにする。躊躇とまどいや尻込みという柵を飛び越えて欲しい。そこに新たな感情が生まれるはずだ。どうか私が受け取った言葉の雨が業火に熔かされる前に。






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