第8話 僕の瞳
味は知らない。
例え飲み込まずに口の中で確かめたところで不味くて吐き出すかもしれないから。
黒蜜よりも濃く、微量な光をも吸収する漆黒の液体は、僕の口から一気に喉を通って体内に入った。
一滴も残さず全て飲む。
何分かしたら効果が出るだろうか。
僕は生まれつき目が悪い。
腐りきった肉のような痣色の瞳のせいで少し先の時計の文字すら膜のようにぼやけて読めない。
何かを書くときだってそうだ。
必死に顔を紙そのものに触れてからやっと平仮名の輪郭が映ってくるのだ。
夜は尚更で、暗殺のときは頭に外国製の羽織ものの頭巾を被るから、真っ暗な中で僅かに見えた人らしき姿形を秒で捉える高度な技術を何年もかけて覚えた程だ。
だから、塵を切り刻んだ時に溢れ出てくる飛沫も、夜の闇に咲いた彼岸花のように綺麗に見えるのだ。
先代や姉は僕が花を見たときに上げる歓声___笑い声を正気の沙汰ではないという感情を抱いているようだが、単純に汚れた物が消えるとこんなに美しくなるのかと自分だけに感じ取った意味合いなだけであるのだ。
一体何度常人には、姉にはどんな景色がこの目に映っているのかを知りたいのだ。
昼は自棄に眩しく夜は見えない。
そんな不便な目を何故僕だけに神は与えたのか。
嫌がらせだろうが理由があろうがなかろうがそんなこと誰に聞いても知っているわけないのだ。
それに体だってもう長くは持たない。
無力で藻掻くこともせず余命を生き続けるより足掻いた結果死ぬ方がどれ程最高か。
これは誰かに押し付けられ、押し付けたものでもない僕の考える僕自身の生き方だ。
そして飲みきった直後、体から見たこともない円盤上の光が発生する。
その光は古代の紋様に近しいものを形成し、僕を中心に何段もの円盤が、それぞれ異なる大きさ、色、紋様を描く。
「?」
声もなしにアイドから紙切れを渡された。
既に翻訳された文字で「下記の呪文を読んで。君には魔法の才がある」と書かれている。
平仮名が一文字一文字意味が無さそうに羅列されているこの文章をどうやって噛まずに読めというのか。
僕は慎重に一文字一文字熟読していく。
いくつか単語を読み終わる毎に円盤が一つづつ光を増していき、全てを無事に読み終わると僕は光に包まれた。
何も見えない。
太陽よりも眩しすぎる光は僕に危害を与えることもなく、暫くすると消滅して、そこには素晴らしい世界が広がっていた。
ああ、これが「普通の視界」なのか。
変わることのない忌み嫌われ続けた藤色の双眸からは大粒の涙が流れていたのだった。
「凄い……」
壁の傷や汚れが鮮明に見え、遠くの山の木一本までもが簿焼けることなく、色も滲むことなくこの目で見えているのだ。
「実就?___まさか一発で視力が治ったというのか?」
「〈状態確認〉___体は完治したな。ただ、髪色と瞳の色が変わっていないな。手数をかけるが色素異常を直す魔法薬を開発するから、少し待っていて___」
「いえ、これでいいです」
僕は口を挟んで止める。
「貴方には感謝してもしきれない程お世話になりました」
「いや、これくらいどうってことないさ。でも……」
「本当にいいんです。髪色まで変わると、僕が僕でなくなる気がして。それに、もし薬で髪の色が黒くなって忌引の目で見られなくなっても僕は誰でも人を許し、好きになることはないと思います。大切なのは心であると思い知ったので」
一年後。
国が建設していた集合住宅はアイドが開発した魔法の詠唱失敗で爆発し、瓦礫となった。
そのせいでアイドは住んでいた豪邸を追い出され、北東の田舎の狭い家で暮らすことになる。
私と弟はこれにより完全に自分達の土地となり、自給自足で生活することになった。
弟はあれ以降人が変わったかのように元気な、それでも心優しい好青年となり、私は変わらずのんびりと生活していた。
そして今日、私達元暗殺者姉弟はこの世界で新しい事を営み始める。
「料金表の設置完了したよ」
実就が勢いよく家から出ると、一年振りに再会した金髪の神殿の女性がやってきて、話しかけた。
「凛様、実就様、ペンション開業おめでとうございます!同居していたアイド様が移民者向けマンション爆破事件で北東地域へ移動となってしまいましたが、ショックに負けず営業頑張って下さいね」
アイドの十部屋異常もある大豪邸で、客に部屋を貸し出し、暮らすペンションを営むことにした。
発案は実就で、当時の我々のように右も左も分からないような状況を手助けしたい彼らしい思いからだった。
私も弟に賛成で、寧ろその他人思いに感銘を受けた程だ。
実就は武器としても鉈を使うが、本来は料理好きで愛用しているものだ。
私は掃除と接客、実就は料理と接客と分担して仕事を回す。
「有り難う。まあ、アイドには恩があるから時折奴の自宅に通っているが、とくに衝撃は受けてない。あの一件で、宿泊者は相当数来そうだが、部屋数も問題なく金を稼げそうだ。確か、神殿奥の山が開拓されてもうすぐ住居ができるのだろう?であれば移住者の彼らの一時的な住居として我々が手厚く保護しよう。我々は人の笑顔を見たいのだからな」
まさかの事態で起きたこの出来事の連鎖は案外いい方向に向いたのかもしれない。
また新たな人生が始まる瞬間なのであった。
暗殺姉弟は漂流先の国でペンションを始めたそうです 鐘音 @kanene_0154
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