第20話 元勇者は覚醒する
九頭を持つ伝説の竜、ヒュドラーが地響きを立てて、まっすぐリコの町に向かっている。かつてエルフの女王ティタニアをさらい、勇者たちに地底に封印された怪物だった。
「こちらの封印も解いたというの? アレースは働き者ね」
サーラが町の中心に辿り着くと、即座に大きな円陣を描いて、町全体に防御の呪文をかけた。これで外部から町民に被害を与えることはできない。さすが戦闘経験豊富な魔女は、遅れてやってきたコルトたちに次々と指示を出していく。
「皆、町の外へ。そしてリオニーさんとわんちゃんは前線に。援護するから。ユラ、盾をちょうだい! あと貴方はコルトと一緒に町民の避難を助けて。終わったら、魔力を貸してね」
リオニーが自慢の戦斧を掲げて、ヒュドラーとの間合いに入ると、九頭の頭の間に一人の女性が引っかかっているのが見えた。金髪に長身の女性。ミアだ。
「ミア?! ちょっと待ってて!!」
サーラのバフ呪文で攻撃力を強化してもらい、リオニーはその巨大な戦斧を器用に振り回してかまいたちを起こし、九頭の内、ミアの近くにある二つを切り落とした。
中央にあるとりわけ大きな頭が雄たけびを上げると、他の頭がリオニー目掛けて何か粘液のようなものを飛ばしてきた。寸でのところでかわすと、粘液が落ちた地面が溶け、跡には黒い煙が立ち上がる。
「何だ、これ? いや、まずはミアだ」
「援護するから、先に助けて!!」
サーラが炎の追撃をして、他の頭を引き付ける。レオンもうまく立ち回り、反対側の方角から噛みついてくれたおかげで、リオニーは救出に専念できた。重い戦斧を一旦手放して、ヒュドラーに向かって走っていくと、追い風のようなものがリオニーの身体を持ち上げて瞬時にミアの元へと運ぶ。風の精シルフのおかげだろう。
「毒の気に気を付けて!! ヒュドラーの猛毒は神のお墨付きよ!!」
サーラの助言に従い、リオニーは腕で口元を隠してもう片方の腕でミアを抱きかかえると、ヒュドラーの身体を飛び降りた。見てみると、ミアの胸から腹にかけて爪でえぐられたような深い爪痕が残っている。大量に出血をしており、呼吸も浅い。
「失敗した……こんなに力が強くなっているなんて……」
「ミア?! 意識はあるのね、今助けるから、話し続けて!」
「馬鹿だった、封印を解くなんて……ずるいよ、神様は……」
どうやらヒュドラーを起こしたのはミアらしいが、彼女を責めている時間はない。リオニーが急いでサーラのところまで運ぶと、町民の避難指示を終えたユラが魔法陣を描いて待っていた。
「早く、この上へ!! この栄養補給剤も飲んでね。外と内から回復させますよ」
リオニーがミアを魔法陣の上に寝かせると、ユラは無理やりミアの口をこじ開けて、お手製の補給剤を中に流し込み、詠唱に入った。自分たちを司るエルフの王女ということもあり、周りにはさまざまな精霊が集まって、マナを円陣に流してくれている。ミアの傷跡が鈍く光ると、みるみるうちに塞がっていくのが見えた。
安堵したリオニーが、ヒュドラーに向き直る。しかしどうにも違和感がぬぐえずに首を傾げた。ヒュドラーの足元には生首が転がっているのに、頭が元の数に戻っていたのだ。
「あれ?! 首を切ったはずなのに?!!」
「ヒュドラーの中央の頭が不死で、他の頭を再生できるのよ。リオニー、手を貸して。他の頭を切っていってくれたら、私がその断面を焼いて再生できないようにする」
確かに切られた頭は、再生途中のようで小さく、まだ粘液を吐けないようだ。リオニーは頷くと口元を布で覆って、相棒の戦斧を片手に果敢に切り込んでいった。が、先ほどの奇襲とは違って、敵として認知されたリオニーへの攻撃頻度が増して、なかなか首元に近づけない。
ヒュドラーは、毒粘液と毒気による遠隔攻撃だけでなく、ミアに深手を負わせた鋭い爪や牙の近接攻撃もあって手強いようだ。
「ユラ、盾は?!」
コルトが代わりにサーラに盾を渡すと間一髪、毒の粘液を防ぐことができた。盾から跳ね返った毒がまたもや地面を侵していくが、どういうわけか盾には傷一つついていない。
「神には神の盾よ」
そのサーラの一言に、コルトはかつてヒュドラーを封印したときのことを思い出した。なぜ人々に害をなす怪物を倒さずに封印したのか。それは、異形の姿をしていてもヒュドラーは立派な土地「神」であったからだ。
ヒュドラーは、この一帯の命の水でもある、地下水脈を守る神として一部の教会で崇められている。それは、ヒュドラーが一帯に分布していた毒の植物を好物として食していたおかげで、植物の毒が水に混入することなく、人々はこの地域で繁栄してきたからだ。
そもそも生物毒というのは、生き物が摂取した栄養を代謝して作り出す活動エネルギーとはまた別に生成し、体内で維持しなければいけない異物だ。
かなりの労力を伴うものであり、毒を持つ生物は小さな体のものが多い。巨大な体を持つヒュドラーは毒の生成には向かず、外部から毒性の強いものを取り入れて溜め込み、武器として活用する。言い換えれば、ヒュドラーの毒は無限ではない。必ず枯渇する。
「リオニー!! 飛び回って、毒を吐かせろ!! 奴の毒はいずれ尽きる」
「もう、けっこー、とび、まわってるよぉ!!!」
さすがのリオニーも大きな得物を持って動き回るのはしんどそうだ。レオンも毒気を避けながら、いつも以上に脚を動かしているため、息が上がっている。
「コルトさん、危ないっっ」
ユラの忠告が届いた瞬間、コルトの身体にヒュドラーの長い尻尾が直撃した。ユラのおかげで受け身を取って吹っ飛ばされずに済んだが、ミシミシと身体がきしむのがわかる。
せめてもの抵抗で、持っていた杖を尻尾に突き刺すと、ヒュドラーの末端神経を刺激したのか、怪物は怒りに任せて再び尻尾を振り回し始めた。今度は簡単にコルトの身体を宙に上げた。
「コルト!!」
サーラが叫ぶが、彼女自身リオニーの援護と追撃で手が離せない。ユラもミアの回復に手こずっているようだ。つまり、誰もコルトを手助けできない。
地面に体を打ち付けて、コルトは唸り声をあげる。町民の身体で、神との戦闘に参加すること自体が間違っていたのだ。無力な自分に腹が立ち、拳を握ろうとするも力が入らない。動こうとすると背中に激痛が走り、致命傷を予感させる。
(もしかして、今回は、ここでおしまいなのか? 相手は神、ここで人間が神を倒すヒントを得られるのに……)
死への恐怖よりも、悔しさが上回る。ここで終われば、デイモスと一緒に勇者として目覚めるか、もしくは他の仲間がアレースを討って完全な死を迎えるか、どちらかになる。その決定が下るまで、ただ「待つ」身だ。それでは、なんともやりきれない。
前世で封印されたときとは違い、コルトは今の人生を簡単に手放して良いものではないと感じていた。
この人生だからこそ得た、守りたい家族がいる。
この人生だからこそ再確認できた、温かな友情がある。
この人生だからこそ生まれた、愛情がある。
(普通の人生じゃなかったけど、俺が望んだものはすべて叶った)
いや、まだ叶えられていないことが、一つだけあった。生きがいとなる仕事だ。
マクシミリアンは鍛冶職人となり、多くの弟子に慕われていた。
サーラは魔法使いを続けて、その知恵で他人に奉仕していたらしい。
転生してもなお、神に従事するハンの愛情深さには舌を巻いた(もう見切りをつけたらしいが)。
……俺は何がしたかったんだろう。生まれたときから「勇者」と決められていた人生は、終わるとき何も未練がなかった。今はどうだろうか。
(ああ、精霊たちを見たかったな)
いつも傍にいてくれた身近な、でも遠い存在の精霊たち。彼らの純粋な行いに苦心する日々もあったが、もし自分がこのまま死んだら、精霊たちとの記憶もなくなるだろう。それは、精霊たちへの不義理のように感じられた。
(最期に感謝だけでも伝えられたら……)
もしかしたら死に際に見られるかもしれないと、コルトが気力を振り絞って目を開けると、うっすらと何か光の球が集まってくるのが見えた。
「皆、コルトを助けて!!」
ユラの必死の言葉に応えるように、光が一斉にコルトの体を包み込む。気が付けば、コルトの背骨の痛みが消えていて、先ほどまで力が入らなかった拳にエネルギーが漲っているのがわかる。久しぶりの感覚。そうだ、活力というものは体の内側から指先の細かな神経にまで宿り、人を奮い立たせるのだ。
すると突如、あの光る文字が現れ、次々と目の前に流れてはコルトの更新されたステータスを明かしていった。
名前 コルト・ラインカーン
職業 召喚士
性別 男
年齢 18歳
レベル 25
装備 綿製上着・綿製パンツ・綿製下着・革の靴
最大HP 50
最大MP 62
攻撃力 25
守備力 22
経験値 425
力 28
素早さ 35
体力 28
かしこさ 56
運のよさ 24
魅力 67
『スキル「召喚」を習得しました。』
ミアに手をかざしたまま、ユラがステータスの最後に書かれた一文に声を上げた。
「これは……勇者としてのレベルアップじゃない。って、召喚?!!」
「コルト自身が能力を開花させたんだわ。勇者は基本マックスと同じ筋肉だるまだったのに……すごいわ!!」
サーラが詠唱の合間に、涙ぐんでコルトを祝す。
コルトは起き上がると自分の周りを取り囲む光を見つめた。やがてコルトの焦点が合ってくると、だんだんと光は輪郭線を帯び、鳥と同じ羽を持つもの、小さきもの、鳥や猫の頭部をもつものなど様々な姿をした精霊たちが浮かび上がってくる。彼らは、心配そうに膝に手を掛けてコルトの顔を覗き込んだり、背中を優しくさすったりしてくれているのがわかった。
「ずっと、こうやって助けてくれていたんだな……」
精霊の温情に触れて、コルトの心が満ち足りていく。
「ありがとう……」
前世で人々を助けて感謝されたとき、勇者はさも当たり前のように受け取り、そしてその場限りで忘れてしまっていた。彼らはこんな気持ちだったのか。あの時、無碍にしていた自分の冷徹さが憎々しくさえ感じる。
初めてコルトと通じ合えたことで精霊たちは活気づき、ツキタツフナトノカミの杖へマナを満たしていく。召喚士になったからだろうか、コルトは勘で、何かを召喚できるほどマナが充填されたことがわかった。
では誰を呼ぶべきか。そもそも召喚できる類の精霊がわからない。
ヒュドラーに敵う戦闘向きの精霊を思い出そうと、コルトが古い記憶を探って、いると、突然脳内に「ある名前」が響いた。
そして、その「名前を持つ者」が発する声はコルトの思念を丸ごと飲み込もうと、脳に侵食してくる。
「なんだ……これは…」
耳鳴りがして、側頭部が痛み出し、世界がぐるりと回りだす。コルトの意識ににじり寄ってくる「名前の者」は召喚で呼び出してほしいようで、ひたすら自身の名前を繰り返している。しかし、この名前は……。
「ああッッ!!!」
コルトの背後で、リオニーが足を踏み外して、背中に爪による攻撃を喰らい、地面に倒れ込んだ。運悪く、サーラの魔力が枯渇したようで詠唱が途切れてしまい、援護ができない。
二人の善戦によって、ヒュドラーは首が中央の一本を残すだけとなっていた。しかし、体内の毒はまだ枯渇していないようでレオンがあちこち駆け回っては煽って、吐き出させている。そのせいで辺りの地面は毒に冒されていて、近接戦は難しそうだ。
「リオニー!! 今、」
叫び声を聞いて、ミアが立ち上がろうとするが「ううっ」と呻いて膝をついてしまった。回復魔法を受けて傷はなんとか塞がったが、重症のミアには剣を握ることさえできない。
「ミアは行っちゃいけない」
「私の責任よ、行かせて!!」
コルトは両脚を踏ん張って、ヒュドラーに向く。
(もう何もできない、町民のコルトではないはずだ)
仲間の危機に立ち上がらなければ、新スキルを覚えた意味がない。激しい頭痛を吹き飛ばすように、コルトは杖の先を地面に叩きつけては、マナを流し、こう叫んだ。
「そんなに出てきたいなら、出てこい!! オベロン!!」
コルトのそれは召喚士の風上にもおけない、力任せで粗暴、ある種原始的な召喚法だった。しかし周りの精霊たちの助けもあって、杖の先から召喚の陣がみるみるうちに描かれていく。
陣が完成するや否や突風が陣から噴き出し、コルトは吹き飛ばされてしまった。またもや地面に顔をこすりつけていたところ、召喚されたその者はコルトを見下ろしてこう言った。
「ようやく会えたな、元勇者よ」
「パパ?!!」
黒アゲハ蝶を想起させる禍々しい髪飾りと真紅のマントをなびかせて、召喚の陣から堂々と登場したのは、アレフガルドにいるはずのエルフの王・オベロンだった。
「私のことはお義父様と呼びなさい」
世界を救うため、元最強勇者は神に「死」か「結婚」を迫られる 豆ばやし杏梨 @anri_mamemame
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