第19話 大僧侶の決意
港に帰ってきたコルトたちは、一旦今後の方針を決めるためにそのままリコの町での宿泊を決めた。エルフの里を出てもパールの体調が芳しくなく、休養が必要だと判断したからだ。ちなみにアフロディーテは魔王の封印を守るために、引き続き幽体のままパールの魂に寄り添っている。
一方ユラは、ひとつの決断をしていた。
「一度、最果ての地へ行こうと思っています。会えるかどうかはわかりませんが……」
結界が完成していれば、最果ての地へ行っても会うことはできない。しかし、神の遺伝子を持つ者として、リオニーやミアと肩を並べるためにも今のままではいけないとユラは感じたのだ。
神の遺伝子について、自分の父について、ルーツとなる神について、母に聞きたい。ユラが尋ねるべきことをひとつひとつ整理しながら歩いていると、前方を歩いていたコルトが港の入口にいる一人の女性の姿に気づいた。
「わざわざ僻地まで行かなくてもよさそうだぞ」
ユラが顔を上げると、懐かしい顔がそこにはあった。いつも自分の名前を呼ぶときの笑顔がそこにあった。
「ユラ」
「母さん……」
ユラは母に気付くと、すぐさま駆け寄って抱きしめた。本当を言うとリオニーの仲の良い家族を見て、ミアが女王に甘える姿を見て、羨ましかった。私にも誰にも替えられない母親がいるのに、誰よりも頼れる自慢の家族がいるのに。
ユラは母の胸に頭をうずめた。懐かしい母の香りに、しばらく騒がしかった心に安らぎが訪れる。
「……まずは宿に入ろう。少し休んでからゆっくり話せばいい」
ハンがサーラの肩に手を置き、促した。ユラが振り返ると、パールは血色を失い、コルトとリオニーの肩を借りてようやく歩ける程度であったのに気付き、急いで涙を拭って、レオンの背中にかけられている荷物を引き取った。
宿屋について早々、リオニーとコルトは別室のほうへパールを連れて行くのを見届けてから、ハンは食卓の椅子を引いてサーラに促した。ユラも、サーラの真向いに座る。
「ティタニアがやってきてね。少しの間、代わってくれたの。話さなければいけない時が来たからって。結界術が得意な彼女だから、本来出入りできない結界をチートして出てきたわ」
サーラが説明するとハンが納得したように頷いた。
ユラもつられて頷くが、頭の中ではどう切り出していいものか悩んでいた。昔一度だけ父について尋ねたことがあるが、母は「優しくて、とても強い人」とだけ言い、寂しそうな悲しい表情を浮かべた。だからユラは罪悪感を覚えてそれ以上も、それ以降は聞かなかったのだ。
「あなたの父親の話かしら。それとも、私の母親の話かしら」
口を開かない娘の心情を察してか、サーラが口火を切った。大魔法使いはすべてをお見通しらしい。
「……両方」
サーラはふっと笑う。そして、気遣って席を立とうとするハンの服の裾をつかんだ。
「ユラ、貴方の父親はこの人よ。厳密にいえば、ハンの前世、アンゼル=フォン=ルエーガーだけど」
ユラは驚きのあまり口を開いて、ただハンを見上げた。なぜかハンも同じ表情をしている。ハン自身も、自分が父親であると知らなかったのかもしれない。
サーラが「そうなのよ」とそっとハンの手を握ると、ハンは力が抜けたように茫然とサーラの横の空いた席に腰を下ろした。何度も瞬きして、握られた手を見つめている。
「……父さん…?」
ユラが半信半疑のまま小さく呼びかけると、ハンの視線はユラに向いた。そして唇が震えだし、サーラの手を強く握りしめて、声にならない嗚咽を漏らした。
ユラは大の大人が(見た目は青年だが、中身で言うと)本気で泣く姿にしばし圧倒されたが、背中をさすると、ハンは涙で目を真っ赤にさせながら、ユラを見てこう返した。
「ユラ……俺には、名前を呼ぶ資格がないと……」
初めてハンの口から自分の名前が出てきて、ユラは全身に血が通うような温かさを感じた。この人が、父親だ。そう、ユラが体が答えを出している。親から、父から、名前を呼ばれるのは、なんて嬉しく、こそばゆいものなのか。
ハンの手がそっとユラの頬に触れて、自然とこぼれていた涙を拭う。目の前のハンは、自分よりも年下の男の子だ。しかし、その指先からは父親の愛情が直に伝わってきて、ユラは手を重ねて肌に触れる温さにすがった。
「ユラの顔を見たときに、直感で娘だとわかった。名前も……もし娘が生まれたら、なんて話して、二人で決めた名前だ……」
ユラの名前は、海を越えた東の国、サーラの故郷に流れる川の名前からとったようだ。
「サーラは何も言わないし、確証を得られなかった。自分は死んでしまって、父親としては無責任だったし……何よりも、本当の父の身体で抱きしめられないのは辛かった」
ハンがこれまで隠していた想いをとつとつと語り始めた。ハンの右手は妻が、左手は娘がしっかりと握りしめている。
「転生した後、サーラに再会することも考えたが……。私がいなければ、新しい夫を迎えることができるんじゃないかと考えた。でも、あなたが他の男といる姿を見るのが耐えられなかったんだ。意気地がない男ですまん」
サーラがかぶりをふる。
「私も同じよ。転生した貴方に会わないほうが、貴方も新しい人生を築けると思って……。さすが夫婦ね、同じ考えだったわ」
二人は額を当てて幸せそうに微笑んだ。ユラはその姿に若い頃の二人を想像して、「人と人同士が心を交わして、育まれた愛する心」が成しえたものをようやく飲みこむことができた。
前世のハンが生きていれば、等しく年を重ねた夫婦の仲睦まじい姿を見れたのだろうか。赤ん坊の頃からその手に抱かれて、眠れない夜は歌ってくれて、優しく名前を呼んでもらえたのだろうか。
「なんで……なんで死んじゃったのよ。寂しかった。寂しかった」
ユラは二十一年間、胸の奥に隠しこんでいた想いが込み上げてきた。そこに新しい思いが今加わる。
「でも……転生してくれて良かった。父さんに会えたのが嬉しい。抱きしめられて、名前を呼んでもらえて……それだけで嬉しい」
「ユラ……」
涙の訴えに、ハンは「もう離さない、ユラと離れないよ」と誓いながら、優しく愛おしくユラを抱きしめた。
「ど……どうした、何があったんだ」
別室から戻ってきたコルトとリオニーは、異様な光景を目の前にして戸惑っていた。理解しようにも取っ掛かりがない。
ハンは涙を拭いては、いつもの飄々とした態度でコルトをおちょくる。
「おお、コルト、これからは私をお義父さんと呼びなさい」
「は?」
「かいつまんで話すわね。ハンは私の夫であり、ユラの父親なの」
「はい?!!!」
「え!! 奇跡の再会?!! 感動的!!」
初めて聞く真実に混乱するコルトとは対照的に、リオニーは素直にハン家族を祝福した。
「ちなみに、マクシミリアンは知ってるわよ」
「へ?!!」
「決戦のとき、妊娠四か月だったから、解散するときにお守り代わりにその盾をもらったの。こんなクソ重いもの、本来妊婦に渡すものじゃないけど、おかげで悪いものに寄り付かれずに辺境の地でも生きてこれたわ」
「そんな、言ってくれれば……」
「決戦を前に教えたら、フラグが立っちゃうでしょ。でもまぁ、貴方は死んじゃったけど」
「ぐ……」
ユラは顔をしわくちゃして笑った。不安が晴れ、両親の愛情に触れ、コルトが見たこともないヘンテコな顔をしていたからだ。レオンも嬉しそうに、はっはっと短い息をしてユラの周りをぐるぐる回っている。その様子もなんだかおかしくて、ユラは声をあげて笑った。
ハンは鼻をすすると、改めてこれからすべきことをまとめ始めた。ハンの両隣は最愛の二人が固めていたため、コルトとリオニーは三人の対面に座った。
「まずは、これからの旅の目的を明確にしよう。『勇者復活』を改め、アレースないしデイモスの『討伐』にするのでよいか?」
その場にいる五人が顔を合わせて頷き合う。するとハンは「整理しよう」と筆と羊皮紙を取り出して、これまでわかったことをまとめた。
『勇者復活の条件』
・コルトの死 → コルト単独で死んでも、勇者は復活しない。
・パールの死 → 碑石に魂が移動して、勇者・魔王ともに復活する。
・碑石の解放 → 生きているコルト・パールの身体から魂が強制で抜き取られる。勇者・魔王ともに復活する。
・結婚・出産 → コルト(?)と神の遺伝子を持つ者が結婚。子供(勇者)を産む。
〈確認すべきこと〉勇者の条件とは?神の遺伝子を持つ者≠勇者?
『魔王討伐の条件』
・人間による封印 → 同じ歴史の繰り返し?
・人間による討伐 → 〈確認すべきこと〉そもそも可能か?勇者がいる必要性は?討伐後の影響は?
・神様による討伐 → 〈確認すべきこと〉可能か?どうやって味方につける?討伐後の影響は?
「こうして見ると、謎なことが多すぎ!! どう旅を進めればいいかわかんないね」
リオニーの溜息に、コルトが肩を叩いて励ます。
「ひとつひとつ答えを探していこう。これまでの旅は何一つ無駄じゃなかった」
「その通りだ。謎の部分をできるだけ解き明かしたい。そのためにも私はこれから教会の本部で神々や勇者に関する文献を探してみる。なにか小さな手がかりでも見つかればいいんだ。手伝いに精霊のシルキーを連れて行こう、なにせ何百年分の歴史を漁るんだ」
そう言うとハンは立ち上がって自分の荷物を手に取った。
「もう行くのか?」
「長年聖職に就いてきたが、もう今回の件で神には見切りをつけた。さっさと片づけてしまいたい。だから、コルト、お前さんは自分の前世を辿って、『勇者の条件』を調べろ。それと、アフロディーテが人間界に来ているんだ。他のアレースやデイモスと敵対する神を見つけるのも忘れるな。あと、今後、ユラに暴言を吐いたらお前を海に沈めるから心しとけ」
「横暴な……娘に態度を改めるよう言うのが親の務めだろう」
ハンはコルトの返しなんて耳にも入れず、サーラの髪に触れ、手の甲に口づけた。
「……これで終わりにしよう。それで私たち家族は一緒に過ごすんだ」
サーラは頷くと、複数のシルキーを呼び出してハンのお供につけてから、風の精シルフの助けを借りた。風のヴェールがハンを包み込む。
「父さん、いってらっしゃい」
ユラの挨拶に、ハンは嬉しそうに口角を上げて、そのまま風に乗って消えてしまった。
「……転生しても良い男でしょ」
「そんなの前世から知ってるよ」
サーラの一言に、コルトは笑みを漏らした。
「さて、私も時間に限りがあるから、それぞれのルーツの話をしましょう。リオニーさん、貴方に関わる話よ」
サーラがパンパンと手を打って仕切り直すと、リオニーは姿勢を正した。
「エルフの里で聞いたと思うけど、私にも、マクシミリアンにも神の遺伝子が受け継がれているわ。それぞれ別の神様だけど」
「どなたですか?」
リオニーが身を乗り出すと、サーラは床に置かれたユラの盾を指さした。
「貴方のご先祖にいるのは、ヘパイストス。炎と鍛冶の神様で、あの盾を創った神様でもある。それにアフロディーテの元夫よ」
サーラの言葉に呼応するように盾から蜃気楼のようなものが浮かび上がり、屈強な上半身に対して膝より下の脚がやけに細い男性の姿を形作った。
「その神様、知っています……ウェーカーの教会に祀られている神様だ……」
リオニーは蜃気楼に近づいてまじまじ見てみる。鍛冶の神様であるなら、やはりリオニーの痣は「ヤットコ」の形なのだろう。
サーラいわく、ヘパイストスは生まれながらにして足が奇形だったため、天から人間界に落とされて、幼い頃は地上で過ごしていたという。そのときに出会ったのが、リオニーの祖先のようだ。成熟してから天界に戻った後、正妻としてアフロディーテを迎えるも、戦神アレースに奪われて失意に陥ったヘパイストスは、火球になって再び地上に下りて、リオニーの祖先との間に子供をもうけた。
「ヘパイストスは、情の深い神だと聞くわ。自分を虐げた神よりも、愛情を教えてくれた人間に味方してくれているから、今回も協力してくれるかもしれない。アレース自身にも恨みがあるからね。それに暗黒時代も、平和な今も、人々は変わらず炎と鍛冶の神への信仰が厚いから力強いわよ」
「……でも、神様なんてどこに行けば会えるんだ? まさかまだ人間界で生活しているなんてことはあるか?」
「わからないけれど、神様ゆかりの地ならあるわ。ヘパイストスなら火山ね」
「火山といえばヴァルカン……そうか、マクシミリアンの故郷か」
コルトが古地図を取り出して、大陸の中央にある山脈付近にある町を指差した。
「鋼の町だね。ウェーカーでもここの鋼はかなり高値で取引されているよ」
「鍛冶の神様がつくる鋼ならその価値はありそうだな」
次の目的地にするべく、コルトは筆で火山に印をつけた。リコから一週間ほど旅に出なければいけないが、ヴァルカンなら勇者の故郷も近い。旅の途中で、ハンから言い渡された宿題の一つの手がかりを見つけられるだろう。
「それで、私の母、ユラの祖母にあたる神様はね……」
サーラの話を遮るようにして、突然、地下から突き上げるような衝撃がリコの町を襲った。その後も断続的に揺れが続き、四人は必死に机にしがみつくが、古い宿屋の天井が軋み、埃や木屑などあらゆるものが頭上に降り注ぎ、壁の額も音を立てて落ちた。
「なにこれ?!」
「机の下へ、早く!!」
「この一帯では地震が起きないはず…ということは……」
揺れる地面によろけながらも、サーラが窓に駆け寄って開けて上半身を外に乗り出すと、山側、アイゼンベルの方角から九つの頭を持った竜が姿を現した。揺れは、巨大竜の歩みによるものらしい。
「ヒュドラー!!」
それはかつてエルフの女王をさらって洞窟に閉じ込めた怪物だった。
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