第18話 闇に堕ちる
「なんで旅についていっちゃいけないの?!!」
ミアの悲痛な叫びが宮殿中に響く。エルフの女王ティタニアは、里の権威者である長老を味方につけて、断固としてミアの旅の同行に反対していたのだ。
「貴方はエルフの王、オベロンの一人娘であり将来はエルフを統べる者です。この何十年もの自由時間を与えてきましたが、もういい加減、女王になる覚悟を決めなさい」
「それでも魔王を倒さなければ、結局エルフの里も襲われちゃうじゃない。ママが魔獣に囚われたときみたいに。あの時、パパは成すすべもなくただ泣き暮れていたわ。そうなりたくないの!! 私は愛する者を自分の手で守りたいのよ!!」
「ほう、そうしたらこの二十年間で鍛え上げた力を、故郷を守るためにお使いなさい。それが女王たる者の宿命です」
エルフたちの親子喧嘩に口を出せずに、コルトたち一行はただ黙って聞くしかなかった。話は常に平行線で終わりが見えずに、かれこれ一時間は経っている。コルトにしてみれば、勇者の遺伝子をもつミアが旅に参加してくれることはありがたい話なのだが、エルフの女王の一歩も引かない強硬な態度には、何か事情がありそうだ。
親子が言い合うさまを浮かない表情で見つめるユラに気付き、コルトは声を掛ける。
「どうした? 何かあったか?」
「あ、いいえ」
ユラは顔を真っ赤にして抗うミアを見ながら、女三人で話した晩を思い出していた。昨夜、晩さん会を終えて一行が眠りについた頃、ユラとリオニーの寝室にミアがやってきたのだ。
「あなたたちは、どうなの?」
境界を超えてきたからか、重い話題に心が疲れてしまったのか、二人はベッドに横たわった途端に夢の世界に入っていたため、ミアの突然の来訪にすぐに対応できずにいた。ベッドに体が張り付いているようで、なかなか起き上がれない。
「ねぇ、だから勇者様のことをどう想ってるのよ」
じれったそうにミアが再び尋ねると、リオニーがゆっくりと起き上がり寝ぼけ眼をこすりながら、どうにか言葉を紡ぎだした。
「ボクは……勇者なんて知らないよ。でも、コルトは好きだ。……正直、異性への恋とか憧れとか、そういうのはまだ実感として湧かないんだよね」
「あなた、花嫁候補っていう自覚はあるの?」
ミアの問いに、リオニーはゆっくりと肩をすくめた。
「今日知ったばかりだから、そんなのもちろんないよ。でも、これからコルトのことを知りたいと思っているよ。ただそれだけだ。ボクは、ミアのライバルには役不足だよ」
「私たちの結婚には世界平和が懸かっているのに、呑気なものね!」
昼間のコルトの態度から察してか、リオニーは、ミアにとって警戒すべき相手と捉えたようだった。最初は眉に皺を寄せてリオニーの話を聞いていたミアも、相手がまだ無垢な少女だとわかると、安堵して、それ以上追及することはなかった。
リオニーが終われば次はユラの番だ。ユラは、ミアだけでなくリオニーからも好奇の目が向けられて、目が泳いでしまった。
「私は……まさか結婚相手の候補になるなんて……」
「そういえば、勇者様はあなたの痣の位置を知っていたようだけど、あなた自身は知らなかったの?」
ミアの鋭い指摘に、ユラは赤面して咄嗟に痣を守るように手を置いた。そうだ、なぜコルトは知っていたのに、今まで黙っていたのだろうか。一体いつ気付いたのだろうか。
「あなたが知らないのに、勇者様が知ってるなんて……怪しいわ。何かあったの??」
ユラは必死で否定するが、ミアは怪訝そうな目つきをやめない。
「コルトさんは、私を嫌っているから言わなかっただけよ。ただ、それだけ…」
自分で言葉にしながら、その内容に悲しくなった。そうだ、自分は花嫁候補になろうと、選ばれることはないだろう。なんて無駄遣いをしてしまったのだろうか。ユラが視線を下げると、ミアの魅力的な胸が目に入ってきて、さらに自尊心が揺らいだ。
「コルトさんとは口喧嘩しかしてないし……リオニーのように、優しい言葉をかけたことを一度もない。ミアさんみたいに誉めたこともない。そうだね、私、足手まといかもしれない。だって今、戦闘でも一番役に立っていないし、花嫁候補にもなれないし……」
リオニーが慌てて「そんなことないよ」と否定するが、ユラは聞く耳を持たない。
「この旅も、母に言われて動いていただけ。でももう二人も花嫁候補を見つけることができたし……もし討伐の旅に出たとしても、私の魔力なんてゴミみたいなものだし……」
気が滅入る、果てしない愚痴に、ミアは苛立ってついには声を上げた。
「もう!! あなたはどうしたいの!!」
ユラが肩を震わせる。ミアの顔を見ることができない。どうしたいのかなんて、自分自身が一番よくわからないのに。
コルトへの気持ちはどうか。ナルに対するコルトの態度は正直気持ち悪いが、リオニーに対しての紳士的な態度は好感が持てる。執拗に纏わりつくミアにも、なんだかんだ優しい視線を向けるときがあるのを知っている。では、ユラへの態度はどうだったか。最悪の一言に尽きる。怒鳴られてばかりだし、それは自分も同じだ。
コルトを見ていて、ユラは(人の態度とはまさに鏡のようだ)と学んだ。相手に取った態度がそのまま自分に返ってくる。ハンが、愛する心を育むためには「人同士が心を交わす」と話していたが、コルトとユラの間には衝突しかなく、二人は心を交わせるほど関係を築くことができていなかった。
それなのに、ユラは花嫁候補に挙がって初めて、どこかで「コルトから好かれたい」と考えてしまう自分に気付いた。だって、最初から自分が花嫁候補だとわかっていたら、もっとお互いに印象も態度も違ったんじゃないか。ユラは、人から好かれたいと思うことがこんなに「怖い」とは思ってもみず、心をくじいていた。
しかし今ユラが旅を抜けることはできない。コルトに嫌われていても、花嫁候補にしがみつき、旅を続けるには、これにすがるしかなった。
「私の使命が『結婚』ならば、それを果たすだけ」
ユラは、逃げた。それを見逃さないのが、ミアだ。
「言い訳ばかり……少しは立ち向かいなさいよ」
ミアの背後、窓の向こうの空には何も浮かんでおらず、真っ暗闇が広がる。ランプの代わりにベッドの脇に置いてある小さなクリスタルは光源としては弱く、離れて立っているミアの表情は、ユラからはよく見えない。ただ、明瞭な声が低く、暗闇に伝播する。
「もしくは、逃げるならちゃんと逃げなさいよ」
ミアの言葉は正しく、鋭く、ユラの胸を突き刺す。
「逃げてないじゃん、ユラは使命を果たすって言ったでしょ。覚悟がないと、そんな言葉はでないよ」
「使命でも、運命でも、どっちでも良いけど、そんな便利な言葉を使って逃げるなんてずるいわ。そんな奴に負けるわけないわ」
言葉に窮したユラは俯くしかなかった。ミアの強い心が眩しかったのだ。
「やっぱり、私が花嫁の最有力候補のようね。なんていったって、魂を超えた勇者様への愛情をがあるから、結婚だって厭わない。だから明日からあなたたちと一緒に行くわ。何なら、次の町で結婚式を挙げてもいいくらい。わかってると思うけど、私の邪魔をしないでね」
昨晩そんな強気な発言をしていたミアだが、母親と長老には敵わないようだ。
「もう!! ママのわからずや!! 大嫌い!!」
とうとう根負けしたミアは大泣きしながら、宮殿の中へと消えて行った。深い深い溜息をつき、「見苦しいところをお見せして大変申し訳ございません」と一言添えてから、ティタニアは真実をコルトたちに話した。
「夫、オベロンは、実は戦神アレースの息子です。つまり、ミアはアレースの孫にあたります。アフロディーテが実の息子であるデイモスの魂に干渉したように、いつアレースがミアに接触してくるかわかりません……」
長老が継ぐ。
「花嫁候補が二人になってしまって、申し訳ないが……。あの娘は変に力をつけすぎてしまった。大事な局面でデイモスに寝返ってしまっては、今度こそ世界が破滅する。だからこそ、我々で監視しておきたいのです」
深々と頭を下げる二人に恐縮しながら、コルトたちはミアが狂乱状態でこちらに向かってくる様子を想像して肝を冷やした。魔法でも物理でもきっと敵わないだろう。
二人に別れを告げて、コルトたち一行は湖の桟橋に向かい、一晩中震えて過ごしていた船長に声をかけて、出発を促す。船長はさっさと操縦かんを握りしめて出航しようとするが、リオニーが慌てて引き留めた。
「レオンはどこにいるの?船長さん、ちょっと待って!おーい、レオーン!!」
ユラは、遠くに見える森の宮殿を飽きずに眺めていた。耳元にミアの一言が何度も繰り返し聞こえてくる。
「立ち向かいなさいよ」
そうだ、逃げるなんて私らしくない。けれども、戦う前にやるべきことがある。
「父さんのことを知りたい……」
ユラの呟きを、ハンは聞き過ごすことができず、彼女の背後で密かに小さく頷いた。
*
「なんで、ママは、わかってくれないのぉ」
ミアは自室でひとりさめざめと泣いていた。
前に勇者たちを見送ったときはまだ子供で、船が見えなくなるまで桟橋で、今と同じように泣きべそをかいた。次に会うときには必ずついていくと自ら誓いを立てながら。
エルフにとっては短いが、人間にとっては長い年月を待って、ようやく「次」が奇跡的に訪れたのにもかかわらず、今度は母親によって妨害されてしまったのだ。涙を流さずにはいられない。
勇者と離れている時間が一分一秒でも惜しい。狂おしい。自分と同じ結婚できる資格を持つ女が二人も一緒に旅をしているのだ。今すぐにでも間に割って入って、勇者に抱き着きたい。
昨晩問い詰めたおかげで、候補者の二人が勇者に対して好感を抱いていることがわかった。しかし、それはとても初々しく、淡く、繊細なもので、一度でも情熱が加われば一気に燃え上るような危ういものだった。牽制はしておいたが、安心はできない。今、二人から目を離してはいけないのだ。
私はあの中の誰よりも勇者を愛している。すべてを愛している。なのに、なのに、なぜ自分には機会が与えられないのだろうか。
ミアが激しい感情に任せて卓上のものををすべて薙ぎ払うと、床にガラス瓶が落ちた衝撃で黒い影が動き出した。
「だれ?」
振り向くと、閉めていたはずの扉から小さなフェンリルが覗いていた。この里にフェンリルなんていただろうか。それとも勇者の船に紛れ込んでやってきたのだろうか。
「どうしたの? 迷子になっちゃったの?」
涙を拭いながらフェンリルを抱こうとすると、フェンリルの影がスルスルと大きくなり、部屋すべてを闇が包み込むと、低い男の声が頭の中で響く。
『ミアよ、勇者が恋しいか、勇者が欲しいか』
その声はなんとも蠱惑的で、脳に直接語り掛けられると、まるで声に抱かれているようでどうにも心地よい。涙を流して欠けてしまった心に、ゆっくりと温かく染み込んでいく。
だんだん、自分の外を感じるための神経が麻痺していき、体の輪郭線が溶けていく。自然とまぶたが下り、心の感覚に委ねると、ミアは何も疑うことなく問いかけに答えてしまった。
「恋しい、欲しい。ほかになにもいらない」
視界が歪み、闇がミアの中に溶けていく。闇に紛れたフェンリルの影は口が裂け、笑っているようだ。
『一行に竜を放て。アイゼンベルの地下に眠る竜だ。勇者に連れ添う女二人はそなたを邪魔する者だ。殺してしまえ』
ミアのくすぶっている心を焚きつけるように、フェンリルは語り掛けてくる。
「でも、あの娘たちは良いこだよ。それに、デイモスが復活したら、二人の力が必要になる」
『神の遺伝子を持つものは、ほかにいる。それに誰よりも強いそなたがいる』
「でも……でも…」
影はいつの間にかミアの体をまあるく包み込んでいた。フェンリルの姿はもうないが、代わりに、闇の中に成人の男の気配がする。
『偉大なる戦神アレースの孫娘よ。私の可愛い孫娘よ、何を躊躇する、そなたは強い、そなたは美しい』
「でも……」
影から二本の逞しい腕が出てくる。左手の甲には、ウロボロス型の痣。ああ、これは昔見た勇者様の腕だ。
腕は、ミアを優しく包み込む。腕から、ミアがずっとずっと求めていた体温が流れ込んでくる。
「勇者様……」
ミアが腕に手を添えると、かつての勇者の影が現れ、強くミアを抱きしめた。
『ミア、そなたは完璧だ、“俺”とお前のつながりを邪魔するものは絶て』
「勇者様……。そうね、勇者様が言うなら間違いないわ。待っていて、今すぐ助けに行くからね」
ミアは影の腕に抱かれ、涙を流した。それは、愛に浸った涙だった。
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