男と青年

長月いずれ

第1話 男と青年

昔、あるところに不思議な青年がいました。青年は若々しく、健康で、白髪の一本さえありませんでした。

誰よりも力強く田畑を耕し、村いちばんの丈夫な男だと誰もが認めていました。そんな理想的な青年がたった一年で生首に変わってしまいました。今日は、なぜ青年が生首になってしまったかを説明しようと思います。

 山間にあるその村は、数十人しかいない集落で、わずかな田んぼをみんなで耕し、足りない食糧は猟に出て補っていました。村人たちはみんな、隣の村からボロ小屋と揶揄される小さくて古い家に身を寄せ合って、厳しい年貢の取り立てに耐えながら、やっと暮らしていました。

 もちろん、青年の家も同じでした。生まれたときから、狭い玄関の端に七輪を一つ置いて台所と呼び、寝床の上の屋根は落ちかけのまま直せずに、雨の日はいつも雨漏りがしていましたし、一間しかない部屋の中にはいつも隙間風がふいていました。

 青年には特技がありました。それは猟です。鹿の気配を鋭く察知して、草木のわずかな揺れを見逃さず、狙いを定めて弓を引けば、百発百中でした。近くの森林には鹿がたくさん住んでいて、それを狩れば肉になりますし、毛皮は寒い冬に重宝されます。村に数個しかない弓矢をもって、農業の合間に、天気の悪い日も真面目に猟に出かけました。

 青年は謙虚で優しい男でしたから、とってきた鹿は皆で分けました。草や木の実だけでは腹を満たすのに限界がありますから、村の人々は大変喜び、青年に深く感謝しました。

 鹿は皮を剥いだ後、村の真ん中にある広場で丸焼きにしました。香ばしい匂いに誘われて、村の人々は広場に集まり、それを口に入れたときの味を思い浮かべながらよだれを飲み込み、焼きあがるのをみんなで待ちました。青年は、鹿を焼く火の面倒を見ながら、嬉しそうな村人たちを見て、みんなの役に立てる喜びを感じました。

 ある秋の日のことでした。いつも通り青年が捕ってきた鹿を、秋の夕映えの中で丸焼きにしていると、青年の幼馴染の男がこう言いました。

「お前はいいべえ。俺もお前みたいに速く走れればきっとみんなをよろこばせられるのに、俺ときたら足が動かねえからなあ」

 男は幼い頃に転んだ拍子に腰を骨折して、それから下半身不随になり、這って生活していました。走ることはおろか歩くこともできない男は、青年が森の中で走り回り、鹿を仕留め、村のみんなに感謝されているのがとてもうらやましかったのです。

「いいべえ。うらやましいべえ・・・」

 口をへの字に曲げながら、しきりにうらやましいという男に青年は苦笑いしながらこう言いました。

「そうはいっても、お前も編み物や、縫物、それに弓矢の矢を作ってくれるじゃないか。お前なしには俺は猟ができない。鹿を狩ってこられるのは、全部お前のおかげだよ」

「・・・・・・・」

 男は黙りました。そして、青年を睨みつけました。しかし、すぐに元に戻ってへらっと笑って見せました。

「そうかあ。そういってもらえたらうれしいべえ」


 その日の深夜、男は村の奥の屠殺場の近くに一人だけで住んでいる、魔女と呼ばれる老婆のもとをこっそりと這って訪ねました。老婆は、不思議な力を持っていて、村に災いを起こすという噂があり、男が物心ついたころにはすでに村八分にされ、この場所でポツンと暮らしていました。幼い頃、まだ足が動いていた時に一度だけ肝試しに幼馴染の青年と来たのが最初で最後で、大人になってから近づくのは初めてでした。

「ごめんください、村の者だべ」

 老婆の家は真っ暗で、男は中の老婆は眠っていると思いました。それでも自分の話を聞いてほしくて、小さな家の戸の外から老婆に呼びかけました。声は木枯らしにかき消されそうになりながらも、家の中に届きました。だけど、返事はありません。

「ごめんください、大事な話があるべ」

さっきよりも大きな声でそう叫んでも、やっぱり返事はありません。男は焦れて戸の隙間から中の様子を覗きました。すると、中に一尊のお地蔵様がいました。この家は魔女ではなく地蔵の家だったのでしょうか。男は中にいるのが魔女ではないならここまで来た意味がない、と思いました。そして、その場に唾を吐いて、腹を立てながら自分の家にまた這って戻りました。

その晩、男は夢を見ました。上下左右真っ白な空間に老婆の家の中にいたお地蔵様がいて、男はそのお地蔵様のまえで、できないはずの正座していました。お地蔵様は所々石が欠け、苔がはえており、かつては綺麗な赤色であっただろう前掛けは白く色が抜けていました。

『願い事を叶えてやろう』

 お地蔵様が言いました。男は、それを聞いて内心、馬鹿馬鹿しいと思いました。村人に見捨てられたような、誰も手を合わせない地蔵に何ができるというのでしょうか。「祈るだけ無駄だ」。そう思いました。ですが、夢の中の自分は、本心とは裏腹に素直に願い事を打ち明けました。

「青年がうらやましいべえ。あの足が欲しいべえ」

『その願い、叶えよう』

 そう言いながら地蔵は青年の腰から下の形をした木組をどこからか取り出しました。青年の筋肉で引き締まった脚は木組で出来ていたというのでしょうか。何が起こっているのかわからず、言葉を失っている間に、地蔵はどこからかトンカチを取り出して、正座している男の腰の部分を思い切り叩きました。すると、なんと木片がポロン、とひとつ落ちてきました。男の脚もまた、木組でできていました。地蔵は何千個もある、男の腰の木組部品を器用に分解して男の脚から取り外すと、代わりに青年の脚を腰から下にくっつけて、今度は木組みではなく、トンカチと釘でくっつけてくれました。

『さあ、できた』

「あ、ありがとう」

 男はその一言を何とか絞り出ながら、自分の腰を触りました。そこで、目が覚めました。起きた手には腰に刺さった釘の、鉄っぽい感触がします。

「なんだべ?」

 不思議に思いながら布団から出ると、男の脚は青年の脚になっていました。にわかには信じられず、両手で形を確かめた後、そっと起き上ると、脚は思い通りに動きました。

「まさか・・・」

 もしかしたら、まだ夢をみているのかもしれない。男はそう思いました。自分のことを何度もつねって確かめました。ですが、目は覚めません。現実なのです。

 男はそこまで確かめると、家から飛び出しました。

「歩けるようになったべ!俺も狩に行けるべ!」

 村中に響き渡る大声でそう叫びましたが、誰も男のほうへは来ませんでした。よく見ると、青年の家の前にみんなが集まっていました。

「どうしたんだべ?」

思わず駆け寄ると、そこには腰から下の下半身がなくなった青年が家の前で茫然としていました。青年の胴と下半身のつなぎ目からは血は出ていません。ただ、木組みをばらしたような跡があります。村の人々は泣きました。もう青年が健康で丈夫な身体で走り回ることができず、みんなのために狩に出かけることもできないと思うと、悲しくなってしまったのです。ですが、青年は最初こそうなだれてはいたものの、しばらくするとこう言いました。

「これからは、狩ではなく内職でみんなを支えます」

 その言葉通りに、青年は懸命に弓と矢を作りました。誰よりも狩に慣れた青年は、どのような形の弓と矢が使いやすく、得物を仕留めやすいのかよく知っていましたから、その弓矢はたちまち評判になりました。青年ほど俊敏に動けないほかの男たちでも得物を仕留められるようになり、隣の村からも野菜と物々交換で弓と矢を求められました。

そして、「ほかの男たち」に、男も含まれました。男は、狩に行くと青年がそうだったように、鹿や猪をとってきました。ですが、村人たちが褒めるのは男ではなく青年でした。「誰でも」狩ができるほど素晴らしい弓と矢を作れるのは青年しかいない、と絶賛しました。

男は不満でした。男の下半身は確かに青年のそれなのに、狩をして得物を持って帰ってくるのは自分なのに、どうしてみんな青年ばかり褒めるのでしょうか。

その夜、男はまた、老婆の家へ向かいました。そして、家の中を覗きました。しかし、そこにはどういうわけか、地蔵はいませんでした。

「あいつの腕がほしいべえ」

 初めて来たとき、唾を吐いたことも忘れ、男はそう祈りました。すると、またその日の夢の中に地蔵が出てきました。

『願い事を叶えてやろう』

そこから先は、大体こないだと同じでした。男の首の木組部品を器用に分解して男の胴から取り外すと、代わりに青年の胴を首から下にくっつけて、今度は釘ではなく、糊でくっつけてくれました。

『さあ、できた』

 男が目覚めると、首から下が青年のそれに変わっていました。

「今度こそ、おいらが主役になれるべ」

 そう呟き、家を出ると、青年は生首になっていました。生首と胴の境目に傷はなく、今回も木組みをばらしたような跡だけがありました。しかし、やはり青年はへこたれません。

「これからは、弓と矢の作り方を伝授することにします」

 そう言って、男は口頭で男の周りに集まった女たちに毎日どのように弓と矢を作るのかを伝授しました。すると、弓と矢は今までの数倍の量が作れるようになりました。

 その村で、質のいい弓と矢が量産されているという噂はたちまち広がり、お上の耳にも入りました。そして、その性能を確かめた結果、上納品として国に納めることが決まりました。

 またしても、男は不満でした。猟に出でも、弓矢を作っても褒められるのは青年ばかりで、誰も男には注目しません。

 そして、男はまた、老婆の家を訪ねました。すると、そこにはあったはずの小屋はなくなり、地蔵もおらず、ただの更地になっていました。男は不思議に思いながらも、願いました。

「あいつの頭が欲しいべえ」

 地蔵も家もない更地に男はそう願いました。

『願い事を叶えてやろう』

どこからかそんな声がして、そこから先は、いつもと同じでした。男の首の木組部品を器用に分解して男の胴から取り外すと、代わりに青年の首を付けました。ただ、今回は釘も糊もつけずに、のせただけでした。

『さあ、できた』

 男が目を覚ますと、男の頭は青年になっていました。そして、外から村人たちのむせび泣く声が聞こえてきます。

「どこへいっちまったんだ!」と、叫び声が聞こえ、青年が姿を消したらしいと察しました。男は村人たちが自分——青年の頭、青年の胴、青年の下半身の姿、を見たらどんな反応をするか興奮しながら外へ出ようとしました。

 その時です。頭がポロンと落ちました。

「なんだべ⁉」

びっくりして飛び上がると、胴と下半身を繋いでいた釘がポキンと小さな音を立てて折れました。

「どういうことだべ⁉」

男は、頭、胴、下半身にばらけ散らばりました。そして、ばらけた下半身は木組みをばらすように小さな木片に変わっていき、やがて本当に木片の山になりました。男は何が起きたか理解できませんでした。ばらけた胴に生えた手でかろうじて首を抱えると、老婆の家があった場所へ急いで這って向かいました。

「ひどいべ!ばらばらになっちまったべ!もとにもどしてけろ!」

更地にむかってそう叫びますが、聞こえるのは木枯らしの音だけです。そして、先ほど下半身が木片になったのと同じように、胴も木片に変わりました。

 男はついに、生首になってしまいました。その時初めて、木組みは釘や糊で繋げられるようなものではないと悟りました。男には男の、青年には青年の木組みの形があったのです。そう気づいたとき、男の頭は青年のものではなく自身のものに戻っていました。

 そして、男の生首は屠殺場に置き去りにされました。その首を見つけた子供たちが、「首しかないお地蔵さんなんて気持ち悪いやい」と言って唾を吐きました。

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